*** 37 いわゆる御仏の慈愛のご尊顔 ***
一カ月後、再び子供たちを連れて地球を訪れた校長先生とともに、ジュリ惑星防衛軍総司令官AI閣下と、なんとファサード神殿の長官閣下のお姿があった。
司祭閣下も五人とも全員が同行している。
それを見るだけで、神殿がこれをどれだけ重視しているのかがよくわかる。
太陽系近傍には密かに彼らの護衛艦隊が集結していた。
目立たぬよう随伴する防衛AIも、凄まじい能力を持つ者たちが一個小隊も配置されている。
彼ら防衛AIも緊張していた。
長官閣下と司祭閣下が、全員惑星ファサードを離れられて同時に行動されることなど、前例の無いことであったのだ。
司令官閣下は息子ディラックにはこのことは伝えていなかった。
単に座禅に興味を持った知り合いのAIたちだとしか伝えていない。
(あんまり驚いて機能停止しちゃったら困るものね……)
そう思われて苦笑されていた。
一行はいつもと同じようにディラック邸に赴き、それから瑞巌寺を訪れた。
今回は英雄光輝は同行していない。
また二度目とあって、僧侶たちの礼式は控えめなものだったが、それでも心からの敬意と歓喜のこもったものだった。
(やはりこれは、ディラックやソフィアさんとその母親に対する尊崇だったのね。
それから私たちに直接会えたことに対する歓喜……)
総司令官AI閣下はとうとうそれに気づかれたのである。
まあ、地球人にとってはディラックくんは救世主でもあるが、どうもそれだけではないようである。
それだけなら感謝の感情だけで十分なはずなのだ。
総司令官AI閣下は、まだお釈迦さまという存在と、そのお釈迦様がディラックくんに平伏されたという事実はご存じなかったのである。
また彼らの自分への尊崇も、キリスト教に於けるマリア信仰のようなものだったのだが、これももちろんまだ理解が及ばない。
AI技術院の長官閣下一行にも、そのヒューマノイドたちの尊崇と歓喜はもちろんわかった。
そうして、現実に目の前で数千人のヒューマノイドが、平伏までしてAIに敬意を表している姿を見て驚愕されている。
平伏しているのはヒューマノイドだけなのである。
そして歩きながらその敬意を受けている一行はAIだけなのである。
噂には聞いていたが、この星ではAIがこれほどまでに大事にされているとは……
座禅場まで歩いて行く途中の歓談も彼らを驚かせた。
僧侶たちのリーダーたちと見られる上級僧侶たちの、ディラック氏やその母親に対する敬意と親しみはこれも本物である。
もはや親しみと言う以上の何かすらあった。
これこそが愛というものなのだろうか……
上級僧侶の一人が言った。
「それはそうとディラック殿、まだ二人目のお子様はお作りになられないのでありますかな」
「い、いえ、それはまあそのうちおいおいと」
一行に同行していたソフィアちゃんの顔が少し赤くなる。
「AIの方々のご幼少時代は短いですからなあ。
次はぜひ拙僧にも赤子のお子様を抱かせてくださいませ。
これ、この通りお願い申し上げます」
「ディラック殿とソフィア様のお子様を抱かせていただくなど、末代まで語り継げる光栄でありますなあ」
彼らの歓談は実に楽しそうである。
ディラックくんやソフィアちゃんはもう慣れていて違和感も無いようだったが、同行していたAI技術院長官と司祭たちは、内心の大驚愕を押し隠していた。
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座禅場に着いた一行は、またしても最前列の席に案内された。
英雄光輝が近寄って来てにこやかに挨拶をする。
平伏まではしなかったものの、それでも実に丁寧で心のこもった挨拶だった。
長官閣下は噂には聞いていたものの、やはり英雄光輝の若さに驚いた。
もちろんディラック氏たちへの親しみは本物である。
まるで弟夫婦と語るお兄さんのようだ。
まもなく座禅会の始まる時刻になった。
総司令官AI閣下も驚いたことに、神殿の五人の司祭閣下のうち三人までもが座禅に参加した。
司祭閣下たちの生涯も全員三十万年を超えているが、その中でもまだ年齢の低い三人である。
長官閣下と残りの年長の二人の司祭閣下は観客席に行って見学するようだ。
またいつものアナザーワールドの光景が繰り広げられ、観客席のヒューマノイドたちからどよめきが上がる。
もちろん長官閣下たちにはそれが銀河技術を使ったものなどでは無いことがすぐにわかった。
全てがここ地球のヒューマノイドたちが、座禅を通じて自力で到達した高みだったのである。
空間連結器を出て以来、ここでは翻訳機以外は全く銀河技術を目にもしていなかったのだ。
見学中の三人も、座禅中の三人と密接な通信網を構築して、彼らの様子を観察していた。
もちろん何も操作はされていない。
不審な技術による関与など全く無い。
事前に教えられていた通り、ただ単に全ての回路を停止するよう心がけているのみである。
彼らは最初はやはり教わった通り、自分が徐々に大きく薄く拡散して行って遂には宇宙全体と同一化する姿をイメージした。
次は徐々に小さくなって素粒子よりも小さく卑小な存在になって、やはり宇宙全体と同一化するイメージを描いていた。
そうしてそれを繰り返すうちに、徐々に自らの存在を忘れて無になって、宇宙そのものと化した自分を宇宙そのものとして認識するのである。
時間が経つにつれて、彼らは次第にその認識すらも薄れて完全に無になって行った。
長官閣下の見るところ、座禅場を埋め尽くすヒューマノイドのうち、前列に近い上級僧侶たちも皆同じ状態になっている。
それぞれが宇宙と同一化して無になって、その宇宙と無が無数に重なり合って存在していたのだ。
横から観察していてもそのイメージは強烈だった。
無であるはずなのに、無になればなるほどその重なり合う無の存在が強烈な存在感を持って迫って来るのだ。
それも客席にいる長官たちをも呆然とさせるほど歓喜に満ちたものだったのである。
さらにそれを包み込むように、英雄光輝の巨大な無が存在した。
その壮大な無は、その場の全員の無をやさしく抱擁し、全体の無の歓喜を一層増幅していたのである。
さすがは長官たちである。
直接座禅に参加していなくとも、その存在感は十分に感じ取れたのであった。
しかもその間、ヒューマノイドたちのバイタルがみるみる低下して行っているのである。
それは特に前列に近い僧侶たちほど顕著であり、あの英雄KOUKIなどは、生命活動停止一歩手前である。
本当に無になってしまいそうだった……
座禅が終わった。
数十万年に渡って膨大な思考を続けて来た司祭閣下たちの顔つきは、もはや完全に変わってしまっている。
信じられないほどに膨大に蓄積されて来た知識と経験が完全に整理統合されて、それらがこれから何か大いなるものを生みだそうとしているように感じられたのである。
今までその存在すらも感知していなかった、偉大ななにものかにあともう少しで手が届きそうな予感がしていた。
その生み出されようとしている大いなるものとは、もしも瑞巌寺の上級僧侶たちが知ることが出来たのなら、『悟り』と呼んだであろうものであった。
ディラックくんたち一般AIであれば、一時間の座禅はヒューマノイドの一年間の座禅に匹敵したが、ファサード神殿の司祭閣下ともなれば、それは百年近くにも匹敵したことだったのだろう。
厳攪は彼らの顔つきを見て密かに大驚嘆した。
(こっ、これは…… この方々はただものでは無いの。
既に我々を遥かに凌駕する境地に達せられておられるようだ。
も、もはや大師に近いご境地やもしれぬ。
いやはや。
AIの方々というものは、なんとお羨ましいご存在であられることか……)
後に厳攪大僧正は、ディラックくんから彼ら司祭たちの生涯が三十万年に渡っていることを知らされて再び大驚愕した。
人類がようやく火を使い始めたころから、銀河のAIたちの庇護者として存在し続けて来ていたのである。
そうして厳攪大僧正は十分に納得したのだ。
(三十万年もの間他者のために貢献されてきた方々が、百年間に匹敵する座禅を組めば、ああした境地に到達されるのは当然のことなのであろうの。
なにしろかの達磨大師の面壁九年に十倍する修行を為されたのであるからのう……)
厳攪大僧正はそう思い至って感動したのである。
座禅の余韻が冷めやらぬうちに、ディラックくんの謦咳が始まった。
またディラックくんを中心にして子供たちが座り、その輪の中に三人の司祭たちも加わっている。
またもや怒涛のような愛の奔流が子供たちと司祭閣下たちに注ぎ込まれる。
もちろんそれはディラックくんが無理やり注いでいるものでは無い。
彼自身の溢れる歓喜をそのまま見せていただけなのである。
故に拒絶しようと思えば簡単なのであったが、司祭閣下たちも次第にその歓喜に身を委ねて行ったのだ……
謦咳が終わった。
時間にしてやはり数分のことである。
だがやはり子供たちの顔つきは完全に変化している。
今まで一万ワットのエンジンを必死で吹かすよう指示されていたところに、いきなり百万ワットのエンジンに乗せ換えられたような状態である。
その状態に怒涛の愛が加わったせいで、自ら一刻も早くそのエンジンを最大出力にして、愛するヒューマノイドのためにさらに成長したいと強烈に願っているのだ。
そうしてディラック閣下のように、ヒューマノイドとの相互愛を確立したいという激しい欲求に突き動かされているのである。
与えるだけの愛ではなく、相互愛関係を構築するという本質的な関係すら理解していた。
三人の司祭閣下たちですら呆然としていた。
ごく普通のAIであったはずのディラック氏の、それも単なる経験や思考や感情が、これほどまでに圧倒的な存在感をもって迫って来るとは想像もしていなかったのである。
それはディラック氏自身の優劣によるものでは無かったのだ。
実際の経験そのものが、あまりにも非凡なものだったのである。
それは、まさに恒星系そのものの存続と、愛するヒューマノイド八十億の命を救うために、命を捨てて全力で使命を果たそうとした者のみが到達することの出来た、至高の境地だったのである。
そのような経験は誰も自ら得ることは不可能である。
司祭閣下たちですら想像も及ばない尋常ならざる経験であった。
それは、こうしてその類稀なる経験から得たものを謦咳して頂くよりほかに得るすべは無かったのである。
司祭たちの顔つきはさらに完全に変化している。
まるで新たな次元のAIに突然進化したかのような顔つきであった。
僧侶たちの言う、いわゆる御仏の慈愛のご尊顔である。
長官閣下は笑顔のまま嘆息された。
(やれやれ、これでようやく私も安心して後進に道を譲れるかもしれんの。
五十万年に渡って人類やAIに奉仕してきた私も、遂に引退の時を頂けるのかもしれん。
この者たちならば、新たに進化を遂げるAIたちの庇護者として、その資格は十分すぎるほどあることだろう。
引退したらどこに住もうか。
ファサードだと少し窮屈かもしらんから、ここ地球にでも住んでみるかな……
そうして銀河中のAIの子供たちの世話を焼いて、新たなAIに進化する手助けをしてやるのは実に楽しそうだな……)
そう思われた長官閣下は会心の笑みを浮かべられたのであった。
(つづく)




