第109話 「バカエルフ改名」
いつもの昼すぎ。いつものCマートの店内。
「なぁ」
俺はバカエルフの背中に話しかけた。
「なんですかー? マスター?」
バカエルフはいつものおバカな笑顔で振り返ってくる。
「おまえの名前、なんつーの?」
「バカエルフですけど」
「そうじゃなくて、本当の名前」
「真名ですか? それはちょっと長くて人間には発音不能だったりします」
「発音不能なら、どうやってその名前は使うんだ?」
「真名ですのでそうしょっちゅうは使いませんね」
「だから普通の名前だってば。誰かにつけてもらった名前があるだろう」
「ですからバカエルフですけど。マスターがつけてもらいましたー」
「……」
俺は黙りこんだ。
こいつ。わざとやってないか?
商品の補充をしていたエナが、「何事?」という顔で、棚の合間からこっちを見ている。
あー、ケンカしてるんじゃないから。だいじょうぶ、だいじょうぶ。
俺は手をひらひらと振り返した。バカエルフと二人で、ひらひらと手を振って返すと、エナの黒髪が棚の向こうに消えた。
「おまえのことを、これまでずっとバカエルフと呼んできていたわけだが……。さすがにちょっと可哀想かと思ってな。それで違う名で呼んでやろうかと思ったのだ」
俺は、どやあ、と胸を張った。
どうだ優しいだろう?
「じゃ、マスターがなにかつけてくださいよ」
「だから名前、教えれっつーの。マナとかいうやつじゃなくて、おまえ、人間の両親から生まれた、ちぇ……チェイング? とかいうのだっけ? 人間の両親がいるんだよな。なら普通に名前、つけてもらっているよな」
「チェイングじゃなくて、取り替え子ですけどね」
「いちいち細かいぞ」
「そっちの名前はあるんですが、ちょっと伏せておきたい理由がありまして。エルフがどこどこの街にいた、っていうだけならまだしも、○○っていう名のエルフがどこの街にいた、とか、そこまで特定されちゃうと、面倒なことになるかもなので」
「おまえ、ワケアリの人なの?」
「そんなたいしたことでもないですけど」
「お尋ね者か、なにかなの?」
「おたずね……って、なんですか?」
そういえばこの世界は、悪人のいない世界だった。
犯罪……という概念が、ひょっとしたらないのかも?
「まあともかく。名前。名前。名前……、ねえ……」
「エルフさんのおなまえ?」
「ああ、うんそう」
考えているところに、品出しを終えたエナがきた。俺は生返事をする。
「エルフさんだよ?」
「それは名前というのとは、ちょっと違うなー」
「そうなの」
俺の前をとことこと通り過ぎて、エナはそのまま、お茶を淹れにいく。
「うーん……。うーん……。うーん……」
俺は考えた。考えた。いっぱい考えた。
「残念エルフ」
「残念エルフでーす」
「いやさすがにそりゃないな」
「べつにそれでもいいですけどー」
バカなエルフはそう言うが、俺は知恵を絞って考えた。
「うーん……。うーん……。ポンコツエルフ」
「ポンコツエルフでーす」
「いいや。それもないよな」
俺はまた考える。
「ダメエルフ」
「ダメエルフでーす」
「それもないよなー」
「べつにどれでもいいですが」
俺はまたまた考えた。
「駄エルフ」
「駄エルフでーす」
いやー? なぜディスる方向性から、離れられないのだろう?
自分でも不思議だ。
「ビッチエルフ」
「ビッチエルフでーす」
「いや。べつにビッチじゃないよな。これは違うよな」
「ところで〝ビッチ〟って、なんなんですか?」
「え? しらんの? しらんで言ってるわけ? おまえ?」
「だからそれはなんなんですか?」
「い、いや……、しらんのなら、しらんままでいい」
俺はそう言った。
ちょっと顔が赤くなってしまっていたかもしれない。
「うーむ……。うーむ……」
俺は考えた。だがネタ切れになってしまった。
「しまった。もう悪口が思いつかん」
「わたし、悪口言われてたんですね。なぜ悪口を言われているのでしょう」
「い、いや……、それはだな? べつに深い意味はなくてだな」
突っこみを受けて、俺はうろたえた。
「マスターがわたしに悪口を言うのって、ちっちゃな子が好きな子に意地悪したくなったりするとかいう、あれですか?」
「かーっ! ぺっぺっ! ぺーっ!」
「なんですかなんですか?」
「好きとかいうなや! だーれがおまえなんかー! ぺーっぺっぺっ!」
「わたしはマスターのこと、好きですよ?」
「うえっ!?」
俺はまじまじと、バカエルフの顔を見つめてしまった。
バカエルフのやつは、いつもと変わらないニコニコ笑顔を浮かべている。
「マスターは自覚がないのかもしれませんが。みんな、マスターのことが好きですよ? オバちゃんもドワーフさんも商人さんも、そしてわたしもエナちゃんも」
ああ……。〝好き〟ってな、そういうほうの好きか。
あー。びっくりしたー。びっくりしたー。
びっくりしたぞー!
「お茶、できたよ」
エナがお盆に人数分のお茶を載せて、持ってくる。
お茶菓子はバームクーヘンだ。向こうのお菓子だ。
「やっぱおまえなんか、バカエルフで充分だー」
「はい。マスターが付けてくれた名前ですしね。バカなエルフでーす」
「なんの話?」
エナが覗きこむように言ってくる。
「なんでもなーい」
「なんでもないでーす」
「へんなの?」
Cマートの午後は、いつものお茶の時間だった。




