第24話「塩のはなし」
「ウソですよー。そんなのあるはずないですよー」
「うそじゃねーんだっつーの。あるんだっつーの」
いつもの昼下がり。いつものCマートの店内。
俺はバカエルフと、なんでか、言いあいをやっていた。
話の始まりは、いまとなっては、もう覚えちゃいないが……。
こいつ、このバカエルフ。
〝海〟というものの存在を信じやがらない。いったいどこまでこいつはバカなんだ。
「だからな。海っていうのはな。水平線の果てまで、ずーっと水があってだな」
「水平線ってなんですか? ひょっとして地平線を、もじりました? マスターそれセンスないですよー」
「センスとかの問題じゃねえっつーの。あるんだっつーの」
「あっはっは。バカな。水平線の果てまで水とかあるわけないですよー。わたしもあちこち旅してまいりましたけど、どんなにでっかい池でも湖でも、対岸なんて見えてますし」
「そりゃ湖ならそうだろうが。それが見えないから海なの」
「大きけりゃ海だっていうなら、ヘロペン湖なんて、もお絶対に海ですねー」
「いや。そのヘロペンってのは知らんが。それは湖なわけだろ。海じゃないだろ。湖ってついてるんだから、それは湖なわけだろ」
「じゃあ湖と、その〝うみ〟っていうのは、いったいなにがちがうっていうんですかー?」
「そんなの潮水かどうかに決まってんじゃん。湖は真水だろ。塩水なのが海だろ」
至極あたりまえのことを、俺は言った。
「塩水ってなんですか?」
「は?」
俺は、目をぱちぱちと……しばたたいた。
こいつ。ここまでバカだったとは……。
……と、思いかけて、ちょっと考え直す。
そういえば、この世界って、塩が貴重な世界なんだったっけ。
だとしたら、塩を水に溶かした〝塩水〟も知らないかもしれないわけか……。
塩はこのCマートの定番商品になっていた。毎日の仕入れで必ず十袋はバックパックの底に敷いて持ち帰ってくる。
はじめ金貨1枚で売れていたものが、最近では銀貨1枚ぐらいに値下がりしつつあったが、俺はまったく気にしていない。
儲けるためにこの仕事をしているのではないからだ。
儲けることが〝商売〟という言葉の定義であるなら、俺はつまり、〝商売〟をしていない。
「塩水ってゆーのは、あれだ。つまり、塩を溶かした水のことだ」
「どのくらい溶かすんですか?」
「えーと、いくつだっけ? 3%《パーセント》とかいってたっけ?」
「〝ぱーせんと〟って、それ、どんな単位ですか?」
「たしか、100分の3って意味じゃねーの?」
「ねーの? って、なんですか? はっきりしてくださいよー」
「うっせーなー。夕飯の缶詰め減らすぞー」
「おじいちゃんになったとき、おしめ替えてあげませんよー」
「うお虐待予告キタ」
「そっちこそパワハラ予告じゃないですかー」
数時間後と数十年後の話で、俺たちは言い合っている。
ひょっとして同じ時間感覚の話をしているのかと思うと、やっぱエルフって、違う生き物なんだなー、と、そう思う。
「まあ。あれだ。ぶっちゃけ、海水の濃さは、はっきり覚えちゃいないが……」
「やっぱマスター。バカですよ。一度見聞きしたものなんで忘れられるんですか」
「……覚えちゃいないが、味は覚えてる」
俺は胸を張ってそう言った。
いっぺん海に行って泳いだ人間なら、ぜったい、一度はガボゲボやって、塩水をたらふく飲んだこともあるはずだ。
「ここに六甲の美味しい水がある」
俺はペットボトルを持ってきた。
手頃な容器がないから、カッターナイフで、ペットボトルの上のほうを、ギコギコやって、切り落とした。
透明なペットボトルをそのまま容器にする。
「そこに塩を入れてゆく」
塩をさらさらと振り入れてゆく。
そしたら、つぎに――。
割り箸を持ってきて、ちゃからすか、ちゃからすか、とかき混ぜる。
塩を溶かす。
「あー、ずるいですー、マスター。わたしにも、それやらせてくださいよぅー」
「おまえすでに本題忘れているだろ?」
バカエルフは、俺の脇にぴったりとくっついて、理科の実験を眺めている。バカエルフはこういうところはバカカワイイ。
「じゃあ、おまえ、塩入れて混ぜろ。俺。味見する係な」
「はーい♡」
スプーンですくって味見をするが、まだぜんぜん薄い。こんなんじゃ味噌汁だ。
海の塩水は、口に入った途端、「うわっ!? 辛っ!?」となるぐらいに塩辛いのだ。
ああ。〝塩辛い〟って言葉。言い得て妙だな。たしかに「辛い」ってなるわな。
どんどん塩を入れてゆく。
どんどんどんどん。入れてゆく。大さじ2、3杯は入れた。
「マスター? ほんとうに、こんなに入れるんですかー?」
ぐるぐるかき混ぜているバカエルフのやつは、不安そうな顔をしている。
その顔がちょっと可愛い。――じゃなくて。
ふはは。馬鹿め。
海の水は、本当に、このくらい塩辛いんだ。
「うん。こんなもんじゃないか」
最後に一回味見をして、俺はOKを出した。
「からー……」
指をちゃぽんと浸けて、舐め舐めして、また指を浸けて――。
バカエルフのやつは、それを繰り返している。
「でもこれはクセになる塩辛さかもしれません」
「海は生命発祥の場所って言われてるからなー」
「あっはっは。なに言ってるんですか。マスター。生き物は陸地で生まれたんですよ。だいたい海ってなんですか。まだ説明されていないんですけど。わたし」
俺はバカエルフのバカさかげんに、ため息をついた。
「だから。この味の塩水が。どこまでも見渡す限り、永遠に近いぐらい続いているのが、海ってもんだって。――てゆうか。おまえ。海見たことがないんなら、素直にそう言えよ」
「見たことがないんじゃなくて、そんなものはない、って申しあげているんです。これでも私。あちこち旅してきてるんですから。いろいろ見てきているんですから」
こいつが旅慣れているのは知っている。
旅慣れた者の度胸みたいなものを、たまに感じることがある。
「じゃあ、ですね。百歩譲りまして――。マスターの世界には、〝海〟っていうものが、あるのだとします」
「百歩譲って、ってのは、なんだ? ――だから、あるんだってば」
「――その〝海〟ってのが、あったとしたら、塩水が無尽蔵ってことですよね。そうしたら塩なんか作り放題じゃないですかー。塩水を火で煮立てて水分を蒸発させてしまえば、1リットルにつき大さじ2、3杯の塩になるわけですよね? じゃあ百リットルの海水があったら、3キロぐらいの塩が採れちゃう計算ですよね?」
「そうだよ? ……ああ。たしかそうやって作ってる塩もあったっけな。なんてったっけ? ……粗塩? 俺がよく持ってくるのは精製塩ってほうだけど、こんど、そっちも持ってくるか。その海の塩のほう。粗塩ってほう。普通の塩より、ちょっと高いんだがな」
「ああ。なるほど……。だからマスターの世界には、塩がそんなにたくさんあるんですかー。ようやく納得ですよー。あたりまえに流通しているわけですねー」
エルフの娘は、なにかしきりに感心していた。
ようやく納得したか。馬鹿めが。
しかし……。こっちの世界には、海がないって?
ほんとなのだろうか?
まあバカエルフの言うことだし。見てきたとか言ったって、どうせ、歩いて見てきた範囲の話だろうし。
この場所は、どこか大きな大陸とかのど真ん中にあって、海まで何百キロとか何千キロとか、そんな距離があるだけかもしれない。
指をちゅぱちゅぱ舐めている。塩水に指先を突っこんでは、その指を舐めている。
「おまえ。指舐めるのやめろよ」
「止まんないんですよ」
「行儀わるいぞ」
「そういうマスターだってやってるじゃないですか」
「止まらねーんだよ」
海水と同じ濃さの塩水は、スプーンで飲むには濃すぎるが、指につけて舐める分には、ちょうどいい塩味だ。
ついつい癖になる。
ポテチーが止まらなくなるのと同じ理屈だ。
「あっ……」
俺はそこで急に気がついて、手を止めた。
バカエルフと二人して、同じ塩水に指先をつけて、舐め舐めとやっている。
これって……。いわゆる……。つまり……。
間接……、なんとか……、とか、いうやつ……? なのでは……?
バカエルフのやつは、ちゅぱちゅぱと平気で塩水を舐めている。
「やめろ。塩水が減る」
俺は言った。
「はやいもん勝ちですよー、だ」
バカエルフのやつがそう言った。
あいつがやめないものだから、俺も張りあって、ちゅぱちゅぱと塩水を舐めた。
ほんと。こいつバカ。
今回は、塩と海の話です。
スーパーで売ってる「粗塩」とか「海塩」とかいうものが、海水を煮立てて作ったものになります。塩化ナトリウム以外にも、塩化マグネシウムなども入っていて、より体によろしいです。
店主さんは、本当はそっちを持っていくべきなんですけどねー。普通の塩より若干高いので、避けていたもようです。
まあこんどからそっちを持っていってくれるでしょう。




