*** 21 プールサイド ***
それからしばらく経ったある春の日、その霊障事件は瑞祥異常現象研究所に持ち込まれた。
地元選出で与党の大物でもある新田代議士の枕元に、夜な夜な自死した元若手秘書の霊が立ち、何かを訴えているのだそうだ。
最初は代議士が地元に帰って来たときだけだったのだが、最近では東京の議員会館や宿泊先のホテルにまで出るようになったらしい。
早速退魔衆頭領厳空が派遣された。
厳空は、新田代議士やその秘書たちとともに、新田の自宅寝室でその霊に向き合って座る。
秘書たちのほとんどには霊が見えないが、全員蒼白な顔で厳空を遠巻きにしている。
厳空はまた霊に近づいて霊を見つめている。
その後はなにやら霊と話を始めたようだったが、しばらくすると霊に向かってお辞儀をした。
その霊も丁寧にお辞儀を返している。
代議士はじめ一同に向き直った厳空は言う。
「こちらの元若手秘書の方は、政治資金横領の疑いで咎められ、それを悲観されて自死されたことに相違はございませんですな」
新田代議士は息を呑んだ。
自死は隠せるはずもなかったが、政治資金横領の話は極秘事項である。
代議士とそこにいる秘書たちしか知らない話だった。
厳空は続ける。
「尊敬していた先生に無実の罪を咎められ、悲観した挙句の自死だったそうですが、霊となって彷徨ううちに周囲が見えるようになり、自分への疑いが他の秘書に罪を着せられたものであることがわかったそうです」
新田は驚きのあまり仰け反った。
「それでは御本人の言い分を聞いてみましょう」
また厳空の声音ががらりと変わり、気弱そうな若者の声になった。
「ああ、先生、お久しぶりです。先生の枕元に立ったりしてすみませんでした。
でも、どうしても先生にお伝えしたいことがあったのです」
新田代議士とその秘書たちは腰を抜かした。
その声、その話し方は、確かに自死した元若手秘書のものだったのである。
その声は続ける。
自分は無実であること。自分を陥れた証拠は、第二秘書が捏造していたこと。
そして第二秘書はたちの悪い金融業者に多額の借金があり、その返済のために政治資金を横領したこと。
その残りのカネは、まだ第二秘書の自宅寝室の箪笥の一番下の引き出しの奥にあること。
そうしたことを切々と訴えた。
新田代議士が震える第二秘書を詰問すると、怖れをなした第二秘書はすべてを白状した。
一同がそのまま第二秘書の自宅に行くと、霊が指摘した場所に多額の現金が隠されていた……
後日、新田代議士と、第二秘書を除く秘書全員が、厳空と共に自死した元若手秘書の墓に出向いた。
全員が手を合わせる中、厳空が読経する。
その後で新田は涙ながらに墓に向かって詫び、平伏して元秘書の霊に許しを乞うた。
長い平伏が終わると新田はおそるおそる厳空を見る。
「元若手秘書の方の霊は、尊敬してやまなかった先生が本当のことを知ってくださったと、とても喜んでいらっしゃいます。
ほら、今もそこに笑顔でいらっしゃいます」
墓前にあった小さな鈴が、風も無いのにちりんと鳴った。
新田は号泣しながらまたひれ伏した。
その後はもちろん霊は出なくなったそうである。
その事件後、新田代議士がそれを仲間内で語ったために、退魔衆の名は全国区になった。
全国の新田の友人の代議士たちや、その有力後援者からの霊障に関する相談が、退魔衆の窓口である瑞祥異常現象研究所に怒涛のようにやってきたのである。
後進の育成は急務となり、瑞祥少年少女団や、瑞祥青年団の陣容の拡充に合わせ、瑞祥異常現象研究所のスタッフも大幅に拡充された。
代議士たちやその有力後援者からの依頼は、見事解決すると多額の謝礼や寄進を伴うこともあり、おかげで研究所の資金には幸いにも不足は無くなった。
もちろん全ての案件は見事に解決されている。
瑞祥異常現象研究所は、美人スタッフでいっぱいになった。
麗子が直接探して選んできた退魔衆たちのお嫁さん候補である。
一方で、退魔衆たちは研究所にいる光輝の近くにいることを好んだ。
彼らは退魔という大修行を積み重ねた結果、光輝の近くにいるだけで体が暖かくなって疲労が回復することに気がついたのである。
多少の頭痛ぐらいならすぐに直るらしい。
退魔衆の疲労回復や健康はなににも勝る重要事だったので、退魔衆が研究所に入り浸って光輝の近くにいることは、黙認から奨励に変わった。
光輝の最も重要な仕事が研究所にただいることだけになったほどだ。
朝夕には退魔衆たちを宿舎のある瑞巌寺から送迎するための、瑞祥交通の小型バスやタクシーが待機している。
もちろん費用は全額研究所持ちである。
今日も何人かの退魔衆が、激務の合間に光輝を囲んで会議室で談笑している。
テーブルの上には、退魔衆たちのおみやげや、アロさんたちが買ってきた洋菓子がたくさんある。
昼には料亭瑞祥から豪華な仕出し弁当が届けられた。
龍一部長も実に喜んでいる。
なにしろ退魔衆たちの生の話が聞けるのだ。
厳空を除く退魔衆たちは皆優しそうな顔立ちであり、かつ職業柄か皆凛々しい顔をしている。
研究所の美人スタッフたちが、彼らを気にするようになったのも当然のことである。
何かにつけて会議室にやってくるようになり、お目当ての退魔衆をひと目見ようとしていた。
一番人気はやはり厳真だ。
退魔衆の属する宗派でも、もちろん僧侶の妻帯は許されているのでこれも黙認された。
なんせ彼らは忙し過ぎて将来の伴侶を探す時間など無かったのである。
少し日差しも強まってくると、光輝は豪一郎の了解を得て、邸前のプールを退魔衆に開放した。
退魔衆たちは法依を脱いで水着に着替え、光輝を囲んだ。
プールサイドで激務に疲れた体を休めるのだ。
ときには芝生の上で体術の鍛錬をしていたり、模擬立ちあいもしていたりする。
龍一所長の指示で、そうした退魔衆のところにスタッフが冷たい飲み物を届けるようになった。
もちろんノンアルコールだったが。
そうした美人スタッフたちはプールサイドで息を呑んだ。
やさしそうで凛々しい顔立ちの退魔衆たちは、普段は僧侶の法依に身を包んでいる。
よって顔立ち以外はわからなかったのだが……
そう。
彼らは厳しい体術の修行も充分にこなしてきた者たちだったのである。
腹筋が割れていない者などひとりもいない。
それどころか手足の筋肉は隆々とし、ぶ厚い胸には大胸筋が盛り上がっている。
ひ弱な体は光輝しかいない。
すぐにプールサイドへの飲み物運びは女性スタッフたちの大人気仕事となった。
互いに争って退魔衆たちの好みの飲み物を運びたがり、中には昼休みにビキニに着替えて一緒にプールサイドで寝そべる豪の者まで出始めた。
今ではもう昼休みのプールには大勢のビキニ美女たちがいる。
体術の立ちあいをしている退魔衆の周囲を、ビキニ姿の美女たちが取り囲んできゃーきゃー応援してたりする。
そういうことに慣れていない退魔衆たちは、最初少しどぎまぎしていたが、どうやらこれも煩悩と戦う修行の一環と思い込んだようだ。
別に戦わなくてもいいのに。
こうした風景は、一見すると若者たちの合同プールパーティーのように見えるのだが、なにしろ光輝以外の男性は全員ツルツルに剃髪しているので違和感あることこの上無い。
ひとりひ弱な光輝は、婚約していることもあって見向きもされず、見かねた奈緒ちゃんがたまに光輝にも飲み物を持ってきてくれた。
最初は万が一を怖れた偵察だったらしいが、そのうち本当に見向きもされない光輝が可哀想になったらしかった……
厳空もたまに研究所にやってきては光輝の横で体を休めている。
厳空は、顔も怖いが体も一段と凄まじい。しかもあちこち傷だらけである。
背中の傷のひとつは、以前光輝を救ったときのものらしかった。
光輝は詩織ちゃんが厳空をそっと盗み見しているのに気がついた。
詩織ちゃんは厳空が来ているときにだけ、おどおどしながら飲み物を持ってくるのである。
光輝は、厳空が瑞巌寺にいるときに、詩織ちゃんに厳空への届け物を依頼するようになった。
厚い封筒を渡して、「キミを厳空僧正様担当に任命する。そしてこれは重要な書類だから必ず厳空僧正様に直接渡すように、ただし修行の邪魔をしはならない」とマジメな顔で指示したのである。
詩織ちゃんは頬を染めて、「はい、必ずそうします」と答えた。
もちろん中身はたいして急ぎではない書類だ。
瑞巌寺で厳空が座禅や体術の鍛錬をしていると、詩織ちゃんは光輝の指示を忠実に守って遠くから厳空の修行を見守り、それが終わってから封筒を厳空に直接渡していた。
光輝の依頼は徐々に頻繁になった。
ときには封筒の中身は退魔衆の記事が載った地元紙だけだったりもする。
最初は訝しんだ厳空も、そのうち光輝に問い合わせをして来なくなった。
ひょっとしたら、厳空の春も近いかもしれない。
光輝の近くで体力を回復させ、子供たちのきらきらした視線や美人スタッフたちの憧れの視線も集めて気力も充実させた退魔衆たちは、ますます退魔の仕事に励み、その結果ますます霊力を高めていった。
三年前にはNo.2だった者のそのときのレベルを、いまや全員が楽に超えている。
もはや日本最強の名に恥じない屈強な退魔戦士たちだった。
光輝はそうした彼らからも相変わらず守護神として崇拝されていたのだが、やはり美人スタッフたちからは相手にされず、けっこう落ち込んでいた……
(つづく)




