第71.7話「チューボーども寝つく」
夜半に、ふっと、目が覚めた。
この世界に来る前は、不眠に悩まされていた俺であったが、こちらの世界で気ままでストレスフリーの店主生活をはじめてからは、眠れない、なんて悩みは、どこかへ消し飛んでしまった。
その俺が目覚めたのは、気になっていたことがあったからだ。
決して――、腹の上に載ってる誰かの足のせいではなくて――。
男サイドと、女サイドに分けていたはずだが、寝相の悪い連中が多いせいで、境界線は、ひどく曖昧になっていた。
いちおう真ん中に大人が壁を作って、風紀を保っていたのだが……。すっかり混沌に染まっている。
しかし誰の足だ? クソ重いな。
俺の腹に載ってるこの足? だれなのこいつ? この持ち主……?
……翔子か。
あいかわらず寝相、悪いなー。大股開きで、豪快に寝てやがる。
ぱんつ見えんぞ。
黒かよっ。大人だなっ。
まくれあがっている服の裾だのスカートだのを、ちょちょいと直してやって、タオルケットをかけ直してやってから――。
俺は、静かに寝床を離れた。
店の隅にある、エナの段ボールハウスのほうに近付いてゆく。
食事のあと、皆が楽しく花火に興じているあいだ、エナはハウスにこもりっきりで、顔を現さなかった。
俺を引っぱたいちゃったことを、気にしているのだろうが。
そんなん、気にしなくたっていいのに。
エナにだったら、何度、引っぱたかれたって、かまわない。
どんなひどい目に遭わされたって、俺は笑っていられる。
その自信がある。
段ボールハウスに耳をあてて、そうっと、聞き耳を立ててみる。
寝息は聞こえてこなかった。
おや? どこにいるんだろう。
そう思って、見回してみたら、店の入口のあたりで座りこんで、空を見上げているエナを見つけた。
隣に行って、俺も座る。エナは逃げ出すでもなく、謝ってくるでもなく、落ち着いて、隣に座る俺を受け入れた。
段ボールハウスにこもったときに、無理せず、そっとしておいて、時間を置いたのがよかったのかもしれない。
エナはすっかり落ち着いていた。
「あれ……、〝マスター座〟で……、あっちのが、〝エルフさん座〟で……、あいだのちいさいのが、〝エナ座〟なんだよ?」
ちいさい指で夜空を差して、エナは言った。
「ああ。そうだな」
俺はうなずいて返した。
まえに、バカエルフとエナと三人で、星空を見上げて、星座を作ったことがある。
マスター座とバカエルフ座のまんなかに、エナ座はある。
「ミツキさん座と、ショウコさん座は、どこ?」
エナは唐突に、そう言った。
その言葉は、ざくりと俺の心に突き刺さった。
あー。やっぱー。それを気にしてたのねー。
「翔子は。あれだ。……昔のトモダチだ」
「らぶ? ……とか、いうやつ?」
「いや。まあ。なんていうか。もう昔のことだよ。終わったことだよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「うそついたら。はり千本。のむんだよ? 死んじゃうよ?」
「それは大変だなぁ。でも大丈夫だから」
俺は請け負った。翔子も――、起きていて、もし聞いていたら、きっと同じことを言っただろう。
「あのね。わたしね」
エナは何度か戸惑ってみせたあとで、そう、話を切り出した。
「うん?」
「賓人さんのことが、好きみたい」
エナはぽつりと、そう言った。
「俺もエナのことが好きだぞー」
俺も間髪入れずに、そう答えた。
「そういうのじゃ、ないと思うよ?」
「とは言ってもなぁ……。そういうのと、そういうのじゃないのと、区別は難しいんだぞー?」
「そうなの?」
「そうだ」
俺は確信をこめて、うなずいた。
ちらっと、眠っている翔子を肩越しに見やる。
あの時は錯覚のほうだった。それがわかるまでのガキっぽい思い出が、苦く胸にわだかまっている。
――ったく。本当に寝てやがんのかよ? 武術の達人が? ウソくせえ。
「エナがもっと大きくなって、一人前になって、大人の女になってから、もういちど、よく考えてみれば、いいんじゃないかな」
俺はエナのほうに向き直って、そう言った。
「そんなに待てない」
「俺はずっといるから。焦らなくていいよ」
「ずっといる? ぜったい? やくそく?」
「ああ。約束だ」
「うそついたら――」
「――針千本。のむんだろ。誰に聞いたんだ? それ?」
エナの言うそれは、向こうの世界のフレーズだ。
いったい誰に教わったのやら。
「小森ちゃん」
「そっか」
あの無口系少女。けっこう怖い子なんだなー。ほんとに飲まされそうだ。
しかし、まさかエナに告られるとは思わなかったが……。
これは、つまり、ちいさい女の子が、お兄ちゃん好きー、お嫁さんになるー、くらいの意味合いなのだと受け取ることにする。
それとも「パパのお嫁さんになるー」っていうほうだろうか。娘なんて持ったことはないが。
ドキドキなんてしない。まったくしない。ぜったいしない。
そもそもエナをそんな目で見れない。いまはまだぜんぜんだ。
俺はごそごそと、そこらを漁って――。コンビニ袋のなかから、ある物を取り出した。
「なに?」
「花火。……さっき、みんながやってるとき、やれなかったろ?」
「うん。やりたかった」
「まだ残ってるぞ。線香花火だけどな」
「それ。いいやつ?」
「いちばんいいやつだぞ」
「やる」
花火をつけてやると――。
線香花火のパチパチ広がる光の花と、赤く輝く小さな玉とに、エナはすぐに夢中になった。
やっぱ子供だなー。うん。
◇
「よーし。みんな並んだかー」
三脚を引っぱり出してきて、インスタントカメラを設置にかかる。
異世界にスマホなんぞ持ちこんできたヤツは大勢いたが、風情がないので、そんなもんは禁止。デジタルは禁止。大禁止。
Cマート式に、異世界式に、あくまでアナログで集合写真を撮ろうとしていた。
「入らねーよ! おまえらもっと寄れ!」
俺が怒鳴ると、微妙な距離を保っていた中学生女子と女子たちが、ぎゅーっと、くっつきあった。
まあ気持ちはわかる。俺もあのくらいの年頃はそんなもんだった。
中学生男女六人と、Cマート関係者四名と、あとなんでいるのかよくわからん部外者一名と、合計一一名をフレームに納めなくてはならないから――もう大変だった。
オバちゃんとツンデレドワーフも入りたがっていたが、今回は、しっしっと手を振って追い払う。
「よし。そのまま。動くなよー。タイマーセットするからなー」
「でも賓人さん、はいるところないよ?」
エナが言う。
「ふははは! 心配はいらん!」
俺は叫びながら、駆け戻った。
「きゃっ」
俺はエナを抱きあげた。小脇に抱えるようにして顔の高さを同じにする。
「ほら! 笑えー!」
そしてカメラが――。
ぱしゃっ。
スペシャル増補版、今回はおしまいです。
また年末年始あたりに、3話ほど増補版を掲載する予定です。




