*** 17 太陽系防衛軍候補生 ***
地球から約十光年ほど離れた位置を、ポラリスから太陽系の進行方向に向けて巨大な脅威物体が静かに進行していた。
半径21万キロ、質量5.9×10の28乗キログラム。
木星半径の2.9倍、質量は31倍に達するという恐るべき巨大放浪ガス惑星であった。
あと倍の質量があれば褐色矮星として暗い太陽になれていたほどの巨大惑星である。
そのガス惑星は、太古の昔に周辺のガスやチリを集めて星となったが、次第にポラリスの主星こぐま座アルファに引かれて接近して行った。
そうして約八百年前、超巨星ポラリスとニアミスしてスイングバイ軌道を描いたあと、その速度を急激に速められて進行方向を変え、太陽系の進行方向を向いていたのである。
当初は多くの衛星も従えていたはずであったが、ポラリスとのニアミスの際に全て破壊されたか、ポラリス星系に吸収されてしまったものと思われる。
そのニアミスの際の膨大なダイナモ効果エネルギーは、超巨星ポラリスにすら影響を与えていた。
ニアミスからしばらくの間、それはポラリスの核融合反応をも亢進させたため、北極星は今よりもずっと輝度が高かったことだろう。
そのスイングバイのダイナモ効果は、今よりも倍ほどの直径のあった脅威物体の内部を煮えたぎる灼熱地獄と化し、内部に小さな金属核を持つ標準的なガス惑星から、以前の半分ほどの半径を持つほとんどが固体と液体の入り混じった中核組成を持つ惑星に変えてしまっていた。
また、その自転運動すらも奪い去っていたのである。
水星のような太陽近傍を巡る惑星が自転運動をしなくなるのと同様な原理であった。
そうして……
その脅威物体は、アルベド(反射能)0.01以下、自転周期一万年という驚くべき静粛性をもって、だが高速で移動していた。
その速度は実に光速の五十%近くにまで達していたのである……
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米アリゾナ州の広大な砂漠地帯にある、これも広大な米軍基地の一角に「太陽系防衛軍」の候補生たちが集められた。
その候補生には、世界各国の最強の兵士たち三百六十人が選抜されている。
アメリカからはグリーンベレーやSEAL、イギリスからはSAS、ロシアからはスペツナズ。
日本からは自衛隊のレインジャー部隊。韓国からは韓国特殊部隊。
その他の国々からも精鋭がやってきた。
マサイ族の戦士までいる。
しかもみな単なる兵卒ではなく、訓練教官クラスの精鋭ばかりである。
階級はすべて軍曹か曹長か、もしくはそれと同等の者で、軍経験も平均十年を超える猛者たちばかりであった。
ほとんど皆が身長百八十センチを超える。
小柄な者もいたがその分敏捷そうである。
選抜者たちの国籍・所属・氏名は極秘事項だった。
訓練に耐えられずに原隊復帰した場合のための配慮である。
彼らはまず宿舎の豪華さと食事の素晴らしさに驚いた。
その部屋はすべて広壮な個室である。
食事もホテル並みというかホテル以上だ。
二つ星クラスのレストランが法外な値段で五軒も集められている。
彼らは六十人ずつ六つの小隊に分けられ、防衛軍主任訓練教官であるソフィアちゃんの妹アバターの前に整列していた。
彼女は太陽系防衛軍の体制が整い次第、彼らの中隊長として任命される予定になっている。
その隣には世話役である米軍の左官クラスの軍人やその助手も付き添っていた。
六つの小隊の前には、それぞれよく似たアバターたちもいる。
こちらは将来小隊長になる予定のアバターたちだ。
主任教官の訓示が始まった。
「初めまして皆さま。
わたくしは皆さまの主任訓練教官として、国連から派遣されて参りましたジュリの防衛用AIのアバターで、名前はマリーアと申します。
どうぞよろしくお願い致します」
そう言うとマリーア主任訓練教官はペコリと頭を下げた。
猛者たちが一斉に見事な敬礼をする。
彼らの新しい太陽系防衛軍候補生の制服も見事である。
実は超一流のデザイナーたちに作らせた高価な軍服でもある。
猛者たちはそれを身に付けただけで誇らしい気持ちでいっぱいになった。
なにしろ初代太陽系防衛軍兵士の選抜訓練に選ばれたのである。
これには皆体が震えるほど感動していた。
もとよりいかなる訓練にも耐え抜く自信があり、また正式任官後にいざ出動となれば命を捨てる覚悟も出来ている。
なにしろ他ならぬ太陽系を守るために戦うのである。
全人類を滅亡から救うための戦いなのだ。
しかも相手は同じ人間などではなく、巨大隕石という脅威なのだ。
仮に殉職したとしても自分たちの名は永遠に地球史に残るだろう。
たとえ地球が滅亡したとしてもだ。
彼らにはこれ以上の名誉ある軍務など想像も出来なかったのである。
周りの兵士を見回しても皆恐ろしい程の猛者たちである。
長年訓練教官を務めてきた彼らには、その兵士の顔を見ただけでその戦闘力がわかるようになっていた。
そうしてたぶん、ここに集まった男たち、少数ながら女性もいたが、この集団は疑いも無く人類史上最強の戦闘集団に思えたのだ。
彼らの体が震えた。
だが……
彼らの前にいる主任訓練教官、後に彼らの指揮官になるはずのマリーア教官は、誰がどう見ても十二歳位の可愛らしい女の子である。
小さくて華奢な体に、青みがかった柔らかそうな髪の毛。
やはり青い目もやさしそうである。
ちょっと恥ずかしそうにしている口元も実に可愛らしい。
猛者たちの多くは、思わず国に残してきた娘たちを思い浮かべた。
マリーアちゃんは傍らの米軍の補佐役である少佐を振り返った。
「ええっと、すみません。
こういうときってこれからどうしたらいいんでしょうか。
映画とか見てお勉強したんですけど、地球の軍隊の教官さんは、兵隊さんたちを怒鳴りつけたり腕立て伏せをさせてたんですけど、そんなことしたことありませんし……」
猛者たちの口元が緩んだ。
マリーアちゃんは声も実に可愛らしい。
だが一部の者は気づいていたのだ。
自分は母国語で教官の声を聞いているのに他の者も皆理解しているようだ。
これはどうやら彼女が全員に同時にその母国語で話しかける能力を持っているかららしい。
それに気づいた者たちの顔が引き締まった。
「それは教官のお好きなようにされたらいかがでありましょうか。
どうぞジュリ流でお続けくださいませ」
補佐役の米軍少佐が微笑みながら言ったが、これも母国語で聞える。
「それでは最初に皆さまにこれをお渡ししますので耳の辺りに塗ってくださいませ」
マリーアちゃんはそう言って、傍らの箱の中から小さなクリームのボトルを取り出す。
「わたくしは皆さまにそれぞれの方の母国語で話しかけたり、わたくしのいるところであれば通訳したりすることが出来ますが、わたくしのいないところでは皆さま同士でそれはお出来になれないでしょう。
ですから皆さまにこの翻訳用のナノマシンをお渡しします。
耳の辺りに塗って頂ければ、あとは皆さまの周囲の方々の声を皆さまの母国語に翻訳してくれます」
驚きの声が広がった。
皆が配られたボトルを手に取り、クリームを耳の辺りに塗るとマリーアちゃんが言う。
「それでは皆さま周囲の方々とお話し下さいませ」
猛者たちはおずおずと近くの同僚たちに話しかけた。
「やあ、わたしはサミュエル・マッケンジー。グリーンベレーの軍曹だ」
「本官はゴーリキー・スメルコフスキー。スペツナズから来た。階級は曹長だ」
そう言った会話があちこちから聞こえた。
それは全員に全員の母国語で聞えたのである。
みな驚きの顔だ。
これでもう英語を勉強しなくてもよくなったと安堵している顔も多い。
彼らは皆、指揮官が最初に新たな部下たちを前にしたときに、怒鳴りつけたり腕立て伏せをさせるのは、指揮命令系統をはっきりさせるためであるのは知っていた。
なにしろそれはそこにいた全員が、毎日のように母国で新兵を相手にやっていたことなのである。
もはや日常の一部である。
だから彼らは目の前のマリーアちゃんのことを密かに心配していたのだ。
この見かけでは、猛者たちを前に上官の権威を示して指揮命令系統を確立するのは難しいだろうと。
そうやってベテラン軍人を心配させるほどマリーアちゃんは儚げだった。
しかし彼らは最初からこの驚異の科学力を見せつけられてしまったのである。
目の前の儚げな少女が、実は想像を絶する超巨大AIコンピューターのアバターなのだということを思い知らされたのである。
本当は彼らにはそれで十分だったのだが……
マリーア主任教官がおずおずと言った。
「あ、あの、それからですね。
や、やっぱりわたくし、訓練に入る前に、いちおう頑張って皆さまに指揮官の権威、すなわち実力をお見せしなければならないと考えました。
わたくしはもともと防衛用AIであるため攻撃は比較的苦手なので、その点はどうかご容赦くださいませ。
それではまず、防衛の実演をお見せいたしたいと思います。
少佐さん、助手の皆さま、恐縮ですがご準備をお願い致しますです」
そう言ったマリーアちゃんは傍らの米軍少佐を見てペコリと頭を下げた。
それから彼らは小隊ごとに小隊長アバターに率いられて歩き、百メートルほど離れた場所に移動したのだが、猛者たちは内心、(ムダな駆け足などさせないところがいかにもこの教官らしいな)と微笑ましく思っていた。
そこにはたくさんの日よけのタープが張られ、テーブルの上には冷えた飲料水が並んでいる。
どうやら世界中から取り寄せた各国の清涼飲料水のようである。
タープの向こうには直径二百メートルほどの深いすり鉢状の穴が開いていた。
「どうぞ皆さま水分を補給してくださいませ。
わたくしは必要としないのですが、この暑さでは皆さまには小まめな水分補給が必要と思われます」
米軍の少佐が微笑みながら言う。
「マリーア主任教官。
彼らは超一流の兵士ですから、必要となれば自分で補給するか補給を願い出ますよ。
水分不足で倒れないことも彼らの任務のうちですから」
猛者たちも皆心の中で頷いた。
「ご、ごめんなさい。わたくし防衛用AIなので、ついヒューマノイドの皆さまを保護対象とみなしてしまって……」
猛者たちは心の中で、この可愛らしいマリーアちゃんに保護されている自分を想像して微笑んだ。
「それでは皆さまに実演をお見せしますね」
そう言うと、マリーアちゃんは米軍のサポート役の軍曹に近づいて、可愛らしいカゴを受け取った。
カゴの中には小さなハムスターが二匹いる。
どうやら仮想保護対象のようだ。
「マリーア主任教官」
「はい、何でしょう少佐さん」
「今日の保護対象はその小動物ではなく、本官にして頂けませんか」
「まあ、よろしいのですか」
「はい。よろしければ。その方が臨場感があってよいのではないのでしょうか」
「少佐さんがそう仰るのなら……」
どうやらこの演習は初めてではないらしい。
また皆は穴の方に向かって歩き出した。
そこにも日よけがあり、その下には歩兵の使う各種の兵器が大量に置いてあった。
軽機関銃も重機関銃も、高性能ライフルも、銃架に乗せて使う対戦車ライフルもある。
RPG7ロケットランチャーもあり、米軍の装備だけでなく、各国の軍隊の使用する兵器もあった。
すり鉢状の穴の周りには、最新鋭M1A2エイブラムス戦車が穴の方を向いて八両並んでいる。
戦車のいる場所だけ穴の斜面がなだらかになっている。
穴の深さは五十メートルほどか。
穴の淵から三十メートルほど離れたところには、ところどころに待避壕も作られていた……
マリーアちゃんがまた可愛らしい口調で言う。
「それではこれからわたくしと少佐さんはこの穴の底まで降りますね。
その間に皆さまはこの穴の周囲にお好きな武器をもって展開してください。
そうしてわたくしが合図しましたら、わたくしたちを一斉に攻撃してくださいませ」
猛者たちが少したじろいだ。
この地形は攻撃するに最適で、防御するのには最悪の地形だ。
普通一斉包囲攻撃と言ってもせいぜい二方向からの十字砲火になる。
そうしなければ同士撃ちになってしまうからだ。
だがこの地形ではその心配は要らない。
三百六十度からの攻撃が可能である。
しかも三百六十人のベテラン兵士たちが一斉に攻撃するのである。
教官と少佐が無事でいられるとは思えなかった。
マリーアちゃんと米軍少佐が穴を降りはじめたので、猛者たちは命令に従って各々火器を手に取り、穴の周囲に展開した。
まもなく穴の底に達した二人は静かに佇んでいた……
(つづく)




