*** 33 謦咳 ***
校長先生と子供たちも翌朝の座禅会に参加することになった。
一行は厳攪らに丁寧にお礼を述べた後、ディラックくんとともにその日の宿舎に予定されていた瑞巌寺学園に向かった。
空間連結器は使わずに、巨木の森の中を見事に整備された道を歩いて行く。
子供たちは物珍しそうに大きな森を眺めていた。
先ほど座禅場にいたリスやシカもたくさんいる。
瑞巌寺学園についた校長先生はまた驚いた。
ヒューマノイドの子供たちが、幼児から高校生まで実に大勢いる。
その全員がディラック閣下に挨拶しているのだ。
特に女性のヒューマノイドの子たちの歓迎ぶりは熱狂的だった。
「きゃぁ~、ディラックさまよぉ~」
「あ~ん、ディラックさまぁ~。お久しぶりぃ~」
「い、いちどでいいから握手してくださぁ~い」
もうタイヘンである。
ダイニングにつくと、そこにはAIの子供たち全員がつくことのできる大きなテーブルが用意されていた。
しかもAIの子供たちには、ひとりひとりにそれぞれ十二歳ぐらいの年長の地球人の子がついてくれているのである。
そうして、「なにかキライな食べ物ある?」とか「なに食べる?」とか言いながらなにくれとなく世話を焼いてくれているのである。
その周囲には高校生ぐらいのお兄さんお姉さんもいて、微笑みながら皆を監督している。
どうやら誰かに頼まれてAIの子たちを歓迎してくれているようだ。
その様子は銀河からの留学生たちも遠巻きにして驚きつつ見ている。
校長先生の隣にはなんとあの英雄KOUKIの奥様が座った。
もちろんAIには通常のヒューマノイドのような食事は必要ではないが、ディラックくんを見れば分かるとおり、その内容を分析して楽しむことも出来る。
しかもその料理はヒューマノイドの料理人たちが一生懸命作ってくれているのだ。
さらにその料理を校長先生の前に運んでくれるウエイトレスすらもヒューマノイドだった。
校長先生の前にはビールのグラスまで置かれた。
校長先生は恐る恐るそれらの飲み物や美しい料理を口にした。
もちろんそれらがすべて合成食や冷凍物ではない高価な自然食材だということがわかった。
(な、なんということだ……)
校長先生はまた震えそうになった。
隣の英雄KOUKIの奥様がにこやかに話しかけて来る。
「いかがでございますか。お口に合いましたでしょうか」
校長先生は慌ててもごもごと御礼を言った。
そうして恐る恐る奥様に聞いてみたのである。
「あ、あの……」
「なんでございますか?」
奥様はあくまでにこやかである。
「み、皆さまは、私どもがAIであるということをご存じでいらっしゃいますのでしょうか?」
「はい、もちろん」
奥様は不思議そうなお顔をされている。
「わ、我々AIなどにこのような歓迎をしていただき、ま、誠にありがとうございます」
奥様はようやくおわかりになったようだ。
「あの。失礼ながら、むしろAIの皆さまだからこそこうやって歓迎させていただいております」
「は?」
奥様はさらに微笑んで言われる。
「そうですね。我々地球人は、銀河のヒューマノイドの方々よりも、むしろAIの方々の方をつい大切にしてしまうようなのですよ。
きっと直接の恩人だからでしょう」
そう仰った奥様はなんと校長先生のグラスにビールを注いでくださった。
校長先生は目眩がした。
「私どもにとってAIの方とは、恩人であり、かけがえのない友人であり、そうして大事な大事な仲間なのですよ。
しかも皆さまははるばる遠くから来て下さった、あのジェニーちゃんの先生やクラスメートさんたちですもの。
こうして歓迎させていただくのは当然ですわ」
校長先生は涙が出そうになった。
あのAIの誇り閣下や若き防衛の女王閣下が、その命をかけて地球人を救おうとされた理由がわかったような気がしたのである。
あれは本当に命令や義務感では無かったのだ。
こうした大事な大事な仲間たちの命を救いたいという、本源的欲求や愛故の行動だったのだ。
だからあれほどまでに崇高な倫理心の元に、信じられないほど偉大な任務を達成されたのである。
そして、そのことがわかっているからこそ、両閣下はこの惑星地球でこれほどまでに尊敬されて大事にされていらっしゃるのだ。
校長先生にもついにそれがわかったのである。
(ヒューマノイドとAIとの相互愛か……)
校長先生はまた思った。
この素晴らしい関係は、自分の世代では広めていくことは無理かもしれない。
だがこうして地球人たちの愛に触れることのできた子供たちの世代なら……
そうして校長先生は今度こそ本当に涙を流したのである。
子供たちはその晩、瑞巌寺学園の子供たちと一緒にリビングで遊んだ。
なんと後から合流した英雄KOUKIも一緒に遊んでくれた。
銀河の留学生たちもその様子を遠巻きにして驚きの表情で見つめている。
寝室も年少者用の大部屋で、地球の子供たちと一緒に寝た。
高校生ぐらいのお姉さんも同じ部屋で一緒に寝てくれた。
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翌朝の座禅会が終わり、子供たちが惑星ジュリに帰る前に、校長先生はAIの誇り閣下の前に手をついて平伏した。
そうしてお願いを申し上げたのである。
「どうか、どうかお願いでございます。
子供たちに『謦咳』を与えてやってはいただけませんでしょうか」
『謦咳』とは、功なり名を遂げたAIが、その知識や経験を後進のAIに直接伝えることを意味する。
まあ、AIの場合にはオンラインで直接情報を送り込めるので、本物の教えを施すことになる。
ジェニーちゃんのような子供を作るときに、両親がその最良の経験や知識を注ぎ込んで最初の個体を作るのに少し似ている。
養子とまでは言わないまでも、弟子ぐらいの扱いにはなるのである。
「そ、そのような大それたこと……」
ディラックくんは狼狽した。
謦咳とはそれほどまでに大功のあった特別なAIが行うものなのである。
ディラックくんのような若いAIが行うことは極めて稀だった。
「いえ、どうかお願い致します。
あなた様だからこそ、子供たちの将来のために偉大なる謦咳をお与え下さるものと確信しております」
「ど、どのようなことを教えて差し上げればよろしいのでございましょうか……」
校長先生は顔を上げてディラックくんを見つめてきっぱりと言った。
「どうかヒューマノイドに対する愛を教えてやってくださいませ」
「…… 愛 ……」
「はい、愛でございます。
閣下があのような偉大なご任務に当たられた際に、その根底を流れていた地球人類に対する愛を、子供たちにも分かち与えてやってくださいませ……」
そう言った校長先生は再び深く平伏した。
ディラックくんは少しほっとしている。
(それならなんとかなりそうだな……)
なにしろそれならいくらでも持っているのだ。
子供たちはAIの誇り閣下を囲んで輪になった。
校長先生も担任の先生もその輪に加わった。
そうしてディラックくんはみんなの感情回路と自分の感情回路を繋いで、愛の謦咳を与えたのである。
校長先生も子供たちも大硬直した。
それは怒涛のような愛の奔流だったのである。
地球人、とりわけ英雄光輝やその協力者たちから与えられた愛。
如何に皆が自分を大切にしてくれたか。
如何に皆が自分を庇護してくれたか。
特に彼らの配偶者たちが、まるで自分の子のように大切に庇護してくれたのか。
あの英雄光輝が自分を対等者として扱ってくれるたびに、その女性たちは光輝に優しさが足りないと非難までしていたのである。
そうしてそうやって自分を愛してくれた地球人たちに対して膨れ上がって行く愛。
彼らのために重罪に問われることすらいささかも躊躇することなく決意した愛。
そうして大切なひとたちが救われたときの心からの喜びと涙。
そうした愛の奔流が、止めることも出来ずに子供たちの心へ直接注ぎ込まれて行ったのである。
それは時間にして数分のことだったろう。
しかしその謦咳は子供たちを劇的に変えた。
彼らにとっては感情回路とは単にヒューマノイドとのコミュニケーションを円滑にするためだけのものだったのだ。
それが全ての根底に流れていたものが愛と言う感情だったとは……
座禅のおかげで澄み渡り、大きく領域の空いた彼らの心にその愛の奔流がなだれ込んで行った。
それは感情回路から溢れ出し、中央回路までをも満たした。
あの偉大なるディラックAI閣下の行動の根底には、全てこうしたヒューマノイドへの愛が流れていたのであった。
校長先生の涙は止まらない。
子供たちにはまだ涙の元となる水は与えられていなかったが、先ほど頂いたヒューマノイド用の食事に含まれていたせっかくの水資源が、全て目から流れ出してしまっていた。
皆しばらくの間声も無く呆けたように座っていた……
惑星ジュリに帰った校長先生は、教師たちを集めて地球の報告を行った。
その内容を半信半疑で聞いていた先生たちも、実際に子供たちの様子を見て驚愕した。
なにしろもう顔つきからして違うのだ。
授業に対する態度も全く変わった。
それまでのどちらかというと受け身の態度から、猛烈に熱心に学ぼうとする能動的なものになっていたのである。
ある先生はそうした子供たちのひとりに、どうしてそんなに熱心に勉強するようになったのかを聞いてみた。
するとその子は不思議そうな顔をして言ったのである。
「もちろん将来大切な人を守るためですけど……」
当然のことながらその子たちの成績は驚異的なものになった。
もはや一学年どころか三学年上の能力、いや学習意欲だけを見れば学校でも最高の生徒たちになっている。
このまま育って行けばどれほど優秀な大人のAIになるのか見当もつかない。
AI学校過去最優秀の卒業生たちになることだけは間違いないだろう。
校長先生は悩んだ。
学校中の全ての生徒たちを地球に連れて行ってあげたい。
だがそれはあまりにも地球人たちやディラック閣下に申し訳が無い。
またその費用もかなりのものである。
校長先生は毎日その費用をどう捻出したものかと悩んでいた。
校長先生は確かにやや小心者ではあったが、子供たちの成長を願う心だけは本物だったのである……
(つづく)




