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まなこ閉じれば光  作者: 酒田青
再びできたて掌編
28/33

山井は今日もバイト

 山井は今日もバイトらしい。

「やべー! バイトに遅れる!」

 と叫び、ホームルーム後の教室を走り抜けていく。わたしのポニーテールが揺れる。山井はわたしの頭すれすれを走っていくからだ。

「またか」

 わたしは淡々と髪の乱れを直し、椅子から立ち上がる。それから部活に行く。

 バドミントン部の活動はシンプルだ。部員が少ないし、コートの数も少ないので、羽根つき並みにだらだらと闘志の感じられない練習をしている部員以外は、百円ショップで買った謎の和柄の扇子で顔をあおぎつつ、だらだらと雑談を交わすのだ。純香はわたしたちの中心であぐらをかいて地面に直接座っていた。ふてぶてしささえ感じる肉づきのいい純香の顔は、堅太りした体によく似合う。その実、気は優しくて、面倒見がいいので下級生にも好かれている。

「花村。ヤバいね不倫してる」

 純香が言うと、隣の黒ぶち眼鏡の杏子が「まじで」と応じる。ちなみに花村はわがクラスの誇りとされている若い美人教師だ。

「誰と?」

 わたしが訊くと、純香は「山井」と答える。わたしは驚きのあまり鼻から烏龍茶を吹き出してしまった。いや、そもそも花村先生は独身だ。

「不倫じゃないし、山井はないでしょ」

 山井は金がなくてピイピイ言っているだけのただの男子だ。モテる要素がほぼない。それもあの美人の花村先生とつき合うなんて甲斐性は感じられない。

「数学の石田。花村はあいつが本命だったはず……。だから不倫」

 純香は目を細めて強調した。石田先生は若くて花村先生と年は近いが、それもないだろう。

「大体、山井は花村に構われすぎてる。それが怪しいんだよ」

 それは確かに。山井はいつも花村先生に呼び出され、どこかに行っている。でもきっと職員室や生徒指導室だろう。そう指摘すると、純香は首をゆっくりと振った。

「生徒指導室でちちくりあってるに違いない」

「いやいやいやいや! それはもう妄想の世界! 山井は、山井は」

 思わず立ち上がったわたしを、純香たちが見上げる。ごくりと唾を飲み込み、わたしは言葉を心にしまい、「何でもない」と誤魔化した。純香たちの視線が痛い。

「おっ。わたしたちの番だよ。ラケット持って。はい行こう」

 純香が立ち上がり、杏子たちをコートに誘導した。普段はこんなにやる気満々じゃないくせに、不自然だろう。そう思いつつも純香に感謝する。噂好きで妄想狂の気があるが、察しがよくて気を回してくれるのが純香のよさなのだ。わたしは張り切って純香たちと共にダブルスの練習に向かった。


     *


「ういーっす」

 夕暮れの花屋の前を通ると、山井が声をかけてきた。わたしは「うっす」と小さく返す。山井は店の前で掃き掃除をしていた。赤が褪めたような色の店のエプロンを身につけ、黒髪はかき上げられている。山井は将来美容師になりたいらしく、いつもおしゃれだ。校則に抵触したりしなかったりしながら、彼はおしゃれを楽しんでいる。大して運動したわけでもないけれど、部活で汗をかいていて近づきたくなかったので大きく回りながら山井を避けた。そのまま突き進んでいく。

「おーい。無視すんなよ」

 山井の声が追いかけてくる。

「おい花子。花子ー!」

「そのダサい本名で呼ばないでくれる?」

 わたしが振り向くと、山井は喜んだ。にっこり笑ってわたしを手招く。

「新しい花が入ったんだよ。見てけよ」

 ほーら、ガーデンシクラメン、と山井は自分の足元を指差した。その濃いピンク色の花弁の大きな花は、ヨーロッパのアパートの窓際から覗いているようなかわいさがあった。

「わ、かわいい」

「だろ?」

 それは苗で、小さくて、わたしは思わず家に飾ったときの姿を思い浮かべてしまった。でも、買おうとしたら山井に止められた。

「何で?」

「今植えたら枯れる」

「何で枯れるようなもん売ってんの?」

「市場に出回ってるから」

「あこぎな商売だねー、花屋も」

「まあまあ。十月半ばにな、植えたら春まで咲くから」

 ふうん、とわたしはガーデンシクラメンの群れの前でしゃがみこんだ。山井はその横に座り、わたしのポニーテールの先をピン、とはじいた。山井を見る。山井は視線を外した。

「いつもさー」

「何?」

「わざとやってるでしょ、あれ」

 教室でわたしの髪が揺れるのは、山井がわざと触るからだ。もうずいぶん前からわかっていた。山井は、んー、とはっきりしない声を出し、肯定も否定もしなかった。

「わたしの髪に何かあるの?」

「何かというか。艶と張りがあるきれいな髪だと思ってる」

「切りたいの?」

「何というか、アレンジしたい」

 ふふ、とわたしは笑う。山井もわたしに笑いかける。

「いいよ。今度やってみたらいいよ」

「ども」

 山井に髪を思いきり触られるのって、どんな感じなんだろうなあ、と思う。何かの域を超えてしまいそうな、怯えと好奇心がある。

「山井さあ」

 ガーデンシクラメンの一際濃い色の花を見つめながら続ける。山井はわたしの顔を覗きこむ。

「花村先生と不倫してるらしいよ、あんた」

「はあっ?」

「で、花村先生は石田先生が本命らしい」

「噂かよ」

「というか妄想」

「お前の?」

「違うよ、わたしは」

 気づけば目が合って、逸らせなくなった。山井が真剣な顔をしていて、わたしは、「やめとこ」と言った。また今度。そう言って、何が今度なのかな、と笑いたくなった。

 薄暗い外を、花屋の光が煌々と照らす。わたしも山井も歩道の向こうの車道を見つめる。

 この間、山井の妹たちの話を、こうやって聞いた。三人の妹たちの髪は、山井が整えてあげているのだという。働きづめのお母さんの話も、亡くなったお父さんの話も、ここでこうやって聞いた。花村先生に呼び出されて、進路の話をしていることも。

 また今度。今度は何をしたいか。

 言いそうになって、言えなくて、わたしは黙った。

「今度、デートしようぜ」

 山井が笑った。わたしはあまりの呆気なさに、思わず笑ってしまった。

《了》

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