*** 14 ソフィアちゃん ***
そのころトルコ北東部で大地震が発生した。
その地域は比較的人口密度が低く人的被害は少なかったものの、それでも五十万人が家を失って、その日の食事にも困っているという。
ニュース画面では、地震で潰れた家の前で、奈緒ちゃんと変わらないぐらいの若いお母さんが赤ちゃんにおっぱいをあげていた。
幹部たちと会議室でそのニュースを見た光輝が、心から「可哀想に……」と呟いた。
傍らでは奈緒ちゃんも目に涙を浮かべている。
龍一所長が、「だったら三尊くんが助けてあげたら」と言ったので光輝はびっくりした。
「だって、今の三尊くんには手伝ってくれるひとも、助けるための資材も、それに資金だってたくさんあるじゃないの」
光輝が奈緒ちゃんを見ると、やはり目に涙を浮かべながら光輝を見て頷いている。
厳上を見るとこちらは微笑みながら力強く頷いている。
もちろん法印大和尚である光輝がひと言でも頼めば、必死になって手伝ってくれる僧侶たちは数千人もいるのである。
ディラックくんを見るとこれも真剣な顔で頷いていた。
豪一郎が言う。
「トルコ共和国は明治時代のエルトゥールル号遭難事件以来、日本との友好関係が深い。
一九八五年のイラン・イラク戦争開始時には、イラン在留邦人を救うために、トルコ航空が危険を冒してイランに飛んでくれたしな。
その際にはトルコ人たちよりも日本人を優先して助けてくれたそうだ」
全員が頷いた。
「さあ、忙しくなるな」
豪一郎が笑顔で言った……
光輝は所長に頼んですぐに首相に連絡を取ってもらい、外交ルートでトルコに対して援助を申し入れてもらった。
救援活動は難航しており、トルコ政府はあの高名な瑞巌寺からの救援申し入れに喜んだ。
だが……
その救援内容は全世界を驚かせたのである。
まずはディラックくんのあの空間連結器の輪っかが三十分で五百ユニット緊急増産され、それらが重層次元を通ってトルコの日本大使館に飛んだ。
その輪をくぐった光輝たちと外務省職員が、トルコの日本大使館員とともにトルコの大統領と会談し、その後すぐにトルコ軍将校が地図で示す位置に輪っかが散らばった。
その輪っかからは、トルコ軍救援部隊に続いて、瑞祥物産が日本全国から急遽集めた大量の食糧や飲料水、毛布などの救援物資が吐き出されたのである。
それとともに、これもディラックくんが大至急用意した、たいへんな数のあのドローンたちや重力遮断装置が届けられ、被災者たちの案内で崩れた建物内にいた生存者たちの救出活動を始めた。
彼らはその探知能力とプローブの効果を最大限に発揮して続々と生存者を発見し、重力遮断装置を駆使して、即座に生存者を救助したのである。
救助開始からたったの三時間で、五百人近くもの生存者全員がガレキの山の中から救助された。
次は被災者の移送である。
トルコ軍の誘導のもと、被災者たちは余震の続く危険地帯から避難し始めた。
彼らはやはり輪っかを通って、一時避難場所である瑞巌寺治療施設の、今は使用されていない入院棟に続々と収容されたのである。
瑞巌寺のすべての僧侶が、ディラックくんの用意した翻訳機を装着してこの案内にあたった。
光輝宗の僧侶たちだけでなく、最慎率いる光臨宗の僧侶たちも手伝ってくれた。
むろんバチカンの留学生たちも一生懸命手伝ってくれている。
入院棟のレストラン施設には、豪一郎社外取締役の指揮のもと、瑞祥グランドホテルから懇請を受けた日本ホテル協会や日本レストラン協会が、急遽大勢の調理人を送り込み始めていた。
イスラム系の住民に配慮して豚肉系の料理は出さないことと決められている。
彼らは最初、ボランティアとしての出動を申し出たのだが、三尊研究所が十分な賃金を払う用意があると聞かされて、投入される人員はさらに大幅に増えた。
また、瑞祥食品の要請で、食品会社はこれも膨大な量の非豚肉系食品を運び込んでいる。
なにしろ支払い保証人はあの日本最大企業三尊研究所なのである。
もちろん避難民への飲食物の供給はすべて無料である。
折り畳み式のベッドの購入も、瑞祥グループ各社から世界中の提携企業に向けて依頼され、全世界のキャンプ用品店の店頭からこの商品が消えた。
日本中の寝具店からマットレスと毛布が消えた。
それら全ての物資は即座にあの輪を通って瑞巌寺診療施設にやってきたのである。
全世界に重層次元を通って送られた輪の総計は二千ユニットに及んだ。
さらに厳上は在日トルコ人協会を訪れて頭を下げ、瑞巌寺診療施設に集まって貰って、被災者たちのためにトルコ料理を作ってくれないかと懇請した。
一年前に瑞巌寺治療施設でガンを治療してもらっていた協会長はこれを快諾して、厳上と一緒に主要メンバーたちに呼びかけてくれた。
他ならぬトルコの同胞救援のためであるのに加えて、食材費はすべて三尊研究所負担である。
協力者たちには一日五万円の日当まで提示されたが、トルコ人協会会長はこれを三万円にまけてくれた。
そうして、日本中のトルコ料理店には臨時休業の札が掲げられ、あの秋葉原名物ケバブの屋台も瑞巌寺学園にやってきたのである。
瑞祥物産は急遽ニュージーランドに冷凍羊肉三万頭分を発注し、またあの輪っかを通って続々と瑞巌寺学園に届けられている。
仮設レストランの建設や、出来上がったレストランの運営は、大勢の僧侶たちや瑞巌寺学園の高校生たちが手伝ったが、高校生だけで五千人もいるのでけっこうな手助けになった。
医師団も続々と応援にやってきた。
翻訳機があるので誰でもボランティアが出来るのである。
これにも世界各国の医師たちが参集してくれている。
まあ、なにしろあの聖KOUKI様の提唱で始まった救援事業なのである。
敬虔なカトリック信者の医師たちが大勢参加してくれた。
光輝が医師たちの全員にお礼を言って回ると、医師たちのほとんどが跪いて泣いた。
バチカンも看護師資格を持つシスターを一千人も送り込んで来ている。
救援に駆け付けたひとびとは驚かされた。
なんとあの輪をくぐっていつでも国に帰れたのだ。
瑞巌寺治療施設と世界各国の首都とを結ぶ空間連結器の大ネットワークが構築されていたのである。
ディラックくんが、普及し始めた各国国内交通機関用の輪っかの無料パスを全員に配り、そのために宿泊施設はすべて被災者たちのために使用することが出来たのだ。
各国からの救援物資もこの輪を通って続々と避難所に届けられている。
特にサウジアラビアからは、膨大な量のイスラム教徒向け食品が届けられた。
それでもさすがに二万人用の建物六棟では五十万人には手狭である。
瑞祥グランドホテルは、日本ホテル協会を通じて日本国内を問わず、全世界のホテルに空き部屋の長期提供を依頼した。
むろん支払いはあの三尊研究所である。
それらホテルのロビーにはまたもやあの輪っかが設置され、被災者たちは瑞巌寺治療施設で食事を取ることが出来るのである。
これらホテルには乳幼児を連れた家族が優先されて入った。
あのニュース画面に映っていた若いお母さんも、笑顔の赤ちゃんと一緒に無事ホテルに入ったそうだ。
その間にもディラックくんの生産設備はフル回転で操業し、近傍の重層次元内に続々と宿泊設備を作っている。
そうして……
光輝たちは、なんと救援開始からたったの七十二時間で五十万人の避難住民の救援体制をすべて整えてしまったのである。
食事と寝場所だけなら二十四時間だった。
全世界が驚愕した。
世界各国の新聞には、「瑞巌寺がまたやった!」という意味の大活字が躍った。
その年のノーベル平和賞に三尊光輝氏の二度目の受賞が内定したらしい。
(ボク、トルコの大統領さんに会ったのと、お医者さんたちにお礼を言った以外はなんにもしてないんだけど……)
光輝はそう思ったが何も言わなかった……
後に集計してみたところによると、この救援費用は総額で約八千億円だったそうである。
光輝が、「たったそれだけのおカネで皆さんに喜んでもらえてよかったね」と言うと、奈緒ちゃんがまた光輝を惚れ直したような熱い目で見て、「アナタってステキ……」と言ってキスしてくれたので光輝は実に嬉しかった。
その隣では、またため息をついたひかりちゃんが、弟と妹を連れてリビングに行って一緒に遊んでいてくれている……
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ある日、資源に余裕が出来て貯金もかなり貯まってきたディラックくんが光輝に言った。
「いつかご紹介させていただきたいと申し上げた防衛用AIのアバターを作りましたので、お会いいただけませんでしょうか」
「は、はい。その方もディラックくんの兄弟なんですか」
「いえ、安全上の問題で、私とは全く別のAIコンピューターであります」
「お名前は?」
「ソフィアと申します」
防衛用AIのソフィアちゃんのアバターは、三尊研究所の幹部たちの前に姿を現した。
年齢はディラックくんより一つ下の十五歳ぐらいに見える。
青い髪に細い手足の繊細で内気そうな小柄な女の子だった。
目つきのやや鋭いディラックくんと違って、こちらはあくまでも優しげな青い目である。
だがやはりディラックくんとおなじで超絶的に美しい美少女でもあった。
(こ、こんな華奢な子がアメリカ全軍と互角以上に戦えるとは……)
光輝は驚いた。
「皆さま初めまして。ソフィアと申します。
どうかよろしくお願い申し上げます。
また、ご主人さまをお助け下さいまして、本当にありがとうございました……」
ソフィアちゃんは声まで儚げだった。
きっとこうした外見で敵を欺くという目的も兼ねているのだろうが、それにしてもどう見ても強そうには見えない。
「そ、ソフィアさんは本当に防衛用AIなんですか?」
「はい。十分な資源をディラックさんに用意してもらえましたので、今は防衛機能も完全になりました」
「やっぱりどうみても人間にしか見えませんねえ」
「あのパフォーマンス、お見せいたしましょうか?」
「い、いえいえそれにはおよびませんっ!」
光輝もみんなも美少女が分解するところなど見たくなかった。
夢に見てうなされそうだ。
ディラックくんは笑っている。
「ソフィアちゃんってどれぐらいの防衛力を持ってるの?」
光輝と違ってディラックくんからソフィアちゃんの能力を聞いていない龍一所長が聞いた。
豪一郎も頷いている。
「今でしたらアメリカ軍とロシア軍の合同一斉攻撃から皆さまをお守りすることが出来ると思います。
もちろん核攻撃も含めてのことでございます」
ソフィアちゃんが恥ずかしげな優しい声でそう言うと、みんなが盛大に仰け反った。
豪一郎ですら二歩後ずさった。
「もしも防衛だけでなく反撃も許されたなら、この惑星の全軍も、そうですね、三十分ほどで戦力を奪えると思います」
睫毛まで伏せたソフィアちゃんがさらに儚げな声で言う。
(お、女の子ってコワイ……)光輝はそう思ったが何も言わなかった……
「す、すごいね。じ、じゃあ接近戦やテロについてはどうなの」
「今現在周囲五十キロ以内の爆発物や危険物を監視しております。
また人間を含む動物につきましては半径十キロ以内の対象をすべて監視下に置いております。
不審な動きを見せたらただちに重層次元に送り込んで隔離いたします」
「か、火災とかはどお」
「あの…… 半径二十キロ以内の火災は出火と見なされる状態から〇・二秒後には鎮火できます。
また、ガスなどの爆発は一万分の一秒以内に重層次元に飛ばせる用意をしております」
そう言ったソフィアちゃんはますます俯いて頬を染めた。
「そ、それじゃあ保護対象者の人数についてはどお?」
「半径五十キロ以内でしたら何人でもお守りさせていただきます。
それ以上の距離でしたら同時に一万人までお守り出来ると思います」
ソフィアちゃんはますます恥ずかしそうに俯いた。
「じ、地震とかは?」
「その際には、保護対象者の皆さまにすぐ3.0010次元に避難して頂けるよう準備をしております。
そちらにはリビングルームがございまして、軽食とお飲み物のご用意もございます……」
「ほ、ホテルみたいでスゴいね」
ソフィアちゃんは顔を上げて嬉しそうに言った。
「今度ディラックさんにお願いしてテレビやゲームもご用意させて頂きますね」
ディラックくんがちょっと得意げに言う。
「いかがでございましょうか皆さま。
ソフィアの防衛サービスは一日につき水二百リットルでございます」
まあ、一日につきお風呂一杯分である。
ソフィアちゃんが最初は驚いたような目で、次に咎めるような目でディラックくんを見た。
どうやらご主人さまの恩人に最高利益率を提示したディラックくんを非難しているようだ。
「よろしければ水二百五十リットルにしませんか?」
光輝が言うと、ディラックくんは、「い、いえいえそれには及びませんっ!」と慌てて言った。
(やっぱり最高利益率だったんだな……
ディラックくんとポーカーやったら絶対勝てるな)
光輝はそう思ったが何も言わなかった……
「それじゃあソフィアちゃん、これからよろしくね」と所長が言うと、ソフィアちゃんも、「は、はい。こちらこそよろしくお願い申し上げます」と頭を下げながらまた儚げな声で言った……
(つづく)
 




