第四話
そうしてわずかな時間が立った時、いきなり目の前に優麗が重力の法則を無視するかのように逆さの状態でドアップで現れた。
「どわあああああ!」
思わず座った状態のままのけぞってしまいそのまま後ろに倒れ、床に後頭部をぶつけてしまう。
「てえ……い、いきなり現れるなよ! ドアも開けないでどうやって!」
「ああ、すいませんなにぶん幽霊ですから通り抜けは簡単でして」
「ノックくらいしてくれ! 心臓に悪い!」
「これは失礼を。お風呂の用意ができたので呼びに来ました」
素直に詫びを入れて、風呂が沸いたことを告げる優麗。
「あ、うん。そっかありがと。それじゃあ入ってくるよ。お前は適当に過ごしててくれ」
「ええ、そうさせてもらいます。幽霊になってからこれほど体を動かしたのは久しぶりですからね。さすがに少し疲れました」
幽霊でも疲れるのかと新たな発見をしたが、家事に関しては今日一日よくやってくれたし、感謝もしている。そう思って明治は着替えを持って部屋を出た。
もう少し注意深く見ていれば気付いたかもしえれないが、彼は気付けなかった。
優麗の口元がつりあがり、何かをたくらんでいるような笑みを見せる。
脱衣所の扉を閉めて、服を脱ぎいつものように、風呂場へと入る明治。
軽くシャワーの蛇口を捻り、体全体を軽くぬらし、タオルで石鹸をつけないである程度体を擦る。
一通り擦った後に再びシャワーを浴びて体全体をまた濡らし、パスタブへと体を沈めた。
温度はちょうどよく体全体にお湯が染み渡り、疲れが一気に取れるような気分になる。
お湯に浸かりながら今日一日の事を考えた。
めちゃくちゃな一日だった。
幽霊の美少女……いきなり現実とは思えないような出来事に襲われ、おまけに性格に少々難があり、振り回されっぱなしである。
行くところがなくさまよわれても後味が悪いので、思わず家に呼んだがそこからも大変だった。
「ほんとむちゃくちゃな奴だよな……」
湯に浸かりながらポツリとつぶやく。言うこともやることも過激で自分にはかなり刺激が強すぎる相手である。
おまけに黒い髪は吸い込まれそうな艶で、大きな瞳は眩しいくらいに輝いていて魅力溢れる雰囲気だ。
「けど幽霊だぞ……やっぱ怖いだろ」
普通ならば飛び上がって喜ぶ状況のはずなのだが、いまいち喜べないのはやはり幽霊という未知への恐怖によるところが大きい。
一度家に誘った手前、出て行けとは言えないし、時折見せる優麗の楽しそうな表情や、嬉しそうな表情を思い出すとやはりそのようなことは口には出来ない。
「甘いと言うかなんというか」
お湯を手ですくって顔を洗う。
しばらく湯に使って体が温まってきたので、体を洗おうとバスタブからでる。
風呂桶にお湯をすくい、頭からかぶり髪を濡らし、タオルに石鹸をつけて体を洗い始める。
体全体が泡に包まれつつあり、背中の部分を洗おうとした時、手は動かしていないのに、背中で何かがうごめいている感触に気付いた。
「どこかかゆいところとかありませんか? あと洗い足りないところとか……なんでしたら前のほうも洗いますよ」
「ああそうだな……もう少し上のほうを、そうそう肩甲骨のあたりを……って何でいるんだよ!」
慌ててタオルで前を隠し、座っている状態で首だけを後方に向けようと捻り、顔を思いっきり赤らめてその相手に怒鳴りつける。
先ほどまでの部屋着と違って半袖の白いTシャツにハーフパンツに格好。後ろ髪をアップに纏めている。
これだけであるのであればそれほどでもないが、湯気の立つ風呂場でそのような格好は明治の目にはなにやら扇情的にうつってしまう。
「いやあ、これからお世話になりますし、これくらいはしないとと思いましてですね。あ、もちろん夜のお世話もばっちり」
風呂桶が彼女の額に直撃する。
「ぐえ」
相変わらず可愛さのかけらもない悲鳴だが、そんなことはどうでもいい。
明治は羞恥心で一杯一杯である。
「余計なことはしなくていいから! いきなり入ってくるな!」
「いや、しかしですねメイドとしては主のために尽くさなければならなくてですね」
「誰がメイドで誰が主だ! いいから出て行け! 僕は裸なんだぞ」
「むしろそれを見にきたというかなんというか」
はぁはぁと少しばかり息を荒げている優麗。
ここには武器になるようなものが一切ない。いきなりの貞操の危機に、明治は身の危険を感じてしまう。
「ここなら誰にも邪魔されずにゆっくりと……」
にじり、にじりと妖しげな手つきで迫ってくる優麗。
せまい風呂場で逃げ場などあるはずもなく、明治はますます危機感を募らせる。
すばやく蛇口についている温度調節を最大にして、シャワーの蛇口を捻る。
百度に近い熱湯がシャワーから勢いよく飛び出し優麗を襲った。
「ぎゃあああ! 熱い熱いです! ちょっと明治さん! それシャレになってませんから!」
「お前の存在のほうがシャレになっておらんわ! さっさと出て行け!」
「分かりました! 分かりましたから!」
逃げるように風呂場の壁を突き抜けて優麗は姿を消した。
「風呂に入ってる時ぐらいゆっくりさせてくれよ……何考えてんだよあいつは」
何を考えているかどうかは、彼女の言動やら行動で一目瞭然なのだが、明治はあえて考えないように思考を閉ざす。
騒動が終わった後、髪を洗い、再びお湯に使った後、風呂場からでる。脱衣所には真新しいバスタオルが用意されており、それで体を拭く。着替えは用意していたのだが、バスタオルの存在を忘れていた明治は、少しだけ優麗に感謝する。
一通りの着替えを終えて脱衣所から出ると優麗が飲み物を持って待っていた。
「先ほどはいいものを見させてもらいました」
にししししと口元に手を当てていやらしい笑みを浮かべ持っていたジュースを優麗は明治に差し出す。
明治はとりあえず無言でジュースを受け取り、喉が渇いているせいもあって一気に飲み干した。
「お前は何を考えているんだ!」
顔を真っ赤にして大声で一言。
それを予想していたのか、耳を手でふさいでいる優麗。
「そりゃもう、明治さんの全てを見たくてですね」
ゴチっと鈍い音が響く。
明治の拳骨が優麗の頭上に舞い降りたのだ。
「んぐっ! ま、まさか素手で来るとは思いませんでした……」
目をチカチカさせながらも何とか答える優麗。
「女の子が男の風呂を覗くなんてありえないだろ……」
明治が思い描いていた女性像が次々と崩れていき、価値観が狂い始める。
今までまともに女性と付き合ってきたことのないことを考慮すれば、その辺は仕方ないだろうが、それでもやはり、この女は特殊な例だと思い込みたいと言うのが本音である。
「甘いですね。明治さん。昔から女性というのは男とそう対して考えていることに違いなんてありませんよ。特にあたしくらいの女性なんて、意外と男の裸を見たいと思っていたり、好きな人の腹筋が割れているのかな? とか考えたり、ひどいのになると男同士の絡み合いではぁはぁいったり、下手すりゃ男よりエロいんじゃないですか? これがほんとのエロインとかいっちゃったりして。ちなみにヒロインとかけてみました」
「全然うまくねえから! 幽霊にも風呂に入る習慣はあるのか? アホな事言っていないで早く行け」
頭を抱えて、これ以上自分の女性に対するイメージを崩されないように、相手の言葉を忘れたいと願う。
「はあい。明治さん」
「何だよ」
「覗かないで下さいね」
「覗くか!」
「分かっていませんね。女の子の覗かないで下さいねっていうのは覗いて下さいっていう」
空になったペットボトルのジュースが飛んできてそれから逃げるように優麗は風呂場へと消えていく。
すっかりペースを乱され、風呂に入って疲れをとったはずの明治は思い切り体が重くなるのを感じつつ部屋へと戻る。
明治は部屋に戻ると、軽く予習を済ませる。
将来のためにはある程度の知識が必要となってくる。勉強は必須である。
特に理系を中心に教科書の内容をノートに書き写していく。最初のほうはよく集中ができてすらすらと手は動いていたがやがてその手は止まる。
明治の脳裏に、優麗の裸がもやもやと浮かび上がってきたからである。
透き通るよな白い肌。弾力のありそうな柔らかい胸。一糸纏わぬ姿で、自分のうちの風呂の湯に使っているのだ。
顔の温度が上昇していくのを自覚する。
「な、何考えてんだ! 僕は……勉強しなきゃ。うん勉強勉強」
意識すればするほど余計に妄想が広がっていく。
彼とて健全な男子高校生だ。Hな本の一冊や二冊しっかりと隠し持っている。それらに出ている女性の裸を優麗に当てはめそれを想像してしまう。
もやもやが彼の心を支配していき勉強どころではなくなっていく……。
「お、落ち着け! ぼ、僕は正常だ。幽霊相手に欲情なんて人類の恥だぞ」
声に出して理性を総動員していくが、それでもやはり妄想は止まらない。
やばい、危険な兆候だ。こ、これは……。
「いやーいいお湯でしたよ。明治さんの残り湯だなんてもう色々と妄想が止まりませんでした」
いきなり陽気な声で扉を無視して優麗が部屋着姿で現れ、明治の心臓は飛び跳ねる。
「だああああああ!」
絶叫を上げるが、今回に関しては優麗の落ち度は全くない。しかし絶叫を上げずに入られなかった。
さすがにキョトンとした目ではて? 何かまずいことでもやらかしたのだろうか? と考え優麗はポンっと手を打つ。
「ああ、そういえばノックを忘れていましたね。申し訳ありません。壁の通り抜けが便利すぎてノックをするという癖がすっかり抜けてしまいまして」
「そ、そうだ! ちゃんと部屋に入る時は一声かけるなりなんなりしてくれなきゃ!」
これ幸いにと相手が勘違いした理由に乗っかり、顔を赤らめながら怒鳴り散らす。
「ええ、今後気をつけます。明治さんに嫌われてしまっては元も子もありませんからね。今日は夜も遅いですし、明日に備えて眠るとしましょう。明治さん? 顔が赤いようですが湯当たりでもしましたか?」
「してない! 顔なんて赤くないぞ! お前の勘違いだ」
「? ならいいんですけど。さ、お楽しみの夜ですよ。うふふふ。この時のために丹念に体を磨いてきました」
そういって明治のベッドの上にぷかぷかと浮かんでいる。
「……お前は何処で寝るつもりだ?」
「そりゃもう……明治さんの腕の中でって言わせないで下さいよ。恥ずかしい」
いやいやというようにわざとらしく恥ずかしげな表情を作り、可愛らしく振舞う。
傍目から見れば確かに可愛らしい仕草ではあるが、明治としてはそんな心境ではないし、元よりそんな事をするつもりなど一切ない。
「姉貴の部屋を使えと言っただろうが! 出て行かんか!」
「えーですけど……一人寝は寂しい年頃なんじゃ」
シャープペンが針のように飛んできて優麗の鼻の頭を見事に突き刺す。
「びゃあ……い、痛いですよ。うぐうぐ」
「早く行け」
後ろに炎を纏うような気迫で、短く相手に自分の意思を再び伝える。
「はぁ……分かりましたよ。ううう」
そういいながら素直に部屋から出て行く優麗。
部屋から出て行った後、椅子に腰掛毛大きく息を吐く。
「刺激が強すぎる……耐えられるのか? 僕は」
そんな一言をポツリとつぶやいた。




