*** 15 山火事すべて消火 ***
ある日の朝早く、森のホテルの支配人が鉱夫監督のコテージのドアを叩いた。
驚いた監督が出てみると、いつもはもの静かな支配人が慌てている。
「た、たいへんです! 山火事が発生しました! 皆さま急いでお逃げくださいっ!」
森のホテルから五十キロほど離れた国道で、スピードを出し過ぎたタンクローリーがカーブを曲がり切れずに横転して森に落ちた。
運転手は辛くも逃れたが、タンクから流れ出したガソリンが壊れたエンジンの火花に触れて一気に火を噴いたのだ。
通報を受けた消防隊や軍のヘリまで出て、タンクローリーの火はなんとか消し止めたものの、周囲の森に爆発的に広がった火は、折からの強い風に煽られてあっという間に広範な範囲に広がって行った。
このままでは風下の広大な森が焼けてしまうだろう。
森のホテルも、湖の周囲に点在するホテルも、地元の村も、すべてその焼失予想範囲内にあった。
鉱夫監督は、近傍重層次元倉庫からミニAIを取り出した。
「緊急事態発生!
総員に連絡して装備装着の上ホテルのダイニングに集合させろ!」
監督の持つ指揮AIは直ちに鉱夫たちのミニAIに連絡し、鉱夫たちに監督の指示を伝える。
三百五十人の鉱夫全員がすぐに空間連結器を通ってホテルのダイニングに集合した。
もちろん女たちも一緒である。
女たちも全員非常用装備を身につけていた。
さすがは鉱山の男と女である。
五分とかかっていなかった。
ホテルの支配人は悲しそうな口調で皆に言った。
「あと二時間もしないうちにこのホテルも火に包まれるでしょう。
幸いにも首都ストックホルム直通の空間連結器がございますので、皆さまはそれを通ってお逃げください。
ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません」
監督は外を見た。
西の空に黒煙が舞い上がっているのが見える。
その幅はもう既に五キロほどにも広がっていた。
その火の粉がこちらに向かって飛んでくるさまも見える。
鉱夫たちも外を見て慄いた。
(お、俺たちの大事な森が燃えてしまうっ!)
やがて彼らの感情が、驚きから徐々に怒りへと変化して行った。
(許せない…… 俺たちの大事な大事な森が、燃えてしまうなんて許せない!)
それは彼らにとって、小惑星帯全体が燃えてしまうよりも遥かに許せないことだった。
皆が拳を握りしめ始めた。
監督のミニAIが声を出した。
「ここから出火場所までの間に、ヒューマノイド生体反応が七十五人分あります」
監督が支配人を振り返った。
支配人は視線を落とした。
「今必死で無線で避難を呼び掛けていますが、無線機のスイッチを切っていらっしゃる方が多いようで……
消防や軍のヘリも救助に向かっていますが、大半の方々はもう……」
その言葉はさらに鉱夫たちの怒りの感情を煽った。
彼らにとって、自分の鉱区、つまり縄張り内で死者を出すことは大変な恥辱を意味する。
爆発事故や減圧事故などで即死する場合は仕方が無いが、今生きている人が救助が間に合わずにこれから死んでいくなどということは絶対に許されない。
たとえ鉱夫全員五万人を総動員してでも必ず助ける。
それが最も重い鉱山の掟であった。
しかも七十五人とは……
鉱夫たちは全員が怒りのあまり拳を握りしめていた。
その巨大な拳がぶるぶると震えている。
鉱夫監督が凛とした声を発した。
「緊急キットを持っていない者はいるかっ!」
もちろん全員が持っていた。
ほとんどの者が装着を終えていたが、まだ装着していなかった者も急いで身につけている。
「各人隣の者の緊急キットのランプを点検せよっ!」
全員のランプが緑色に光っている。
もしも不具合があればミニAIが自動的に補修しているはずだが、この確認は必須の安全手順だった。
また鉱夫監督が凛とした声で一人の鉱夫頭に命令を発した。
「お前は直ちに部下たち七十五人を組織して、生体反応のある場所に一人ずつ急行させろっ!
バックアップ要員は五名。
七十五名にはAIを通じて各人の救助対象者とその位置を通知せよっ!」
鉱夫頭のミニAIが、ただちにその作業に取り掛かる。
数秒で七十五名の男たちのゴーグルのヘッドアップディスプレイに、地図と明るい点がひとつ表示された。
「救助要員は、救助対象者を救助の上、この場に搬送せよっ。
空間連結器、もしくは重力遮断装置を使用のこと。
救助が終了次第、AIからの指示に従って消火作業に参加せよっ。
それでは出動っ!」
七十五名の男たちは「おおうっ!」と大きな声を上げながら、すぐに空間連結器の輪の中に消えて行った。
もうひとつの輪は、ミニAIの指令で近傍重層次元を通って要救助者の近くに出現しているはずだ。
監督はまた一人の鉱夫頭を指名して言った。
「直ちに三十名の男たちを組織して地元民救助隊を編成し、一帯の全ての集落とホテルに散開させよっ!
その場とこのホテルの間に空間連結器網を構築し、このホテルからストックホルムへ避難者を移動させよっ。
追加人員が必要とあらば直接私に連絡せよっ!」
鉱夫頭はその命令を復唱し、すぐに三十名の男たちのヘッドアップディスプレイに救助隊任命指令と救助範囲が表示された。
鉱夫監督が奥さんを振り返った。
「まずは妊娠している女たちを逃がすんだ。
それから五人ずつ救助隊に同行させて、地元民の避難誘導を手伝わせてくれ。
キミはここに残って、地元民の首都への避難誘導を頼む」
「はいあなたっ!」
奥さんは女たちを振り返り、これも凛とした声で言う。
「いいかいみんなっ!
聞いた通り五人ずつに分かれて救助隊に同行して一般人を誘導するよっ!」
「はいママっ!」
以前の店の女の子たちが大きな声で答えた。
小惑星帯に暮らす女たちにも避難訓練は義務付けられている。
彼女たちのヘッドアップディスプレイにも、どの隊員に同行するかとの指示が表示された。
また鉱夫監督が言う。
「残りの鉱夫は、AIの指示する持ち場に行って消火作業を開始するぞ」
「消火剤はあるんですかい」鉱夫頭の一人が聞いた。
そのとき、鉱夫監督の目に、消防隊のヘリが湖の水を大きな袋ですくいあげて運んで行くのが見えた。
鉱夫監督は硬直している支配人を振り返る。
「あの湖の水を消火作業に使ってもいいのかな」
「は、はい。も、もちろん……」
「聞いたかみんな。湖の水を消火に使ってかまわんそうだ。
持ち場に移動後は、空間連結器の片方を湖に沈めて消火作業に入れ!」
「豪勢なこった」
また鉱夫頭の一人が言って、不敵な顔でにやりと笑った。
鉱夫たちも不敵な顔をほころばせてにやりと笑った。
小惑星帯の火災では、通常一帯の人間が皆遮蔽フィールドを使用していることを確認してからその場の空気を抜く。
それが出来ないときには爆発的に拡散する消火剤を使うか、もしくは火災現場を大きな消火用遮蔽フィールドで覆って火を消す。
貴重な水を消火に使うことは無い。
各人のヘッドアップディスプレイに消火の持ち場が表示された。
「総員出動せよっ!」
「「「「「「「おおおおうっ!」」」」」」」
鉱夫たちは続々と空間連結器の輪の中に消えて行った。
後に残された鉱夫監督は、まだ硬直している支配人に向き直る。
「支配人さんは首都に行って、避難者の受け入れ態勢を整えてやっていただけませんか」
「は、はい、畏まりました。
そ、それが終わりましたらすぐにまた戻って参ります」
その間にも最初に出発した救助隊員が、火に呑まれそうになっていたコテージの住人たちを連れて戻り始めていた。
その数は続々と増えている。
監督の奥さんが、女たちを指揮して彼らをストックホルムに繋がった空間連結器に誘導した。
スエーデン政府は、五千人を超える避難者全員を収容可能な場所の確保がすぐには出来ず、三尊研究所にシベリアシェルターの使用を依頼した。
直ちにストックホルムとシベリアシェルターを結ぶ空間連結器が大量に用意されている。
救助を終えた鉱山の男たちも、すぐにAIの示す場所に向かって消火活動に加わった。
鉱夫たちの太い手に支えられた空間連結器からは湖の水が大量に噴き出している。
ある者は空中から、ある者は地上から燃えている木に放水した。
たまに空間連結器からは湖の魚が飛び出したが、鉱夫たちは慌ててAIに指示して、魚たちは湖に戻すよう設定を変えさせた。
コテージの住民や村の人々がすべて避難し、また女たちの避難も完了したことを確認した鉱夫監督も消火作業に加わった。
監督は重力遮断装置で空中に浮きながら、腕で支えた輪から水を噴出させ、次第に湖に沈めた輪を深い位置に降ろす。
ますます勢いよく吹き出た水は、その反作用で鉱夫監督を動かし始めた。
「うおおおおお~っ!」
と雄叫びを上げながら監督が空を飛んで行く。
ひときわ太い腕で輪の向きを変えると、飛ぶ方向もコントロール出来た。
膨大な量の水が燃えている木々にぶちまけられている。
その姿を口を開けて見ていた鉱夫たちも、にやりと笑ってそれに加わった。
辺りには飛びまわる鉱夫たちの雄叫びがこだました。
たまにお互いに衝突して墜落する鉱夫もいたが、クラス5もの遮蔽フィールドはその衝撃をなんなく吸収する。
なにしろ落盤事故や爆発事故用の遮蔽フィールドだ。
戦車の砲弾が当たっても中の人間はまったく衝撃を感じないほどのシロモノである。
墜落した鉱夫たちは慌てて跳ねまわる輪を拾い、すぐに空飛ぶ消火作業に戻った。
中には輪のコントロールを失って「うわぁ~」と叫びながらその場でくるくる回転している鉱夫もいたが、その下の火がどんどん消えていっていたので、みんなは笑って見ていた。
火勢が衰えると、顔を上気させた鉱夫たちは渋々地面に戻って地道な消火作業を続けた。
空中でくるくる回っていた鉱夫も、ふらふらしながら地上に戻って消火作業に加わっている。
こうして三百五十人の鉱山の男たちは四時間に渡って奮闘し、なんと山火事をすべて消火してしまったのである。
犠牲者は一人も出なかった。
ホテルもレストランも地元の村も無事だった。
コテージのほとんども無事だった。
さすがに疲れたヤマの男たちと女たちは、ホテルのレストランにあったパンやお菓子を食べた後、すぐに部屋に戻って熟睡した。
夕食は、戻って来たホテルのスタッフが作ってくれたので、いつもと同じように食べることが出来た。
サンディアはアンディに抱きついて泣きながらお礼を言っている。
(つづく)




