第十九話
深夜2時、草木も眠る丑三つ時、呪いの藁人形を五寸釘で打ち付けるのにうってつけの時間帯である。
閑静な住宅街ということもあり、この時間帯の田井正家の家の周りは人気がなく、時折虫の声が聞こえてくる程度だ。
そんな静かで真っ暗な家の中を、足音を忍ばせて歩く人物がいる。音を極力出さないように気を使い、二階にある、とある部屋のドアノブをそーっと回し、細心の注意を持ってゆっくりと開けていく。
その部屋はほとんど荷物がなく、ベッドが一つと本棚が一つおいてある寂しげな部屋だ。
本棚の中身もスカスカで本がまばらに置かれている状態である。もしここに第三者がいれば、この部屋はあまり使われてはいないなと思うだろう。
しかし、現在は寝るためだけとはいえ、一応はちゃんと使用されている。
ベッドでは可愛らしい顔をした女の子が布団にくるまり目を閉じている。
良く確認すると息をしていないので、下手をすれば死んでいると思われるかもしれない。いやそれはそれで間違いはないのだが、彼女はある意味生きている状態だ。
ベッドで寝ている女の子は彼方優麗。幽霊という常軌を逸した存在である。
部屋に入った人物は、ここへ来る前よりもさらに細心の注意を払って、ゆっくりと彼女が寝ているベッドへと近づいていく。
幽霊が寝ている……まあ、下手にこれ以上突っ込むことはしないでおこう。そう考えてその人物は彼女の顔が映るようにカメラを構えた。
雲が風に流され、月明かりが窓から差し込んでくる。
わずかに光に当てらたことによって、彼女の寝顔がよりはっきりと見えて、カメラを構えた人物は思わず見とれてしまった。
月明かりに映し出され白い肌は、わずかに光を帯びているような神秘的な色合いを示し、長くて黒い髪はそれと相反するように吸い込まれそうなくらいの黒一色を引き立たせている。
血色の良い桃色の唇は瑞々しい艶を誇っており、思わず触れてしまいたくなる。
この場でカメラを手に持っていることすら忘れて魅入られてしまう明治。
彼は以前クラスメートととある約束をしていた。そのためにこうやって、彼女の寝ている寝室に────かつての姉の部屋であるが────に忍び込んだのだ。
夢でも見ているのだろうか、気持ちよさそうに寝ている姿はとても可愛らしいと感じてしまう。
こうやって改めて大人しい彼女を見ているとそれがより実感できる。
起きていれば色々と自分を巻き込んである意味迷惑な奴ではある。
大人しくしていればこんなに可愛いのになあとしばらくの間、彼女の顔をじっと見つめている。
この女性は自分に惚れていることを隠そうともせずに隙あらば常に迫ってくる相手である。
明治は健全な男子高校生なのでこれだけの条件の美少女から迫られればとっくに付き合っていると自分でも自覚している。
しかし、最後の一歩を踏み出せないのは、やはり彼女が幽霊と言う未知の部分にかかってくる。
魂を吸い取られる。体を乗っ取られる。あの世に連れて行かれる。こういった不安要素が彼の後一歩を踏み出しを躊躇わせているのだ。
……僕はこの子のことをどう思っているんだろう。以前自分に問いかけて考えたことをもう一度だけ問いかけてみる。
確かに彼女の行動には振り回されていて、手を焼かされている部分はある。
最初は同情に近い形からこの家に置くようになったということも自覚している。
あの時点では彼女には惚れていない。それは間違いないのだ。
しかし、彼女と同居するようになってから、自分は彼女から常に好意を受けてきた。
時折、暴走しがちな部分があり、かなり厳しくたしなめる部分もあるが、彼女の行動は全て純粋な好意から来ているというのを、感じ取っている。
わけのわからない理由で嫉妬されたりしてひどい目にあったりもしていたが、嫉妬されると言うのはまあ悪くはないし、どこか嬉しいと思える自分もいた。
そして、なにより、以前ほど彼女に対して恐怖がなくなって来ているということに気付く。
『何か思い出したかい?』
なぜか唐突に晴彦の言葉が脳裏によぎった。
あの時は深く考えていなかったが、あれはもしかして優麗に関することなのかと改めて考える。
晴彦とは小中学校一緒である。
つまり、晴彦が優麗のことに関して何か知っているのであれば、自分も知っていなければおかしいのだ。
晴彦の言い方はまさにそんな感じであった。
そして、優麗とはじめてあった時、彼女は少しだけ悲しそうな顔をした。
もしかしたら、過去に僕達は出会っているの?
寝ている優麗に心の中で問いかけるが返事はない。
なによりも、明治の記憶にはこれほどの美少女と出会った記憶がないのだ。
すれ違った程度の出会いならば忘れていてもおかしくはない。しかし、晴彦の言葉が、過去に自分達が出会っていることを示しているのであれば……とそこで優麗の目がパチリと開かれた。
「あ……」
まずい、非常にまずい。こんな夜中に寝ている女性の寝室に訪れる。おまけに自分はカメラを手にしている状態である。
どう考えても変態の一言に尽きる。
「明治さぁん」
「い、いやこれはだな……その…お、男と男の約束でな」
明治がこの場を切り抜けるための言葉を探している間に、優麗はスーッとベッドの上に立ち上がり、そして明治の胸に倒れるように飛び込んできた。
「ま、待て! 優麗! べ、別にお前の寝込みを襲いに来たわけじゃない! か、勘違いするな!」
優麗の性格からすると、悲鳴を上げて大騒ぎよりも、むしろ自分からベッドに引き込み嬉しい悲鳴を上げるはずである。
そうおもって必死で口を動かしまくし立てるが、明治の胸に収まった優麗は微動だにしなくなる。
不思議に思ってよく見てみると寝ている状態だ。
「寝ぼけてんのかよ……」
優麗が倒れてきた時にカメラを手放し床に落として、うまく抱きとめたのだ。
体重がないので抱きとめるのは容易であった。ふわりと優しく包むように明治は彼女を受け止めたのである。
「アホらし……なにしてんだかな」
そう一言つぶやいて、再び優麗をベッドに寝かせて、静かに部屋を出ようとしたが、優麗が明治の服の裾をしっかりと握り締めており、明治は動けなくなる。
「おい……ちょっと待て……」
無理やり引き剥がそうとしたが、優麗の幸せそうな顔を見るとその気持ちが萎えてしまう。
「まさか、一晩中ここにいろと? 優麗ちゃん……離してくれないかなあ?」
瞬間、裾を思い切り引っ張られ、結果ベッドに倒れこむこととなり、優麗に覆いかぶさってしまう。
そして優麗の顔が間近に映る。
ごくりと唾を飲み込む明治。
心臓がこれでもかと言うくらいのスピードでドクドクと脈打っており、おまけにその音が聞こえないほどである。
先ほど目に入った柔らかそうな唇が再び明治の目に写る。
ぷるんとした瑞々しいい桃色の唇は明治の理性を奪うのに充分すぎるほどの威力を誇っており、自分でも自覚がない間に、その唇がいつの間にか接近している。
ゆっくりと明治の唇と、優麗の唇が近づいていく。3cm、2cm、1cm、そして零距離。
二人の唇が触れ合った。わけではなく、ミリの単位のタイミングで優麗が寝返りを打ち、明治はベッドとキスすることとなった。
「な……なんなんだよー……」
静かに相手を起こさないように悔しがるが、気持ち的には声の大きさの100倍ほどの悔しさである。
さらに間抜けにもベッドにキスしたことによって冷静さを取り戻し、そして赤面する。
「い、いや違うぞ! これは断じて違う!」
何が違うのか、誰に喋っているのか……そんな事を口走る。
一通り一人で静かに悶えた後に、起こしちゃまずいと思ってベッドから降りようとしたがやはり裾をつかまれており、降りれない。
「つまり……一緒に寝ろと言っているんですか? 優麗さん?」
なんとか裾から手を引き剥がそうと、無理やり引っ張ったり、優麗の指を自分の手で開こうとしたりと試してみたものの全てがうまくいかない。
寝ているのに何でこんなに力があるんだよと心の中で悪態をついてしまう。
様々な思いを抱えたまま、苦笑いを浮かべて明治はため息をつき、優麗と同じベットで横になる。
そして彼は一晩中さまざまな思いと格闘しながら徹夜することになった。
彼の今後の教訓として、慣れない事はするものではないと心のメモに記されたのであった。
朝方、優麗の手から裾がするりと抜けて明治はようやく体の自由を取り戻す。
優麗の顔を一晩中至近距離で眺めることになり、おまけに体も少しだけ密着していた。
時々、優麗がもぞもぞと動くたびに、優麗の太ももと思われる部分や、胸と思われる部分に明治の体が当たり、そのたびに明治は自分の体を動かして、やや距離を置こうと努力する。
当たっていた部分はわざわざ確認していないので、何処が当たっていたのかなど厳密には分からないが、ただ一つ言えることは物凄く柔らかいという感触と滑る様な滑らかな肌触りがよく感じ取れたということだ。おまけに優麗が動く時にごくたまに寝巻きの胸の部分から、衣服がはだけて、その中身がきわどいところで見えそうになったりと中々に理性を最大限に働かせて精神疲労は多大である。
そして明治はいろんな意味で精根尽き果て、体を引きずるようにして自分の部屋に戻る。
髪の毛はボサボサであり、目の下にはクマが出来ている。目そのものにも、その疲れは表れており、目の光が濁っている。
顔全体は心なしか痩せこけているような感じがするが、別に一晩かけて優麗に精気を吸い取られたわけではなく、彼が発する雰囲気そのものがそう見せているに過ぎないのだ。
部屋に戻り、ベッドに倒れこみ、ふと目覚まし時計を見る。
時刻は5時40分。
いつも起きる時間は7時前後だということを考えれば、1時間と少ししか寝ることが出来ない。
「やばい……起きられるのか……」
気力もそして体力も全て無くして彼は、夢の中へと入り込んでいった。




