第02話 「恩返し」
俺があの世界に戻る方法を探しまくったことは、言うまでもない。
なぜ言うまでもないのかといえば――。
ひとつ。なんかあの世界が気に入った。
ひとつ。ぶっちゃけ現世に未練はない。
そして最後にひとつ。オバちゃんに食事の恩を返していない。
あちらの世界に迷いこんだときの路地と、戻ってきたときの路地とを、何度も行き来して――。
ただ歩き回るだけでは戻れないと納得するまで、何時間もかかった。
へとへとに疲れて、座りこんで――。
なにか飲み物でも飲もうと自販機に向かって、ポケットから2000円を取り出したところで、俺は気がついた。
自販機に飲みこませるかわりに、千円札を握りしめて、スーパーに飛びこんだ。
塩。塩。塩。塩はどこだ。
あちらの世界では、塩は希少なものだと聞いた。
だがこちらの世界では?
塩なんか、スーパーに行けば、いくらでも――。
あった!
棚にずらりと塩の袋が並んでいる!
値段は1キロにつき――98円!
俺はすかさず、カートを持ってきた。金が足りるだけカートにのせた。具体的には20袋ほどだ。
店員は変な顔をしていたが、気にせずレジを通した。
ずしりと重い袋を両手に提げて、スーパーを出る。
表に出たら、自分がへとへとに疲れていたことを思いだした。
思いつきにエキサイトしていたので、すっかり忘れていた。
ひょっとして馬鹿なことをしてしまっただろうか? ――と、後悔が走った。
両手に十キロずつの袋を提げて、道を歩く。
思いつきというのは、こちらの世界で塩を買いこんで、あちらの世界に戻ったなら、オバちゃんに恩返しができるのではなかろうかということだ。
問題は、その「あちらの世界に戻る」という方法についてだが――。
すでに何時間も試していた。
そして考えてみた。
だが考えてもわからないので、考えるのをやめた。
最初に迷いこんだときにはどうしていたのか、それを思いだしてみる。
たしかあのときには、なにも考えず――。
青い空のもと。軽い心で。なんの気なしに歩いていた。
そして――。
それこそ、ふいっと――。
なんの気もなしに、角を曲がった。
本当になにも考えずに――。
――と!?
「やった! 来れた!」
俺は歓声をあげていた。
見慣れた街並みではない。緑の多い田舎道だ。
土の地面だ。舗装されていない。
最初に迷いこんだときには気づかなかったが、もとの世界では、地面がアスファルトで覆われていないはずがないのだ。
俺は後ろを向くことはしなかった。前を見て走った。
「オバちゃん! オバちゃん!」
街に行き、食堂を見つけて、飛びこんだ。
そろそろ夕方になるからだろうか。店内にはすこし客がいて――。
だが俺は戻ってこれた感激のあまり、大声をあげながら、オバちゃんのところにまっしぐらに向かった。
「これ! これ! これ受け取ってくれ! さっきのメシのお礼だから!」
「えっ? えっ――ちょっ!? なにさこれ?」
袋に「精製塩」と書いてあるが――そうか、オバちゃんには読めないのか。言葉は通じるのに文字はだめなのか。
「塩だよ! 塩!」
「はあ? 馬鹿お言いでないよ。あんたの持ってる量、そんだけの塩があったら、城が建っちまうよ」
「建つわけないだろ。――いいから受け取ってくれって! さっきの飯のお礼だから! 俺の気持ちだから!」
「本当に塩なのかい?」
オバちゃんは疑わしそうな顔をする。
「舐めてみてくれよ」
俺は袋の一つを取り出すと、ビニールの端をすこしちぎって、ひとつまみほどの塩で、テーブルの上に小さな山を作った。
オバちゃんは指で触って、その指を舐めて――。
「しょっぱい! 本当に塩だよ! 驚いたよ! それぜんぶ本当に塩なのかい!?」
「もちろんだ」
いまのは1キロの袋だ。おなじ袋があと19袋ある。全部で20キロだ。
「よしてくれよ! 本当だったら、そんなの受け取れないよ! 一回の食事のお礼で――塩ぉ!? しかもそんなたくさん!?」
「いいから! いいから! 俺の気持ちだから!」
「だからあんたいったいどこのお坊ちゃんなんだい!」
俺はおばちゃんに押しつけようとしたが、オバちゃんは受け取ってくれない。食堂のど真ん中で、押し問答となった。
だが俺は引くつもりはなかった。
この塩は2000円で買ったものだ。一回の食事の対価としては相応で――いや、たしかにちょっと多いか。飯一回なら、1000円? 800円?
「じゃあ――半分!」
「半分だって多いよ! 城が半分建っちまうよ!」
オバちゃんの言うことはよくわからない。
塩がここでは貴重品なのは知ってるが、いくらなんでも「城」はないだろう。「城」は。あと「城半分」ってなんだ。オバちゃんちょっとお茶目。
数分ほど押し問答を続けた。
結局、オバちゃんは、1袋だけ受け取ることで同意してくれた。
ようやくだ。しぶしぶだ。それも俺の気迫に根負けしたという感じだ。俺だって、1袋も渡さずに引き下がるつもりは毛頭なかった。
「ほんと。もらいすぎなんだよ? もらいすぎなんだよ? わかってる、そこ?」
「わかってる。わかってる」
店の前まで送りにきたオバちゃんに、俺はヒラヒラと手を振った。じつはぜんぜんわかってない。
「あんたいつでも飯食いにきなよ? いつでも腹一杯食わせてあげるからね? お坊ちゃんのお口には合わないかもしんないけど」
なんでか俺は「おぼっちゃん」ということにされている。よっぽどオバちゃんは俺を「お坊ちゃん」にしたいらしい。
オバちゃんに見送られて、俺は食堂をあとにした。
最後にもう一度振り返って、三角巾をかぶってる少女をよく見てみれば――オバちゃんは、やっぱり小学校高学年ぐらいで――。
見た目だけなら、オバちゃんに見えなくて――。。
まだ19袋も残っている塩が、手にずしりと重かった。
オバちゃんに塩を贈ってお礼をしたので、俺はすることがなくなってしまった。
道のど真ん中に突っ立って、青い空を見上げる。
心はとても軽かった。
さて。これからなにをしよう?
「まあ……、とりあえず。この塩をどうにかするか……」
ちょっと歩いて行った先に、露天があって交易品の並ぶ「市場」みたいなところがあったことを、俺は思いだした。
「行ってみるかな……」
俺は市場に向かって、歩きはじめた。
無事、オバちゃんに恩返しできました。
残り19袋の塩を手に、わらしべ長者生活のスタートです。