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みちしお  作者: 三塚未尋
7/7

第7話

 距離的に家と学校の真ん中くらいまで歩いた時、ふと二見くんが会話の途中で「あのさ」と言った。

「ん、なに?」

「ちょっと寄り道したいんだけど、いいかな」

「寄り道って、どこへ?」

 本屋か、レコード店か。

 そう思っていたわたしに、彼は照れくさそうに笑って

「浜辺」

 と、言った。

「浜辺? 浜辺になにかあるの?」

「いや、なにもないんだけどさ。嫌なら、無理に付き合ってくれなくてもいいんだよ。また一人で行くだけだから」

 二見くんがなんだか謙虚な姿勢をとっている。

 すごく珍しい。いつも自由気ままに振る舞っている彼だから、こういう彼の姿は新鮮だった。

 浜辺なんて、今から行ってもただ熱いだけだろう。

 でも、彼が行きたいと言った場所だから、一緒に行ってみようという気がした。

「ううん。いいよ。わたし、どうせヒマだし」

「そっか、よかった」

 わたしたちは浜辺へ歩き出した。

 住宅街通って、商店街を抜けると、すぐ目の前に堤防が見えてきた。海に近づくにつれて潮の香りと風がだんだん強くなってきた。

 波音が堤防の向こう側から聞こえてくる。

 階段から堤防にのぼり、コンクリートの上に立つと、目の前で海がはるか彼方まで広がっていた。手前の浜辺に人影は見あたらない。海水浴をするには、もうすこし向こうまで行かなければ設備が無くて不便だった。

「よっと」

 わたしの隣に立っていた二見くんは、すぐに浜辺へと飛び降りた。


 わ!!

 よく飛び降りれるなぁ。

 わたし、ぜったい無理。


 浜辺に降りた二見くんは、まだ堤防に立っているわたしを見上げた。とっさに、わたしはスカートを押さえた。

「なーんだ、隠しちゃうんだ」

「あ、当たり前だよ」

 見られたら、恥ずかしくて死んじゃうかもしれない。

「森川さんも降りてきなよ。階段、あっちにあるよ」

「……うん」

 二見くんの指さした方向にはたしかに階段があった。


 階段があるなら使えばいいのに……。

 我慢できずに飛び降りちゃうほど、海が好きなのかな?


 わたしは小走りで、その階段を使って浜辺に降りた。

 その時には、二見くんの姿は波打ち際にあった。

 わたしは砂利を踏みしめながら彼へ近づいていく。

 波音があたりに満ちている。

 二見くんは、鞄を砂浜に置いたまま、水平線を楽しそうな目で見ていた。

「二見くん……どこを見てるの?」

「もちろん、目の前のもの全てだよ」

 わたしも彼の隣に立ち、彼と同じように海を見てみた。

 水色の空と、立ちのぼる入道雲。その下、水平線を挟んで、太陽の光にキラキラときらめく鮮やかな青の海。

「ここへは、よく来るの?」

「うん。学校が終わって、ヒマさえあれば」

「どうして?」

 海なんて、海水浴とかじゃないと、用は無いはずだ。

「んー、なんていうかなー」

 二見くんは人差し指で頬をかいた。

「元気をもらうため、かな」

「元気?」

「うん。僕ね、海を見てるだけで、全てがちっぽけなことに思えてくるんだ。勉強のことも、友達のことも、自分のことも。海の広大さからしたら、僕一人の悩み事なんてたいしたことないなって。そう思って、よーし明日も頑張るぞ、てなるわけ」

「……二見くんでも、悩み事ってあるの?」

 わたしの言葉に、彼は目を丸くした後、ハハッと笑った。

「僕だって人間だよ。悩みもすれば、嫌なことの一つや二つはある。森川さんは、僕をなんだと思ってるのかな。もしかして、何も悩まない超脳天気ヤローとでも?」

「あ、わたし、べつにそんなつもりじゃ」

 二見くんに体を向けて、わたしは必死に弁解しようとした。でも彼と目を合わせられず、顔が自然と下を向いた。

「二見くん、いつも明るいから、きっと悩み事なんてないんだろうなって、たしかに思ってたよ。でも、だからって脳天気な人だなんて、これっぽっちも」

 その時、わたしの額に小さな衝撃が走った。反射的に顔を上げると、彼の指が鼻先にあった。

「そんなに言わなくても、わかってるよ。ごめんね、ちょっとイジワルしちゃった」

 わたしは額を片手で押さえた。それから、彼に指で弾かれたのだと理解して、途端に顔が熱くなった。特に、彼に一瞬でも触れられた額が。

「……いじわる」

「あれ、知らなかったの? 僕ってけっこうそういう男だよ」

「うん--」

 知らなかった。

 いつも笑顔の二見くんが、わたしと同じように、悩んだりしているなんて。

「僕は〝束縛〟って言葉が嫌いでね」

 おもむろに靴から足を抜きながら、彼は口を開いた。

「人にあーしろ、こーしろって言われると、窮屈でたまらないんだ。そういう理由もあって、僕はよく海に来るのかもしれない。海って、なんだか自由っぽいじゃん」

 靴を脱ぎ、靴下も脱ぐと、彼はそれを靴の中に入れた。これで彼は裸足になった。

 靴を踏んづけながら、スラックスの裾を膝丈くらいまでまくる。ゴツゴツした足首が、いかにも男の子だった。

「朝のホームルームギリギリに来るのは、先生に対する反抗なの? あの先生、ちょっと束縛するタイプみたいだから、それで……」

「いや、そこまで深い意味はないよ。あれは、ほんとに寝坊したから、急いで学校来てんの。まあ、あの頭の固い先生をからかうのは楽しいけどね」

 そう言って、彼は砂浜に両足をつけた。

「アチッチッチ」

 砂が熱いのか、彼は早足で海の中へ入っていく。わたしは驚いて、「ちょっと」と声をかけた。まさか服を着たまま泳ぐ気だろうか。

「んー、気持ちイイ」

 足首が完全に水没するところで、彼は止まった。

 ただ海に足を浸したいだけだったようだ。

「森川さんもどう? 冷たくて気持ちいいよ」

 二見くんがわたしのほうを向いた。

「わたしは--いいよ。波とか苦手だし」

「波が苦手? 水じゃなくて?」

「水は、大丈夫なの。でも、波は、小さい時からなんだか苦手で」

 二見くんは、いまひとつ理解できない、というような顔をしている。それはそうだ。わたしだって、不思議でしょうがないのだから。

「それはもったいないね」

 彼はそんな言葉を呟いた。

「もったいない?」

「うん。もったいない。森川さんの名前にも〝波〟って漢字が入ってるじゃん。それなのに、その森川さんが波を嫌いなんじゃ、もったいないよ」

 ニコリと彼は笑う。

「美しい波って書いて、ミナミ。僕はすっごくいい名前だと思うよ」

 美しい波--美波。

 お母さんとお父さんがくれた、わたしの名前。

 わたしが波を嫌いではいけない。二見くんに言われなくても、そんなこと気づいていた。

「でも、苦手なものは、やっぱり苦手だよ」

「そうかな。意外と、慣れちゃえば大丈夫かもしれないよ。なにごとも経験してみないと」

「あ--―」

 それは、智里ちゃんも言っていたことだ。

 慣れれば大丈夫。ようは経験。

 彼女のあの言葉通り、わたしは二見くんとしゃべることにもうほとんど慣れた。

「不思議……幼馴染みって、似るのかな」

「ん、なにか言った?」

 波音に紛れて、わたしの呟きは彼まで聞こえていなかった。

「ううん。なんでもないよ」

 わたしは首を振った。

 彼は「そっか」と言うと、右手をわたしに差し出した。もちろん、掴める距離ではない。

「おいでよ。大丈夫、僕がついてる」

「でも……」

 彼はほほ笑みながら、優しく口を開いた。

「怖がってちゃ、何も変わらないよ」

 その言葉は、どこにでもある言葉だった。ドラマや映画で何度も何度も使い回された、ありふれた言葉。

 だけど、今のわたしには、なによりも重い言葉に感じられた。

 波は苦手だ。けれど、彼の言うとおり、ひょっとしたら好きになれるかもしれない。

「--うん、わかった」

 わたしは靴を脱いで、ソックスも脱いだ。

 彼と同じように裸足になって、何度も打ち寄せる波へゆっくりと歩いていく。砂の熱さなんて気にもとめない。

 波の進退が変わる、湿った砂のところで立ち止まる。

 ぴちゃり、と。足に白波が当たった。

 冷たくて、恐かった。

「大丈夫?」

 彼が前から声をかけてくれる。

 海に足を入れた途端、彼までの距離が急に遠くなったような錯覚に陥った。

「うん……」

 ゆっくり。

 一歩ずつ。

 前へ足を運ぶ。

 退いた波が、またすぐに足もとに押し寄せてくる。

 本当は、今すぐ砂浜の上に戻りたかった。

 でも、わたしは絶対に逃げない。

 この恐怖に勝たないと、わたしは変われないのだ。

「もう少し、もう少し」

 彼が近くなる。手を伸ばせば、彼の手に届く距離だ。

 けれども、わたしは自分で彼のもっと近くへ行く。

 足首が、冷たい。

 もう波が退いても、足全体が外気に触れることはない。足の裏には柔らかい砂の感触が、ずっとしている。

 あと一歩、あと一歩。

 何度もそう自分に言い聞かせて、わたしはとうとう彼の顔に触れられる場所まで来た。

「二見、くん!」

 手を伸ばして、彼の肩を掴んだ。

「やった……自分で、ここまで来れたよ」

「うん。がんばったね」

 嬉しかった。

 苦手な波の中を一人で歩けたことが。

 すっごく嬉しかった。

 だから、だろう。

 わたしの頭を撫でている彼の手に反応するのがかなり遅れた。いつの間にか、彼はわたしの頭に手を置いていたのだった。

「--―って、え!?」

 驚いて、二見くんの肩から手を離して、慌てて後ろへ足を動かした。すると、かかとが水底の砂にひっかかってしまい、わたしは海面に尻もちをついた。

 水がわたしの周りで跳ねて、飛び散った。

「な、なにやってるの、大丈夫?」

 心配そうに二見くんがのぞき込んでくる。

「ほら、立てる?」

 彼が手を差し出してくれる。わたしはその手を握ろうとして、自分の姿勢に気づいた。

 彼に向けて両脚を大きく広げていた。

 

 やだ!!

 見られちゃう!!


 言葉を発する余裕も無く、わたしはすぐに脚を閉じた。それでわたしの意図を察したのか、二見くんも「あ」と一言漏らして、視線を明後日の方向へやった。

「だ、大丈夫、自分で立てるから」

 わたしは素早く立ち上がった。


 もう、わたしのドジ!!

 あーあ、下着まで濡れちゃってる……。


 スカートは後ろのおしりの部分はもちろん、前のほうもかなり海水に濡れていた。カッターシャツも触った感じでは背中が半分ほど濡れていた。

「とりあえず、出よう」

 二見くんに促されて、二人で砂浜に戻る。

 恥ずかしくて、わたしは下を向いていた。


 見られちゃった、かな……。


「あ、ちょっと待ってて」

 白波が足下に広がる場所までわたしが来ると、彼はそう言って、かけ足に自分の鞄のもとまで行く。

 鞄の中から何かを取りだすと、わたしのほうまで走ってくる。その手には、ビーチサンダルが一足あった。

「これ、いつも持ってきてるんだ。これ使わないと、砂粒が足についちゃうんだ。森川さんが履いていいよ」

「わたしは、そんな。二見くんが使ってよ」

「いや、森川さんじゃないと。森川さん、女子でしょ。僕はこっち使えばいいから」

 そう言って、彼はもう片方の手に持っていた、自分の靴を見せた。

「ね。僕の靴なら、ちょっとぐらい濡れても大丈夫だからさ。サンダル、遠慮無く使ってよ。あ、ちゃんと毎日水で洗ってるから清潔だよ」

 ハイ、と差し出されるビーチサンダル。

「……そう、なの? じゃあ、使わせてもらうね」

 ありがとう、とお礼を言いながら、わたしは彼からビーチサンダルを受け取る。真っ赤なハイビスカスのプリントが施された、ハワイアンなサンダルだった。

 波で足を軽く洗ってから、そのサンダルを履く。


 大きいサンダル。

 わたしなんかよりもずっと大きい足。

 なんだかこそぐったい。


 彼も砂のこびりついた足を丁寧に洗うと、濡れていることなんてお構いなしに、学校の靴を履いた。

「うーん、まるで石田純一」

 彼は自分の足もとを見ながら呟いた。それで、わたしはちょっと笑ってしまった。笑ったせいか、恥ずかしさが和らいだ。

 わたしたちは鞄のところまで戻ってきた。

 二見くんは鞄を手に取り、堤防を指さした。

「堤防にでも座って、足、乾かす? そうすれば靴履けるでしょ。堤防、たぶん熱いけど、あそくくらいしか座れる場所ないし」

「そう、だね……そうしよ」

 わたしも白い制服が濡れたまま家へ帰ることはしたくなかった。それに学校の制服を着てるのに、足下サンダルでは、恥ずかしくて町を歩けない。

 堤防までの道のり。わたしはサンダルと足の間に砂が入らないように、注意して歩いた。

 階段を使って、堤防にのぼる。

「おー、やっぱり熱いや」

 二人で、堤防の砂浜側のふちに腰掛ける。

 コンクリートの熱が、スカート越しにおしりへジリジリ伝わってくる。

「でも、風は涼しい」

 わたしがそう言うと、彼は「うん」と頷いた。

 横目で彼を見る。

 わたしたちの距離は中途半端だった。手をすこし横へずらすだけで、相手に触れられる距離。けれども恋人とか、そういう親密な二人の距離とは違う。

 あくまでも〝ただのクラスメート〟という、つかず離れずなスペースがわたしたちの間にあった。

 彼は宙に投げ出した足をぶらぶら揺らしながら、海のほうを見ていた。それも、目の前の波ではなく、遠くに見える平坦な海を。

 静かに海風がわたしたちの間を吹き抜けていく。


 この状況は、智里ちゃんが作ったものなのかな。


 彼女はお昼休みの時に、花火大会に誘うタイミングは自分が作ってあげる、と言っていた。

 もしかしたら、今のこの状況こそが、彼女の手によるものなのだろうか。ホントは部活の集まりなんて無くて、二見くんをわたしに会わせるために、彼女はウソをついたのではないか。


 ううん。

 そんなこと、今はどうでもいいの。


 わたしは自分の足下を見た。


 今ならチャンスだ。

 今なら、花火大会に誘える。


 そう意識しだした途端。

 ドクン、と胸が高鳴り始める。


 断られたらどうしよう。

 もし断られたら……どう返事をしよう?

 やだ。

 断られるぐらいなら、最初から誘わないほうがいいかもしれない。


 不安ばかりが、胸の中で次々と生まれては騒ぎだす。

 恐い。

 彼を花火に誘うなんて、恐い。

 でも--恐がっていたら何も変わらない。

 そう教えてくれたのは、誰でもない、二見くんだ。

 いちばん大好きな二見くんが教えてくれた。

 だから、恐くても、やらないといけない。

「ねぇ、二見くん」

「ん?」


 あなたを二年前から、ずっと好きだった。

 それはきっとこれからも。


「あのね……」


 二年間。

 ずっとあなただけを見ていた。

 それでも、わたしの知らないあなたが今日だけでたくさん見えた。


「今度の日曜日って、花火大会、あるよね」

「うん、あるね」


 たぶん、遠くから見ているだけじゃ、あなたの隠れてる部分に気づけない。


「その、誰かと、行く予定とか、ある?」

「んー……今のところは、ないね」


 わたしはそんなあなたのところを、もっと知りたい。

 たくさん、たくさん……。


「あのね、もしよかったら、なんだけど……」


 きっと、そういうことを知るには遠くから見ているだけじゃダメなんだと思う。


「わたしと--」


 あなたと会って、あなたとおしゃべりして、あなたと触れあって。

 それで初めてあなたのいろんなことがわかるんだ。

 だから


「わたしと--」


 だから、わたしはもう恐がったりなんてしない。


「わたしと、花火大会、一緒に行かない?」


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