*** 11 命令されたから…… ***
気を取り直した原田監督が言った。
「さあ、それじゃあ佐貫選手が肘を治療していただいている間に、我々は予定通り懇親会を始めようじゃあないか。
今日は我がラビッツの選手たちがみんなの質問になんでも答えるぞ」
我に返った選手たちがまた子供たちの前に移動して座る。
「さあ、なにか選手たちに聞いてみたいことはないかい?」
監督に促された子供たちはもじもじしている。
どうやら監督が司会をしてくれるようだ。
みんな周りを見ながらどうしようか考えている。
そのうちに中学生ぐらいの勇気のありそうな女の子が手を挙げた。
「どうぞ。なんでも聞いて」
「あ、あの…… 選手の皆さんはどうして今日来て下さったんですか……」
「選手の皆さんと言われたからには選手が答えないとねえ。
じゃあ板東よろしく」
板東選手はひとつ頷くと、訥々と語り始めた。
「私はね、高校時代にはもうそれなりに活躍していた野球選手だったんだ。
一年生の時に既にレギュラーになれていたしね。
だけど高校一年生の時に父が事故で死んでしまったんだよ」
子供たちは思わず真剣に板東選手の話に聞き入った。
「だから野球を諦めて働こうとしたんだ。
まだ小さい弟や妹もいたからね。
だけどそのときに母が言ってくれたんだ。
『せっかく好きで始めた野球なんだから続けなさい』って。
嬉しかったよ。
母は朝から晩まで懸命に働いて、私や弟や妹たちを養ってくれたんだ。
だからその後は、母のためにももっと一生懸命に練習したんだ。
必死だったね。
まあ、お父さんもお母さんも亡くなってしまったきみたちには本当に申し訳ないんだけど、まだお母さんがいてくれただけ幸せだったんだ。
二年生のときには甲子園にも行けた。
そこで運よくホームランを三本も打てたんだ。
準々決勝で負けちゃったけど。
それでもそのときの活躍がプロのスカウトの目にとまってプロになれたんだ。
これも嬉しかったよ。
契約金も貰えたんで、もう母にはそんなに無理をさせなくってもよくなったし、弟や妹が進学する資金も出来たし……
だからそれからも必死で練習したんだ。
そしたらこれも運よく一軍のレギュラーになれて、三年目にはお給料も上げて貰えたんだ。
それからも頑張って一軍に定着出来て、結婚も出来た。
母の為に家も建てられたし、なによりも孫の顔も見せてあげられたんだ。
母の嬉しそうな顔を見た翌日には必ずと言っていいほどホームランも打てたな。
そしたらいつのまにかホームラン王になれちゃったんだ。
だけど…… うううっ…… さ、三年前に、そ、その母が、お母さんがガンだって言われちゃったんだ……」
板東選手は涙声になってきた。
きっとそのときの悲しみを思い出しているのだろう。
その後は涙を流しながらも必死になって語り続ける。
周囲の子供たちも大人たちも、もう何も言えずに聞き入っている。
「昨日まで元気だったのに、うううっ、病院でガンだって言われちゃって、あと一年しか生きられないっていうんだ……
だ、だから悲しくって悲しくって毎日泣いて暮らしてたんだ……
そ、そしたら…… ううううううっ…… こ、この瑞巌寺さんが…… 瑞巌寺の皆さんや、とりわけ三尊様が、わ、私の母を、お母さんの命を救ってくださったんだっ……
ぐうおおおおおおおおおーーーっ! 」
もう板東選手は号泣で語ることも出来なくなってしまった。
原田監督も涙を流しながらその様子を見ていたが、話を引き取って続けた。
「この板東選手はね。
お母さんがガンだって言われてからものすごいスランプに陥ったんだよ。
二十五打席無安打なんていうこともあったし……
だけどこの瑞巌寺さんでお母さんの命を救ってもらった後の活躍はすごかったねえ。
それを見た他の選手たちも打ちまくったし投げまくったし。
そのおかげで我がラビッツもそれから二年連続でリーグ優勝出来たのかもしれないね。
だからさっきのキミの質問に答えると、きっと板東選手は瑞巌寺の皆さんに少しでも恩返しが出来ると思って来てくれたんじゃあないかな」
「じ、じゃあ誰かに命令されて来たんじゃあないんですね」
原田監督はその問いをやや違和感を感じながら聞いていた。
龍一所長や瑞巌寺学園の幹部たちだけが、その質問を聞いて胸が痛んだ。
「うん、違うよ。坂東選手は恩返しのために来たんだ」
「じ、じゃああの…… 他の選手の方たちはどうして来て下さったんですか。
キャプテンの板東選手に命令されたからですか」
「いいや違うよ」
雨竜投手が言う。
「僕は調子が悪くって、試合が始まって三回で六点も点を取られちゃったことがあったんだ。
そしたらその日板東さんがホームランを三本も打ってくれて、それを見た他の選手たちも打ちまくってくれて、その試合の勝ち投手になっちゃったことがあったんだ。
それ以外にも板東さんは二年間で十二本ものサヨナラホームランやヒットを打っているんだよ。
おかげで僕に負けがつくはずだった試合にも負けはつかなかったしねえ」
「打撃陣が打てずに一点しか取れなかった試合でも、おまえが完封して勝てた試合もあっただろうに」
原田監督が笑顔で言う。
「それは僕が勝った試合でした。
でも僕の最多勝のうち半分以上は打撃陣のおかげで勝てた試合です」
「でもお前のおかげで優勝出来たって思ってるヤツも多いぞ」
「まあ、お互いのおかげですね」
原田監督と雨竜投手はお互いを見てにっこり笑った。
原田監督は子供たちに向き直ると言う。
「というわけでだ。
雨竜投手は、恩義を感じている板東選手が、瑞巌寺さんに恩返ししたいって言うんでついてきてくれたんだと思うよ」
別の子が手を挙げて聞いた。
「じゃあ他の選手の皆さんはどうして来てくださったんですか。
監督や板東選手に命じられたからですか」
このころになるとさすがにカンのいい原田監督には分かり始めた。
たぶんこの子たちは今まで養護施設の大人たちに命令されながら生きてきたのだ。
そうしなければ生きていけないからそうして生きて来たのだ。
原田監督の胸が痛んだ。
監督が思わず龍一所長に目をやると、所長は沈痛な顔で微かに頷いた。
他の選手たちが、そうしたことには気づかないまま笑顔で言う。
「それは違うなあ。
僕は監督や板東さんに命令されたから来たんじゃあないよ。
頼まれたから来たんだよ。
だってシーズン中はあれほどお世話になってたんだもの。
坂東さんがくれたアドバイスで打てたことだって一度や二度じゃあないんだもの」
また別の選手も笑顔で言った。
「野球は個人技の集まりだって言うひともいるけど、それは違うよ。
ウチのチームのチームワークってすごいんだよ。
それをまとめてる我がキャプテンの板東さんが、目に涙を浮かべながら頭を下げて僕なんかに頼むんだよ。
それを断ったら男じゃあないなあ」
「僕もそうだったんだけど、それに加えて全世界一億人のひとたちの恩人になったこの瑞巌寺に来てみたかったっていうこともあったんだ。
なにしろ全世界の恩人なんだもん。
そうして予想通り素晴らしいところだったんで来てよかったって思ってるよ」
中でもやはりカンのいい選手が言った。
「あのね。僕らプロ野球選手って試合中は監督やコーチの指示通り動くけど、それは勝つためのチームプレイのためなんだ。
だから試合が終われば別に誰の命令も聞く必要が無いんだ。
みんな独立した一人の大人なんだよ。
だから僕が来た理由は来たかったからなんだ。
それに尊敬する板東さんが、お母さんの命を救ってもらって大泣きに泣いてる姿も見てたしね。
あのときは僕もつられて泣いちゃってたんだ」
原田監督が引き取って笑顔で言う。
「ということでだ。我々は全員来たかったから来たんだよ。
誰も命令されたから来たのではないし、誰も大人にそんな命令なんか出来ないんだ」
小さな子供たちにはまだよくわからなかっただろうが、中学生や高校生の子供たちには、おぼろげながら大人の世界がわかりかけてきたような気がしていた。
そしてその世界はどうやら自分が考えていた世界よりも、ずっと素晴らしい世界かもしれないのだ。
その世界を動かす原動力とは、命令ではなく恩義や感謝というものなのかもしれない……
別の子が選手たちに聞いた。
「僕たちはあれほど上手に野球が出来ません。
それにお釈迦様の光もありません。
僕たちが誰からも命令されずに皆さんみたいに自由に、だけど仲間たちと仲良く楽しくやっていける大人になるためにはどうしたらいいですか」
原田監督の胸はまた痛んだ。そうして必死になって言う。
「今日はみんな我々プロのプレイを見て楽しんでくれたと思う。
日本中のファンの皆さんも、そうしていつも我々プロのプレイを楽しんでくれているんだ。
まあ、ときおり負けると怒られることもあるけどね」
原田監督は微笑んだ。そうしてまた続ける。
「それからさっきはみんなで三尊さんの座禅を見て驚いたろ。
ああいうプロの治療師さんのプレイもすばらしいよね。
なんと全世界一億人もの人たちの命を助けちゃっているんだもの。
だけどさ、それだけじゃあないんだよ。
今日はみんなプロの料理人さんたちの素晴らしいお料理を頂いたじゃないか。
あれだってプロの素晴らしいプレイなんだよ。
それに世の中にはそういう素晴らしいプロたちが他の職業でもたくさんたくさんいるんだ。
また別の子がおずおずと言った。高校生ぐらいの男の子だ。
「で、でも、若い料理人さんたちは、みんな命令されて働いてましたけど……」
「そ、それは違うっ!」
清二板長の弟子の若い料理人が大きな声を出した。
二十代前半ぐらいの真面目な顔つきの男だ。
みんなが、ラビッツの選手たちもその若い男を見つめた……
(つづく)




