*** 11 県内GDP五%***
後日、異常研の部室では龍一部長が光輝に話しかけていた。
「光輝くん。税理士試験合格おめでとう」
みんなが盛大に拍手してくれた。
あのレックスさんですらウチワのような手をどかんどかん叩き合わせている。
「は、はい。おかげさまで……」
あれは一種のカンニングだと思っている光輝はあくまでも謙虚である。
「それにしてもスゴいよね。
まだ三年生なのに五科目全部、それもトップ合格だもんね」
「い、いや偶然です……」
「それから試験勉強のアドバイスをくれたのって、あの県内三位と言われる榊原税務・会計事務所を作り上げた榊原さんなんだってね」
「は、はいそうです。奈緒ちゃんのお父さんの学生時代からの親友だったもんで……
今ウチに就職しないかってお誘い頂いてます」
「それはそうだろうねえ。なにしろあんなに名前が載っちゃってるんだもんねえ」
「は、はい。どうやらそのようです」
「あのね。今僕の実家のこぢんまりとした家族経営の会社の顧問をしてくれている税理士さんが、体調を崩したせいで引退したいって言ってて困ってるんだよ。
だからさ、三尊くん、うちの税務顧問になってくれないかなあ」
隣にいた豪一郎ことレックスさんが眼を剥いた。
「おい。龍一っ!」
龍一部長はレックスさんを無視して言う。
「もし三尊くんがウチの税務顧問になってくれたら僕も安心なんだけどな。
だって僕、三尊くんのことものすごく信頼してるからね」
「で、でも、僕まだ学生ですし、実際の税務の実務のことなんかまださっぱりわかりませんけど。
そ、それに実務を二年以上しないと税理士登録出来ないみたいですし」
「ああ、だいじょうぶだよ。キミのバックには榊原さんがついてるんだもの。
実務はぜんぶそっちに任せればいいんだよ。
だから今度、榊原さんに相談しておいてね。頼んだよ」
光輝は、「はあ、相談はしてみますけど」などと言って不安げである。
レックスさんはやれやれと呆れた顔をして龍一部長を見ていた。
その日はまたあのイタリアンの店で合格お祝い会が開かれ、盛大に盛り上がった。
翌日、光輝は三尊幸雄や奈緒ちゃんと一緒に、榊原事務所に御礼かたがた挨拶に出向き、榊原に深々と頭を下げて御礼を言った。
榊原は、さっそくその場で三顧の礼をもって、光輝に「榊原税務・会計事務所」の社員になってくれないかと頼み込んで来た。
この天才青年をよその会計事務所に取られるわけにはいかない。
「まあ三尊くんもまだ三年生だし他の学業もあるだろうから、すぐにとは言わないが……
だが学生であっても社会人にはなれるぞ。
給料はもちろん払うから今のうちから当事務所の社員になってもらえんだろうか。
ああ、実際の仕事は卒業してからでかまわんから。
まあ、青田買いっていうヤツだ」
光輝は御礼は言いつつも龍一部長に頼まれた用件を切り出した。
「あの、知人がですね。
今度実家の小さな家族経営の会社の税務顧問さんが引退されるんで困ってるそうなんですけど。
だから税理士試験に合格した僕に、新たに税務顧問になって欲しいって言うんです……」
「さすがにそれはまだ無理だろう。
それにキミはまだ二年の実務経験を終えていないから税理士登録は出来ないし」
「わ、私もそう言ったんですけど。
で、でも知人は、キミの後ろ盾はあの榊原源治さんだろうって言うんです。
だから榊原事務所がバックにあるから大丈夫だよって言うんです」
「…………」
「そ、それで、一度榊原さんに相談してみてくれって頼まれたんです」
しばらく腕を組んで考え込んでいた榊原源治は言った。
「それならば可能ではあるな。
キミがウチに社員として採用されて、そのクライアントを紹介して来たことにすればいい。
そうしてキミが卒業して二年の実務を終えたら、補佐をつけた上でキミをそのクライアントの顧問税理士にすればいいな。
そのクライアントの紹介料は、歩合として特別ボーナスに反映されるよ」
「は、はい。そうすれば可能なんですね」
「もちろん」
「どうもありがとうございます。
一応両親にも報告して了解をもらいますが、もしよろしければその方向でお願い致します」
光輝はまた榊原に深く頭を下げた。幸雄も奈緒ちゃんも実に嬉しそうだ。
もちろん天才青年を採用出来そうな榊原も嬉しそうである。
上機嫌になった榊原が言う。
「それにしても、キミのその知人と言う人は随分キミのことを信頼してくれているんだねぇ」
「ええ、なんでだかわからないんですけど、妙にご信頼を頂いています。
それにどうも私はその人の言うことに逆らえないんです。不思議なひとです」
「ははは。天才青年にも頭が上がらないひとがいたんだね。
そうそう。それでそのひとはどういうひとなんだい?」
「あ、ひょっとしたら、榊原さんも御存じかも知れません。
瑞祥一族の御曹司だそうで、名前は瑞祥龍一という方なんです」
「な、なんとおぉぉぉっ!」
驚愕して思わず立ち上がった榊原は、呆然とした顔で光輝を見つめ続けていた……
光輝は龍一部長に、榊原事務所の榊原源治さんから、瑞祥家にご挨拶に伺いたいので御都合のいい日を聞いて来てくれと頼まれたと伝えた。
「あ、ちょうどよかった。
来月の第三日曜日にささやかな一族の会があるんで、そのときに来てくれるかってお伝えしてもらえるかな。
もちろん三尊くんと奈緒ちゃんも来てくれるよね」
「おい! 龍一っ!」
と叫んで傍らのレックスさんが瞠目する。
「だってさ…… もし奈緒ちゃんと光輝君が結婚して子供が生まれたら、僕きっと、初孫の生まれたおじいさんみたいに嬉しいと思うんだよね」
光輝には意味がよくわからなかったが、それきりレックスさんは沈黙した。
厳空が総本山から帰ってきたため、光輝はまた瑞巌寺に呼び出された。
またけっこうな弟子としてのお給料が貰える光輝はお気楽である。
しかも送り迎えつきである。
運転してくれる若い僧侶は、あの地震のときに崩れた大きな石灯籠の位置で灯籠を磨いていたそうで、光輝に対してやたらに丁寧だった。
命の恩人としてほとんど光輝を崇拝している。
いつものように本堂で光輝と向かい合って座った厳空僧正が言う。
「三尊、よく来てくれた」
修行中なので厳空は光輝のことは三尊と呼ぶ。
「よろしくお願い致します、厳空僧正様」
「厳空でよろしい!
厳空と呼ばれただけで身が縮むのに僧正までつけるな!」
「は、はい厳空様」
「厳空さんでよいっ!」
「は、はい厳空さん」
「それではまた座禅を組むぞ」
「はい……」
今日は厳空が光輝の隣に座った。
座禅が終わると、厳空はまた眩しそうに光輝の後上方を見やる。
「やはり暖かい御光だのう」
そう呟いた厳空はまた光輝の後上方に向かって平伏した。
その日の修行もそのままなんなく終わった。
やはりもう少し荒行を覚悟していた光輝にはちょっと拍子抜けである。
だが厳空はそのまま光輝を広い墓地に連れて行った。
「三尊。今日は何柱見えるかな」
「ああ、はい。あれ……
今日は随分いっぱいいますねえ。え~っと。十三柱ですかね」
「ほう!」
「あ、なんかあそこの隅に、ちょっと変わったのがいます。
なんかあいつだけ紫色です」
その方向を見た厳空が舌打ちした。
「またアイツが舞い戻ってきていたか……」
厳空はその紫色のもやもやに近づき、なにやら説教していた。
そのもやもやは、やや惜しそうにその場を離れて余所に行ってしまった。
「あれはなんだったんですか?」
「ああ、あやつは悪霊ほどではないにせよ、イタズラ好きでのう。
夕暮れになると墓地にいる人を驚かせて喜んでおる霊なのだ。
迷惑だから余所に行ってやれと追い出した」
「へぇ~」
「それにしても三尊。貴殿もかなり霊が見えるようになって来ておるのう」
「は、はい。おかげさまで……」
帰り際にまた本堂で対峙した厳空が言う。
「三尊はな、わしらと同じような修行をしておっても、霊をどうこうするような力は必要無いのだ」
「そ、そうなんですか?」
「それは拙僧のような本職に任せておけばよい」
「は、はあ」
「それよりも、もっと霊視の力を高める必要があるな。
あと、自分の身を守る力だな」
「は、はい……」
「そう。つまり、霊を見つけ、自分の身を守りながら、その霊が善か悪かを見定められるようになるのだ」
「善の霊って、あの地震が来るのを教えてくれた白いもやもやのようなものですね」
「そうだ。わしも長いこと霊を見て来たのだが、あのような話を聞いたのは初めてだ。
あれもたぶん霊の一種に違いない。
それも相当に高位の守護霊だな」
「そ、そうなんですか」
「まあ、そうして修行をするうちに、危険を教えてくれる霊がもっとよく見えるようになったりもするであろう。
またそのうちに人に害を為す悪霊を見つけることも出来るようになるかもしれん」
「は、はい」
「だが、もしも悪霊を見つけられるようになったら、即座にわしに連絡をくれることこそが肝心だ。
わしは、それこそが三尊の役割ではないかと思うておるのだ」
「は、はい」
「特に悪霊の場合には、決して自分で対処しようとしてはいかん」
「は、はい」
「自分の身を守りつつ、霊の本性を見分け、危険を知らせて下さる霊だった場合には、また先だってのように皆に知らせていただく。
またもしもそれが悪霊であった場合はわしらに連絡をする。
もしくは見分けがつかなかったときにも連絡をする。
それこそが天がそなたに授けた役割なのだと思うておるのだ」
「は、はあ」
「まあ、本当に危険なときには、あの畏れ多い御光や、守護霊の方々が守って下さるだろうがな」
「は、はい……」
龍一部長との約束の日曜日。
榊原の運転する黒塗りの高級車に乗って、光輝と奈緒が瑞祥邸に向かっていた。
榊原がハンドルを握りながら言う。
「三尊君」
「はい」
三尊幸雄が就職祝いとして仕立ててくれた、地味だが高そうなスーツのうちの一着に身を包んで、やや困惑気味の光輝が答える。
「これから向かう瑞祥本家のことだがな。君はどのぐらい知っているかな」
「はあ、なんでも昔から続く県内の有名な一族で、時代がかった考え方をする方々が多いとしか存じませんけど」
「瑞祥本家は県内の国有地、県有地、市有地等の公有地を除いた民有地のおよそ五%を保有している」
「ええっ!」
「山林ならおよそ十%だ」
光輝は驚きのあまり声も出ない。
「一族すべてを合わせれば、それはその倍、いや三倍に近くなるかもしれん」
「えええっ!」
「それだけじゃあないぞ。
一族が経営する会社を全て合わせれば、県内GDPのおよそ三%には達するだろう」
「ええええっ!」
「我々は今、そういう一族の「ささやかな会合」とやらに向かっているのだ」
「!」
光輝は緊張で蒼ざめたが、奈緒はそんな光輝を頼もしそうに微笑んで見つめているだけだった……
瑞祥邸に着いた光輝は驚いた。
瑞巌寺ほどではないとはいえ、それでも大伽藍と言いたくなるような重厚な大建築物である。
その広大な敷地にはそこかしこに高級車が止まっている。
そう言えば森を隔てた本家の周囲の家々も、本家ほどではないにせよ広壮な日本建築であり、その庭にはやはり高級車がところ狭しと並んでいた。
臨時の駐車場になっているらしい。
ある家では、黒いスーツを着た運転手さんたちが百人近く集まり、軽食やお茶の供応を受けていた。
本家の本宅の脇には、渡り廊下で繋がった、体育館のような平屋建ての大広間があった。
優に二百畳はあろう。テニスコートが作れそうだ。
むろん間に柱の一つもなく、天井は高い。
光輝にもそれが現代の建築基準法を満たせないことが分かったが、よく見れば見た目は伝統的日本家屋ながら、そこかしこに鉄骨が入っているらしき頑丈な造りである。
どうやらこれが瑞祥一族の「こじんまりとした」会合を開く場所らしい。
一部は大広間に座っていたが、庭では久しぶりに会った瑞祥一族の面々が話に花を咲かせている。
光輝たち一行は大広間に案内された。
驚いたことに、大広間の一辺は三十センチほど高くなっており、その部分だけでも優に三十畳はありそうだ。
光輝たちは高段から一番離れた廊下寄りの場所に、高段に横を向いて座った。
廊下ですら幅五メートルはある。
「皆さま。そろそろお時間でございます」という声とともに、大勢の男たちと女たちが談笑しながらぞろぞろと大広間に入って来た。
高価そうな座布団が見事に並べられている。
光輝が見ても、男たちには重厚な貫禄が漂い、女性たちはみな高そうな着物姿だ。
彼らの座り方もすごい。
高段に一番近い列に紋付き袴姿の三人の老人が座る。
その後ろに、やはり紋付き袴姿の重厚な雰囲気を湛えた初老の男たちが八人ほど座った。
その後ろにはそれよりはやや若いが、やはり貫禄のあるこれは背広姿の男たちが十人ほど座る。
どうやら年齢順らしいが、若いものはみな背広姿だ。
四十歳ぐらいの男たちの列に続いて三十歳ぐらいの男たちの列、そして一番若い男たちと続く。
その後にはおなじく三人の老婆、さらにその後には老境に差し掛かった女性が七人ほど。その後には中年女性たちと、これも年齢順に並んでいる。
最後に瑞巌寺の厳攪権大僧正が見事な正式法衣を身につけ、弟子の厳空、厳川を連れて入って来て、廊下側の高段に近い位置に中央を向いて座った。
総勢で二百人はいるであろう陣容だ。
隣の榊原源治が小声で言った。
「三尊君。訂正だ。県内GDPの五%には達するだろう」
光輝は怖くなった。
次に高段の隣にある入口から入って来たのは龍一部長の母、喜久子だった。
それに次いで、紋付き袴の正装に身を固めたレックスさんが入って来て、高段のすぐ脇、厳攪権大僧正と正対する位置に座る。
さすがの巨大な体躯だけあって実に凛々しい。
その後からはなんと着物姿のアロさんが入って来て、レックスさんの横に座った。
その次に入って来て高段の上、正面から見て左側に座ったのが次期当主の瑞祥龍一である。
次は現当主であり龍一の父親でもある瑞祥善太郎。
どうやら入り婿らしい。
そして最後に入って来たのは最前列の三老人と同世代と思われる、前当主の瑞祥喜太郎であった。
前当主は、高段の中央、ぶ厚い座布団の上に座った。
その横には脇息まである。
昔のお殿さまみたいだった……
(つづく)




