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まなこ閉じれば光  作者: 酒田青
昔の掌編
24/33

待つてゐる

 君を待つてゐる。この雪の中、待つてゐる。優しい声を待つてゐる。マフラーをかけてくれる手を待つてゐる。

 君が病に倒れてから半年が経つ。僕が独りで寝起きをするやうになつて五月が経つ。君が僕に文句を言はなくなつて三月が経つ。僕が君を思つて泣くやうになつて一月が経つ。君がただ微笑むやうになつて一週間が経つ。

 君がありがたうと言つて僕を見つめたあと、先に逝つた一人息子の勝彦の元に行つて二時間が経つ。

 僕はぼんやりと君の残していつた君の脱け殻を見つめてゐた。君の顔はたうたう冷たくなり、もはや君ではないやうな気がした。しわくちやな顔を見て、永く生きたなと思ふ。それでも僕には物足りないけれど。君が僕以上に生きて、僕の逝つたあとに来てくれたなら思はなかつたことだ。我が儘だらうが僕は君に生きてほしかつた。

 君の作つた味噌汁の味を思ひ出す。鰹だしをたつぷり取つた、少しだけ塩気の多い味噌汁の味。君が倒れたため、料理をしたことのない僕が味噌汁を作つたら、塩気の多いといふ文句さへ贅沢だとわかつた。君の味噌汁は旨かつた。いつかはまた食べられるかもしれないと思つていたが、それも叶はないやうだ。

 僕は今、塀に囲まれた家の庭の隅でこの手紙を書いてゐる。雪が僕の肩に落ちる。風邪を引きますよと君が縁側から出てくるのを待つてゐる。そんなことはあり得ないとわかつてゐる。この手紙は君に宛てた遺書だ。

 風邪を引けばいいと思つてゐる。死んでもいいと思つてゐる。僕のやうな老人がさう思ふのは当然だとさへ思ふ。

 君に対して愛してゐると言つたことがなかつた。僕は愛してゐるとは言はない世代の人間だ。せめてもつと優しくすればよかつた。僕は気持ちを伝へるのが下手だ。今になつてはその後悔も遅い。

 君を待つてゐる。早く来いと思ふ。僕なぞは生きていても仕方がないのだ。

 ふと、家の中から気配がした。風邪を引きますよと君の声が聞こえた。僕はその瞬間に涙がこぼれ、とまらなくなつたのを感じた。君がゐる、と思つた。

 気のせいだとはわかつてゐる。けれど僕はそれを君の声だと思ひ込んで、最後まで生きるべきなのだらう。

 僕は手紙を書くのをやめやうと思つた。

 君の温かい手が僕にマフラーをかけてくれた気がした。

《了》

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