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まなこ閉じれば光  作者: 酒田青
再びできたて掌編
32/33

青い花

 開け放った家の中から白檀の線香の香りがする。来客が帰ったばかりだった。


 気がつけば庭に青い花が咲いていた。小さく慎ましい花だった。丸い葉がたくさんついた短い茎に、同じく丸い花弁のある花がつく様子は控えめで優しい性格の少女を思わせる。花は庭の一角に咲き、見たことのない植物に少し眉根を寄せたが、僕はそのまま放置して庭の草むしりをした。庭には母が植えた水仙が咲き、春を思わせた。

 全体に大きな草を抜き終わり、先ほどの見かけない植物を処理しようとした。まじまじと見ると、これは本当に見たことがない。青いところ、小さいところ、茎が短いところなどはオオイヌノフグリに似ているが、大きさが違う。花が小さいと言っても指で作った輪の大きさほどあり、葉も五枚葉でかなり違いがある。一体この植物は何なのだろう。初春に咲く野草というと、スミレのような花やタンポポなどどの季節でもよく咲く花くらいしか思いつかないが、これは違う。

 手を伸ばした。花に触れた瞬間、誰かに「殺さないで」と言われた気がした。少し驚き、急に気が変わって家に入った。手を洗い、まだ出しっぱなしのこたつに入って冷たくなった体を温める。じきにうとうとし始め、気づいたら夜になっていた。

 焦ることはなかった。忌引きで五日、休暇を取っている。休みはあと二日ある。惰眠を貪り、そのまま朝まで寝た。食事は取らなかった。起きても、腹は減らなかった。


「大丈夫? 何だか人が変わったみたいだけど」

 薫が僕の顔をじっと見て、そう言った。僕は軽く笑ってそんなことはない、と言った。

「大変だろうけど、生きてかなきゃだめだよ」

 健康的な瞳でそう言われると、衝動的な怒りが湧いてくる。薫は僕ではないし、僕のことがわかることなどない。たとえ彼女が僕の恋人だとしても。

 そう思いながらも呑み込んで、お茶を用意した。給湯ポットの中のお湯は昨日のままなので少しぬるいらしく、お茶の香りが立たない。それでも気にせずテーブルに置いた。薫は飲んでから一瞬手を止め、また飲み始めた。

「いい写真だね」

 彼女は仏壇に飾られた写真を見て言った。僕の中に虚無が訪れた。


 昨日の植物は、段々と、陣地を家の方にまで伸ばしてきていた。たったの一日でこんなに伸びるのかと、驚いた。這性の植物なのか、まるで手を伸ばすかのようにこちらに向かってきていた。青い花も増え、漏斗のようになった植物の陣地は、家に辿り着こうとしていた。

 手を伸ばすかのような。そう考えて、僕は妹の花を思い出した。途端に苦しくなり、庭に背を向けた。家に入っても、それは消えない。青い花の可憐さが、却って毒々しく思えた。


 夢を見た。妹の花は、朝方の青い花の咲いた庭を背景に立っていた。髪を下ろし、お気に入りの鮮やかな青い薄手の緩やかなセーターを着ていた。上から下まで同じ太さのストレートパンツの足を一歩一歩と進め、仏壇の前の布団に眠る僕の目の前にやってきた。花は、微笑んでいた。

「お兄ちゃん、会いたかったでしょ、私に」

 僕は起き上がり、花をまじまじと見た。彼女はニコニコ笑って僕の手を取る。

「こうやって手遊びしたよね。ずいずいずっころばし、ごまみそずい……」

 子供のときにやった遊びを、二人でやった。花は笑いながら、彼女の顔を見てばかりの僕がミスをするのを優しく咎めた。彼女の手の感触は、本物としか思えなかった。湿度と温度を感じさせる。

「お兄ちゃんさあ、お父さんもお母さんも結構前に死んじゃったでしょ。だから、私のこと、しっかり育ててくれたよね」

 僕の目から涙がぽろぽろと溢れてきた。二人の思い出。一緒に出かけたり料理したり、騒がしく遊んだりした。花はカラオケが上手かった。高校でもよく友達とカラオケに行っていた。

「感謝してんだよ、すごく」

 言葉にならない声が出てくる。僕は嗚咽して泣いていた。

「お兄ちゃんはさあ、繊細だしさ、優しいしさ、苦労することも多いと思うの。でも私にとっては頼りになるかっこいいお兄ちゃんだったの。そのこと、絶対に忘れないで」

 何度も頷く。花はにっこりと笑い、立ち上がった。

「じゃあね。私はもう行くね。お兄ちゃん、元気で」

 僕は行かないでくれと叫んだけれど、彼女は庭のほうへと歩き出した。その後ろ姿は、青い花の咲く庭に溶け込んでいった。


 目を覚ますと、仏壇を見あげた。花の写真がそこにあった。撮影者である僕に向けた、得意げな笑顔。花はカラオケの帰りに交通事故に遭って死んでしまった。僕の家族は花で最後だった。

 夢を見たせいか、不思議とすっきりとした気分だった。花が死んでから、どう生きればいいかわからない気分だった。それが、不安な気分と困惑が晴れて、重苦しい自らの生に押しつぶされそうな感じが消えていた。

 縁側から庭に降りた。花はなくなっていた。丸い葉はまだ残っていたが、枯れかけていた。頑張ってここまで来てくれたんだな、と思った。

 シャワーを浴び、無精髭を剃り、いかに自分がやつれているかに気づいた。でも、目は以前と同じだった。花がいたころと、同じ。髪を整え、服を新しいものに変えると、僕は元通りの僕に戻った。


 生きよう。そう決めた。

久々の新作です。よろしくお願いします。酒田青

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