*** 5 チーかまと鉄と灯油 ***
研究所の会議室には、龍一所長、豪一郎、瑞祥院長と厳上がいた。
奈緒ちゃんと麗子さんと桂華もいる。
みんなの子供たちの面倒は別室であの女性のお弟子さんたちがみてくれている。
いつものことだし、幼い子供たちも実にお弟子さんたちになついているので大丈夫である。
「というわけでですね、こちらのディラックくんのご主人さまの船が遭難したんで、エネルギーや資源を売って差し上げたんですけど……」
「エネルギーや資源ってなんなんだ?」
豪一郎が聞く。豪一郎の顔は真剣だ。
「え、エネルギーは水です。資源は鉄と石油と土を五十キロぐらいずつです……」
「遭難者にそんなものを売りつけたのか!」
「そ、そそそ、それは……」
「わたくしにご説明させていただけますでしょうか」
ディラックくんが言って説明を繰り返した。
「……ということで、私どもの法令を順守するために、代価を払うことなく資源を頂くことは出来ないのです。
つまり代価を受け取っていただかなければ船の修理が出来なかったのです。
ご無理を申し上げてまことにすみません」
ディラックくんは頭を下げた。
「また、借り越し分の負債をいくらかでもお返し出来るように、譲渡が許可されている私どものテクノロジーの産物を少しでもご購入いただけないものかと、こうしてお伺いした次第でございます」
女性陣はさっきからディラックくんに見とれている。
まあ、疑いも無く今までの人生で会ったなかでダントツに最も美しい少年だ。
態度も礼儀もすばらしい。
(いっそのことディラックくん、アイドルデビューしちゃえばいいのに。
そうしたら負債なんかあっというまに払い終えられるだろうに……)
光輝はフトそう思った。
所長が言った。
「じゃあさぁ。困っている方を助けて差し上げるために、なるべくたくさん買ってあげようよ。
ディラックくん、どんなものがあるのぉ」
「まず、これなどいかがでしょうか」
ディラックくんはそう言うと風呂敷包みから薄い円盤状の板を取り出す。
「こ、これなんですか?」光輝が聞く。
「重力遮断板です」
「ええっ!」
ディラックくんが小さなボールのようなものを取り出すと、その板の上に持って行って手を離した。
そのボールはふわふわと浮いていたが、やがてゆっくりと空気に押されて板の上から外れ、その途端にボールはテーブルの上に落ちた。
「ご覧のように板の上の限られた空間の重力を打ち消します。
板から離れるとその重力遮断効果はなくなります。
そうしないと惑星の軌道がズレてしまいますからね」
ディラックくんはにっこりと微笑んだ。
瑞祥院長が叫んだ。
「三尊さんっ、こ、これ買ってくださいっ!」
「は、はいっ!」
「重症の入院患者のベッドに備えたら患者の苦痛が大幅に軽減されます。
特に重度の全身火傷患者にはたいへんな福音です。
これで命が助かる人もいるかもしれません」
豪一郎が言う。
「それから発電用に素晴らしい品だな。
この板の上でフライホイールを回したら完全無公害発電が可能になる。
規模と発電能力によったら原発が不要になるかもしれん」
ディラックくんが嬉しそうに微笑んだ。
「それならばいっそのこと、この重力遮断板と発電装置がセットになった電力パックはいかがでしょうか」
「それはどのぐらいの発電能力があるんだ?」
「はい、この惑星の単位基準で、一キロワット/時から百万キロワット/時まで可能です。それはパックの大きさによります」
「どれぐらいの大きさなんだ。例えば一万キロワット/時で」
「はい。大きさは二十センチ立方ほどです。重さは三百グラムほどです」
「光輝っ、これ買えっ!」
豪一郎が叫んだ。
「もっと大きな電力をお望みでしたら、船のエネルギープラントから重層次元を通じて直接電力をお売りすることもできます。
燃料の水をご負担頂ければいくらでも電力をお売りできますが」
「たとえばどれぐらいの電力なんだ?」
「そうですね、百億キロワット/時までなら余裕です」
「光輝、これも買えっ!」
また豪一郎が叫んだ。
ディラックくんはさらに嬉しそうな顔になった。
どうやら商談が上手く行きそうなので喜んでいるようだ。
ディラックくんが嬉しそうな顔をすると、その顔が二~三歳は幼く見え、やや冷たい視線が緩むので、この世のものとも思えないぐらい美しく可愛らしい顔になる。
女性陣からため息が漏れた。
「そ、その電力パックっておいくらぐらいするんですか。
た、例えば一万キロワット/時のもので」
光輝が恐る恐る聞く。
途端にディラックくんの顔が緊張してやや曇る。
女性陣が光輝に冷たい視線を送った。
「そ、それはその…… 製作用の資源をご負担していただいて、ああ、それは鉄原子と微量元素と化石燃料が少々なんですけど、それから製作用のエネルギーもご負担下さったとして……」
ディラックくんが光輝を上目遣いに見て言い淀んだ。
どうやら許された上限いっぱいの価格を言いたいのだが良心が咎めているようだ。
女性陣の光輝に対する視線がさらに冷たくなる。
(ディラックちゃんをイジメるな)と言わんばかりの顔だ。
「お、おおお、おいくらですか……」
「あ、あああ、あのそのぉ……
こ、これはもうご承知のように素晴らしい技術なのでぇ……」
(コイツは本当に商取引用AIなのか?)
光輝はそう思ったが何も言わなかった。
「ええぃ、代金はH2Oを十リットルでいかがでしょうかっ!」
その場にいた全員がいっせいにため息をつく。
そのため息を誤解したディラックくんが必死に言う。
「そ、それではH2Oを九・五リットルにさせていただきますっ!」
みんながディラックくんの顔を見た。
「そ、そそそ、それでは大マケにおマケさせていただいてっ!
きゅ、九リットルでいかがでしょうかっ!」
「あ、あのお~……」
「な、なんでございましょうか……」
「水百リットルでもいいですよぉ」
「!!!!」
「なんでしたら水二百リットルでも」
(それってお風呂一杯分だな)と思った全員が頷く。
「そ、そのようなことはできませんっ!」
「なんでですか?」
「そ、そんなケタ外れのお代金を頂戴したら、ご主人さまが逮捕されてしまいますっ!」
豪一郎が言う。
「それではとりあえず、一万キロワット/時の電力パックを十個ほど買わせてもらおうか。
代金は一つ水十リットルということで」
またディラックくんの輝くような笑顔が復活した。
「必要な資源は、十個合計で鉄三キロと水〇・一リットルほどと後は微量元素と若干の有機物でございます……」
「微量元素や有機物はなにが必要なんだ?」
「は、はい灯油を少々と、後はこのあたりの土を十キロほどご用意いただけますでしょうか」
また全員がいっせいにため息をついた。
「重力遮断板もお願いします」瑞祥院長が言う。
「それでは重力遮断板もとりあえず十枚ほど……
直径は一メートルぐらいかな」
瑞祥院長が頷く。
「資源は同じものでいいのか?」
「い、いえ、鉄は百グラムでけっこうでございます。
こちらのお値段はひとつにつき水五リットルでよろしいでしょうか」
またディラックくんが上目遣いに聞いた。
「もちろんかまわん。そう言えば生産能力はどれぐらいあるんだ?」
「あ、はい。船に負担にならないような生産能力として、一日に電力パック、重力遮断板をそれぞれ一万ユニットほどになります」
またみんないっせいにため息をついた。
「それではそのうちにそれらを一万ユニットずつ注文することになると思うので、鉄五十トンと灯油五十トンと水を一万リットル用意するから預かっておいてくれ」
「そ、それでは多すぎますっ!」
「余った分は…… ああ、受け取れないんだったな。
だったら他の注文に使うかも知れないので保管しておいてもらえるか」
「本当にこの惑星の方々はおカネ持ちでいらっしゃるんですねぇ……
あ、保管料はサービスさせていただきますです」
そう言うとディラックくんは心から嬉しげににっこりと微笑んだ。
また女性陣からため息が漏れた……
「他になにか面白いものはないのぉ」
さっきから皆のやりとりを微笑みながら聞いていた龍一所長が言う。
「そ、それではこの美容クリームはいかがでしょうか」
麗子さんと桂華が身を乗り出した。
ディラックくんは、風呂敷からプラスチックのように見えるボトルを取り出しながら言う。
「皆さまの遺伝子はご主人さまたちとほとんど違いが無いようですが、一応組織をチェックさせていただけますでしょうか」
「そ、組織って……」
「髪の毛で結構でございますよ」
光輝も厳上も剃髪しているので、豪一郎が髪の毛を二~三本抜いてディラックくんに渡す。
ディラックくんはその髪の毛を両手に挟んで目をつむっていたが、やがて言った。
「完璧です。
この美容クリームは皆さんのお肌にも完全にフィットします」
「そ、その美容クリームって、ど、どんな効果があるの?」麗子さんが聞く。
「はい。こちらのクリームは中に含まれているナノマシンが皆さまの遺伝子のアポトーシスを防いで遺伝子のテロメアを修復いたしますので、お肌が若返りシワなどが無くなります。
また若干の寿命延長効果がございます」
「が、害は無いの?」
「もちろんまったくございません。
ご主人さまの故郷では皆さまお使いになっている標準技術であります」
「光輝っ、これ買ってっ!」
麗子さんが叫んだ。
「あ、あの、お代金は一年分のクリームで水〇・三リットルですが……」
ちょっと困惑した口調でディラックくんが言う。
値段も聞かずに買うのか、ととまどっているようだ。
「じゃあそれもとりあえず一千個ほどもらおうか。原料には何が必要だ?」
「そ、その前にお試しになられてみたらいかがでしょうか……」
またディラックくんが困惑しながら言った。
お試しもしないで買うのか、といった顔だ。
「それならまず俺の顔で試してみようか」
奥さんに万が一のことがあったら大変だと思ったのだろう。
「畏まりました」
ディラックくんは、そう言うとクリームのボトルを持って豪一郎に近づき、ボトルから少量のクリームを取って豪一郎の片目の端に塗る。
驚いたことに豪一郎の片目の目尻のシワがみるみる無くなっていく。
一分もすると、片目は年齢通り三十一歳の顔、もう片一方の目はまるで二十歳の顔になった。
「今は単に皮膚の表面でナノマシンたちが皮膚を平らにしているだけですが、しばらくすると皮膚から細胞に浸透して行って細胞そのものの修復を始めます。
ですから時間が経つにつれて皮膚にはさらに張りが出てまいります」
ディラックくんは美容品売り場の店員さんみたいな口調で言った。
たまらずに麗子さんと桂華が飛んで来てクリームを塗り始める。
そうして鏡を取り出して凝視している。
「まあ!」「おお!」
絶句した二人はみんなを振り向いたが、そこには学生時代と見紛うばかりの麗子さんと桂華がいたのである。
もともと二人ともかなりの美人なのだが、そこにいるのは若々しい凄艶な美人だった。
龍一所長も嬉しそうな顔になる。
「原料には何が必要なんだ?」
もう一方の目の端にクリームを塗りながら豪一郎が聞いた。
そのままではあまりにもブキミだ。
「あの、先ほど瑞巌寺様で貸していただいた資源の分析によりますと、化石燃料は灯油だけで足りそうです。
それと今日貸していただいたような鉄が少々と、あとはエネルギーの水と、アミノ酸と生物由来のオイルが少々必要です」
「ふ~む。アミノ酸とオイルはどこで手に入れるかな。
なにか我々の身近にあるもので代替できるものはあるかな」
「あの、昨日スマホで調べさせていただきましたところによりますと、コンビニに行けばあるのではないかと……」
(宇宙人がコンビニ……)
光輝は絶句したが何も言わなかった。
「じゃあ今行こうか」
「はい」
それから皆で研究所の前のコンビニに行ったが、行く途中で豪一郎が瑞祥燃料社に電話をして、灯油の十八リットルタンク入りを百個大至急と言って注文をしている。
コンビニに行ったディラックくんは、皆が見守る前で各種の商品を物珍しそうに見た後、お目当ての資源を手に入れるべく、食品に手をかざしてチェックを始めた。
「ああ、これは素晴らしいです。これなら必要な資源が全て入っています」
そう言ってディラックくんが嬉しそうに皆に見せたのは「チーかま」だった。
(チーかまと鉄と灯油で作った化粧品か……)
光輝はそう思ったがやっぱり何も言わなかった……
(つづく)




