第092話「おおきくなったら……?」
いつもの昼すぎ。いつものCマートの店内。
気だるげな午後。いちばん客のいない時間。
俺はカウンターのうえで頬杖をついていた。
バカエルフは缶詰を数えてニマニマしている。日当9個の缶詰を数日分蓄えてあって、次の食事でどれを食べるかニマニマしながら考えるのが、人に知られていないと思っているあいつの隠された趣味。正直いってキモチ悪いが、まあ個人の自由なので放置してある。
エナはぺたんと足を投げ出して、床で「少女マンガ」を読んでいる。
そのエナが――。
「はやく大きくなりたいなー」
――ぽつりと、そんなことを言ったものだから、俺は戦々恐々とせざるをえなかった。
こそー、っと、エナの読んでいる少女マンガの表紙のほうを見てみると――。
ああほらやっぱり。魔法少女ものだったー。変身すると大人になるやつだー。あかんやつだー。
だがしかし――。そんな〝変身〟だとか都合のいいもものは、ファンタジー世界にだって存在しないのだ。少女の夢は、夢のまま終わるわけで、安全かつ、安心なのだった。
「――なれますよ」
俺の安心を、バカエルフのバカな一言が、ぶっ壊してくれた。
「いやいや。待て待て。いくらなんでも変身とかご都合主義すぎるだろ」
「ヘンシンってなんです? 私の言うのは、未来の自分の姿を前借りしてくるわけで、変身? ――とか、マスターの言う、そういうのとは違うと思いますよ」
「おい。おまえは魔法は使えないと、まえにそーゆった!」
「魔法なんかじゃないですよ。時の精霊とお話をして頼むだけなので。いわば特殊な交渉術といったあたりです」
「それは魔法といったいどう違うんだ」
「おおきく……なれるの?」
エナが言う。
「なれますよー」
「ならなくていい――って、ああうん、エナがどうしてもって言うならべつに反対しているわけじゃないぞ。でも、エナはそのまんまでも……。うーん。うーん」
俺が言葉の途中で弱腰になったのは、「ならなくていい」と言った瞬間、エナが「ぎぬろ」と見てきたからで――。
いや「ぎぬろ」っていうのは言いすぎかもしれない。
実際には「じろっ」とか、「むっ」とか、そんなくらいだったかもしれない。
どうも最近、俺はエナに対してはデリケートになっていて――。あれについての返事を保留しているせいなんだろうなぁ。……と、自覚はあるのだが。
「じゃ。エナちゃん。こっちに来て。ここに立ってくださいねー」
「はーい!」
エナが期待MAXの顔で、たたたっと、バカエルフの前に走ってゆく。
「戻れるんだろうな? 戻れるんだろうな? ぜってー戻れるんだろうな?」
俺はバカなエルフにくっついて、そう言った。念を押した。大事なことなので三回聞いた。
「戻れますよ。てゆうか。戻ります。摂理に反したことですので、効果は一時的で、ほうっておいても自然と元に戻ってゆきます」
「まれびとさん……。大人になってほしくないの?」
エナが俺に向かってそう聞いてきた。心配するような不安な顔。
そんな顔をエナがするのは不本意だった。不本意であるのだが……。ひょっとして、止めれば、聞いてくれるのか? これは?
「ああ……うん。まあ。どちらかというと……、嫌……、かな」
俺は勇気を出してそう言った。俺は「ノー」と言える男だった。
「でも……、なるよ。ごめんなさい」
うわーん! だめだったー!
やだっていっても、聞いてくれなかったーっ!
エナが反抗期になってしまったーっ!
「エルフさん。やって」
「はいはい。その前に何歳くらいの姿になりますかー?」
「選べるの?」
「はい。いつの姿でも同じことですよー。時の精霊さんにとっては、永遠も無限も一瞬も刹那も、すべて同じことですんでー」
「じゃあ……。エルフさんとおなじくらい」
「白骨になっちゃいますよー」
「じゃあ……。えっと……」
エナは考えている。考えている。考えている。
「ミツキさんと……、おなじくらい」
エナはそう答えた。
えっ? あれっ?
俺はきょとんとしていた。
あれっ? 大人になるって言ったよね?
ミツキちゃんって大人か? そうかぁー? JKって子供なんじゃねえの?
エナから見た「大人」って、女子高生くらいのことをいうわけ?
せめて「大人」っつーたら、翔子くらいのことをいわね? あのくらい、だゆ~んで、ぼんきゅっぼーんの、わがままボディで――。あれもカラダはともかくアタマの中身は大概ガキっぽいままだけど。
いやまあ。本当の子供とは違って、JK年齢あたりだと、そういう対象として絶対に見ないかというと、ちょっと怪しくて自信がなくて……。
ここ最近、質屋に下宿をするようになってからは、週に一回か二回は向こうでお泊まりをすることになって、年頃の女の子と同居していると、ドキッとさせられる瞬間もあったりなかったり。
意識しているということは、じゃあ、やっぱり「大人」ということになるのだろーか?
身近にいる大人のオンナで、女子高生の頃を知っているやつといえば、翔子が真っ先に思い浮かぶが――。
ああうん。いかん。あいつとの場合は参考にならん。まったくならんな。なぜならあいつとの関係はゴニョゴニョ――だったからだ。
「エナちゃん何歳でしたっけ?」
「じゅうに」
「ミツキちゃん何歳でしたっけ?」
「……じゅうなな? ……くらい?」
「そうなんですねー。人間さんの年齢はよくわからないですねー。……じゃあ5年後の姿でよいですかー?」
「よいです」
エナは手をぎゅっと握りしめて、すごくハッスルしてる感じ。
普段なら、かーいー、かーいー、と、愛でているところであるが、いまの俺にはそんな余裕などない。
ああ。逃げちゃおうかなー。
しばらくしたら戻るとゆーから、それまで、行方をくらましているというのは……、どうだろう?
だめだー! 何日も口きーてもらえない未来しか、見えねええーっ!
「百億の昼と夜を統べる時の王。永遠に横たわる時の王に申し上げる。其は前借り。五年の時を経た姿を、一時、この者に与え賜え……」
エルフの娘が呪文を紡ぐ。目を閉じて、エナの周囲で手をひらひらと動かしている。
エナも目を閉じて、胸の前で手を組んでいる。
そしてエナの体が不思議な光に包まれたかと思うと――。
手足がだんだんと伸びはじめた。――いや。エナが大きくなっているのだ。
俺はびっくりして目を見開いて突っ立っていた。
おかっぱくらいの長さだったエナの髪が、するすると伸びてゆく。
肩を越えて背中に届き、さらにお尻のあたりまで――。
そのお尻だって、子供の――ぺったん、すってん、としたものではなくなって――。丸みを帯びた少女のお尻となっていて……。
胸元のあたりにも、少女としての起伏が、確かに存在していて……。
「わっ、わっ、わわっ……」
俺はウロたえて変な声をあげてしまっていた。
エナが大きくなるのが――変化もしくは、成長もしくは、変態が、完全に完了する。
「うわぁ……」
エナは感嘆の声をあげつつ、大きく伸びた手足を見やる。
「うわぁ……」
つぎにその手を自分の胸にあてる。
バカエルフの話だと、+5歳相当になっているはずなので……。ええと、つまり16~17歳相当。
「……勝てる」
おっぱいを揉んでいらっしゃったエナが、なにかをつぶやいた。
勝つ? なにに?
呆然となってる俺が、じー、っと視線を注いでいると――。
エナは、はっと気がついたように俺に向いた。
「……まれびとさん。……どうですか?」
はにかむ顔はエナのまま。
ただしその顔形だけは、すっかり大人……っていうか、女子高生くらい。
美津希ちゃんと並べても友達同士にしか見えないだろう。
「いや、その……、なんていうか……」
俺はしどろもどろになって、そう言った。
エナだとわかってはいるのだが、エナに見えない。子供のエナにまったく見えない。
髪も長くて――。ちょっとクールな感じの美人さんで――。
「服は……、その……、替えたほうがいいかもな……」
なんとか俺が口にできたのは、そんな、しょーもない言葉だった。
だってエナの服……。ぱっつんぱっつんなんだもの。
黒いワンピースのサイズは元のままだから、胸元きつそう。腰回りはもっときつそう。あと裾の丈が……。元は膝丈だったものが、いまでは超マイクロミニになってしまっていて……。
目の毒っていうか……。なんというか……。「ぱんつ」は、このあいだから履くようになっているはずなので、〝最悪の事態〟は避けられるはずだが……。
俺は高校生のガキみたいに、正視できずにうつむいてしまう。
おかしい。まったくおかしい。
俺はこういったとき、遠慮せずにガン見のできる、ナイスガイだったはずなのだが……。
「服……って?」
エナはきょとんとしている。年頃の美少女がやると普段とは別な意味のカワイさが溢れ出してヤバい。
「服……、ちょっと……、小さいかも……」
「あっ……」
エナはようやく理解してくれたようで、白い太腿を手で押さえた。
◇
バカエルフのやつは、「すぐ戻る」と言ったのに――。
エナが元に戻るには数日かかった。
すぐ戻るって、ゆったじゃーん! ゆったじゃーん! ゆったじゃーん!
しかも段階的に戻ってゆくものだから、17歳からカウントダウンしていって、16歳、15歳、14歳、13歳、そして現在における12歳……と、すべてのバージョン、すべての〝未来予想図〟を、1日ずつ見てゆくハメになった。
そうやって連続して日々シームレスに見せられると、「アウト」と「セーフ」のゾーンが、ものすごく曖昧だということもわかってしまって……。
もう……。なんつーか、もう……。
あらゆる意味でヤバかった。
完全に普段の姿に戻ってしまったあと、エナはもういちどバカエルフに魔法の「おねだり」をしていたのだが……。
それは俺が土下座して勘弁してもらった。
ヤバい……。まじヤバい……。シャレになんないから……。ヤバい……。
ヤバいとしか言えない。マジヤバい。