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美形騎士、血にまみれる



 東の医務室へと行くには、城の中を通らねばならない。とはいえ、堂々と廊下を歩くのは挨拶などが面倒なので、イリスは使用人用の通路を通り、東の医務室傍から廊下へ出る。医務室の横には広いテラスがあり、木製の台座に紫の小花が広げられていた。

「医務棟ヒース=ランウェル薬師の娘、イリスと申します。母の使いで参りました」

 型通りの挨拶をすると、医務室を守る若い騎士が頷いた。医務棟とは違い、近衛兵が利用する医務室は守りも固いのか、出入り口だけではなく中にも騎士が立っていた。

「ああ、虹の嬢ちゃんか、良く来たなぁ。迷わんかったか?」

 医務棟を守る騎士といとこに当たる東の医務室付きの老医師メイジは小さな子供にするように、イリスの頭を帽子ごと撫でる。

「うん。城の中はわからないから、裏を通ってきたの。オジイも元気だった?ご飯食べてる?」

 メイジは休みの日に医務棟の騎士のもとへと遊びに来る。そのときに話すことがよくあるので、顔見知りだ。

 ずれた帽子をそのまま後ろへ外す。首で止まるようリボンで結わえているので、帽子は首の後ろにぶら下がる。

「おお、なんだかちょいと見ない間に娘らしくなったなぁ。そろそろ行儀見習いもはじめとるんか?」

「もう行ってる。隅っこで大人しくしてるわ」

 薬品箱を差し出すと、メイジはアゴで薬品棚を示す。入れてくれ、という意味だ。

「ありがとう」

 近衛兵が使用する薬を任せる、ということは、イリスを信用してくれているということだ。

 メイジは目を細め、頷く。

「お嬢はヒースと同じく薬師になるのか」

「うん。好きよ」

 母が封印の魔法をしたためた札を裂き、箱を開く。並ぶ薬品を好奇心で煌く瞳で見つめる。

 母は薬品の並べ方にも凝る。これはメイジの薬を扱うクセに合うよう、並べてある。だから、片付ける前に見て覚える。その作業に夢中になっているから、メイジが声をあげて笑うことにも気づかなかった。

「わしにはわかるが、その答えは変じゃぞ!」

 ぶはは、と笑うメイジは温かなまなざしで少女を見守っていた。



「ルットの小花の傍にはね、テルマの草が生えてることに気づいたの。多分、ミミルがルットもテルマも食べるからだと思うの。だからあまり取り過ぎないようにしていたら、最近凄い群生ができちゃった」

「気づいたのはいつじゃ?」

「んと。二年くらい前かな?すぐに育つから取りまくってもいいって母さんが言ってたけど、群生できたほうがいいよね?」

 メイジがお茶とお菓子をご馳走してくれたので、イリスはのんびりとおしゃべりに興じていた。メイジの薬品棚もじっくり見せてもらったので、敷居の高い東の医務室も、とても居心地良く過ごすことができるようになった。

「13歳の時か。大したもんじゃの。薬師の試験も、もう受けられるんじゃないのか」

「母さんが教えてくれるから、ツイてるだけよ。試験はもう少し勉強してからって思ってるの。勤めるようになってからじゃ、遠くの薬草を取りにいけないでしょ?買うのは高いし」

「はようワシを手伝ってくれ。市井から雇うには、身上調査が面倒なんじゃ。お嬢なら問題ないじゃろ。とーちゃんは黒の騎士団長だし、上の兄は財務官見習いじゃろ?はよ試験受けろ」

 ほれほれ、と頂き物の焼き菓子を皿に盛り、賄賂のように食べさせる。

「んでも、ロッテの血止めって凄い効き目なんでしょう?インヘルノの丸薬とか。時の魔法は無理だけど、氷と風の魔法を覚えて、新鮮なまま手に入れてきたいの。そして薬草畑で育てたらいいと思わない?自生している所の気候を作ってね」

 考えただけで楽しくなる。

 心底楽しそうに笑う少女を見やり、メイジは苦笑する。

 孫のように思う娘を早く手元に置きたいが、もう少し小細工が必要らしい。

「魔法も習っておるのか?」

「母さんに頼もうと思っているの。でも忙しそうで」

 封印の魔法くらいなら、母から学ぶことができる。だが新鮮なまま薬草を保存したり別の場所へ送るために必要な魔法は、専門の魔法師に師事しなくてはならないだろう。

「メイジ!」

 だだだ、と駆ける音が近づき、大柄な男が数人やってきた。

「血止めを頼む!」

「クロック!お前は休め!」

「馬鹿言うな!前さえ見えればどうということは無い!―――血止めをしてくれ」

 金髪の男が額から血を流しながら怒鳴る。クロックと呼ばれていた男だ。

「嬢、止血を頼む」

 仕事用に表情を切り替えたメイジが、短く指示をする。

「はい」

 ポケットから皮の手袋を取り出し、治療台に置かれている清潔な布を多めに掴む。

「血止めをいたします。お座りください」

 クロックは見慣れぬ少女に一瞬虚をつかれたようだが、すぐに大人しく診察台に座る。

「失礼いたします」

 血まみれの男に気後れすることなく近づき、見上げるほどに背の高い鎧姿の男達の間を縫って診察台の横に立つ。

「直接布を当てます。よろしいですか」

 近衛兵はたいてい中流以上の貴族だ。その身に触れるのは不敬にあたるので、いちいち断らねばならない。

「ああ」

 クロックは金の髪を揺らして首肯する。

 血でわかりにくいものの、その額を切り裂く傷は肉が見えていたのですぐにわかった。

 メイジにそっと視線を送ると、血止めの塗り薬を手にしていたが、頷いた。

「無理か」

 メイジの呟きに苦く思いながら頷き返す。

「兜はどうしたんじゃ?お姫さんたちに人気の顔が傷ものになっちまったぞ」

 塗り薬を仕舞い、縫合の準備をしながらメイジはため息をつく。

「…ユリン姫が顔が見えぬと嫌だとぬかしやがるので」

 口を閉ざしたクロックの変わりに、立っていた近衛兵が忌々しげに呟いた。

「セイ。不敬な物言いは慎め」

「真剣を使っての試合だ。兜をつけぬなど、死ななかったのが不思議なくらいだ」

「セイ!」

 クロックが怒鳴ると同時に、手の中で布が重さを増すのを感じる。

「…畏れながら、あまり大声を出されますと、血が流れすぎてしまいます」

 大人しくしてくれ、と言うと、クロックは血に濁った目を向けてくる。深い青の瞳は流れ込む血に曇り、なかなか壮絶な様相だったが、イリスは肩をすくめる。気迫で言えば怒った父のほうがよほど恐い。ただ整った顔のため、珍しいと思うくらいだ。

 ぶ、と背後に立つ鎧姿の近衛兵が吹き出す。その男を肘で小突き、メイジは道具を持ってきた。

「どけフレイ。嬢、布を代えよう。消毒する」

「はい」

 メイジに布を差し出され、素早く取り替える。メイジが消毒液をかけるのに合わせ、そっと布を動かす。

「ああこりゃ止まらんな。嬢、そのまま頼めるか」

「血を押えていればよいのですね?」

「ん。うぬ糸がなかなか通らんわい。あーよしよし」

 釣りに使うより小さな針を弄るメイジは、ようやく細い糸を通しクロックに向く。

「嬢は縫うのを見たことがあるのか」

 クロックの傷を迷うことなく縫い始め、メイジは淡々と手を動かしながら間近で見つめる少女に問う。

「はい。母が何度か」

 好奇心に目を煌かせつつ、イリスは頷く。母よりも大きな縫い目でメイジは縫い進める。

「やるか?のう若造、ワシが縫うよりこの嬢の方が綺麗に縫うぞ?よいじゃろ」

「血が止まるならどうでもいい」

「ありがとうございます」

 イリスはいそいそと手袋を脱ぎ、メイジより針を受け取る。

「ワシも老眼でのー、細かいのは面倒なんじゃよ。ほうほう、やはりな、よい手つきじゃ」

 ぷすり、と初めての一刺しは少し深く刺してしまったが、クロックは微動だにしない。やはり近衛兵は痛みにも強いのだろう。

「目は細かい方がいいのですか?」

「そうじゃな、こやつは血の気が多いのでの、傷が開くこともあるじゃろ。細かい方がよいな。荒いと開きやすい」

「はい」

 言われた通り、細かい目で縫い進めていく。

「オジイ、最後は返し縫い?」

「玉止めだけでよいよ。返すと抜くとき面倒じゃからの」

「はい。これでいいかな」

「んむ。上出来じゃ。綺麗に手を洗うんじゃぞ?傷はなかったな?」

 よしよし、と好々爺の笑みで頷き、血まみれのイリスを見る。

「はい。ありがとうございました」

 母に良く似た可憐な笑いを浮かべるが、あまりに悲惨な姿に、無骨なクロックもさすがに顔をゆがめる。

「済まぬな、服を汚してしまった」

「いえ。このくらい大丈夫ですよ」

 軽く手を振り、備え付けの水場で肘を使い水を出し、慣れた手つきで丁寧に洗う。そして血にぬれた手袋が入ったエプロンを外してしまえば、裾に刺繍のあるワンピース姿になる。こういった時のために、エプロンをしているのだ。

「オジイ、あとはなにをしようか?」

「これで仕舞いじゃ。あとはいいよ、ああ、菓子を持っていくといい」

 包帯を巻き終えたメイジも手を洗い、薬品棚より丸薬をクロックへ放る。

「朝夕食後に飲め。薬が切れたら消毒するんで来い」

 イリスへ話しかける声とガラリと変えて低く言い捨て、いそいそと菓子を手に取りイリスへと持たせる。

「わあこんなに!ありがとう」

「裏は暗いじゃろ、面倒でも城の廊下を通って帰るんじゃ。気をつけての」

 はあい、とあどけない笑みを浮かべ行儀良く礼をして出て行く少女を見送り、近衛兵達は微妙な顔でメイジを見る。

「なんじゃい。用はもう済んだじゃろ」

 しっし、と犬でも追い払うかのように手を扇ぐ。

「メイジ、ありゃあんたの孫か?」

 吹き出す以外は黙っていた赤毛の近衛がぼそりと言う。

「ワシとルーイが可愛いがっとる子じゃ。お前らなんぞ相手にせんぞ、みてくれにだまされるお姫とは違うわい」

 メイジの言葉に、むぅ、とクロックは口を引き結ぶ。自分に寄って来るのは、この金の髪と深い青の瞳に飾られた整った顔に惹かれた娘ばかり。この堅苦しい性格に幻滅して離れていく者ばかりだ。

「傷は残るじゃろ。よかったのではないか?その派手なみてくれでも、傷があれば見る目のない娘は寄って来ぬよ」

 ほれいい加減出て行け、片付かん。と手で扇ぐと、しぶしぶと近衛達は出口へと向かう。

「世話をかけた、メイジ。またよろしく頼む」

「もう兜は脱ぐなよ」

 最後まで辛らつなメイジに、クロックは顔をしかめて出て行った。


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