クロとミミ
ぼくが虎くんに呼ばれたのは、正午だ。森に近い場所にある虎くんの家は、大きく立派で堂々としている。巨木をたくさん使った柱と外壁はすきま風なんて通しそうにないくらいがっちりと組んであるし、玄関に続く階段はきれいに掃除してある。高床式の虎くんの家は、小さなぼくが訪問するには困難すぎる。階段の段差が大きいのだ。苦労してぴょんぴょん飛び上がって階段を上がる。できるだけ力を込めて大きな玄関扉をノックすると、待ち構えていたのか虎くんがすぐに出てきた。黄色に黒のしましま模様の毛皮、太い腕、大きな牙と体。ぼくの何十倍もある体重でのしのし中に進み、
「おう、入れよ」
と言う。中には黒豹くんとフクロウさんがいて、テーブルを囲んで座っていた。黒豹くんは苦手だ。見た目はぼくにそっくりなのに、ぼくより遥かに大きい。それに無口で、黄色い目でぼくを射抜くように見るのだ。フクロウさんは村の賢者だから、信頼している。でもやはり好きではない。彼もまた無口で、おまけにミミを食べることに賛成しているらしいのだ。虎くんの家の床には鹿の毛皮が敷かれ、虎くんは雑にそれを踏みながら歩き回っていた。
小さなぼくは、椅子に台を重ねた上に乗って、食卓に加わった。もちろん虎くんに手伝ってもらったのだ。
「クロ」
虎くんが席に着き、ぼくに話しかけた。ぼくはきっと彼を見て、
「ミミは食べさせない」
と言った。
「そうは言うけどよ、ミミがお前の家にいると思うと村の連中がそわそわするんだよ。喧嘩が始まったりむやみに腹が減ったり、ミミが村に来てから何だか規律が乱れてるんだ。ミミは食べるか出て行ってもらうしかない」
「ぼくはミミと離れたくない」
「お前なあ……」
「ミミは兎だ。村にいると肉食獣を色めき立たせるんだ。クロ、お前は養われている身だ。子猫だからな。ろくに獲物も捕まえられないのに兎を食べずに飼うなんて贅沢は許されない」
突然話し出したフクロウさんを、ぼくはにらんだ。
「ぼくはミミを飼ってるんじゃない。友達なんだ」
虎くんとフクロウさんが顔を見合わせた。ため息をつく。虎くんがぼくに言う。
「強情だな」
「ぼくはミミと暮らすんだ」
「わかったわかった。あと三日、猶予をやる。その間にミミをどうするか決めよう」
勝った。ぼくは何度もこの猶予期間を得ていた。もうすでにひと月ほど、ミミはこの肉食獣の村で暮らしている。ぼくと一緒に。あばら屋だが、ミミは満足している。
ミミは迷い兎だ。どの草食獣の村にも属しておらず、放浪を重ねてここに着いたのだと言っていた。村の大人たちが狩りに行っている間ぽつねんと村の外れに立っていたら、ミミはふらふらと現れた。美しい兎だった。死んだ兎は何度も見たことがあるが、こんなに白くて生き生きとぼくを見る兎は初めてだった。ぼくはミミをさらった。ぼくが暮らすあばら屋に押し込めた。ミミは泣いた。けれどミミには家族や仲間がいないらしく、ぼくにすぐ心を許して敷地の中で暮らし始めた。ミミは子兎だったが、ぼくより大人のようだった。ただあまり賢くはないらしく、いつも微笑んで黙っている。
ぼくは道端でタンポポの花を摘んだ。村が見通せる虎くんの家のそばだ。タンポポはミミにあげるつもりだ。ぼくは微笑む。
「クロ」
頭上から声が降ってきた。驚いて振り返ると、かなり近いところに黒豹くんがいた。黒豹くんは無表情に、
「お前の家に行ってもいいか」
と言った。警戒心が芽生えた。ミミを食べる気か?
「ミミと話をするだけだ」
「嘘だ」
「わたしはお前の味方だよ。村とお前のために、やるべきことをしたいだけだ」
黒豹くんはぼくの頭を撫でた。ぼくは黒豹くんの温かいてのひらがぼくに触れた瞬間、嬉しくなってしまった。ぼくはかっこいい黒豹くんがぼくに似ているから、憧れと親近感を抱いてもいたのだ。
「じゃあ、じゃあ……、遠くから見るだけだよ」
ミミを、と小さくつぶやいた。黒豹くんはうなずいた。
家に着くと、あばら屋の中からミミが出てきた。ぼくに微笑みかけ、次に黒豹くんを見た。ぼくは黒豹くんを置いてミミに近づき、タンポポを差し出す。ミミはそれに反応せず、ぼくの後ろの黒豹くんばかり見ている。
きれいなミミ、かわいいミミ。ぼくのミミは黒豹くんを見ている。ぼくは絶望的な気分になった。
気づけばそばに黒豹くんが立っていた。ぼくははっと彼を見る。
「お前がミミか」
「ええ、黒豹さん」
ミミはうっとりと彼を見た。
「わたしたちはお前を村の外に出すか、食べるかしないといけない。どちらがいい?」
脅すような口調ではなかった。ただの質問というような、何でもない様子だった。ミミは目を潤ませながら彼を見て、
「素敵な黒豹さん、わたしは食べられるほうを選びます。それもあなたに」
ぼくは叫びそうになった。駄目だ、駄目だ、君はぼくと暮らすんだ! そう言いたかったのに、ぼくの口は動かない。ミミは一歩進んでぼくの横をすり抜けた。黒豹くんは彼女を従え、歩き出した。
「ミミ!」
一縷の望みをかけ、ぼくはミミの後ろ姿に声をかけた。ミミは黒豹くんに見とれたまま、振り返ることもなく彼の家に行ってしまった。
《了》
クロが12歳、ミミが15歳、黒豹くんが20歳のイメージです。今流行りの「ネトラレ」をやってみました。人間の恋愛だと生々しいですが、動物の食べる食べられるの関係に置き換えると生々しくないような気がしたけどそうでもないですね。ちなみに虎くんは25歳くらいです。フクロウさん40歳。酒田青枝