宝石図鑑
残酷だ。残酷だ。あなたはぼくを切り刻む。ぼくの心臓をめちゃくちゃにして食べる。そして不味いと言わんばかりに放り出す。まるでぼくに心がないとでも思っているかのように。あなたは、悪魔だ。
「あなたがくれた宝石、全部質屋に売っちゃった。ルビーも、ダイヤも、ラピスラズリも、琥珀も、真珠も。ぜーんぶよ。宝石図鑑ができそうなくらいたくさんくれたけど、いらなかったの。あなたは宝石イコール愛だと考えていたようだけど、あなたの愛なんていらないの。わたしは自由でいたいんだから」
そう、あなたは言い放った。白髪を上手にまとめ、しみはないけれどしわのある顔をし、杖を横に揺り椅子に座っているあなた。何十年経っただろう。求婚を始めてから。ぼくはすっかり禿げ上がってしまったし、右目は始終涙がとまらない状態になってしまった。この老人ホームで暮らすあなたを追いかけてきたぼくは、何十年経ってもあなたの奴隷であり、僕だ。あなたにいいように扱われ、左目からも涙が溢れ出すぼくを、ホームの職員や老人たちは怪訝な顔で見つめている。
「あなたってすぐ泣くのね。苛々するわ。わたしはね、あなたの愛なんて」
「登紀子さん」
五十代くらいの若い男があなたに近寄ってきた。何か小さな箱を手にして。この男は何なんだ。あなたの名を呼んだりして厚かましい。あなたは少し目を見開き、
「雄一郎、それはあとで」
と素っ気なくつぶやいた。「雄一郎」だって? あなたは一体この男とどんな関係なんだ。
「そう言わずに、見てよ、登紀子さん」
男はあなたが厳しい顔をするのも構わず近寄ってきて、繊細な細工がされた木の箱を開いた。
「ほら、宝石図鑑みたいでしょう?」
まぶしく輝くルビー、ダイヤ、ラピスラズリ、琥珀、真珠、その他の宝石。これは、ぼくがあなたにあげた。
「雄一郎!」
「ひどいなあ。自分のおばに宝石箱をプレゼントして、どうして叱られるの? だって、宝物なんだって言ってたじゃないか」
「お下がり」
男は不満げな顔であなたを見つめると、あなたの前のテーブルに宝石箱を載せて、
「米寿の誕生日、おめでとう」
と言って身を翻した。あなたはその間ずっと顔をホームの窓の外へ向けている。
「宝物なのよ」
あなたはぽつりとつぶやいた。
「宝物なの」
ぼくは両目から涙を落とした。涙はとまらなかった。ホームは暖かく、優しかった。
《了》