*** 17 瑞祥異常現象研究所 ***
厳空僧正は、師の厳攪権大僧正の許しを得て、退魔衆の本拠地を瑞巌寺に置いた。
厳空以下、十五人の退魔衆の宿舎の建設費は、先の瑞祥一族総会で皆に要請された寄進で充分に賄えられたらしい。
そして、無事博士号を取得して大学院を卒業した龍一部長は、本格的に瑞祥異常現象研究所をスタートさせたのである。
相変わらず光輝のところには、瑞祥グループやその取引先企業から、最近では評判を聞きつけた県外からも多数の依頼が舞い込んでくる。
光輝はあまりの忙しさに目が回った。
見かねた厳空が弟子を二人程補佐につけてくれたので、光輝は倒れずに済んだ。
レックスさんが瑞祥交通に言って運転手もつけてくれた。
おかげで光輝は行き帰りの車内で寝られるようになり、過労死せずに済んでいる。
他にも評判を聞きつけた人たちが大勢瑞祥研究所に相談にやって来る。
困り果てた人たちが恐る恐る研究所に来てみると、どこまでも続く塀に囲まれた巨大な門の先に、瑞祥警備保障選りすぐりの屈強な警備員にガードされたその建物がある。
さらにこわごわと研究所の玄関を入ると、現代的でシックな受付には美女たちが並び、いらっしゃいませと優しく微笑んでくれるのでほっとする。
美人受付嬢の中には、麗子や奈緒、そして桂華や詩織ちゃんの姿まであった。
異常現象研究会は、あそこに入ると美人のカノジョが出来る、イケメンのカレシが出来るという噂が立ち、後輩がたくさん出来た。
光輝がエンゲージリングを嵌めた奈緒ちゃんと腕を組んで部室に行くと、後輩たちから羨望の視線とともにいっせいにため息が漏れる。
男の子からも女の子からもだ。
みんな頬を染めて口を開けている。部室の空気が一気に変わるらしい。
まあ、それもそうだろう。
お互いへの愛のおかげでさらに凄絶な美男美女になった二人が、異様に優しそうな表情で後輩たちを見てくれているのだ。
しかも光輝と奈緒の超絶フェロモンは全開である。
まだ若い彼らには、光輝と奈緒の発する異次元のフェロモンが理解できず、ただただ圧倒されるだけのようだ。
光輝たちが別にいちゃいちゃしなくとも、部室に充満したフェロモンだけで充分なのである。
男の子も女の子も、光輝と奈緒を見ているだけで自分たちも美しくなって行くような気がしている。
事実、男の子も女の子もみな優しそうにないい表情になっていった。
しかも奈緒の左手薬指には驚くほど大きなダイヤの指輪がキラキラ輝いているのである。
おかげで異常研に関する噂も、あながち言い過ぎではなくなった。
光輝と奈緒は、後輩たちのためにも頻繁に部室に来てくれと頼まれた。
無意識にフェロモンの効果が薄れないうちにまた来てくれと言っているのだろう。
特に新人勧誘のときには必ずいて欲しいと念を押されている。
その後輩たちも、異常現象研究所に大勢バイトに来てくれている。
レックスさんとアロさんもたまに腕を組んで歩いているがこちらは曲者だ。
遠目から見ると素晴らしいカップルに見えるのは当然だが、それが近づいてくるとだんだん二人の大きさに気づくのだ。すれ違うころには足がすくんでいる。
遠目にはカレシに比べて小さくて可愛らしいカノジョだなと思っていたのが、すれ違う時にはそのカノジョが自分よりずっと大きかったりするのだからそれも当たり前だ。
遠近感が狂って当惑するのである。
瑞祥異常現象研究所の業務も順調に軌道に乗った。
研究所に来た依頼者たちは、順番に三つある応接室のひとつに通され、光輝やこれも退魔衆から派遣された僧侶たちの面談を受ける。
スーツ姿で若い光輝よりも、袈裟姿の僧侶の方が遥かに人気があるため、光輝は少し複雑な思いである。
その面談で確認の要ありと見なされると、光輝や若い僧侶が斥候として派遣され、その後場合によっては退魔衆頭領の厳空に連絡が入り、実力派の退魔衆が派遣されるという段取りになっている。
部長改め所長になった龍一所長は、タマに上の所長室から降りて来ては、「ねえねえ、面白い物件あった?」などと言っていて不謹慎極まりない。
所長秘書はもちろん桂華だ。ときどき麗子さんが手伝っている。
異常現象研究所を訪れる依頼人の中には、「ウチの子がなにかもやもやとしたものが見えると言っていて気味が悪い」などという相談を持ちかけて来るひともいる。
別に霊に取り憑かれているのではなく、霊を見る能力を生まれつき持っているのである。
そういう子は思いのほか多い。
成長するにつれ普通はその力は衰えて行くのだが、中にはその力を保ったまま大人になっていく子もいる。
ただし、いくら霊が見えてもあまり役には立たない。
退魔衆のような修行を経なければ、悪霊を折伏したり霊と話をしたりは出来ないのだ。
心配した親に連れられて来る子は意外に多かった。
恐る恐る研究所に来た親も、袈裟を身につけた僧侶がいる以外は普通の会社とおなじに見えるので安心する。
連れられて来た子供たちの中にはすごいのがいたりする。
光輝たちの邸がある森の隣の小学校で、ある寒い冬の日、低学年の子が休み時間に校庭に立ってじっと光輝たちの邸の方を見ていたそうだ。
不思議に思った先生が「どうしたの?」と声をかけると、その子は、「あのね。せんせい。あっちに向いてたってると、なんだかあったかくなるの。でも今日はあったかくない」と言ったそうだ。
調べてみればそれは光輝が出張していた日だった。
これには厳空もうなっていた。
龍一部長改め龍一所長は、そういう子供たちを集めてとうとう「瑞祥少年少女団」を作ってしまった。
団の活動内容は、敷地内での虫取り大会、花火大会などだったが、そのうち、所長や所長秘書の桂華による怪談大会、退魔衆を招いての退魔の実談話などが加わってきている。
現在研究所の裏手では、「瑞祥少年少女団 団室」が建設中である。
そういう費用はすべて所長やレックスさん、そして光輝が瑞祥グループ全社から受け取る莫大な顧問料で賄われていた。
相変わらず退魔衆は、交通費程度の費用しか依頼者から受け取っていないのだ。
おかげでますます瑞祥異常現象研究所への信頼は高まって来ている。
最近では近県のみならず、遠方からも依頼が来るようになった。
龍一所長の「瑞祥少年少女団」に講師として招かれる退魔衆は光輝が依頼している。
厳空さんが、「わしが行こうか?」と言ってくれたのだが、顔が怖くて子供が泣くと思った光輝が固辞した。
意外なことに、厳空さん以外の退魔衆は優しい風貌の僧ばかりなので、交代で子供たちに武勇伝を語ってくれるように来てもらっている。
僧侶たちも、大勢の子供たちが目をキラキラさせて話を聞いてくれるので嬉しそうである。
子供たちは、親から疎まれていた能力を駆使して大活躍する僧たちの話を聞いて、退魔衆を英雄崇拝している。
光輝はそういう僧のひとり、厳真とその友人の厳上と仲良くなった。
厳真は光輝より四つ年上のやさしい僧だったが、聞けば退魔衆No.4の実力者だそうだ。
厳上は光輝の二つ年下の口数の少ない男だが、これも退魔の実力者だそうである。
ヒマがあれば光輝と厳真、厳上はおしゃべりに興じ、光輝が彼らを自宅に招いてサウナに入りながら語り合ったこともある。
そのうち、退魔の仕事で出張していた僧侶たちが、子供たちに御当地名産品のおみやげを買って帰ってくるようになった。
仕事先で依頼人が多額のお布施を渡そうとすると、「いえいえもちろんそのようなものは頂けません。ですがせっかくですから子供たち三十人分のお土産を買えるだけ頂戴して……」などと言うようになっているらしい。
中には大きな荷物になったおみやげを背負い子で背負って帰って来る僧までいるそうだ。
出張から帰った僧は、まず研究所に寄って、こどもたちにおみやげを渡すと同時に退魔の活躍のみやげ話もせがまれる。
「おかげで退魔の仕事が終わっても次の依頼地に直行せず、いったん帰って来たがるやつが増えて困る」
と厳空も笑いながら言っていた。
僧たちも、厳しい修行と退魔の激務の間にも、ひとの役に立っているという実感と、こどもたちのキラキラした目という生きがいを見出したようだった。
和菓子よりも洋菓子が好きな龍一所長が、「御当地みやげって、和菓子が多いんだよねぇ」と言うので、仕方なくアロさんがスタッフに頼んで洋菓子も買いに行ってもらっている。
瑞祥異常現象研究所の会議室は、サークルの部室のようになった。
(つづく)