第093話「ちいさくなったら……?」
いつもの昼すぎ。いつものCマートの店内。
気だるげな午後。いちばん客のいない時間。
俺がカウンターの上で頬杖を突いている。
エナはバカエルフの服の裾を引いて、「ねーねー」と、おねだりをやっている。
このあいだ大きくなった魔法を、またかけてもらいたいのだ。
だけどそれは俺が土下座してカンベンしてもらっている。
だから安全かつ安心なのだが……。
「ねー、エルフさん?」
ちら。
エナはバカエルフに言ったあと、ちら、と俺に目をやってくる。
俺はその視線を首筋あたりで受け止めながら、知らんふり。
「もうやらない」という約束はしてある。だから安全かつ安心。……のはずなのだが。
俺は――。
ちら。
――と、バカエルフに視線を送った。
「約束ですからねー。おっきくする魔法は、だめですよー」
「でも……」
「ねえマスター?」
「そ……、そうだなっ。あれは、そうだな……5年くらいは、必要ないんじゃないかなっ」
「5年したら……、もういらない」
エナがぼそっとつぶやく。そりゃそうだ。
「じゃあかわりに小さくする魔法をやってみましょーか?」
「ちいさくする……まほう?」
「なんだ? 小さくするって……?」
俺とエナは、バカエルフがなにを言っているのかわからなくて、きょとんとした。
「エナちゃんは、ようするに、マスターと釣り合わないことを気にしているんですよね?」
「うん」
「じゃあ、マスターのほうを小さくしちゃえばいいんじゃないでしょうか?」
「おい」
バカエルフのやつが、とんでもないことを言いはじめたので、俺は声をかけた。
「できるの?」
「できますよー。大きくするのと、おなじことですよー」
「おい」
「それでも……? いいのかな? あれっ? ……よくわかんない」
「おい」
「大きくするのはダメって約束ですけど。小さくするほうならいいですよねー」
「おい」
「なんで大きくなるの、だめなのかな?」
「それはマスターに聞いてみないとですねー」
「おい」
「じゃあ……。小さくするほうで……。やって」
「おい! ――だから! おい!」
ようやく二人がこっちを向いてくれた。
「俺を抜きに話を決めるな!」
「だって一方的にダメって言ってるのマスターじゃないですか」
「一方的じゃないだろお願いしたろ!」
お願いっていうか土下座した。カンベンしてくださいと頼みこんだ。
「ダメな理由だってエナちゃんに説明していませんし」
「きいてないよ」
「いや……、そ、それは……」
17歳バージョンと16歳バージョンあたりだと、もはやまったく子供と思えなくて美津希ちゃんあたりのJKな感じでヤバくって――。
15歳バージョンと14歳バージョンあたりでも、ジルちゃんみたいに女の子として眺めちゃってそんなにヤバくはないけどわりとヤバイ領域で――。
そんなのを見てしまったあとの13歳バージョンは、いつもの12歳バージョンとほんの1歳しか変わっていないのにずいぶん変わっちゃった感じで――おっぱいすこし出てきてたし。
だからとにかく、13歳以上はすべてヤバイのだ。
だがそんな理由、話せるものか。俺がヤバイのでヤバイのです。なんて話せるものか。
「大きくなるのは理由もなくダメって言われて、エナちゃん我慢しているんですから。じゃあマスターが小さくなるのぐらい、協力してあげないと」
「い、いや……、しかしだな?」
小さくなるのって、つまり……どゆこと?
俺が年齢下がるの? ガキになるの? なっちゃうの?
「まれびとさんが、わたしとおなじになる……?」
エナは天井の片隅を見上げて……考えこんでいる。
ややあって――。
にこ、と微笑んだ。
「おいちょっと待てよ。だから説明しろっての。それってつまりどーゆーことなの?」
「マスターが子供になります。エナちゃんと同い年になります」
「やっぱりそうなのかよ!」
「年齢差が問題なわけですから。年齢差がなくなるなら、どっちでもいいんじゃないかと。エナちゃんはそれでいいそうですから、マスターもそれでいいですか?」
「いや待て。――それは元に戻れるんだろうな?」
「また戻りますよ。エナちゃんのときと同じように、自然にほうっておいてももとに戻りますよ」
1日1歳ずつ戻っていくわけか……。
「い、いや、しかしだな……」
「やるのかやらないのか、どっちなんですか? やるのなら〝やる〟で。やらないなら〝やらない〟で、それでいいかと思うのですよ。ごちゃごちゃ理由を付けてみたところで、〝やる〟か〝やらない〟のか、そこが変わるわけではないでしょう」
バカエルフのやつが、なんか言い返せないようなことを言ってきた。
うぐぅ……。
バカエルフのくせにー。バカエルフのくせにー。バカエルフのくせにー。
「〝やる〟か〝やらない〟かで……、はい、どっちなんですか?」
「……やる」
俺は、こくんと、首を折った。
エナがおっきくなるよりは、まだ、ましだと思った。
エルフの娘がすらりと立つ。
その前に俺が立つ。
エルフの娘は、俺の額に手をかざし、呪文を唱えはじめる。
「百億の昼と夜を統べる時の王。永遠に横たわる時の王に申し上げる。其は過払い返却……」
なんだよ。どこが魔法じゃねーんだよ。これ完全に魔法だろーがよ。
俺の足下に、魔法陣? みたいな輪っかが生まれる。不思議な光は俺の体を包みこんで……。
あれ? あれあれっ? エルフとエナが大きくなってゆくぞ?
いや……。これは俺が小さくなっていっているのか。
エルフが俺より大きくなって、見上げるようになって――。
エナが俺とおなじぐらいの高さになって――。
そして見上げるようになって――。
あれ? あれあれっ?
エナと同じになるんじゃねーの?
エナを見上げているようじゃ、小さすぎなんじゃねーの?
これおかしいんじゃねーの?
そして俺は、なんだか物をよく考えられなくなってきて――。
◇
「ふわぁ……、ちいさくなった……」
エルフとエナは、小さな男の子となってしまった店主を見下ろしていた。
「あれれ? すこし小さくしすぎちゃいましたか?」
「これ……。5歳くらい?」
男の子の頭をなでなでしながら、エナが言う。
「そうですかー。ちょっと間違えちゃいましたねー。人間の人の年齢って、どうも見分けがつかなくて。エルフだめですねー。駄エルフですねー。マスター以外と若かったんですねー」
エナと同じように、エルフが手を伸ばして、頭をなでなでとやろうとすると――男の子は、その手をばしっとはらいのけた。
「さわんな! ババァ!」
「おや?」
なにかちょっと雰囲気が違う。
「どうしちゃいました? マスター? わたしですけど、わかります?」
「おまえなんかしらねーよ、ババァ!」
「おや?」
エルフは考えこむ。
「……体だけを戻すはずだったんですけど。戻し過ぎちゃったせいで、心まで五歳児相当になっちゃったみたいですねー」
「まれびとさん? わたし……、わかる?」
「わかんねー! けど、きょうからおれとおまえはトモダチなー!」
がっちりと握手。
「トモダチになっちゃった」
エナは握手した手を見つめている。
「おまえ。なまえ、なんつーの?」
「……エナだよ?」
「へんななまえー」
「……へん、かな?」
「おれは、もっくん、でいいぜー。おまえはとくべつだー。そうよばせてやるぜー」
「……もっくん」
「お! ラムネあるじゃん! もーらい!」
男の子は店に置いてあるラムネに飛びついた。
「エナ、おまえ、あけかた、しってっかー? おれ、プロだぜー!」
「……ううん。しらない。……おしえてくれる?」
おや? と、エルフは首を傾げた。
エナはCマートのラムネ部長。知らないはずはないのだけど……。
「よし! とくべつなおまえに、とくべつにヒミツをおしえてやるぞー! ぽーんってやったら、ぎゅーっておさえとくんだ! そーすっとアワがでてこねーんだ! ほれ! やってみろー! エナ!」
「うん……」
「もっともっと、ぎゅーだ、ぎゅー!」
「ぎゅー……」
二人で並んでラムネを飲む。男の子が腰に片手をあてて、んご、んご、とやっているのを見て、エナも同じように、腰に片手をあてて飲む。
「よし! あそびにいくぞー!」
「あっ……、まって……」
エナはじっとエルフを見る。
「あそびに行ってきて……、いい?」
「はいはい。お店はまかせてくれていーですよー」
「ん。……行ってきます」
男の子と二人で駆けだしてゆくエナを、エルフの娘は手をひらひらさせて見送った。
◇
いつもの昼すぎ。いつものCマートの店内。
俺はカウンターに頬杖をついて、ぼんやりとしていた。
ここ数日の記憶がない。
小さくなる魔法をかけられたあとの記憶がない。
気がつけば、店にいて、ぼーっとしていた。
魔法が失敗したのかと思えば、そうでもないらしくて……。
なんか服がえらい泥だらけでくたびれきっていたのと、袖とズボンのところに、ごっつい折り目がついていたのと。わけわからない変化があった。
変化といえば、エナがすごい上機嫌。
ラムネを詰めながら鼻歌を歌っていたのを聞いたときには、びっくりした。エナが別の女の子になっちゃった感じー?
なにがあったの? ――と、それとなくバカエルフに聞くと、「ヒミツです」との返事。バカめ。バカめ。バカなエルフめ。略してバカエルフめ。
エナのほうには、なんだか怖くて聞けていない。
あと変化といえば――。
唐突に思いだしたのだが、昔、たぶんすっごい小さい幼稚園児くらいの頃。どこかの田舎の親戚の家(?)かなにかに遊びに行ったことがあって、そこの女の子と仲良くなって一緒に遊んだことを思い出した。
そこの娘は、ちょうどエナみたいな黒髪おかっぱのキリッとした綺麗なお姉さんで。年上で。たぶん小学六年生ぐらいだったと思うんだけど。
マセていた幼稚園児のクソガキだった俺は、「おれのヨメにしてやっからー!」とか言ってたような言っていなかったような……。
それからしばらく、毎年ごとに、遊びに行っていたようだけど。いつからか行かなくなって……。いまではそれがどこの田舎だったのかさえ、よく思い出せない。
ここの世界みたいに、自然が豊富だった場所だった気がするが……。
あの彼女は、いま、どうしているだろうか? 俺の7歳ぐらい年上だから、すごい美人さんになっているはずなんだけど。
頬杖をついて、ぼんやり、その彼女のことを考えていると……。
エナが、じーっと見てきていることに気がついた。
この年頃の女の子って、鋭いとこあるよな。いま女のことを考えていたとか、まるバレなんだろうなー。あの翔子でさえそこのアンテナ鋭かったもんなー。
「な、なにかな……?」
「ううん。なんでもないよ」
エナはゆっくりと首を振る。おかっぱというより、セミロングくらいに伸びてきた髪の毛先が、顎先をかするように揺れる。
エナの上機嫌は変わらない。最近ずっと上機嫌。
大きくしてとか小さくしてとか、まるで言わなくなった。
まあ平和だから、いいのだが……。
Cマートは今日も平和で穏やかだった。