*** 4 県庁査察官 ***
夜はみんなで豪華な料亭瑞祥の仕出し弁当を食べた。
調理場はまだ工事中である。
その後は急遽ふかふかの絨毯を敷いた大きなリビングルームでみんなでテレビを見た。
急いで集められた巨大なテレビが三台あり、そのテレビの前にはどっかりと座る筆頭様と二席さんと三席さんの姿があった。
最初は筆頭様達をこわごわ見ていた小さな子供たちも、次第に彼らの周りに集まり始めている。
中には筆頭様の膝に座る小さな子の姿もあった。
筆頭様達はそうした子供たちに囲まれて実に嬉しそうにしている。
ところが……
夜八時を過ぎたころ、元施設管理者だった一人の男がリビングに怒鳴りこんできたのだ。
「こらぁぁぁっ! もう消灯時間が過ぎているだろうがぁっ! 早く寝ろぉっ!」
可哀想に小さな子供たちは震えながら筆頭様達の後ろに隠れた。
子供たちが怯えたのを見て、男はさらに声を大きくして怒鳴る。
「ルールを守れんヤツは許さんぞぉっ!」
「どう許さんというのじゃな」
筆頭様の落ち着いた声がする。
「ルールを守れんヤツはメシ抜きだぁっ!」
また元管理者が怒鳴った。
「ふむ。お前はどうやら子供たちに命令すること自体が楽しいようじゃな」
筆頭様がまた静かに言った。
静かな口調に反してその顔は実に恐ろしい。
龍一所長は首をすくめている。
今までの人生で、筆頭様が本気で怒ったところは数回見たことがあったが、今の筆頭様はそのときの数倍恐ろしい。
「その消灯時間とやらは誰が決めたのかの」
これも静かな、だが恐ろしい声で二席さんが言った。
また龍一所長が恐々と首をすくめた。
(さすがは瑞祥一族の重鎮たちだな……)
「管理者としての俺が決めたルールだぁっ! 県のガイドブックにも出ているっ!」
「ふむ。それではたった今からこの学園での消灯時間は無くすこととする」
子供たちの顔がゆるんだ。
「な、なんだとうっ! お、お前は誰だっ!」
「わしか、わしはただのじじいじゃ。この学園の理事でもあるがの。
食事の後でリビングでテレビを見ながら寝入ってしまうのは子供の特権じゃ。
寝入った子を抱いて寝間に連れて行ってあげるのは大人の喜びじゃ」
「な、なにっ! る、ルールは守れっ! さ、さもないと……」
「理事としてお前に命令する。わしの決めたルールを守れ。
それから子供たちの前で二度と怒鳴るな。
もしその命令が守れなかった場合はお前をメシ抜きとする」
「な、ななな、なんだとうっ!」
「さあ、すぐ失せろ。当面子供たちに近寄ることを禁止する。これも命令じゃ」
その男はあまりの怒りに顔面蒼白になって震えていた。
子供たちから大歓声が上がった……
そうして子供たちに命令すること自体を楽しんでいるような元管理者たちは、筆頭様達に次々に降格されていき、子供たちに近寄ることすら禁じられた。
欲求不満になった彼らが強引に子供たちに近づいて怒鳴ろうとすると、監視していた上級霊たちに硬直させられた。
硬直した男たちをこどもたちがきゃーきゃーいいながら取り囲んで笑っていた。
ある日県庁から児童養護施設査察官がやってきた。
その後ろには例の元管理者たちがいる。
査察官はひっつめにした髪、大きなピンク色のメガネの神経質そうな女性である。
その後ろには五人もの中年から若手までの部下たちもいた。
どうやら権威も大好きな査察官のようである。
「内部告発によりますと、こちらの施設では県の決めた養護施設ガイドラインを公然と無視されているそうですね」
「ガイドラインって何が書いてあるんですかぁ?」
龍一所長が皮肉に笑いながら言う。
「け、県の決めたガイドラインも知らないで施設を運営してるんですかっ!」
予想にたがわず査察官はすぐに激昂した。
「こちらでは県の決めた予算を大幅に超える予算の食事を出しているそうですし、また県の決めた消灯時間も無視しているとの内部告発がありましたっ!」
「あのぉ~」
「なんですかっ!
今すぐ謝罪して是正すれば許してあげないこともございませんことよっ!」
「アナタ、ヒステリー症がかなり進行していますね。
早く病院に行った方がいいですよ」
龍一所長はそう言って傍らの瑞祥院長を見た。
院長は重々しく頷く。
「な!」
「今ならまだ薬でなんとかなるかもしれませんけどぉ。
でもこのままだと精神科に入院が必要になるかもしれませんねぇ」
「わ、わわわ、私を誰だと思っているのですかっ!」
「お気の毒なヒステリー症患者さんだと思っています。
アナタは自分たちが決めたルールとやらに他人が従うのが楽しくてしょうがないんですよ。
だからその楽しみを味あわせてくれない相手がいると、異常なまでの熱心さで攻撃するんです。
それは内部告発者とやらのそちらのお気の毒な神経症患者さんたちとおなじですな」
査察官の後ろにいた元施設管理者たちの顔面が紅潮した。
「も、もう許しませんっ! 絶対に許しませんっ!
こ、この施設はたった今から運営許可を取り消しますっ!」
龍一所長はおもむろに電話を取った。
そうして画面に触れると電話をハンズフリーにしてスピーカーに繋いだ。
査察官たちにはわからなかったが、県知事が何かお困りのことがあればこちらに、と教えてくれたホットラインの番号である。
「ああ、お忙しいところ誠にすみません。瑞祥龍一でございます」
「こ、これはこれは瑞祥さん。なにかお困りですか」
「実は今県庁の査察官さんに、たった今から児童養護施設の認可を取り消すと言われました」
「な、なんですとっ! 県庁の査察官ですとっ!」
その驚きを誤解した査察官が、これで県庁の権威がわかったか、ざまあみろと言った顔で所長を見た。
「どうやら子供たちの消灯時間とやらを守らなかったことがその原因のようで、困っています」
査察官が「困っている」という言葉を聞いて、さらに得意げに意地悪そうに笑った。
「それにどうやらこの査察官さんはヒステリー症がかなり進行されているようでして。
至急入院治療の必要があると思います」
「ふ~む」
電話の相手は考え込んだ。
査察官はまた激昂し、「な、なんだとこのやろうっ!」と怒鳴った。
その異様に高ぶった怒声は電話の相手にも伝わった。
「そこに査察官はいるかな」
「だ、誰だおまえはっ! 県庁の査察官に文句でも言うつもりかっ!」
「文句ではない。命令だ」
「な、なんだとおうっ!」
「査察官に命じる。本日ただいまからキミは医療休暇を取るように。
期限は…… ああ、医師の治癒診断書が出るまでの無期限とする。
たとえ私でもキミタチはクビには出来んからな。それがルールだ」
「誰だお前はと聞いているんだっ!」
査察官の手は怒りのあまりぶるぶると震えている。
「本当に私の声がわからんのか? 私はキミたちの知事の池田だぞ。
地方公務員法第○条第○項の規定により、知事は配下の職員に医療休暇を許可または指示することが出来る。
これもルールだ。
ルールに基づいた業務命令には従いたまえ」
査察官は呆然と立ち尽くした。
その部下たちが査察官を見やって意地悪そうに微笑んだ。
これで自分たちが自動的に一段階ずつ出世できる。
そう思っている顔だった。
唯一、一番若い女性職員のみがほっとした様子でため息をついている。
龍一所長はその女性に名前を聞いた。
彼女は、「は、はい。遠藤幸子と申します」と答える。
優しそうで誠実そうな子である。
「池田知事さん」
「はい瑞祥さん、なんでしょうか」
「以降はこちらにいる県庁児童養護担当の遠藤幸子さんを担当課の主任として、県内すべての児童養護施設の面倒をみて頂きたいのですが……」
「はい、畏まりました。すぐに辞令を用意させます」
意地悪そうに笑っていた査察官の部下たちの笑顔がひきつった。
遠藤さんだけがその優しそうな顔のままおろおろしている。
「いやぁ池田知事さん。ありがとうございました。
お手数をおかけして誠にすみませんでした」
「いえいえ瑞祥さん。
またなにか問題がございましたら、すぐにこの番号までご連絡をお願い申し上げます」
そのときその会話を聞いて我に返った査察官が、「きいぃぃぃぃ~~~~っ!」と奇声を上げて龍一所長に掴みかかって来た。
もう顔つきはそろそろ常人のものではなくなっている。
だがここは瑞巌寺学園の敷地内である。
しかも相手は龍一所長である。
直ちに龍一所長担当の上級守護霊が査察官を硬直させた。
「やれやれ、治療は手遅れでしたか……
そうそう、ヒステリー症の治療には体を動かすのが一番だそうですよ。
まずはラジオ体操なんかどうですか?」
するとどこからともなくあのラジオ体操の音楽が聞こえてくるではないか。
上級霊たちはもうそんなことまで出来るようになっている。
そうして、硬直した査察官と命令好きな元管理者三人が、歪んだ顔のままラジオ体操を始めたのである。
見事に手足を伸ばしてきびきびと動いているが、顔は驚愕に歪んだままだ。
査察官の部下たちが龍一所長をこわごわと見た。
「うーん、命令するのが好きなひとって、命令通り動くラジオ体操が大好きだって言いますけど、本当だったんですねえ。
それじゃあ救急車を呼んで差し上げましょうか」
間もなく救急車が四台到着し、驚いた顔つきの救急隊員らが、どんなに抑えつけようとしてもラジオ体操を続ける四人をそのままストレッチャーに乗せて運び出していった……
その頃、池田知事は電話の向こうにラジオ体操の音楽を聞きながら思っていた。
(やれやれ、これでどうやらいつかの派閥の領袖みたいに失脚させられずに済んだか。
それにしても、あれほどまでの影響力を持ちながら、この五年間というものただの一度も陳情に来なかった瑞巌寺が、児童養護施設ひとつにこれだけ熱心になるとは……
これはどんなものスゴい施設が出来るか楽しみだわい)
知事もそう思った。
知事は秘書を呼んで遠藤幸子職員の特別辞令と、主任査察官の病気休暇指示書を用意するように言った。
ついでに児童養護課の課長以下全員を次の異動で配置転換するようにも指示を出した。
龍一所長は退魔衆の助けを借りて上級霊に丁寧にお礼を言った。
ふと思いついて、なにかご要望はありませんかとも聞いてみると、上級霊たちがアイスクリームというものを食べてみたいと言ったので、その日から毎日霊たちのたまり場にアイスクリームもお供えされるようになった……
(つづく)




