第124話「エルフのお迎え(後編)」
「コンニチハー」
「おや。こんにちは。外国人さんかい?」
「オハヨウゴザイマスー」
「耳が長いのは、それは、若い子の流行なのかい?」
「イタダキマス」
「がんばりなよ」
エルフの娘は、ホウキでせっせと店の前を掃除しながら、行き交う人たちに挨拶をしていた。
言葉は通じていない。だが動じない。覚えた三つばかりの現地語を繰り出しているだけで、まー、なんとなくフィーリングで意思疎通はできている。
問題なし。
近所の商店街の人たちは、質屋さんにまた居候が増えたのだろうと、そう解釈して納得していた。
その理解で、だいたい間違ってはいない。
「お掃除、おわりましたよー」
「すいませーん。やってもらっちゃってー」
「いえいえ。このくらい」
ミツキとは会話が通じる。
他の人の目には、それは、外国人と話してる美津希ちゃんすごい、と映っている。
掃除ぐらいはなんでもない。
昨日、こちらの世界で唯一知っているこの場所にやってきて、泊まらせてもらった。
一宿一飯の恩義というやつである。
いや。二飯。
夕ご飯と、朝ご飯。
どちらもおかずは「肉」でした。おかわりつきでしたー。おいしゅうございましたー。
こちらの世界は、どうも「肉」が豊富なもよう。
もうずっとここにいてもいい感じ。
――というわけにも、いかないんですけどねー。
エルフはミツキを、ちらりと見た。
文通はよくやっている。マスターの背中の付箋越しの文通は、いまだ続行中。気づくまでは続行中。たぶんずっと気づかないから、ずっと続行中。
会ったことはこれまで数回だけど、ずっと一緒の友達みたいに親しくなってる。
いかにも「ワケあり」という風に駆け込んできた自分を、な~んにも言わずに受け入れてくれた。
逆の立場であったら、たぶん、自分もそうしたろうと思う。
「んとね……。マスターとね……。ケンカしてきちゃったんですよー」
エルフは自分から、そう話した。
たぶん、話すのを待ってくれているのだろうと思ったから。
「マスターが悪口を言うのは、まあいつものことなんですけど。今回はちょっと頭に来ちゃいましてー」
「なんて言われたんですか?」
ミツキは聞いてくる。エルフは、唇を尖らせて言った。
「それがひっどいんですよー。偽エルフだ、欠陥エルフだ、紛い物エルフだ、とか。まあ破門エルフってのは、それ事実ですからいいんですけど」
「そうですかー。つらかったですねー。マレビトさん、ひどいですねー」
あー。うん。女の子っていいなー。
男のひとに愚痴を言うと、すぐに説教がはじまっちゃうんだけど。女の子だとまず同感してくれる。
そこからしばらく、「マレビトさんはひどいですよねー」の話題でもりあがる。ミツキちゃんもけっこう溜め込んでいたようで、いろいろな話を聞かされた。
ひとしきり、愚痴と悪口を吐き出して、すっきりしたところで――。
「エルフさんは、偽、って言われるのが、いやだったんですねー」
ミツキちゃんがそう言った。
その通りなんですよー、とうなずきかけて、エルフは、はたと気がついた。
なぜ言われると嫌だったのかというと、それは里での嫌な思い出があるからだ。
この世界で唯一のハイエルフとして、なんか神様みたいな扱いを受けてはいたが、その裏で、人から生まれたハイエルフを蔑む風潮も存在していた。
もー、毎日が針のむしろ的な?
人のあいだで育った彼女は、どうにもエルフの考えかたや文化に馴染めず、結局、逃げるように立ち去ることになった。
いちばん大きかったのは、やはり、食べもので――。
肉禁止がきつかった。エルフは殺生を嫌う。タンパク質を摂らないわけではないが、乳かタマゴか豆であり、肉は食べてはならない、と戒律でそう決まっている。
無数の精霊と契約している彼女は、エネルギーがすっごく必要なのだ。お肉を食べないとお腹がもたないのだ。
ハイエルフでなかったら、お腹がすくではとても済まなくて、一時間もしないうちにミイラの即身仏となってしまうぐらいの量の精霊と契約している。
「そっかー。わたし、トラウマだったんですねー」
過去から逃げ出してきたせいだ。
ということは、いっぺん、きちんと向かい合わないと、ずっとトラウマを抱えたままですねー。
いつかそのうち、もう一度、ちゃんと向き合わないとー。
とか思っていたら……。
その「いつか」が――、いま、やってきてしまった。
◇
「あっ。いた。バカエ――」
道のだいぶ先のほう――。商店街のど真ん中――。
質屋の店先に、エルフの姿を見つけて、そう言いかけたところで――。
俺はあわてて口を押さえた。
やばい。やばい。
使節団のエルフたちの前で、なにやら崇拝やら信仰やらの対象みたいになってるあいつをバカ呼ばわりしたら、またあのアルミ君だかアルム君だか、堅物君がギャンギャンと騒いで、セレスちゃんから首はねろ、とか申しつけられてしまう。
俺は慌てず騒がず、まっすぐに歩いた。
逃げやしない。
エルフたちは、物珍しそうに、きょろきょろと、あちこちを見ている。まだ目当ての人物を見つけ出してはいないようだ。
「たぶんここにいると思う」と言って、こいつらを連れてきた。
正確にいえば、連れてくるつもりはなかったのだが……。ついてきてしまった。
俺一人で来るつもりだった。だが、ふいっと角を曲がって、こちらの世界にリープしたら、ぞろぞろと後ろを歩いているではないか。
いわく――。
「エルフの里に出入りするには〝結界渡り〟をしないといけませんから。先導者がいれば問題ありません」だとか。
「なるほど。マレビト殿はプレーンウォーカーなのですね。姉様が身を寄せている理由に納得しました」――だとか。
セレスちゃんが言っていたが、例によって、なんのことやら、よくわからない。
エルフの娘が近づいてきた。
使節団の一行も、気がついたようだ。
俺は手を振った。
「おーい、迎えにきたぞー」
◇
バカエ――もとい、エルフの娘を伴って、Cマートに戻った。
使節団の全員が座れるだけの椅子はないので、俺とエルフと、セレスちゃんだけが座っている。残りの一行は立ったままだ。
店が狭苦しくなって、鬱陶しいな。
とか思ったら、なんか急に広くなって、圧迫感がなくなった気がしたが――。まあ気のせいだな。そうだ。そうに決まってる。
「お茶、です」
エナがお茶を運んでくる。
「ありがとう。お嬢さん」
セレスちゃんが礼を言う。子供にもきちんと礼を言えるところだとか、この子には好感が持てる。でも一般的なエルフは、どっちかっていうと、アルミ君だかアルマ君だか、あんな感じらしい。
うちのエルフみたいに、ほにゃら~んとしているのとか、セレスちゃんみたいにしっかりとしているのとかは、むしろ、例外的なようだ。
「姉様。……帰ってきてくださいませんか?」
「帰りませんよ」
セレスちゃんが言うが、うちのエルフは、つれない返事。
腕を組み、頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いている。
「マスターもマスターですよー。迎えにきてくれたのは嬉しいですけど、なにも、こんな連中、連れてこなくたっていいじゃないですかー」
「いやー、それがなー……」
何十年も探していたとか聞かされては、同情もしようというものだ。
アルミ君だかアルオ君だかが苦労していたんだったら、もちろんほっとくが、セレスちゃんのような良い子が苦労しているのは忍びない。
「姫様!」
アルミ君だかマルオ君だかが、前に出た。
両膝をついて、両手もついて、頭を下げて懇願する。
「どうか! どうか里に帰っていただきたい! 民はお待ちしております!」
「待っているのは精霊をなだめる役であって、私じゃないですよね。そしてそれはべつに私でなくたって代行可能ですよね。セレスだって、資格はあるでしょうに、こんなとこを旅してないで、里に帰ったらいいんじゃないですか」
「姫様!」
「もう姫様じゃないです。いまの姫はセレスでしょう」
「――ハイエルフ様!」
「はーい、失格偽エルフは、ここでーす」
まったく、取り付く島がない。
エルフは、じろっと、俺を見た。
「マスターも言ってくださいよー。私、連れ去られちゃいますよー」
「あー……、うん、まあなー……」
俺は、はっきりしない返事を返した。
やっぱり、向こうの連中の心情を考えるとなー。
単なる駄エルフだと思っていた相手が、なんか急にセレブの一員になっちゃっていて、感覚がついていけていないともいう……。
「え……? いなくなっても……、いいんだ……」
エルフのやつが、ちいさく、口の中でつぶやいた。
あ、いや、ちがうんだ――と、俺はそう言おうとしたのだが、その前に、彼女は――。
「じゃ――。帰ります」
――そう言ってしまった。
大騒ぎしたのは、使節団の連中。
エルフはむっつりと無口で澄まし顔をしている連中――だったはずだが、このときばかりは、歓声をあげて大騒ぎしていた。隣の者と肩を組んで踊り出す者まで出た。
◇
お別れパーティが、つつがなく、進行してゆく。
「帰ります」と口にしたエルフであったが――。「お世話になった皆様とお別れが必要でしょう」と、セレスちゃんの進言により、お別れパーティが催されることになった。
パーティは店のなかで行われた。
どう考えても、うちの店に入るはずのない人数が、なぜか入ってしまっている。
考えたら負けだ。――と思うようになってきているので、考えないことにしている。
縁のある人が、全部、来ている。
オバちゃん、商人さん、ドワーフの鍛治師。
自称勇者ケインと、そのパーティの美男美女たち。
オーク姉。そしてうちにエクスカリバーを買いに来た、オーク弟。
近所のガキんちょども。
現代世界のほうからは、美津希ちゃんとジルちゃんと翔子の三名。さすがに他のJCたちとオスガキ連中は、「夏休みに遊びに行った先にいたおねーさん」ぐらいの関係なので、遠慮していただいた。
近くのキング連中も招かれている。
うちのキングが、クーちゃんに隣にぴったりとくっつかれて、困ったような顔になっている。恋敵のテルなんとか君が、もんのすんごい目でうちのキングをにらんでいるが、その殺意のこもった目線にも、まったく気づいていない様子。
そして、エルフのやつは――。
使節団のエルフどもに囲まれていた。まわりのエルフたちは、皆、ニコニコ笑っている。でもWINWINじゃない気がする。
あいつも顔だけは笑っているが、でもその笑顔は、本当の笑顔じゃない気がする……。そう思っているのは、俺だけかもしれないが。
エナは、白と空色の、とっておきのワンピースを着ていた。いつもの黒ワンピじゃないと、なんだか別の女の子みたいだ。
宴もたけなわ。
「みなさん、本当にありがとうございました」
エルフは挨拶をはじめた。店の商品の「メガホン」を使っているので、会場の全員にも、声はきちんと通っている。
「皆さんによくしてもらって、思い出がたくさんできました」
エルフの娘は、これが最後みたいな言葉を綴ってゆく。
これが最後なんだな。
エルフの里に帰るんだもんな。
なんで帰るんだよ。
エルフの娘は――。
あーもー! バカでいいや。バカエルフ。
バカエルフのやつは、皆の一人一人、それぞれに声をかけていった。
縁の遠い方から声をかけていって、だんだんと、近しい人間に移ってゆく。
キング、商人さん、鍛治師、オバちゃん、ジルちゃん、美津希ちゃん――ときて、残っているのは、あと、俺とエナの二人だけ。
「エナちゃん。お店のことしっかり頼みます。もうエナちゃんは一人前です。しっかりやれます」
「んっ」
エナが顎を小さく揺らして返事する。
そしてバカエルフの挨拶は、最後――俺の番となった。
いったいどういう言葉をかけられるのか。
俺が耳を澄ませて待ち受けていると――。
「マスターには……。マスターには……」
バカエルフは、詰まったように言葉を止め、息を大きく吸いこんでから、言い直した。
「もう、バーカ、マスターのばーか」
「なんだとこのぉ! ばーか! ばーか! ばかって言ったほうがばか! バカエルフ!」
しんみりした雰囲気が台無しの罵り合いをしていると――、ちょんちょん、と、横からエナが俺の袖を引いてきた。
「ねえ――」
「なんだよ?」
「エルフさん、いっちゃうよ?」
「そうだよ。だからみんなで送別会をやってんじゃないか」
「いいの?」
エナは俺の目を正面から覗きこんでいた。
黒目がちの大きな目が、俺の心を覗きこむかのように光っている。
「いいのか、って……」
いいに決まってんじゃん。あいつが帰るって言ったんだし。
「これ、わたしのときと、おんなじだよ?」
エナはそう言った。
エナのとき……、って?
あれか? エナが出ていこうとしたときのことか?
あのときって、たしか……。
俺もエナも、おたがいに勘違いをしていた。俺はエナが出ていきたがっているのだと思いこみ、エナのほうは、俺が出ていかせようとしていると思いこみ……。
しかし、事実はまったくの反対だった。ただ素直な気持ちを口にできなかっただけだった。
その行き違いから、不幸が起きようとしていて……。
俺は、はっと顔をあげた。
会場のなかから、商人さんの顔を探す。
商人さんは、ずっと俺のことを見つめた。いつも笑っているその細い目と、視線が重なると、商人さんは、力強くうなずいてみせた。
商人さんは言っていた。「素直になることが一番難しいかもしれませんね」
いいや。違うね!
そんなに難しいことじゃないね!
「おい。バカエルフ」
「なんでしょう。マスター」
「行くな。店にいろ。おまえがいないと、俺は困る」
「はい。わかりました。――じゃ、行くのやめます」
えええええ――っ!! と、大騒ぎになったのは、エルフ使節団の人たち。
うん。すまん。
ここにきての、ちゃぶ台返し。
本当にすまん。
だけどしょうがないな。これが素直な気持ちだからな。
「ちょ――ちょ!! ちょ!! 姫様!! 約束が!! 里に戻っていただけるという約束が――っ!!」
アルミ君だかマルミ君だか、取り乱しきっている。鼻水が出ている。カッコわるい。
「ね、姉様! いっしょに暮らしていただけるという約束が!!」
セレスちゃんも取り乱している。だが美少女は取り乱しても美少女だ。
まー、そうだよなー。収まりゃしないわなー。
まあ、俺たちの責任だ。
俺はエルフのやつと二人して、この事態の収拾をはかるつもりだった。
とか、けっこう覚悟していたのだが――。
「まーまー、あと三百年ぐらいのうちには、いっぺん、里に顔を出しますからー」
エルフのやつがそんなことを言った。
この状況で、なんの冗談を――と、俺はそう思ったのだが。
「あっ。――それならいいです」
セレスちゃんが、泣きまねをやめた。
「はぁ。――約束ですぞ」
アルミ君やらハナミ君やらが、きりっとした顔に立ち直った。だがまだハナミズが出ている。
「お……、おまえら……。本当にいいのか! それでいいのかっ!?」
俺は思わず突っこんでしまっていた。
「ええ。まあ三百年くらいなら待てますし」
「長老連中もそれで納得するでしょうし」
二人揃って、
たしかに三百年と聞こえたし、確かにそう言っているし。
だが「三日」ぐらいの気軽さで、二人のエルフは了承したのだった。
こいつらの時間感覚って……。
いったい、どーなってんのー……。
パーティ会場はざわついていた。もうパーティの空気ではなくて、皆……、撤収ーっ! という雰囲気になっている。
「ねえ。これ忘れてるよ?」
エナが言う。いつぞや使ったインスタントカメラだ。
ああそっか……。
ま……。こんな空気の抜けた感じでも、記念は記念だな。
「ま――。いちおう、一枚撮っておくか。――おーい。並べ並べー! 一枚,撮るからーっ!」
わけがわからないという顔の異世界人を整列させつつ、俺はタイマーをスタートさせて、駆け戻った。
エルフとエナの間に飛びこんだところで――。
ぱしゃり。




