第095話「寝るときの作法」
「ねえねえ」
いつもの昼すぎ。いつものCマートの店内。
ぺたんと床に座りこんで、いつものように「少女マンガ」を読んでいたエナが、誰にともなく、そう聞いた。
店には、俺とバカエルフ、あと、なんでか当たり前のような顔をして居座っている恩返しオーク姉がいる。
誰に向かって聞いたんだろうなー、とか、微笑ましく思いつつ、俺は頬杖をついて、つづく言葉を待っていた。
「……寝るとき、はだかなの、なんで?」
「へ?」
俺はぎょっとした。
のんびりしていた空気に、ぴしっとヒビ割れが走った。……気がする。
「あ……、あはははは……。な、なにを言っているのかな? エナさん? 寝るときに裸になるわけがないだろう? みんなだって、いつも服着て寝てるだろう?」
俺は極めて平静かつ穏やかに、まったく自然極まりない口調でもって、そう言った。
「うん。そう思ったから……、へんだなー、って」
「な、な、な……、なにが? へ、へ、へ、へんなのかなー……?」
「だってここ。寝てるもん」
エナは読んでいた少女マンガのページを、ぴろっと見せてきた。
「ほら……。ここ。男の人と女の人とが、はだかで、寝床に――」
「うわー! うわー! うわー!」
俺はエナの手にした少女マンガを、思わず奪い取ってしまっていた。
たしかにそのページには、男女のベッドインの姿が――。
ええええええっ? なんでベッドシーンがあんの? 少女マンガにっ!?
俺は思わず開いたページを読みこんでしまっていた。
えっ? うえっ? 普通にベットシーンあるわ……。
なに? なんなの? なに書いちゃってんの?
こーゆーマンガ、小学生が読んでたりするわけだろ? なんでベッドシーンが普通にあんの?
最近の少女マンガってそんなに進んでんの?
「……どうしたの?」
エナが聞いてくる。
俺は、はっと我に返った。
そういえば、ここにあるマンガは、すべて俺が買ってきたものだった。
もっと中身を精査してからエナに渡せばよかった。しかしそれをやると、エナに読ませる前に、俺がぜんぶ読むはめになるんだけど。
「ねえ? なんで?」
「なんで……って、な、なにかなー?」
俺はしどろもどろになっていた。
禁書指定の少女マンガは、とりあえず、後ろ手に隠す。
「なんで寝るとき、はだかなの?」
エナは本当に「わからない」という顔で、俺に聞いてくる。そこには微塵も邪なものはなく――。必死に隠そうとしている俺は、ひどく薄汚れてしまった大人であることを大いに自覚した。
こ、こーゆーとき――、たしかっ――、先人たちは――、なにか素晴らしい〝智慧〟をもって切り抜けていたはずっ――!?
なんだっけ――! なんだっけ――? こーゆーとき――! なんてゆーんだっけっ!?
「え、えーと……、おしべと――、めしべが――」
「おしべ? めしべ? おはなの話は、してないよ?」
「え、えーと……、キャベツ畑で――」
「キャベツ?」
「え、えーと……、コウノトリが――」
「とりさん?」
俺は激しくピンチだった。
先人の智慧。使えねえ。
俺は他の者たちに助けを乞うた。
バカエルフのやつは、お茶を淹れている。あいつがやると、ひどくおおざっぱで、どばっと入れて、ドボドボ注ぐから、まったくうまくないのだが――。
オーク姉は、カッチョええ脚を高々と組んで、テーブルにいる。
そこにエナが少女マンガの一冊を持って、とことこと歩いてゆく。
「ほら。こんなの」
開いたページを、ずばっとオーク姉に見せにゆく。
えーっ!? ベッドシーンって、あれ一冊きりじゃないのーっ!? あっちにもこっちにもあるのーっ!?
「なにか絵が書いてあるな?」
「うん。これショージョマンガ、っていうの」
「異界の文字は、私は読めんが」
「セリフよまなくても、マンガはよめるよ」
「なぜこの絵は顔ばかりなのだ? これはヒューマンか? 妙に目だけが大きくないか? ゴブリン並の眼球のデカさだが?」
オーク姉はマンガの読みかたがぜんぜんわかっていない模様。変なところに文句ばかり言っていらっしゃる。
「それより。……ここ」
エナがずいっと大ゴマを示す。
「男女が同衾しているな」
オーク姉の言葉に、俺は、「ん?」と違和感を覚えた。
ずいぶんと専門的な言い回しに翻訳されてきたが……。その「同衾」って言葉って……なんだっけ? たしかエッチな意味ではなかったか?
ということは、つまり……?
「ねえ。これ、はだかで寝てるの、なんで?」
「ああ。これは簡単だ。つまりこの二人は、交――」
「わー! わー! わー!」
俺は大声でオーク姉の言葉をかき消した。
やっぱりだ。確定だ。有罪だ。
オーク姉はきちんとその意味を知っている。マンガの読みかたはしらないし、〝ベッドイン〟という言葉自体はないのかもしれないが、男女が二人で裸で寝床に入ることの意味を、きちんと理解している。
「どうしたのだ? 店主殿? そんなにコワイ顔をして?」
エナに余計なこと教えんな――って顔をしてんの。空気読め。表情を察しろ。
こーゆーときには、大人がよってたかってチームプレイを発揮するもんだろーが!
なにさらりとホントのこと教えようとしてんの!? しちゃってんの!?
「ねえエルフさん。――これ、なんだと思う?」
つぎにエナは、バカエルフのところに、とことこと歩いていった。
手にしたマンガのページを見せにゆく。
「寝てるんじゃないんですかー?」
「うん。寝てるんだけど。……でも、なんで、はだかなの?」
「さあー? なんででしょうねー?」
バカエルフは、のらりくらりと質問をかわす。
ナイスだ。そのままかわしつづけろ。
俺は心の中で応援した。エルフの娘は、俺にちらりと流し目を送ってきて――。
「マスターの世界の流行とかは、わたし、詳しくないですからー」
なんと、俺に振ってきやがった!
やっぱこいつバカだ。バカなエルフだ。略してバカエルフだ。
しかし〝ヒント〟はバカエルフの言葉のなかにあった。
〝流行〟だ! 俺の世界における〝流行〟である!
その線で行く! 推して参る!
「え……、ええと……、つまりだな……、俺のいた世界だと……、だな……」
「まれびとさんの、世界だと……?」
「そ、そうだ! 裸で寝るのが流行してんだ! そう――健康法とかで!」
我ながら、完璧な理由であった。
俺の完璧な理由を聞いたエナは――。
「へー」
素直に感心していた。
よかったー。誤魔化せたー。
俺はほっと安堵していた。
今日のCマートは、団欒の中で突然発生した、キケンな話題の話だった。
大事故にならずに安全に処理できて……。よかったよかった。




