*** 6 良心回路 ***
チーかま三袋とおやつを買った一行は研究所に戻り、みんなでおやつや会議室の冷蔵庫にあったケーキを食べた。
ディラックくんも食べたので光輝は驚く。
どうやら貴重な資源として船の資源倉庫に転送しているらしい。
奈緒がみんなにコーヒーを淹れた。
コーヒーを一口飲んだディラックくんが大硬直した。
「こっ、これはぁっ!!!」
「どうしたの?」光輝が聞く。
「ぶ、分析の結果、この飲み物の成分はご主人さまたちが途轍もなく喜ばれるものと思われますっ!」
「銀河宇宙におなじようなものは無いの?」
「あ、あるにはありますが、これほどのものはどの星にもございませんっ!
も、もしも皆さまが銀河連盟に加入されたら、この惑星様の主要輸出品となることは間違いございませんっ!」
「ふ~ん、そうなんだぁ。
あ、でもさ、そういえばこういう飲み物の水って銀河の人たちはどうしてるの?
みんなヒューマノイドだから生きて行くのに水は必要でしょ?」
「生物が生きて行くのに必要な水は、単に化学反応の媒体として必要なものですので無くなるわけではございません。
ですから惑星全体では水は自動的に完全なリサイクル体制になっています」
「なるほどー」
「ですがエネルギー資源として水を使用してしまいますと、その分惑星上から水が完全に消滅します。
それゆえ飲み物としての水の価値は低いのですが、燃料に使う分は高額となるのです」
「そっかー」
「ですから多量の水をエネルギーとして使用する際には、その分を惑星外から調達して補充することが義務付けられているのです。
それもあってエネルギーとして使用する際の水の価格は高額になるのです。
ですから我々は、水と水資源と言う言い方で両者を区別して考えています」
「そうだったんですねえ」
「と、ところでこのコーヒーというものの価格はおいくらなのでしょうか……」
「お、おいくらって言われても……」
「た、例えば重金属と比べておいくらですか」
「重金属って?」
「鉄より原子量の多い原子のことです。
鉄までの原子量の原子は普通の太陽の中で作られますが、鉄より原子量が多い原子は、その太陽がある一定の条件を満たした場合の超新星爆発の中でしか作られません。
ですから鉄までの金属原子はありふれていて安価なのですが、鉄より原子量の多い原子は貴重で高額なのです」
「鉄より原子量が多いと言うと…… 例えば銅でいいのか?」
豪一郎が聞いた。
「はい。皆さんは銅を豊富にお持ちなのですか?」
「貨幣として使われていたこともあったぞ。
そういえば、今も使われているのか」
「そ、それではそのコーヒー一袋は銅何ミリグラムに相当するのですか?」
「ミリグラムじゃあないな。一キログラムだ」
銅一キログラムは今約七百円である。
「うええええええ~っ!!!」
ディラックくんは心底驚いている。
「そ、そそそ、そんな貴重なものを私に飲ませてくださったのですかぁっ!!!」
「そ、そんなこと言っても……」光輝が慌てた。
「このディラック、皆さまに心より御礼申し上げますっ!」
ディラックくんが平らかに平伏した。
光輝はなんだか良心がチクチク痛んだ。
(昔アメリカではガラスを知らなかった原住民のインディアンに、ひと箱のガラス玉を見せて、今のマンハッタン島全部の土地と交換したというけど……
なんだか自分がそんなアコギな白人になったような気分だよぉ……)
実はディラックくんの良心回路もチクチク痛んでいたことを光輝は知らない。
(ご主人さまの恩人に、こんなありふれた技術を最高利潤で売りつけたりして……
まるで昨日ネットで見つけた、箱一杯のガラス玉でマンハッタン島を原住民から買い上げたアコギな白人になったような気分だ……)
まあ、お互いに利益のある取引と言うのはこういうものを言うのだろう。
間もなく豪一郎が注文した灯油が届けられると、またディラックくんは輪っかを呼んだ。
そうしてまた灯油のポリ容器がふわふわと輪の中に入って行き、最後にはチーかま三袋がそれに続く。
「そんなにたくさん入れちゃって、船の倉庫は大丈夫なの?」
「あ、先ほどは便宜上船の資源倉庫と申しあげましたが、実際には3.0583次元の物資貯蔵用空間ですから問題はありません。
高速移動時には質量制限がありますが、静止状態であれば事実上無限に物資が入ります」
「へー、便利だねえ」
「ところでその輪っかだけど、それは売り物じゃあないの?」
龍一所長が聞く。
「あ、はい。この空間連結器ですか。これも売り物になりますが……」
「空間連結器?」
「はい。今は3.0583次元の物資貯蔵用空間とここを連結していますが、二つの空間連結器を繋げば通常空間同士でも連結することが出来ます」
「そ、それって物資だけじゃあなくって人間も通行できるの?」
「はい、もちろんです。では見本を呼び寄せますね」
また商談になりそうだと思ったディラックくんは、嬉しそうに山の方角を向き、何事か呟いた。
どうやら見本を呼んだらしい。
「今輪っかを呼んだの?」
「はい」
「空中を飛んできたりして自衛隊のレーダーに映って大騒ぎにならないかなあ」
「あ、大丈夫ですよ。3.0170次元の移動用空間を移動させていますので、こちらの次元のレーダーには映りません」
さすがは別の次元を通ったせいで、すぐに輪っかがふわふわとやってきた。
「この輪っかって、どうやって空を飛んでるの?」
「先ほどの重力遮断装置の応用です。
物資を運ぶ際も物資の近傍だけ重力を遮断しています」
豪一郎が聞いた。
「この輪は重層次元を通って船からここまで来たんだな」
「はい」
「重層次元航法装置が無くとも重層次元を通行できるのか?」
「はい、おおよそ一光日の範囲の既知の空間内であれば」
「どう違うんだ?」
「この装置が利用しております3.0170次元の移動用空間は、高次空間と申しましてもこの三次元空間からはさほど離れておりません。
ですから三次元空間から光が漏れる薄暗がりの中を、今いる部屋から隣の部屋に行くようなものでございます。
障害物の位置もわかっていますし、ゆっくり歩けば特に困難はございません。
しかし百光年単位の移動となると、そのような低次元の空間を通っていたのでは時間がかかりすぎます。
ですから通常3.5次元以上の高次空間を使用します。
そうした高次空間を航法装置の助け無しに通行するのは、真っ暗闇の中を明りも無しに走って隣町に行くようなもので、たいへん危険であります。
石につまづいて転んでケガをするかもしれませんし、大きな穴に落ちて死んでしまうかもしれません」
「穴ってなあに?」
「白色矮星やブラックホールの比喩のことであります。
それらの星はあまりにも重力が強くて周囲の空間が歪んでいるために、高次空間ですら影響を受けます。
うっかり近寄れば落ち込んでしまって二度と出てくることはかないません」
「へぇ~、そうなんだぁ」
またディラックくんの良心回路がチクチク痛み始めた。
(彼我の物理学や技術の差がこれほどあるのに、私は技術を売って最高利潤を得ようとしている……
いくらご主人さまの借り越しを減らすためとはいえ、こんなことをしていていいのだろうか。
私の倫理水準が音を立てて急落しているような気がする……)
必死で気を取り直したディラックくんは、広い会議室の中で二つの輪っかを二メートルほど離して置いた。
置いたと見えたがよく見ると二つともびみょーに浮いている。
そうして、ディラックくんが皆の見守る前で片方の輪っかに腕を入れると、もうひとつの輪っかからただちに腕がにょきっと出てきた。
みんな驚いていて声も出ない。
その様子を見たディラックくんは、微笑みながら今度は輪っかをくぐる。
またもや直ちに反対側からディラックくんが出てきた。
「どうぞ皆さまもお試しください」
また商売になりそうだと喜んでいるディラックくんが笑顔で言う。
光輝たちは恐る恐る腕を入れてみたり、棒を入れてみたりした。
二つの輪っかの間に時間の遅延は無いようだ。
光輝は輪っかをくぐろうとしたが厳上に止められた。
「まずは拙僧が実験台になります」
そういった厳上が輪っかをくぐったが、厳上はなにごともなく反対側から出てきた。
それを見た豪一郎さんや麗子さんも試している。
光輝が聞く。
「あのー、この輪っかと輪っかの間の次元で迷子になっちゃうことって無いんですか?」
「はい、この空間連結器は、今はこの機械が既に経路を認識した重層次元空間を経由して、こちらの次元空間同士を直接繋いでおりますので安全です。
次元のはざまで迷子になることはあり得ません」
ディラックくんは微笑みながら答えたが、豪一郎が厳しい顔で言う。
「装置としては安全だが、使用法によっては危険な装置になるかもしれないな」
「ど、どういうことですか?」
「この装置を普及させたとして、軍隊の移動に使われたらどうする。
またテロリストの侵入に使われたら防ぎようがないだろう。
これは先ほどの重力遮断板も同じだ。
石のような重量物を乗せて敵国の上空に侵入してスイッチを切ったらどうなる。
高度次第では石も爆弾並みの破壊力を持つぞ」
ディラックくんがにこにこしながら言う。
「皆さまご安心ください。
この空間連結器には多くの保安機能がついております。
搭載されておりますミニAIの監視機能により、軍事利用やテロと見做される行為に利用することは出来ませんし、それ以外にも予めご指定いただいた危険物は、この空間連結器をくぐらせることは出来ません」
「どんな物質でも指定出来るのか?」
「はい。いかなる指定も可能です。
例を上げれば禁止薬物や爆発物や病原菌などです。
皆さまのお選びになった物質を遮断できます」
「遮断するだけか?」
「さすがでございますね」
またディラックくんが微笑んだ。
「この装置は予め登録された物質や生物を遮断するだけでなく、別の次元に飛ばすこともできます」
「例えば予め登録された禁止薬物を所持した人物がこの装置をくぐった場合に、人物はそのままくぐれるが、所持していた薬物は別の次元に押収出来るということなのか?」
「はい、その通りです。
また予め指定しておけば、その禁止薬物を所持していた人物にはナノマシンの監視をつけることもできます。
ですからすぐに逮捕することも、そのまま泳がせて監視を続行することも出来ます。
あ、ナノマシンの監視を防ぐことは非常に困難です。
なしにろ皮膚に浸透して監視を続けますから」
「警察が喜びそうだな」
「はい。ネットで拝見したところによると、この星では禁止薬物の流通にずいぶんとお悩みのご様子。
ですがこの装置をお使いになれば、たちどころにその流通を激減させることが出来ますでしょう。
また、同様に先ほどご指摘の重力遮断装置の軍事利用についてですが、そのような悪用も出来ないようになっております」
「どうやって悪用を防ぐんだ?」
「重力遮断対象物質の監視、その移動状態の監視、及び遮断装置の動作コントロールなどです。
やはり搭載されておりますミニAIが監視致します。
こうした制限はすべて銀河連盟法典で義務付けられているものばかりであり、すべて恒星間戦争を防止することが目的であります」
「装置を改造して制御を外すことは出来ないのか?」
「誠に失礼ながら、銀河連盟未加入の星の方の技術力では不可能と思われます。
また、そのような試みはAIでなければ出来ません。
そうして我々AIにはそうした行為が出来ない様、固く倫理ガードがかかっているのであります」
ディラックくんはにっこりと微笑んだ……
(つづく)




