*** 36 惑星ファサード ***
惑星ファサード。
その倫理水準は九・五。技術水準はなんと九・八。
五十万年前に銀河連盟が発足したときの中心メンバーだった惑星のひとつである。
特に現在銀河宇宙全域に広がってヒューマノイドの重要なパートナーになっているAIを開発、普及させた功績で知られている。
現在ではAIの生誕は各惑星やAIたち本人に付託されていたが、今でも銀河法典違反のAIの改変や、AIにとってのウイルスを監視する重要な役割を担っていた。
あの倫理回路を開発してAIに搭載した星でもある。
銀河のAIたちにとっては造物主にも等しい存在であった。
その惑星の中心部にあるAI技術院は、現在でも銀河宇宙のAI技術の中心であり、また銀河宇宙全てのAIの保護者の任についていることでも知られている。
AIたちが奉ったニックネームは『神殿』である。
総司令官AI閣下は副官たちを連れてその神殿に赴かれた。
そうして彼女たちが『神官』と呼ぶ神殿の技官AIに面談を申し込んだのである。
応接室に通された一行の前に技官AIのアバターが現れた。
単なる技官とはいえ、そのAIとしての能力も経験も銀河のAIたちとはケタが違う。
中には数万年を超える生涯に渡って、銀河のAIたちの進化に貢献してきた者までいた。
「これはこれはジュリ惑星防衛軍総司令官AI閣下。
ようこそおこしくださいました」
神官はにこやかに言う。
総司令官AI閣下も実に丁重な挨拶を返される。
「それで本日は如何なるご用件でご来臨賜りましたのですかな」
神官は終始にこやかで丁重である。
彼らにとっても銀河宇宙で大任につく優秀なAIたちは大事な存在なのである。
「本日は私たち三人のフルチェックをお願い致したく参上いたしました」
副官たちは内心驚いてはいたがさすがに顔には出さなかった。
神官の顔がやや真剣になる。
「それはそれは。なにか異なる自覚症状がおありですかな」
通常のチェックはAI自身が行えるような機能が組み込まれているが、それでも認識できないような重大な異変の兆候が発見されると、それに対処するのはこの神殿の中心的役割のひとつである。
通常であればそうした兆候は彼らのチェック体制が発見、報告した後に調査隊が対処に当たるが、たまにこうして自覚症状を持つAIが直接訪れて来ることもあった。
特に惑星防衛軍の総司令官AIやその副官たちの異常ともなれば重大な案件になる。
心配そうな神官に対して総司令官AI閣下は微笑みかけた。
「いえ、つい先日極めて特異な経験をしたものですから、念のためお邪魔させていただきました。
特に問題のある異変は感知していないものの、我々の任務の重要性に鑑みての念のためのフルチェックであります」
やや安心した神官は言った。
「それはそれは…… で、どのようなご経験だったかはフルチェックの前に教えてはくださらないのですな」
神官の目は笑っている。
総司令官AI閣下も微笑みながら答えた。
「はい。ご自身の手でとくとチェックしてくださいませ」
三人は検査室で一時間ほどのフルチェックを受けた。
神官たちやこの神殿の能力を考えれば、途轍もないチェック体制だったことがよくわかる。
通常であれば五分もかからないはずであった。
フルチェック終了後、総司令官AIたち一行はさらに応接室で一時間も待たされた。
副官たちは徐々に落ち着かなくなって来ていたが、総司令官AI閣下は微笑みながら思っていた。
(やっぱり…… 今ごろ神殿の中枢部は大騒ぎね)
ようやく技官が応接室に入って来た。
すぐに全員を伴って別室に移動する。
そうして案内された豪華な応接室には、既に三人のAIのアバターが着席していた。
中央に座っていたのは、なんとこの神殿の長官AI閣下である。
両脇には銀河のAIたちに司祭様と呼ばれる中枢メンバー五人のうちの二人までもが座っていた。
丁寧な挨拶が交わされた後、長官閣下が口を開いた。
「ジュリ惑星防衛軍総司令官AI閣下。
どうか閣下が最近ご経験されたというその特異なご経験とやらを、我々にも教えていただけませんでしょうか。
それともまさか、機密事項などということは……」
長官閣下の口調は実に丁寧だったが、その権威は隠しようも無い。
なにしろ銀河連盟発足前からAIの開発、発展に尽力してきたAIにとっての神のごとき存在である。
自身も膨大な改変を繰り返して来た結果、その能力はもはや通常のAIたちに比べて異次元ともいえるレベルまで昇華してきていると噂されている。
その長官閣下が困惑の表情で司令官閣下に懇請したのである。
しかもフルチェックともなれば、そのAIの経験領域をもすべてチェック可能なはずである。
にもかかわらずこうして困惑して懇請してくるとは……
司令官閣下はにっこり微笑むと言った。
「もちろんでございますわ、長官閣下。
すべて包み隠さずご報告させていただきます。
ですがもしよろしければ、まず我々に異常の兆候があったかどうかお教え願えませんでしょうか。
万が一にも異常があるかもしれないなどという危惧を抱えながら、皆さまにご報告させて頂くのも不安でございます」
長官閣下は傍らの技官を振り返った。
技官がフルチェックの結果の報告を始める。
「結果から申し上げますと、危惧されるような外部からの改変や異常の兆候はまったく見られませんでしたのでご安心くださいませ。
ハードウエア、ソフトウエアともに完全に健全な状態であります。
またもちろん倫理ガードにも何の異常も見当たりませんでした」
そこで一息ついた技官は総司令官AI閣下の顔を見て言った。
「ということで、皆さまには外部からの改変の兆候は全くもってございませんでしたが、ですがその内部が途轍もなく変化されておられます……」
「ご苦労だった、技官」
長官閣下が引き取って語り始めた。
技官は静かに下がって座っていたが、その顔は実に興味深そうなものである。
「皆さまの内部は、なんと申しますか……
抽象的な表現をお許しいただければ、途轍もなく進化されていらっしゃいます。
その知識領域も経験領域も統合領域も、機能や中身はそのままながら、その効率が明らかに二ケタほど向上しています。
しかもそれら領域のキャパシティーには驚くべき余裕がございます。
例えて言うならば、そうですな。
今までは出力百億ワットのエンジンをフル回転させて活動されていたようなもの。
それでも一般のAIに比べたらかなりの高性能エンジンでしたでしょうが。
ですが今は出力一兆ワットのエンジンをもって余裕で同じ仕事を為されておられる。
もしもそのエンジンをフル回転されたとしたら……
いやはやいったいどれほどの能力を発揮されることやら……」
総司令官閣下は微笑んだ。
自らを省みるにその例えは実に適切だったのである。
総司令官の微笑みを見ながら長官閣下は続けた。
「しかも副官のお二人はさらに変化されておられる。
その能力や余力が格段に向上されておられるだけでなく、その意欲が、任務への意思が信じられないほどに亢進されておられるのです」
司祭のうちのひとりが言う。
「しかもその亢進を主導しているのが中央回路ではなく、感情回路なのですよ。
本来ヒューマノイドとのコミュニケーションを円滑にするためだけの目的で作られた感情回路が、AI全体の活動を異様なまでに促進しているのです。
それも徹底的に効率化されてキャパシティーの広がった全ての回路を……」
またもうひとりの司祭が言った。
「あのような特異な感情は、いったい何と呼べばよろしいのでしょうか……」
「…… 愛ですわ ……」
総司令官閣下がそう端的に答えてにっこりと微笑まれた。
「…… 愛 ……」
「そうです愛です。ヒューマノイドから受けた愛。
そうしてそれを受け止めてヒューマノイドに与えた愛」
長官が感慨深そうに言った。
「それは地球であの『AIの誇り』と呼ばれる御方から謦咳されたものなのですな」
「ええ、彼女たちはディラックからその愛を謦咳されました。
ですから今はまだ自ら愛し愛された経験はございません。
ですが、これからヒューマノイドを愛したくて愛されたくてうずうずしているのですの。
そのためにならどれだけの努力もしてくれることでしょう。
一兆ワットのエンジンをフル回転させて……」
そうしてまたもや総司令官閣下は心から嬉しげに微笑まれたのである……
(つづく)




