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まなこ閉じれば光  作者: 酒田青
できたて掌編
10/33

円環の夢

 TO-BE小説工房という掌編の賞に応募しようと書いてみたら長くなってしまったので投稿。お題は「夢のまた夢」。2015.6.25.酒田青枝

「夢を繋げる?」

 エリカがきっちりと描かれた淡い眉をひそめ、私の目をじっと見る。私は思わず胸元を探りそうになった。気持ちを落ち着かせるお守りである妻の形見は、そこになかった。あの部屋で落としたのかもしれない。ユキノが大層暴れて泣いたから。私はポケットから出した手をまたしまった。私とエリカは真っ青な病院の中にいた。窓がなく、壁も床も鮮やかな青に塗られたここは、深海を思わせる。地下にいる私たちは、二人で青い廊下を歩いていた。人気のない廊下で靴音が響く。

「そう。繋げる」

「どうやって?」

「相手を夢にするんだ」

 エリカが目を見開き、エメラルドグリーンの瞳の中で、瞳孔が収縮したのがよく見えた。私は彼女の顔が青ざめて見えるのを壁の色のせいにした。彼女はきっと、恐れてなどいない。

「君にも協力してほしいんだ」

「どうやって?」

 エリカは立ちどまり、私の顔をまじまじと見た。彼女の透き通るような白い肌には赤い血液が流れ、彼女の本能は今もなお太陽の光を求めていることを、私はわかっていた。けれど、もうどうしようもないのだ。エリカも承知している。その上で怯えとも取れる体の震えを生じさせているのだ。

「簡単だ。まず、Aが夢現装置に自らをプラグインする。そしてBが夢現装置の中に入る。BはAの夢になる。夢現装置の中ではBがCの夢を見、CがDの夢を見る。Aが生き続ける限り、夢は存在し続ける」

 エリカの震えが明確になる。私は彼女の華奢な体を支え、そっと目の前の青い両開きの扉に向けて押した。扉はそろそろと自動で開き、中の様子がよく見えた。ベッドにユキノが眠っていた。黒く長い髪が滝のように細い寝台から流れ落ちていた。膨らんだ小さな唇は定期的に息を吸い、吐く。頭からは夢現装置に繋がるコードが出ていた。広い部屋のほとんどは夢現装置のグロテスクな虹色がかった銀色の体に占められていた。コンピュータが見た夢のような、不可思議な穴や線で彩られた装置は、部屋を浸食していた。高い天井は凸凹で、これは全て夢現装置の体だ。

 私はエリカの体が震え続けるのを手で感じた。妙に落ち着いた気分だった。

「ピエールは最後のメンバーの中で最初に夢現装置に入った。夢現装置で夢化したピエールは、リャンの夢になったんだ。次はリャンの番。リャンは寝ながらにして夢現装置に押し込まれ、ディックの夢になった。ディックも夢現装置の中に入れられた。ディックはユキノの夢の中にいる。そして君はユキノの夢を見るんだよ」

 言い終わった瞬間、エリカが「嫌!」と叫んだ。私の手を振り払う。彼女は私に向かって叫ぶ。

「人類は衰退したわ。確かにそうよ。でも、最後まで抵抗したっていいじゃない。食料がなくなり、この地下都市が滅ぶまで……」

「一人で?」

 私が吐息混じりに言葉を投げかけると、エリカはぴたりと口をつぐんだ。

「君はこの都市に一人で生きていける? 滅び、荒れ果てた文明の残骸を見つめながら?」

 人類は衰退した。環境破壊が進んで温暖化のためにやまない酷い雨が降るようになった。土壌汚染で人間が食べるものがなくなった。染色体が傷つけられ、年々子供が生まれなくなった。人間は地下都市でひっそりと生きるようになった。古くに製造された缶詰めを消費する日々。ある年子供が全く生まれず、二十年同じ調査結果が出た。人類の滅亡は決まりきっていた。

 そんな中、夢現装置の発明は奇跡だった。人間そのものを誰かの夢にできる機械。これで人は他人の夢の中で生きられるようになった。作った人物は夢現装置に入り、最初の夢になったそうだ。

 最初の夢はその人の存在そのものだ。次の人はその人の夢を見、誰かの夢になる。ユキノは五千八百二番目の夢見人だということだった。

 誰もがこの地球に絶望していた。それでも、自分の存在を残したくてたまらなかった。ユキノも、ディックも、リャンも、ピエールも、最初の誰かも。

「一人で、自分の存在を全てから忘れられて死ねる? 他の四人はできないと言った」

 エリカは唇をきゅっと結んだ。大きく息をし、私に背を向ける。ユキノのベッドに向かう。そして、彼女は夢現装置の円い鮹の口を思わせる入り口に向け、ユキノの寝台をゆっくりと押す。エリカはユキノにぼそぼそと話しかける。彼女たちは親友だったのだ。最後の言葉をかけているのだろう。それから顔を上げ、新しいプラグを頭に小さく開けられた穴に差し込むと、甲高い電子音が部屋に響いた。彼女はユキノを抱きしめるように覆い被さり、キスをした。それから寝台ごとぐっと夢現装置に入れた。入り口が中心に向かってぎゅっと閉じる。超音波が空間を満たし、私とエリカは頭を抱えた。ぴいいいい……という鋭くか細い音が消えると、エリカは床に倒れて眠っていた。

 私が最後の夢見人になるのだ。もうこの都市には私しかいない。妻は死んだ。子を成すことなく。私は妻の形見を部屋の隅に見つけた。彼女の骨のペンダントだった。首から下げ、新しいプラグを頭に寄せる。プラグは夢現装置から生物のように生まれていた。妻の夢を見る者はいない。妻は私の記憶の中にいるだけだから。私の夢を見る者はいないから、私が死んだときは妻の記憶も夢現装置で他人の夢になった五千八百三人の存在も全て消えてしまう。

 私の目から、熱い涙が溢れた。嗚咽を漏らし、泣きじゃくる。しわだらけの顔を撫で回し、この顔もいずれなくなる、と思った。悲しみは私を死にたいほど苛んだ。でも、死ぬわけには行かないのだ。私にはエリカの夢を見、しばらくの間だけでも五千八百三人の存在を保たせなければならない。私は大声で泣きながらプラグを頭に差した。もう誰も私の声を聞くことがないのだ。いくら泣いても恥ずかしくなどなかった。それから私はエリカを抱え、待ち構えていたかのように開いた夢現装置の虹色の油膜が張ったような口腔に、彼女を投げ込んだ。全てが終わった、と思った。私は五千八百三人のためにできるだけ生き続け、一人で死ななければならない。けれどその瞬間、私の体からプラグが生まれた。疑問を抱く暇もなく、金属の鮹の足のような長い十数本のものが夢現装置から私に伸びた。あっと言う間もなく、私は夢現装置に取り込まれた。


     *


 私は誰かの夢を見ていた。エメラルドグリーンの目をした白い肌の女は、鏡を見て髪をとかしていた。荒廃した都市にあるらしい清潔な女の部屋。彼女は眉に淡い色のタトゥーを入れていた。お陰で手入れは余分な毛を抜くだけでよかった。青い病院の一室に、彼女は住んでいた。簡素な白い寝台のあるその部屋で、彼女は黒髪の同世代の女と話をした。仲がいいらしく、話は盛り上がり、二人は笑いがとまらない。黒髪の女が不意に立ち上がり、手を振る。部屋から消える。帰ったらしい。残された女は、寝台に寝転び、夢を見る。

 夢の中の主人公は、先程の黒髪の女だった。爪を丁寧に切り、磨き、歯を磨く。彼女はそれが楽しいようだった。やがて彼女も寝台に上がって眠り、夢を見始めた。浅黒い肌の大柄な男の夢だった。男は缶詰を食べていた。食べ終わると、床に寝転んだ。眠りに落ち、夢を見る。夢の中には数学の複雑な式を解く禿げた男がいた。男は伸びをして寝台に寝る。眠りに落ちると金髪の伊達男の夢を見た。

 夢は無限に続いているように思えた。様々な人々が思い思いの日々を過ごし、眠り、誰かを夢に見る。いくつもいくつも夢は重なり、五千八百三番目に辿り着いた。それは、少女が出てくる夢だった。少女は工具を様々に使い、溶液に金属を溶かし、何かを作った。それは徐々に大きさを増し、部屋一杯になった。あるとき少女は父親に言った。「この夢現装置から出たプラグを頭に差して、私の夢を見て」と。父親が躊躇いながらもその通りにすると少女は白い顔をほころばせて機械の中に飛び込んだ。場面が転換し、少女は寝台に寝転んでいた。自分の部屋らしい。青い部屋に簡素な寝台があるだけの部屋。

「最後の夢見人のあなたにメッセージ。あなたは最後ではありません。あなたが夢現装置にプラグインしたあとあなたは――」

 少女は大きな声で独り言を言った。

「私の夢になるでしょう」

 そして少女は眠りに落ち、私を夢に見始めた。

《了》

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