表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/142

第101話「おヒゲ剃り」

「おー、晴れたなー」

「うん、晴れたね」

「晴れですねー。お日様。しばらくぶりですねー」


 朝。俺たちは店の前に三人で並んで立っていた。

 何日間も続いていた雨音が、夜半に、ぱたりと途絶えていたから、ひょっとして――、と、思っていたが。


 朝になって、表に出てみれば、一面の青空がどこまでも続いていた。


「雨は行っちゃいましたねー。うしろ(、、、)のほうに」


 この世界では東とか西とかいうかわりに、「まえ」とか「うしろ」とかいう。


 エナが、「ばいばーい」と、「うしろ」の方角に向けて、手を振っている。

 うん。かーいー。かーいー。


「もう一節……二年ほどすると、一回りして、まえ(、、)から戻ってくるんですよー」

「へー……。じゃあ、まえとうしろって……、つながっているんだ……」


 エナが感心したように言う。

 「まえ」のほうに体を向けて、大きな目で空のはてを見つめている。


 しかしエナ。まえとうしろが繋がっていることに気がつくとは、賢い、賢い。


 なんか、たしか、あれだったよな? 地面は丸くなっているから……、だったっけ? だから端と端とは、繋がっているんだったよな?

 うん。たしかそんなような感じ。俺だって知ってる。


「それは私も歩いて確かめてみている最中なんですよー。何百年も旅をしてますけど、ぜんぜん一周しませんけどねー」


 こいつきっと、道草ばっか食ってるに違いない。

 このCマートにも、俺がおじいちゃんになって、要介護の老人になるまで、永久就職するつもりのようだし。


「さて……、っと! 顔洗って、歯ぁ磨いて、朝メシ食うかー」


 俺は二人にそう言った。

 そしたら、エナが、俺の顎をぴしりと指差してきて――。


「おヒゲ……、のびてるよ」


 そう言った。


「おヒゲ……、剃る?」

「ん。あとでなー」

「いま、剃ろうよ」

「ん?」


 俺はエナを見た。あんまり自己主張しないのが、エナという子なのだが……。

 なんか言いたげな雰囲気?


「エナちゃん、おヒゲを剃るのが、珍しいんじゃないですかー? ほら、おヒゲ剃る人って、こっちにはいないでしょう? マスターだけですからー」


 こっちの世界の男性は、ヒゲを伸ばすのが普通らしい。

 てゆうか。ヒゲを剃るっていう文化が、存在しないっぽい。

 以前、安全カミソリやら、シェービングクリームやらを持ちこんだこともあったが、じぇんじぇん、売れなかった。まったく無双できなかった。


 ドワーフの鍛治師なんて、ヒゲを剃るとかいう話を持ち出したら、まるで殺されるみたいな顔をしていたし……。


 まあ向こうの――現代世界のほうでも、ヒゲを伸ばしている人はいるが、どっちかっていうと、俺みたいに、毎朝剃って、つるんとさせている方が大多数で……。


「インスタントご飯と、缶詰、温めてますからー。ゆっくりおヒゲ剃ってて、いですよー」


「ん……。そっかー」


 俺はカミソリと石鹸を持って、外に出た。


 エナが期待する顔で、俺のあとについてくる。


 水は……。店の外に出しっぱなしにしてあった桶に、ちょうどよく雨水が溜まっていたから、それを使うことにする。


 そこらの石垣に、適当に腰を掛ける。

 石鹸に水をつけて、泡を作って、口のまわりに適当に塗りつけて――。

 そしてカミソリを手にしたところで――。


 エナが目をキラキラと輝かせて、こちらを見ていることに気がついた。


「やってみる?」


 俺は何の気なしに、エナにそう聞いてみた。


「えっ?」


 エナは目をぱちくりとさせている。驚いている。

 ああ。そういや、いちおう刃物なんだっけな。怖がっちゃうかな?


「あっ、べつに無理してやらなくてもいいぞ、ためしに聞いてみただけなんで-」

「やる!」

「お、おう……」


 思いのほか、強い返事が返ってきて、俺はうなずかされた。


 安全カミソリをエナに手渡す。

 二枚刃が5個入って、198円ぐらいのやつ。向こうのドラッグストアのどこでも売ってる、なんの変哲もない使い捨てのやつ。

 エナの小さな手がそれを持つと、俺が手にするよりも、なんだか大きく見えてしまう。


 エナは身を乗り出すようにして、俺のほっぺたにカミソリを当ててきた。


 正直、ちょっと怖いのだが……。

 まあ、エナにだったら、ざっくり切られちゃってもいい。


「えっと、えっと……、これで、……擦ればいいの?」

「そうそう。角度を一定にして当てたままでだな。すーっと動かしていって……」

「すーっ……」


 口に出しながら、エナはやっている。

 うん。かーいー。かーいー。


 ほっぺたも切れずに、うまく剃れた。上から下までほんの一列分だけど。


「剃れた!」


 エナは顔を輝かせて、そう言った。

 うん。かーいー。かーいー。


「じゃあ、こんどは、その横なー、全部やってくれー」

「うん!」


 ざっくりいかれるようなこともなさそうなので……。俺は張っていた気を抜いて、エナに任せることにした。


 エナは真剣そのものな顔で、俺の口許にカミソリを当ててゆく。


 いまになってから気づいたが……。顔、近い。

 エナの顔を、こんなに近くから、まじまじと長時間見つめたことなんてなかったが……。

 エナって意外と……、いいやけっこう……、美人さん?


 うちにきたばかりのときには、栄養の足りてない痩せっぽちのガキ、って感じだったんだけど。

 すでにガキっていうよりは、女の子、という感じに成長してきていることは、なんとなく実感していたことではあったが……。


 それから、けっこう重たい。


 ヒゲ剃りに集中になるあまり、エナは俺の上に乗っかってきていた。

 足の上を跨ぐ形で、座りにきている。


 エナがあまりに真面目な顔でヒゲ剃りをしているものだから、体勢についてなにか言う機会を、俺はすっかり失ってしまった。


 もう子供でもない女の子を乗せているには、ちょっとよろしくない体勢で――。俺は身を固めるようにして、じっとしていた。


 しょり。しょり。

 ヒゲ剃りは続く。


 エナの吐く息が喉にあたって、くすぐったいやら。エナの体温を襟元に感じて、むずがゆいやら。


「おわりました」


 あっちとこっちを、細かくちょこちょこと直していたエナが、ようやく満足して、そう宣言したとき――。


 俺は安堵のあまり、溜めていた息を、はあぁぁぁーっと、長々と吐き出したものだった。


 エナは俺の膝の上から下りると、とたたーっと、店の中に走って行った。

 とたたー、と走り出てきて、取ってきたタオルを昨日の雨水の溜まった桶で濡らして、ぎゅっと搾って、俺に持ってきてくれた。


 顔を拭く。さっぱりする。

 おや? 自分でやるよりも、なんかよく剃れてるカンジ?


「明日も、やっていいですか?」


 顎を撫でている俺に、エナはそう言った。


 ……えっ?


    ◇


 エナが、Cマートの「ヒゲ剃り部長」に就任した。

 俺は毎朝エナを膝の上に乗せて、ヒゲ剃りされることになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ