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まなこ閉じれば光  作者: 酒田青
昔の掌編
25/33

死細胞

「われわれ人間が物質であることを考える。

 人間は数多の物質の集合体だ。炭素、窒素、水素、酸素……。これら元素が成す「からだ」。からだは様々な欲求を持ち、別のからだにシグナルを送る。空気を振動させて声を発する。からだを動かしジェスチャーを出す。からだに備わる涙腺から涙と呼ばれる水分を流す。あるいはただ黙して動作をやめる。それらシグナルが人間関係を作り、人間社会を作り、果ては国を、隅々まで繋がった世界を作る。

 われわれは物質だが、シグナルで生きる生命体でもある。シグナルで新しい物質すなわち食料を得、からだを維持していく。ヒキコモリなるシグナルを一つも出さないとされるからだも、無言というシグナルを送り、食料を獲得している。本当にシグナルを出さないからだというのは存在しない。シグナルを受け取る別のからだが近くに存在しない、孤島にあるからだでさえも、声涙その他でシグナルを出している。シグナルが届かないなどしてないも当然のものとなれば、いずれからだは複雑な物質移動ができなくなり、崩壊してしまう。ただの物質に戻ってしまうのだ。

 われわれとて、好んで生命体となったのではない。われわれの惑星の環境が偶然生命体であるわれわれの祖先をいくつか生み出したというだけのことだ。そのうちシグナルを出して互いを維持するわれわれを作り出した。シグナルはわれわれのからだを維持するシステムにすぎない。シグナルを出す出さないで苦悩するまでに複雑化して発達したことは、仕方がないと言えよう。われわれが惑星によく適応しているという証左だ。適応していなければ発達はできぬ。このままなら他のいくつかの惑星にも拡がっていくことも可能だ。われわれ人間はなかなか滅びぬ種の生命体だ。それによいも悪いもない。

 さて、われわれ人間は一つのからだから様々なものを落とす。糞や尿のようなからだから通りすぎていくものだけではない。髪や垢のようなからだそのものと言えるものが落ちていく。なるほど髪や垢は死細胞に違いない。かつて生命体であったものにしかすぎないというのはわかる。しかしからだを成していたものだ。あなたというからだと同じかたちの物質を持つものだ。それが集まり、生命体に戻って何がおかしい? あなたと同じかたちの物質を持つのだ。あなたと同じ姿をしていて何がおかしい? あなたは大量のからだの一部を落とした。あなたと同じ姿のわたしたちというからだ。五人もいて何がおかしい? わたしたちというからだはわれわれ人間のからだでもある。あなたというからだに「家がないから住まわせてほしい」とシグナルを送って何がおかしい?」

 ある日ぼくと同じ姿をした裸の男たちがぼくの六畳一間のアパートの部屋を訪ねてきて、そのうち一人がそう言った。涙を滝のように流し、黄色くけばだった畳を拳で打ちつけながら、深夜二時にも関わらず大声で。ぼくは心打たれてしまった。何しろぼくそっくりの男たちが苦しんでいるのだ。ぼく自身が苦しんでいるように錯覚してしまった。そして、一人一畳と決めて畳の上に寝起きを始めた。もう三日目だ。やっとわかってきた。こいつらはぼくと同じ姿をしているがぼくではない。ぼくが大学の課題をしているときに麻雀をし、苛立っているときに勝ちどきを上げるこいつらはぼくとは別の人間だ。何がシグナルだ。ぼくは他人のシグナルなんか受け取らないぞ。孤独な人間の物質移動がうまくいかないというのなら試してみようじゃないか。ぼくは一人だって困りはしないぞ。

 そういうわけでぼくはやつらを追い出した。

 やつらがぼくを銀行強盗の犯人に仕立て上げ、本当の孤独に追いやるのはその翌日だった。

《了》

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