第二十話
噂にまつわる言葉というのは古来から沢山ある。
有名な言葉としては、人の噂も75日、そして噂は千里を走る、人の口には戸は立てられない。
こうした様々な語源が、噂というものについて回っている。
では、田井正明治の場合について、この場合、最も適している言葉はなんだろうか。
おそらく噂は千里を走るという言葉がぴったりであろう。
幽霊である彼方優麗の恋人。幽霊部所属。三崎優輝とねんごろになっている。市ヶ谷湊と怪しい関係。
明治が聞けば全て全力で否定したい噂ではあるが、もうすでにある意味諦めている。
せめて今日は平穏無事に過ごせますようにと、全く信じていない神様に願って優麗と一緒に家を出る。
普段であれば晴彦と駅で合流するのだが、大会が近いせいなのか彼は朝錬に顔を出しておりここ最近は一緒に登校してはいない。晴彦にこの間のことを詳しく聞こうと考えていたのだが、機会に恵まれないならまあいいいかと考えて優麗と二人で学校へと向かう。
いつものように混雑している電車に乗って二つ目の駅で降りる。寝不足気味がたたって体が重く、なかなか思うように進まない。
人目を気にする余裕がないのか、大きく口を開けて欠伸をして、眠たげな目をそのままに、本能だけで歩いている。
「ずいぶんと眠そうだな。もうすぐ中間テストがあるというのにそのざまで大丈夫なのか?」
明治に声をかけた人物は、市ヶ谷湊である。
黒い髪の毛は優麗とは違い、やや堅い印象をもっており硬質な感じを思わせる。
目は切れ長で綺麗な形をしているが、やや細く少し冷たい印象と言うのを他人に与える雰囲気だ。
顔全体としては少しばかり細いと感じさせるが、むしろそうした形が湊の魅力をより際立たせているといってもいい。
体全体のスタイルのほうもバランスが取れており、スカートに隠れてあまり目立たないが足も長く、また胸のほうも大きすぎず、小さすぎず、体系にあったちょうどいい大きさだ。
朝から凛とした振る舞いをしており、美人と言う言葉の他に格好いい女性でもある。
男性の他に女性からもラブレターなどを貰っているという噂もあり、ある意味納得できる。
そして優麗と明治が立ち上げた幽霊部の部員でもあり、先輩である。
「おはようございます! 湊先輩!」
元気良く目をキラキラさせて優麗が挨拶をする。
元気のよさは折り紙つきだ。
「おはよーごさい……ます。先輩」
それとは対称的に今にも倒れそうな声を何とか絞り出す明治。
「……ずいぶんと顔色が悪いな? 何かあったのか?」
改めて明治の顔を良く見てみると、やや青ざめており、げっそりとしている。目の下にはクマが出来ており、目の色も心なしか濁っている状態である。
対して優麗のほうは元気一杯で、また肌つやも良くキラキラと輝いている。
「明治君……そうか……頑張ったんだな」
うんうんと納得するように明治の両肩に手をおいて、いきなり褒め出す湊。
「何かとてつもない勘違いをしていませんか?」
「いやいや、君と彼方君の様子を見れば一目瞭然だよ……まあ、そのあれだ……我々はまだ学生なのでな……色々と気をつけなければならないことは沢山あるが、若さと言うのを制御するにはやはり難しい年頃だしほどほどにな?」
「一体朝から何の事を言っているんですか! 内容だけ聞くととてもいかがわしいんですけど!?」
「ば、ばれちゃいましたよ! 明治さん! あたし達の愛の営みがこんなに早く世間に知られるなんて!」
「アホか! 体裁の悪いことを通学路のど真ん中で大声で叫ぶな! 大体いつそんな事を……」
思わず言葉が止まってしまう。夕べの出来事を思い出してしまったのだ。
青ざめた顔に少しだけ赤みが宿る。
「明治さん?」
「明治君?」
いつもと違う明治の挙動に首をかしげる二人の少女。
「な、なんでもない! ともかくこれ以上身に覚えのない噂で名誉を傷つけられるのはごめんだからあほな事をいうな! 湊先輩もあまりからかわないで下さい!」
ジト目で湊を睨みつけると、湊は手に口を当ててクスクスと笑っている。
つまり思いっきりからかわれたということなのだ。
「なに、男女の営みを恥ずかしがることはないぞ。明治君。少しは僕達を見習ってみんなに見せ付けてやるのも悪くはないと思うが?」
いきなり現れた、三崎優輝が湊の背中から手を回して、湊を抱きすくめる。
両手の位置はちょうど湊の胸に収まるようにして、しっかりと手の平を動かしていると言うおまけつきである。
「少し成長したようだね湊。制服の上からだといまいち確認しづらいが、こうして触っていると良くわかるよ」
湊はゾワリと思い切り寒気に身震いをさせ、次の瞬間、素早く前に一歩踏み出し、左足を軸に体を回転させ、回し蹴りの要領で優輝の水月(鳩尾)に自分のつま先をぶち込む。
「貴様は自重と言うのを覚えんか!」
水月に蹴りを食らったことにより、優輝の体がくの字に折れ曲がり、上半身が前のめりになり無防備となる。
そこへ、左の掌手を優輝の右側頭部を思い切り叩きつけ、最後は後頭部を肘で打ちつけ優輝は地に伏せた。
止めとばかりに腰骨を思い切り踏み砕く。
ゴキリと鈍い音が響き渡り、下手をすれば一生、下半身不随になりかねない。
「せ、先輩?」
あまりの凄まじさに明治も優麗も少しばかり心配そうに優輝を見るが、その心配は無用であった。
何事もなかったように地面から立ち上がり今度は正面から湊の懐に潜り込み抱きすくめる。
「相変わらず可愛らしい照れ隠しだね」
湊の顔に頬ずりしながら白い歯を光らせるが、やっていることは変態そのものだ。
おまけに通学路では他の生徒達の目もある。
「ほらねーやっぱ言ったとおりでしょ? あの二人はきっちり出来てんのよ」
「っかしいなー……噂じゃ三崎は男に走ったって聞いたんだけどな」
「三崎が男に走ろうが、あんたじゃ湊は落とせないわよ。湊おはよー」
湊と同学年の人達が湊に挨拶をして学校へと向かう。
優輝とできているなどと言う噂は、湊にとっては耐え難いことなのだが、すでに学校公認の事実として認められているのだ。
「朝っぱらからうっとうしいわ! いい加減に離れろ!」
右アッパーによって優輝の体が高く舞い上がり、再び地面に落ちる。
「さあ、アホは放っておいて学校へ行こう」
地に伏した優輝を見もせずにくるりと背を向けて学校へと歩き出す。
そんな湊先輩の背中を追うように明治達も後に続く。
そしてなぜかいつのまにか優輝もその並びに並んでいた。
「なんで生きているんですか……」
今更な呟きではあるが言わずにはいられなかった。
授業中、明治は隣に座っている優麗の横顔をチラリと見やる。
夕べのことが頭から離れずに、より強く意識させられていた。
授業中は優麗は比較的大人しく、真面目に教師の話を聞いている。
優麗の真剣な横顔に明治はそのまま見とれてしまう。
優麗が明治の視線に気付き、目が合った。
明治さんが自分を見ている。何故だろうと訝しむ。今日はそれほど明治に迷惑をかけるような馬鹿な行為はしていない。明治からは怒りと言うのを感じられないので、何かに怒っているわけではないだろうが、やはり気になってしまう。
今日は朝から明治の様子がおかしかった。
朝初めて顔を合わせたときは視線が定まらず、何処を見ていいか分からないと言った様子であったし、なぜかとても疲れ切っているような顔色で、熱でもあるのかな? と考えたが、風邪などの病気の類でもない。
なにか眠れないことでも起きたのだろう。しかしその原因がさっぱりである。明治の身がとても心配ではあるが、明治は「大丈夫だ」の一言をいうだけで、優麗はそれ以上追及できなかった。
明治の視線に気付き、目が合う。
とりあえず微笑んでおこうと考え、ニッコリと笑う。
途端に明治は顔を背けて授業に集中してしまう。
相変わらずの素っ気無い態度に少しだけ残念な思いもあるけど、それでも自分は明治の傍にいられるのだから、それで満足できる。
まあ、出来れば、こう明治さんとベッドの中で……うへへへへ……などと考えていると、いきなり教師から名指しされて慌てふたいめいてしまった。
明治は顔色が悪いことが幸いとなって、優麗と視線があったとき赤面してしまったのに気付かれずにすんだようである。
教師に当てられ慌てふためいたところを見ると、また馬鹿な妄想でもしていたのだろう。
やれやれと、心の中で呆れ、授業は進んでいく。
お昼休みに入ると、いつものように明治の下へと弁当を持っていくが、明治はその前に用事があるからと言って席を立った。
向かう先は屋上である。
屋上の扉を開くと多くの人達がこの場に居合わせていた。
全員が男子生徒である。
「持ってきたか?」
生徒の中の一人で、明治のクラスメートでもある隊長が姿を見せた明治にそう声をかけてきた。
明治は無表情のまま、懐に手をやり、何枚かの紙らしきものを取り出す。
「結構あるな……」
「まあね。金は?」
「心配するな。まずは中身の拝見といこうじゃないか」
明治が手にしたのは写真である。
家での優麗の姿を写したものだ。
優麗は喜んで写真に写っていたので色々な衣装を着てたりもしている。
ただし、こうやって売買されるということは内緒である。
「うーん……」
隊長が腕を組み、眉をひそめてうなっている。
「どうした? なんか不満でもあるのか?」
「不満どぁと!? 俺は優麗ちゃんの無防備な姿がほしかったんだよ! いいか、女性が完全に油断しきったその一瞬の隙に究極の美と言うのが生まれる! これでは優麗ちゃんはいつもと変わらないではないか! いや、この髪の毛をアップに纏め上げたエプロン姿、これはこれで凄まじくそそるものがある! しかし、しかしだ。あくまで他人の目を気にしていれば、その魅力も半減してしまう! 同じ男でありながらどぉぉぉぉしてそれが分からんのだ! 貴様は卑しくもあの可憐な優麗ちゃんと一つ屋根の下で暮らしている。これだけでも、7代末まで祟られてもお釣りがくるほどの出来事だと言うのに! そのわずかな幸せすらをも独占するのか? ええ? 明治よ! 毎夜毎夜、優麗ちゃんと愛をかわし、学生の身分にも拘らず……こう……むはーっとむちゅうっと! ネチャリネチャリと……きえええええええ! た、たまらん!」
「お前の頭の中身はどーなってんだよ! おかしな想像を膨らませるな!」
自分の妄想に歯止めが聞かなくなり、頭に血が上っている隊長に思いっきりハンマーを叩きつける。
この年頃の男性としてはおかしくない発想ではあるが、ここまで自分をさらけ出すのも珍しい。
この学校にはまともな奴はおらんのかと大いに嘆いてしまう。
「まあ、ともかく約束は果たしたからな」
そういって金を受け取り、屋上を後にしようとしたが、すぐに復活した隊長に呼び止められた。
「待て、明治よ。肝心の寝顔はどーなった!」
瞬時に距離を詰められ、懐に潜り込まれる。
「寝顔? ああ……寝顔……う、うんあいつ幽霊だから寝ないみたいなんだ」
明治は後ずさりながら、明後日の方角を見て全くのでたらめを口にする。
「怪しいなあ、怪しいなあ、怪しいなあ、ごくたまに優麗ちゃんが教室で居眠りするところを見ているんだが?」
一歩一歩詰め寄っていき、そのたびに明治は後ずさっていく。
「な、なら写真はいらないんじゃないか? 良かったなー隊長」
「ずいぶんと挙動不審だなーおかしいなー……さては貴様! 写真にかこつけて嫌がる優麗ちゃんのベッドに潜り込み、衣服をびりびりに引きさいて、体中にジャムを塗りつけて、縄でその可憐な優麗ちゃんを縛り上げお、大人のおもちゃで! はぁはぁともう息を荒げて、ふふいいういひひいいいいいいい」
「息を荒げているのはおのれだろーが! 僕を勝手に変態にするな! それに今のところ優麗とはなんにもない!」
湊先輩には及ばないまでも、それに近い形で右アッパーを繰り出し、隊長の体を舞い上げる。
「さすが、やるな明治」
口元をぬぐいながらゆらりと立ち上がる。
「今はその言葉を信用してやろう。いいか! いくら一つ屋根の下に一緒に住んでいようと、優麗ちゃんに手を出してみろ。この世界に住む未知の怨念が貴様を襲うことになるからな。ついでに言えば常に監視されていることを忘れるな」
「おい、もしかして隠しカメラを僕の家に取り付けたりしていないだろうな?」
「くくくく」
ズガンと今までよりも強力な一撃が隊長を襲い、明治は教室へと戻っていった。




