第121話「翔子」
翔子さんとの話です。
翔子さんの初出は、第56.6話「戦争のはなし②」です。
(書籍版での追加エピソードを、連載版にも収録しています)
木漏れ日が、ぽちぽちと石畳のうえに、丸い光を落としている。
神社の境内を、俺は翔子と二人で訪れていた。
蝉の鳴き声も、どこか遠くに聞こえる。こっちの世界は夏だった。
こっちの世界での仕入れに立ち寄ったホームセンターで、たまたま翔子と出会った。向こうの仕事が休みの日だとかで、じゃあ、どこかぶらつくか――と、メシ食ったあとで、ふと足が向かったのか、この神社の境内だった。
「ひさしぶりだねー。デートも」
風になびく髪を押さえながら、翔子が言った。
「ででで、デートおぉ?」
なんちゅうことを言い出すのだ。このオンナは。
「だって、ここ。昔、デートでよく来たとこ」
「あー……」
昔、ここによく寄っていた。
単にぶらついて、暇つぶしで寄っていただけだが……。
ここ。場所がいいし。昔。住んでいたところに近いし。
あの頃は金もなかった。
一緒にスーパーに買い物に出て、その帰りに神社の境内に立ち寄るそれを〝デート〟と呼ぶのであれば、否定しないでおくべきかと。
翔子は懐かしそうに、境内を歩いている。俺はそのポニテが揺れるのを見ている。
あの頃は若くて、勢いでそういう〝関係〟になってしまって――。しばらくずぶずぶと続けたあとで、特にこれといったきっかけもなく、距離を置くようになっていた。
しばらく前に再会して、俺のほうは罪悪感から、ぎくしゃくしてしまうわけだが……。
向こうはなんとも思っていないっぽい。それどころか……。
「ん? どしたん?」
「いや。べつに。そうだな。昔。よく来たっけな」
「罰当たりなこともしたよね。蚊に刺されて大変だったー」
言うの? それ言っちゃう?
なに? なんなの? 誘ってんの?
「ねえ、ひとつ聞いていい?」
翔子が、言う。
「なんだよ?」
「どうもさー……。わし、避けられている気がするんだけど。……気のせい?」
「あ……、いやそれは……。ていうか。わし、言うな」
「わたし」
「俺はおまえが平然としていることのほうが、むしろ驚きだが」
「なんで?」
「だって……、最初が、あんなんだっただろ?」
昔々、高校生の頃、こいつは他の男に告って、見事にフラれた。失恋をした。
俺はそこにつけこむようにして距離を詰めていき……。まあ、そうした仲になってしまった。
夏休みのあいだだけ、朝から晩までずっと一緒にいた。もうずぶずぶだった。
学校が始まったら、おたがいに、単なるクラスメートに戻っていた。
「ああ。弱っているいまだからチャーンス! だとか、もっくんが思ってたってこと?」
「いやさすがにそこまでは……。いつもバカみたいに明るいやつが、ゾンビみたいな顔をしていりゃ、励ましてやろうとか……思うじゃん? まあ……、そういう気持ちも、まったくなかったかといえば、嘘になるけど」
「あのときは人恋しかったし。利用したのはおたがいさまじゃん?」
「まあ……、そう言ってもらえると……。助かる」
「むしろわたしのほうが悪いなぁ、って」
「なんでだよ?」
「こんなのに引っかからせちゃって、申し訳ないっていうか……」
「こんなのとか、言うなって」
おまえは口を閉ざしてさえいれば、充分、美人だぞ。
――とか、言えるわけねえな。
俺がもし、そういうの言えるやつだったら、弱みにつけこむようなことをしなくたって、正面からアタックできてたんだろう。そうしていたら、もちろん、玉砕していただろうけど。
俺たちは、付き合ってもいなかった。だから別れてもいなかった。
おたがいの人生の一時期が、ちょっとだけ絡みあっていただけだ。
ああ。向こうは寄りかかったと思っているわけか。
俺のほうは……。おいしい目をみさせてもらった。……なのか?
だからまあ……。おたがいさま……、でいいのか?
「じゃあ、もう避けない?」
「お、おう」
べつに避けてたわけではないんだが……。って、避けてたな。たしかに。
「そういえば、わたしらって、ちゃんとつきあったことなかったよね。……いまからでも、つきあう?」
「あー、待て待て」
俺は手をかざした。
「こっちに来てるときだけでいいし」
「だからマテ。……最近、そーゆーのばっかなんだよ。だからいまは勘弁しろ」
俺は額を押さえて、そう言った。
「そーゆーのばっか? ああ……。エナちゃんに、美津希ちゃんに……」
翔子が指折り数えてゆく。一本、二本、三本、と折って、さらに四本目の指も折る。
「もっくん、大変だぁ」
「大変なんだよ。だから増やすな」
「ちぇっ」
「じゃあ、トモダチからっていうことで」
「お、おう」
「じゃあ、デートのつづき、しよっか?」
「お、おう。……って、ちょっと待て。いまトモダチからって言ったろう?」
「トモダチだって、デートぐらい、するべさ」
「お、おう……?」
翔子と神社の境内で、デートをした。
口を閉ざしてさえいれば美人なポンコツ美女は、セミを素手で捕まえようとして、オシッコひっかけられていた。
とんだデートだった。




