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第二話

 明治は電車ではなく歩きでの帰宅を選んだ。

 理由として、多くの人にこの幽霊を目撃させるのはあまり好ましくないと判断したからである。

 その幽霊の少女は、ふわふわと明治の背中にまるで取り付いているようにぴったりとくっついている。幽霊なので気配や他人が近くにいると襲われる不快感は一切感じないのだが、視覚的に思い切りパーソナルスペースを侵害されている気分になり、どうにも落ち着かない。



「あのな……もう少し離れる事はできないのか?」

 

 相手に背中を向けたまま歩きながら今、自分が感じている不快感を何とか伝えようと会話を切り出す。


「いえいえ、私は明治さんにとりついたわけですから、病める時も健やかなる時も常に一緒にいなければならないんですよ」


 相手の耳元でささやくように、ゆっくりと答える。相手が幽霊じゃなければ間違いなく耳に吐息がかかる距離だ。何かむずがゆくなり、背筋に寒気が襲う。


「なんだそれ? とりついた? おまえ……そ、それって……」

「幽霊ですから」

 ニコっと笑顔で明るく答える。


「物騒だろ! 何なんだよ! 怖いから!」

「最初はみんな怖いものですが、慣れていくと気持ちよくなります」

「余計に怖くなるわ! つうかなんか色々と誤解を招くからなその言い方!」

「どんな誤解を招くか興味ありますね。よろしければあたしに教えて下さい! 主にベッドの上とかで」


 スパーンと小気味いい音が鳴り響く。何処から出したのか明治がいつの間にか手に持ったハリセンで幽霊の少女の頭を思い切りはたいたのだ。


「うう、痛いです……」

「幽霊の癖に痛がるな! それよりまだ名前聞いていなかったな……なんていうんだ?」

「ああ、そういえば! 自己紹介する前に結婚してしまうとは、これは前代未聞ですね!」


 再びハリセンの音が響き渡り、幽霊の少女は思わずうずくまる。


「明治さんってもしかしてSなんです……」

 言葉の途中で今度はカッターが突き刺さった。


「あう……何てことするんですか! 死んじゃいますよ!」  

「もう死んでいるだろ! これ以上余計な事を口走ると本格的に御祓いを頼んで強制的に成仏してもらうぞ」


「あー……それはさすがに嫌ですね……」

 

 御祓いと言う言葉に少しばかり恐れをなしたように引きつった笑顔を見せる。

 明治はその様子に少し違和感を持つが、幽霊にも怖いことはあるんだなと思い特に追求はしなかった。


「それでお前の名前は?」


彼方優麗かなたゆうりです。彼方ははるか彼方の彼方に、優しく麗しいと書いて優麗です。親しい人は優ちゃんって呼んでくれていました。明治さんには是非、我が愛しの優麗と呼んでいほしいです」


「呼ぶか! 『我が愛しの優麗』って長いわ! 普通に苗字でいいだろ……」

 

 そう言った途端、この世の終わりと言うような、あるいは何か信じられないものを見るような目つきでどす黒いオーラを発する優麗。


「な、何て事を! 愛する人同士が名前で呼び合わないなんて……こうなってはもうあたしは成仏できません。夜な夜なこの街を徘徊し、街のあちこちでポルターガイスト現象が起こる事になるでしょう」


「完全に脅迫じゃねえか! あーもうわかったわかった! 名前で呼べばいいんだろ」

「はい」

 

 

 いきなり立ち直り、一気に明治の懐に潜り込み、大きな瞳をキラキラさせながら、何かを期待するように優麗は迫った。 

 幽霊とはいえ、見た目だけであるならば超A級の可愛さを誇る美少女だ。こんな少女にいきなり目の前に迫られ緊張しないほうがおかしい。

 

 いろんな意味で心臓がバクバクと高鳴っているのを自覚する。

 相手は幽霊だ。相手は幽霊だ。相手は幽霊だ。と何度も心の中で念を押して自己暗示をかけ正気を取り戻そうと奮闘するが、さらに相手が近づいてくる。


 そのたびに、明治は一歩後ずさるが、相手はぐいぐいと押してきて、ついには誰の家かは知らないがその家の塀まで追い詰められ後ずさる余裕が無くなる。


「な、なんだよ!」

「はい!」


 はいってわかるはずがねえだろ! 近い! 近いから! そう思うも相手の近づきは収まらない。相手が何を思ってこのような行為に出たかさっぱりと分からず、思考は混乱するばかりだ。


「よ、よせ優麗。近いから!」


 そして、その言葉をきっかけに、相手の動きがピタリと止まる。

 そして超至近距離のまま、しばらくの沈黙。


「明治さん」

「は、はい?」


 思わず言葉が上ずってしまう。


「これからは名前で呼んでくださいね」

 

 そういってスーッと離れる。

 それだけかよ……相手が離れた事によって緊張が解け、ようやく一息つける。幽霊のはずなのになぜかいい香りすら漂ってきたなと思わず錯覚してしまう。


 少しばかり、惜しかったような気もしなくもないが、気のせいだろうと強制的にその気持ちを奥にしまいこみ、ようやく家に辿り着いた。


「ここが明治さんの家ですか?」

「まーな」

「何の変哲もない一軒家ですね」

「ほっとけ」


「ここであたし達は愛を育んでいくんですね」

 ブスリと優麗の後頭部にカッターナイフが突き刺さる。


「痛いです」

 うううと涙を流し、刺さった場所を手で押さえる。


「余計な事を言うからだ」


 鍵をあけ、玄関の扉を開き、家へと入る優麗と明治。

 明治の部屋は二階にあり、12畳程度の広さをもち、中々にゆったりとしている。窓際にはベッドがおかれ、机の上にはパソコンなどの機器が置かれている。


 それとは別に液晶型のTVなどもあり、本棚には漫画の他に宇宙に関する本がちらほらと見受けられ、中にはロボット工学などといった本もある。


 そんな部屋にあがり、優麗はなにやら落ち着かないような雰囲気でキョロキョロと部屋を見ている。


「何をキョロキョロしているんだよ。珍しいものでもあったか?」

「いやー男の子の部屋って見たことがなくてですね。ついつい興味が惹かれてしまって」


 初めて上がる異性の部屋でこういう風になるのは男女共通なのかと少しばかり好奇心が沸いたが、今話すべきなのは別の事である。


「さて……なんというか色々とありすぎて何から聞けばいいか……」

「男性経験はもちろんありませんよ! スリーサイズは上から81、47」


 明治の手の中でギラリとカッターナイフが光り、優麗は少し青ざめた表情で押し黙る。


「あぅすいません……」

「ったく。さてと……そうだなお前は間違いなく幽霊なんだな?」

「はい」


 改めて確認し少しばかり頭が痛くなる。宇宙科学と言うジャンルを勉強していたせいか、思い切り相手の存在を否定したくなってきたのだ。

 何をどうしたらこんな非科学的な事が起こるのか、わけがわからない。


「それでだ……そのまあ色々とあって優麗が亡くなり幽霊となったわけだ」

 慎重に言葉を選び、現状を整理していく。仮にも人が死んでいるのだ。その辺は慎重な配慮をせねばなるまいと考えたというわけである。 



「そうですね、全くパパったら運転中にママといちゃいちゃしだすんですからもう」

「なにそれ!? つうか事故を起こすいちゃいちゃってなんだよ!」

「詳しく聞きたいですか?」

「いや聞きたくない!」

 怖いもの見たさで聞きたいと言うのが本音ではあるのだが、なんか聞いたら負けのような気がしたので拒否をする。


「しかし、そんなんで巻き込まれた相手はかわいそうだな」

「ああ、巻き込んだ相手はいないのでその辺はご安心を。完っ全に自爆です」


 えへっとにこやかに話してはいるものの笑い事で済まされるはずではないのだが、何でこんなに明るいんだよと、頭を悩ましている自分がバカみたいに思えてきてならない明治であった。


「それで、まあお前はこの世に未練を残したまま幽霊になってしまったわけだ」


「はい! その通りです! あたしだって高校に入ったらお友達とガールズトークを楽しんだり、パジャマパーティで盛り上がったり、色々と楽しみにしていたんですよ!」


「どっちも中学のうちに体験できることだろ! それとも何か? 友達いなかったのか?」

「いえ体験していましたけどね」

 さほど重要ではないと言うようにけろっと答える。


 おちょくってんのかこの女と思わず殺意が沸き起こる。 

 コメカミをヒクヒクさせながらなんとか次の質問にうつる。



「……それで肝心の未練と言うやつは何なんだ?」

 なんとなく予想は出来るが、ここは一応明確な答えを出しておこうと思っての質問だ。


「素敵な恋をすることです! 愛する人と一緒に買い物に出かけたり遊園地に行ったり、一緒に帰ったり、ホテルで一夜を過ごしたり、『貴方の子供が出来たの』といったり、その事に思いつめて手首を切ったり、『何よ! この泥棒猫!』といって男を巡ってキャットファイトをしたり、そんな健全な恋を」


「健全じゃねええ! 最初はともかく後半はまったく健全じゃねえ! なに? その暗い高校生活! 手首切る時点でもう完全に真っ黒じゃねえか」


「まあ、女子なんてこんな想像日常茶飯事ですよ」

「息を吐くように嘘を言うな……もう、それでなんで俺なんだ?」


「そりゃもうなんていうのかな……あれですよあれ……一目ぼれって奴です! もうね最初に見た時にピンと来たわけです。『ああ、あたしはこの人と一緒に子供を作るんだな』って」


「ずいぶんと過程をはぶく一目ぼれだなおい……いきなり子供は先走りすぎだろ! 大体僕とお前は会った事ないだろ」


 そういうと、少しだけ優麗は寂しげな表情を浮かべた。

 いままで明るかった表情しか見ていなかっただけに、明治はなにやら居心地の悪い気まずい感じになる。


「それはともかく、あたしは明治さんに一目惚れをして、明治さんと是非恋人になって高校生活を満喫したいのです!」


 一瞬で先ほどの表情がなくなり、再び明るくなる。

 さっきの意味ありげな表情は何だったんだよ! と肩の力を落とすも、まあ相手が一目惚れというのであればそれほど劇的な何かがあったわけではないだろう。それに惚れられた、しかも見た目だけであるならばこの可愛い女の子にである。悪い気はしない……どころか普通であれば天にも昇る心地ではあるが、幽霊である……どうしろというのだ? というのが彼の心境だ。


「あのな……いくらなんでも幽霊はさすがにな……」

「どーしてですか! 幽霊だって恋の一つや二つはするもんなんですよ! なんですか? 幽霊差別ですか? 全日本幽霊協会に訴えますよ!」


「何だよ! その幽霊協会って聞いたこともないよ! 何処にあんだよ!」

「青森の恐山付近に本部があります」

「なんかほんとにありそうで怖いな……」

「お岩さんが現在の会長です」

「実在していたの!? お岩さん!?」


 お岩さんとは有名な四谷怪談に出てくるこれまた有名な幽霊である。日本において最も有名な幽霊の一人と言っても過言ではないだろう。


「あたしが成仏するためには好きな人と恋人になって、あんな事やこんな事や子供を作ったりしなきゃ駄目なんです」


「いやむしろ最後の部分をにごせよ! なぜそこだけはっきりと言う!」


「欲求不満なんです!」


「女の子が欲求不満とか言うな! 幽霊の癖に欲求があるとかなんかもう色々価値観が崩れていく」


 ああああと頭を抱える。


「それにだ……高校生活を満喫すると言ってもどうやって?」


 一番の疑問である。幽霊が高校に通うなんて前代未聞である。例えそれが出来たとしてもマスコミ関係者や科学関係者、はては宗教関係者、様々な人達が大騒ぎする事は目に見えている。

 そうなってしまっては高校生活どころではない。

 

「ああ、それなら心配は入りません。あたしはあたしの事を見える人を自在に決める事ができますから」


「ん? なんだそれ?」


「つまりですね、今、明治さんにはあたしの事が見えていますよね? 胸とかチラチラとさっきから視線を感じますし」


 ぐっと言葉に詰まる。自分としてはバレにくいように、まさに牽制球を放つピッチャーなみの慎重さで警戒しながら視線を向けていたつもりが見事にばれていたようだ。

 思わず指摘された事に対して顔が赤くなる。


「ばばばばば、バカいいいうなよ……ぼ、僕は別に胸なんか見ていないぞ、い、いくら優麗さんが幽霊だからと言ってそんな失礼な事をするはずがないじゃないか」


「何だったら脱いでもいいですよ?」

 うふっと少しだけ妖しげな目つきで何かを誘うような視線だが、カッターナイフが飛んでくる。


「えぐっ……」


 見事額に命中し、優麗は仰向けに倒れた。


「いいから早く話を進めろ!」

 照れ隠しもあるのだろう。自分でも逆切れに近い行為と分かってはいる。しかしだからと言って、相手のペースにはまるのはなんとなく嫌なのだ。


 視線は気をつけようと心の中で自省をして話の続きを促す。

 

「これも一種の愛の形と思えばこの痛みは逆に気持ちよく……ああ、すいませんすいません続きを話しまから、その手に持っている物騒なものをしまってくださいよ!」


 慌てて明治をなだめて、咳払いをして話を本筋に戻す。

 

「ええっと何処まで話しましたっけ? ああ、そうそう、明治さんにはあたしが見えている。そうですね?」


「まあな」


「ではここに第三者がいるとしましょう。その人にはあたしの事が見えると思いますか?」


「晴彦が見えていたんだから、そりゃ見えるんじゃないのか?」


 晴彦と一緒に校舎裏に行って一緒に目撃したのだまず間違いないと思っての答えだ。


「残念ながら外れです。あの時は晴彦さんにも見えるようにしましたが、その気になればあたしの姿を見えなくすることも出来ました」


 ようやく相手の言いたい事が理解できて、明治は納得するも少しだけ疑問を覚える。


「つまり、俺だけが見えている状態にすることも出来るし、逆に皆から見えているのに俺だけが見えない状況にすることもできると言うわけだな?」


「いえ、少しだけ違いますね。明治さんからは常にあたしの姿が確認できます。未練の相手からは姿を隠せないようでして」

 

 優麗は明治の答えに少しだけ訂正を加える。

 しかしそれでは明治の疑問に答えたことにはならない。


「はあ……なるほどね……じゃあなんで晴彦にわざわざ姿を見せたんだ? 下手すりゃ大騒ぎになっていただろう」


「あのまま姿を見せなければ明治さんは可哀想な人扱いのままでしたよ? それでも良かったんですか?」


 確かに優麗の言う通りだと明治は思った。

 あのまま優麗が姿を現さなければ、自分は晴彦に可愛そうな人扱いされていた可能性がある。それどころが自分の醜態を学校を駆け巡っている間にいろんな人に目撃されていたに違いないし、晴彦の部活仲間にはそれ以上の醜態を晒している。


 その辺の処理は晴彦がうまくごまかしてくれているだろうが、優麗が晴彦に自分の姿を見せていなければ、晴彦とてごまかす事なんて出来るはずがない。


「ああ、そっか……うん、そうだな。ありがと」


 素直に礼を言うのが恥ずかしいのか、少しだけ控え気味に御礼を言う。


「いえいえ、愛する人のためですから。それに御礼と言うのであれば熱いキッスを」


 むちゅうという表情をそのままに明治に迫るが、お約束のごとくカッターが額に突き刺さる。


「あぎゃ」


「元はと言えばお前のせいだ! 調子に乗るな!」

「ふふふ、意外と照れ屋さんなんですね」


「お前は少し恥じらいを持て」


 なんか女子への憧れと言うか、価値観と言うかそういうものが次々と崩れ去っていくような気がしてならない。

 見た目だけなら凄く可愛いのになあ……と少しばかり相手の顔を見つめる。


「はぁ……まあいいやわかったよ。部屋は姉さんの部屋が開いているからそこを使ってくれ」

「へ? 明治さんお姉さんがいるんですか?」


 余計な事を言ってしまったかと、少し後悔する。が、相手は幽霊である。よく考えたら、自分の抱えている事情など、死んでいる相手に比べれば大したことではないのだ。そう思って事情を話すことにした。


「まあね……今は別々に住んでいるけどな」

「大学生だから一人暮らしとか? もう社会人とかですか?」


「大学生だよ。けど一人暮らしをしているわけじゃない。うちは離婚間近でね、父さんと母さんは別居中。僕は母に引き取られて、姉は父に引き取られたって事」


「大変なんですねえ……」


 さすがにこの件に関しては真面目に応対して特にはっちゃけることはせずに大人しく聞いている。


「優麗に比べたらそう大したことじゃないさ。さて、そろそろ晩御飯にしようか。料理は出来るんだよな?」


 話していてあまり楽しい話題ではないし、聞いていても楽しい話題ではない。この件はこれで終わりだと言わんばかりに話題を切り替える。

 優麗は腕まくりをして、自信に満ちた瞳を輝かせる。


「ええ、任せて下さい! もうねこれでもかというおいしい料理を作ります! 愛情と髪の毛と爪のかけらが隠し味のポイントです☆」


「なんだよその黒魔術的な隠し味は! 普通に作ってくれ!」


 こうして明治と幽霊な彼女である優麗とのちょっとした騒がしい同居生活が始まったのである。



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