第六話
優麗が晴彦とすれ違いに戻ってくる。
ピタリと自分の後ろでぷかぷかと浮いておりなにやら落ち着かない。
一応は明治に話しかけないように気を使っているのか口は開かないが、だからこそ余計に落ち着かない。
いつものように朝の連絡事項が担任の口から淡々と告げられていく。
このクラスの担任は女性であり30半ばのオールドミスに近い年齢の女性だ。
眼鏡をかけており、フレンドリーな先生とは言いがたく、生徒とは少し距離を置くタイプの教師であるが、それなりに頼られている一面も持っている。
特に注目すべき事柄もなく明治はぼーっとしているが、そのすぐ真後ろで、明治の髪を引っ張ったり、頬をつんつんと突いたりしている存在がいる。
あえて無視を決め込もうとするがその好意がだんだんとエスカレートしていき、ついには明治の頬に唇を近づけていく。
「大人しくしていろといっただろーが!」
思わず大声で叫んでしまう。
「明治さん」
「何だよ!」
「あたし暇です!」
「お前は子供か!?」
ぜーぜーと息を切らしながら遠慮仮借なく優麗に怒鳴るが、第三者から見れば、明治が一人で叫んでいるようにしか見えない。
そのことに気付きクラスの注目を浴びていることに顔を赤らめる。
「田井正さん? どうしましたか?」
担任の教師の冷たい視線が明治に突き刺さる。
「あ、いや……す、すいません。特に何もありませんので」
「それに貴方の後ろにいる見慣れない子はどなたです? うちのクラスの子ではないようですね」
ぎょっと心臓が跳ね上がる。
明治の額から汗が滴る。
優麗は姿を隠しているはずなのだ。晴彦ならともかく、他の人に見えるはずがない。が、その希望はごくあっさりと打ち砕かれる。
「はい、彼方優麗といいます。今日からこのクラスでお世話になりますね」
何考えてんだこいつはーーーーー! 自分から自分の存在をばらしてどうするんだよ! やばいこれは非常にやばい。どうやってごまかす。考えろ自分。と必死になって考えを巡らせるがいい案が全く思い浮かばない。
ちらりと晴彦のほうに視線を向けて助けを求めると、晴彦はこの事態を楽しむかのようにクククと笑いを噛み殺している。
「田井正君……その子……足がついていないよ」
「ええまあ、幽霊ですから」
えへっと明るい笑顔で元気に答える優麗。
「終わった……僕の今後の高校生活は幽霊にとりつかれた少年としてのレッテルを貼られて暗い生活を送ることになる……」
ぶつぶつと放心状態でつったたまま真っ白になっている明治。
そして教室は水を打ったようにシーンと静まり返る。
誰一人として声を発する人はいない。
「あ、あの皆……」
明治は望みを捨てつつも何とかごまかそうと声を出すが、それは一気に掻き消された。
「うそー! すっげえええええええ! マジかよ! 俺幽霊なんて初めて見たぜ! ほんとにいるんだ!」
「きゃあああ! 幽霊よ幽霊! いい皆このネタは我が新聞部が頂くからね。優麗ちゃんと話したければまずあたしを通してからにしてよ」
「勝手なことを言っては困るな。彼方さんは是非わが科学部に来てもらい、これまで明かされなかった超常現象の謎を解くために協力してもらわねばならない。学会に発表すればノーベル賞物になるぞ」
「貴様! あんな可愛い子を世間の目に晒すと言うのか? そんなことは我々二次元部が絶対に阻止するぞ。幽霊……それははかなく純粋な存在。汚らしい三次元の餌にしてたまるか」
いきなり騒然となるクラス。自分が想像していた反応と全く違い明治は腰が抜けるように椅子に座り机に突っ伏す。
「なんなんだよこいつらは……僕があれだけ神経をすり減らしていると言うのになんでこんなに軽いんだよ!」
「まあ、うちのクラスはバカ騒ぎがすきというか、なんというか真面目に考えるだけ無駄だよ」
いつの間にか傍に来ていた晴彦がそう答える。
いきなり様々な人に囲まれ、質問責めに会う優麗。
楽しそうな表情で、どこか少し困ったような恥ずかしいような表情で色々と受け答えしている。
「それで優麗さんは田井正君とどんな関係なの?」
唐突に明治の耳にそんな言葉が飛び込む。
先ほど騒いでいた新聞部の女子生徒である。
やばい。余計なことを言われてしまってはますます収集がつかなくなってしまう。そう思いとっさにその会話に割り込もうとするが、後ろかニュっと手が伸びてきて明治の口がふさがれる。
「はにをふるはふひこ(なにをする晴彦)」
「まあまあ見ろよ。あの優麗ちゃんのあの楽しそうな表情を。邪魔するのは無粋ってもんだろ」
嘘だ! 絶対に嘘だ! こいつは間違いなくこの状況をさらに楽しもうと企んでいやがる。
「えへへ、ちょっと恥ずかしいんですけど……あたしの身も心も全て明治さんに支配されています」
再び水を打ったように静まり返る教室。
あんな言い方をすれば僕達がまるでいかがわしい関係みたいじゃないか……あのバカはもう少し言い方ってのが……と、そこで明治はいきなりはかい締めにされた。
どうやら晴彦とは別の人間のようである。
瞬間あらゆるものが明治の体を襲う。筆箱、シャープペンシル、定規、分度器、コンパス、そういったものが勢いよく投げつけられてきたのだ。
「お前ら! いきなり何をする!」
「それはこちらのセリフだ田井正明治よ。貴様こそこの可愛らしい彼方さんになんてことをしてくれたのだ」
「僕は無実だ! むしろ僕が迷惑している!」
「やれやれ、無実を主張するのは犯罪者の常套手段ではあるが、あまつさえ相手の女性に罪をなすりつけようとするとは男の風上にも置けない」
別のクラスメートの言葉の続きを引きつぐ。
「ふん、いいか? 彼方さんは幽霊だ。つまりどのようなことをされても基本的人権がないので法律の外にある。それをいいことに貴様はあんなことや」
悲鳴をあげ服を破られる優麗が男の頭の中で想像される。
「こんなことや」
全身にクリームを塗られ、両腕を縛られている優麗が想像される。
「このようなこともしているのだろう!」
パンティー一枚で拘束されタコやイカなどに襲われている優麗が想像される。
「ええい! 目に涙を浮かべながらどんなマニアックなことを想像しているんだよ! お前は!」
「なんにしても貴様は死ね!」
「わけのわからんことを言っていないで離さんか!」
「田井正君って……ボソボソ」
「ほんとにー……?」
「ええ、私もさっき聞いたんだけどね……」
女子生徒がゴミを見るような目つきでなにやらボソボソと明治のことを話し始める。
よく聞こえないが、絶対にいいことではない。
「さっき聞いたことを本人を目の前にあたかも真実のようにボソボソと話してるんじゃねえよ! 大体誰から何を聞いた!」
「そうなんですよ明治さんったら、いきなり裸エプロンを要求しましてですね。ちょっと恥ずかしかったんですけど頑張りました」
思い切りずっこけたい気分に襲われてしまう。
「お前は何を吹き込んでいるんだ! 僕をクラスから孤立させたいのかよ!」
明らかに90%の嘘である。
しかし一部に事実が含まれているだけあってたちが悪い。ここでどのように声を上げたとしてもすでにクラスの空気は「優麗ちゃん最高」と言う雰囲気になっており、すでにどうしようもない状態である。
わずか二ヶ月の付き合いでしかないが、一緒にやってきたクラスメート達に信用されず明治は泣きたい気持ちにかられてしまう。
そんな騒ぎの中、パンと手が大きく鳴り響き、喧騒がやむ。
今まで事態の推移を見守っていた担任の教師が、手を叩いたのである。
とたんに騒ぎが収まり、教室は三度静かになっていき、明治は何とか助かったと胸を撫で下ろす。
「バカ騒ぎは終わりましたか?」
誰も喋ろうとはしない。口を閉ざす生徒達の態度が答えを雄弁に物語っている。
優麗もその空気に当てられたのか、静かにしている。
「さて、彼方……優麗さん……といいましたか? 幽霊であることはひとまずおいておきましょう」
おいておくのかよ! 明らかに一番疑問に思わなければならないことだろ! え? ちょ先生? 口に出すわけには行かず、黙っているがなにやら変な雰囲気である。
「少し事情を聞かせてもらえないかしら? そうね何故貴方がこの峰ヶ崎高校の制服を来てうちのクラスにいるのかを」
そう言われて、優麗の口から今までの事情が語られていく、合格発表の日に交通事故にあったこと、自分がどれだけ高校生活を楽しみにしていたのか、もちろん明治への愛情も5割り増しでたっぷりと語られて、そのたびに男子生徒から無言の圧力を感じて気が気ではなかったが、皆静かにきいている。
「凄く楽しみにしていたんです。好きな人と楽しく過ごしたり、時々いたずらをして先生に怒られたり、先生に分からないところを聞いて教えてもらったり……でも、それがかなわずにこうなってしまって……」
シーンと教室がまたまた静まり返る。
皆、真剣に相手の事情に耳を傾けているのだ。
かといって、いきなり正体を現すのはどうなのよ……段階と言うものがあるだろう。つうか皆騙されるなよ。確かに本心かも知れないけど、こいつは幽霊だし、いつものはちゃめちゃな態度を見ていればあまり同情の余地はないからな。
と明治だけは、あまり同情もせずに、はいはいというような面持ちである。
さすがに、いきなり優麗がクラスの一員になるなんて無理にもほどがある。現実的に考えてまあ無理だろうな。ましてや相手はそういったことに厳しい生徒指導の教師であり融通が利かないオールドミスだ。
少し可哀想な気もしないでもないが、こればっかりは仕方がない。
「なるほど……分かりました。後で今年度の合格者名簿を調べておきましょう。今日のところはクラスの一員としてみんなと一緒に授業を受けてもらいます。他の教師には私から説明しておきますので」
受け入れるのかよ! えええ? な、なんで? ま、まさか優麗の奴、洗脳や催眠術みたいな技をつかっているのか? 幽霊だしありえるかも……背筋にぞっと寒気が走る。
「あ、あの先生? え? いいんですか?」
恐る恐る、手を上げて本当に受け入れるの? と質問をする。
「何がですか? 田井正君?」
相変わらず睨みつけるような視線である。威圧感に押されがちだが、はっきりとさせておかねばならない。
「いえ、あのそのこいつを受け入れるって……」
「問題ないでしょう」
いやいや問題ありまくりだ。そもそも幽霊として存在しているこいつには先ほどクラスメートが言っていたように基本的な人権、戸籍と言うものが存在していない。ゆえに学校に籍をおくなどといった行為からしてまず不可能なのだ。
それが可能だとしても学費の問題などが出てくる。
他にも色々と問題は山積みのはずだ。それがわからない先生ではない。やはり優麗の奴がなにか術でもかけて操っているのか? そういえばさっきのクラスメートの騒ぎもよく考えればおかしいじゃないか……。
「教師になって約10年と少し……」
ぽつりと教師がつぶやき、ん? と明治は我に返る。
「これほど教師冥利に尽きる出来事が他にありますか!?」
ええええ? ちょ? 先生?
「幽霊になってまで学校に通いたい。何と素敵なことなのでしょう。このような願い一つかなえられず何が教師ですか! 何が聖職者ですか!」
いきなりヒートアップし始め語り出す先生。いつもの態度と全く違い、明治は困惑する。
「特に昨今の生徒と言えばネットなんかで余計な知識を仕込み、斜に構えていて可愛さのかけらもない! おまけに学校裏サイトなどと言うものを作って教師の悪口を言いたい放題。「オールド処女」なんてあだ名を勝手につけては喜んでいるクソガキどもに比べれば優麗さんのほうがよっぽど生徒らしい!」
そんなあだ名しらねーよ! 初めてきいたよ!
色々と問題発言が飛び出ていますよ? まずいでしょ。少し落ち着きましょうよ。実際に口に出して言える勇気もなく相手の勢いに飲まれ言葉を失う。
「優麗さん」
優麗も圧倒されていたのか、いきなり声をかけられてすこしびっくりする。
「は、はい?」
「心配入りません。全て私に任せておいてください。なに、校長が何を言おうと、問題ないですからね。ククク……あの事を材料に脅しをかければ一発です」
最後に聞こえた一言に幽霊なんかよりもよっぽど怖いと感じてしまう明治。
何をする気ななんだよ……脅しってそれ教師が生徒の前で言っていい言葉なのか? 聖職者? え?
いきなり見せ始めた担任教師の一面についていけずに頭を抱えてしまう。
他の生徒と言えば、なにやら感じ入っているようにうんうんとうなずいている。
お前ら「クソガキ」呼ばわりされてそれでいいのかよと思うが、恐らくなにを言っても無駄だろう。
こういうクラスなのである。
晴彦は腹を抑えて目に涙をためて必死で笑いをこらえている。
あいつの言ったとおり真面目に考えるだけ無駄なのか……と心の中でため息をつく。
とにもかくにも優麗はクラスの一員として認められたのであった。




