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episode1 雨 9

おまたせしました。後編です。

Episode.1 雨9


 ヴァイスは決して口の上手いほうではない。

 サクラがヴァイスの誘いを断りきれずに食事を一緒にすることになったのは、断り方がすぐに思いつかず黙っていたせいだ。

 「雪斗が席とってくれてるから、さっさと行こうぜ」と言って、ヴァイスはたった今入ってきた出口に向かって歩き出す。

 わざわざ食事に誘うためだけにやってきたのか、という疑問を声にする前に月乃に手を引かれ、まるで連行されているような気分だった。

 出口をくぐる直前にチラリとエントランスに視線を向けると、ついさっきまで発せられていた殺気はきれいに消え失せ、すでに誰もこちらを気にする様子は見られず、他愛の無い談笑をしている。

 彼らは何故、“あんな目”をしていたのだろう。どれ程のものを味わったのだろう。どうしていま、そんなにも“楽しそう”にしていられるのだろう。

 腹立たしくなる気持ちはまだ消えないが、同時にそんな、心のどこかで羨ましがっている気持ちも生まれていた。

(ここは、ひとが多過ぎです・・・)

 家族を失ってこの1年、他人と関わることを避けて、最低限まで独りで過ごしてきた。

 本当は人のいる場所にだって行きたくはなかった。

 理由は先ほどの気持ち悪さ。家族がいた頃と、家族を失ったあの日のフラッシュバックだ。

 目標も無く、ただ生きるための日々を送るためだけに、しかしあの日を見ないために最低限まで他人と関わらず、逃げるように戦い続けた1年。

 しかし彼らはそれを、“あんな目”をするようになる程の思いをしてもなお誰かと関わり続け、夢さえも語り合う。

 同じはずなのに、どうしてこんなにも違うのだろう。どうして自分は、こんなところに来てしまったのだろう。

 サクラにとってここは、ある意味では戦場以上の地獄に思えた。知るべきではなかった選択を知って、違う選択の先にいる自分を、なぜ、とそう考えてしまう場所。




 食事は簡素に、トーキョー中にチェーン展開している牛丼屋で食べた。雪斗の奢りで。

 牛丼チェーン、これもサクラにとって珍しいものではない。

 トーキョーはニッポン人が作った都市だとは聞いていたが、まるで、ここが遠いアメリカの地に思えなくなりそうな、それほどまでにニッポンそのもののような都市だと感じる。

(量は・・・、特盛のような並盛ですが)

 仕事帰りらしい人々で賑わう店内には、ヴァイス達のほかにも何組ものフリーランダーもいて、それぞれに仕事の反省や次の相談などを話し合っている。

 もちろんヴァイス達も同様だ。ヴァイスと雪斗、月乃のほか、このときはヴァーゼがいた。

 アンジェリカと花凪、カノンはまだ学生だったので、このころはこうして集まることはなかったが、少なくともアンジェリカはすでにある程度の戦闘技能を会得していたらしい。

 名前ぐらいは名乗ったが、ただでさえ初対面でグループに混じっての食事というのは肩身が狭いというのに、安いとはいえ奢りとなると、ついには申し訳ない気持ちにすらなってくる。かといって拒絶しようとしても、声が詰まってしまって何も言えない。

 1年の間に性格も随分変わったとサクラ自身は思っていたのだが、子供の頃からの内気な面は消えたわけではなかったらしい。

「でもせっかくなら、もっと高いところのものを奢ってもらえばよかったかしらね」

 月乃は食べ終えたサラダの小鉢を置き、冷たい表情で雪斗を見る。

 雪斗は苦笑いで視線を逸らす。・・・雪斗の全奢りなのはサクラに関わらず以前から決まっていたことのようだが、どうやら月乃はお気に召さなかったらしい。

「でも、オレもそんなにはカネ無いんだぜ? 奢れるところなんて結構限られていてだな・・・」

 しかし月乃は言い訳を許さない。いつの間にか手にしていた雪斗の財布をひらひらと振って見せる。どうやらそこまで切羽詰っているわけでもないらしい。

 こんな平和な光景は随分久々に見るな、とサクラは正直なところでは笑いたかった。自分と同じような境遇の者がいても、そんな者でも笑顔になれる。ここはそんな街なのだろうと、フリーランダー達が集まる理由も解る気がした。

「これだけあれば『桜華』があるでしょう」

「!?」

 とにかく安く済ませようとした雪斗は、胸になにか大きな衝撃を受けたようなポーズで固まってしまった。

 その横で、サクラはそんな雪斗の様子などまったくも気にならないような、別種の衝撃を受けていた。

「どうかしたのか?」

「え!? ・・・いえ、なんでも」

 サクラの様子に真っ先に気づいたヴァイスが声をかけると、サクラは言葉を押さえ込むように黙ってしまい、何か思案しているらしい様子はわかるのだが、その後も答えようとはしなかった。


 店を出ると、帰宅ラッシュもピークのようで、街は人ごみに溢れていた。

 フリーランダーの街といっても、溢れるようなこの人の波のほとんどが戦う力を持たない一般人だろう。かつてはフリーランダーだけだったはずだが、今ではもう、この中のどれほどがフリーランダーなのか、この中のどれほどが“あの目”をするのか。なんでもない流されていく人々を見ると、ここも戦場とは遠い場所なのだ理解し直せる。

 ふと空を見上げるが、そこには高架道路の天井があるだけで、空は見えない。30メートル程度の高さにあるあの道路の上にも、同じような天井がいくつも重なっていて、この足元も同じようなものなのだと思うと、遠い故郷とはやはり違うのだと思い出せた。

 違う生き方もあるのかもしれないとも考えたが、やはり行かなければならない。一刻も早くこの街へやってきた目的を果たし、また戦いの世界へ身を落とす。それしか生きる術が無いのだと自分に言い聞かせ、サクラはそっとヴァイス達から離れた。

 食事中にはちょくちょくサクラの様子を気にかけていたヴァイスも、いまは雪斗とヴァーゼと明日の仕事の話をしていて、隙を突いて離れるのは難しくなかった。

 サクラが1人離れて行くのを月乃だけは気づいていたが、それもサクラの選ぶ道だと、無言で見送る。


 サクラが人の流れに消えるのはあっという間で、サクラがいなくなったことに気づいたヴァイスが周囲を見回すころには、その姿はもうどこにも見えなかった。

「・・・ヴァイス。あの子には、あの子の選択というものがあるのよ」

 食事中とつい先程、サクラが何を想っていたのか、月乃にはわかる気がしていた。きっとそれは雪斗も感じていて、ヴァイスは、思っていることを想像出来なくともその様子を心配していたのだろう。

「わかってますよ。でもあんな・・・、放っておけるわけないでしょう!」

 ヴァイスが走り出した方向は、残念ながらサクラの向かった方向ではなかったが、あえて教えなかったというのに月乃には予感があった。いや、そうあってほしいという希望でしかなかったのかもしれないが。

「アイツは、あの子を助けるだろうな」

 それは雪斗も同じようで、しかしその期待とは裏腹に、また不安もある。

「でも、それはあの子を“救う”ことにはならないかもしれないわ」

「そうかもしれねェけど、それでも“助け”があれば、いつかは“救い”もあるさ」

 ヴァーゼもまたヴァイスのことをよく理解している。ヴァイスの自身を省みない危うさとそのまっすぐな行為が本当に相手を救えるか、ただそのときを助けるまでしか出来ないのか、それは別問題なのだということを。

 だからヴァーゼも走り出すのだろう。ヴァイスが少しでも、“救い”に近づけるように。

「あいつらのああいうとこ、無茶だとよく言うけどよ、オレも大概だな」

 自嘲すると、2人を追って雪斗もまた走る。

 頭を抱えたい気持ちもあったが、それ以上に月乃は嬉しかった。どんな事情があるかは知らないが、サクラには「いつ死んでもいい」ぐらいのことは平然と言ってしまうような危うさがある。きっと本当は優しい子なのだろうと、今までのサクラの態度から察することも出来て、そんな彼女を放っておけないあのお人好したちがいるから、月乃もきっとその行動に出たのだろう。

 PHを起動し、ギルドで管理している依頼者名簿を呼び出すと、ある名前を検索する。

(彼女は『桜華』に反応した。あの店の関係者かもしれない)

 検索結果では今の夫妻の姓は違っていたが、記録を遡ったところで、見つけた。

(奥さんの旧姓が『カイカ』・・・。間違いないわね)

 急いで桜華に連絡を取ろうと、番号を選択して発信ボタンを押す。

 しかし、まだ営業時間のはずなのに一向に通信に出ない。仮に店に誰もいないとしても、その場合は店長のPHに自動的に転送されるはずだ。

 ある程度発信を続けると、通信に出ることも無く向こうから一方的に切られてしまう。おかしいと思った月乃は桜華への発信を続けながらヴァイス達に通信を繋ぎ、このことを話した。

『わかりました。ありがとうございます!』

 そうあってほしくないと思いつつも、もうサクラと自分達の範囲の問題ではなくなっている可能性がある。一般人を巻き込んだ事件に発展しているとしたら、そう考えた月乃は早足にギルドへ向かう。

 情報を集めるにしても、それを現場に伝えるにしても、こんな道端を拠点には出来ない。場合によっては応援も必要になるかもしれないことを考えると、拠点はギルドしかない。

 発信し続けていた通信は、もう繋ぐことも出来なくなっている。電源を切られたか、あるいはPHを破壊されたか。不安は大きくなるばかりだ。

 向かいながら今度はギルドに通信を繋ぎ、桜華の近くに誰かいないか、いれば様子がわからないか探ってもらう。

 するとちょうど現場に着いているグループがいて、今から現場検証を始めるところらしい。

『桜華のことならもう大事件だよ! 武装した連中が押し入って店長夫妻と何組かの客を連れ去った。残された客に『サクラ・カイカ』ってやつへの伝言を残してな』

 遅かった。奥歯を噛み締め、しかし次の行動に移らなければならない。

「内容は!?」

『『人質の命が惜しければ追って来い』だそうだ。どこに連れて行ったのかは現在調査中』

 まるでデジャヴだ。月乃の脳裏に5年前のことがよぎる。



 崩壊の始まっている廃ビルの中、全身に剣やナイフを突き立てられ、血塗れの身体でガレキを支える雪斗と、砕けた腕で意識の無い花凪を抱えているヴァイスの姿。

 壁が崩れていくのも、天井が落ちるのも、床が水平さを失っていくのも、あらゆる物事がゆっくりと流れているように感じられ、じわじわと殺されるような増すばかりの絶望感。

 ヴァイスのPHからヴァーゼやケイトの声が響くが、ビルの崩壊する音の中ではうまく聴き取れない。

 月乃は絶望のなか、それでも死を受け入れられずに涙するだけだった。



(あんなことを、もう起こさせたりしない!)

 人ごみに揉まれながらギルドを目指す。しかし人の流れはギルドもある都市部中心から来ていて、流れに逆らって進む形になっているためなかなか進めない。

 なんとか比較的人の少ない上の階層へのスロープまで辿りつくと、それまでの遅れを取り戻すように駆け出した。

 正面から来る人も、同じように上へ向かう人も追い越して、とにかく走った。『閃境』の術式を使ったほうが早いかとも思ったが、こんな人の多い場所で武装を出すわけにはいかない。

「どこへそんなに急ぐ?」

 すれ違いざま、野太い声に問われて月乃は振り返る。

 立ち止まって見ると、茶色のコートに同じ色の帽子の、後姿から察するだけでも身長も体格もそれなりに見える男だった。しかしその服装にも声にも憶えはない。

「・・・どちらさまでしょう?」

 急いでいるのに、と苛立ちを隠しもせずに問いを返すが、ゆっくりと振り向くその男の顔にもやはり憶えが無いような、いや、どこかで見たことがあるような気がした。

 しかし明らかに見たことが無い要素がある。

 目的だけを見て走っていたとはいえ何故気づかなかったのか、この男、コートの下は上半身裸に袴という酷く奇抜な格好だった。

「忙しいのはわかるが、関心しないな。質問に答えずに質問を返すことも、ほぼ初対面の相手に八つ当たりするような態度も」

 見たところ年齢は三十代。体格や雰囲気から、一般人でないことはわかる。

「・・・仕方ない、質問に答えよう。俺は『斗七海三太九郎となかい さんたくろう』。医者だ」

「あなたが・・・!?」

 そのふざけた名前を憶えていないわけはない。世界的にも有名なフリーランダーで、このトーキョーのギルド所属のフリーランダーでは最強と称される人間の名だ。偽名であることは明らかだが。

「いい名だろう? 俺の将来の夢なんだ、サンタクロース」

 しかも偽名であることを隠そうともしない。

 さらに言うならば、仮に目指すサンタが公認サンタだとして、限りなく体脂肪率ゼロに近いと思われるその体型では、サンタクロースの資格を取るのは相当難しいと思われる。

「で、もう一度質問だ。どこへそんなに急ぐ?」

 きっと、わかっていて質問しているのだろう。

 見覚えがある気がしたのは、以前月乃がギルドのカリキュラムを受けていた頃に、一度だけこの男が顔を出したことがあったからだ。わざわざ声をかけてくるぐらいなのだから、まさかとは思うが、そのときのことを憶えていたのかもしれない。

「申し訳ありませんでした。事情によりギルドへ向かっているところです」

「それでいい。・・・『ヴァイス・クローディア』絡みか?」

「!」

 間違ってはいない。ヴァイスが関わっている、というより首を突っ込みに行ったのは確かだ。しかし何故、ギルドトップのフリーランダーがヴァイスが関わっているかを気にするのが解らない。

「答えなくてもいい。その反応でわかる」

 どうしてヴァイスのことを、と訊こうとしたところで三太九郎は振り返り、見えるのは後姿だけになった。

「呼び止めたうえに変なこと訊いて悪かった。アイツによろしくな」

「あ・・・、はい」

 追って、ヴァイスのことを訊いてみたかったが、今はそれどころではない。

 後ろ髪引かれるものはあったが、月乃は再びギルドに向かって走り出した。


「あのガキは相変わらずか。いずれ見つかるな、こりゃあ」

 彼を待つ患者は世界中に、数え切れないほどにいる。三太九郎は呆れたような、しかし楽しそうに笑ってその場を後にした。




「おまえは必ず追ってくると思っていたぜ、サクラ・カイカ」

 それはこの1年戦場に居続けたサクラにとって、珍しい見知った顔だった。幾多の戦場で顔を合わせ、敵だったことも、味方だったこともあった男だ。

 見た目だけは整えて、しかしどす黒い中身が漏れているような表情。いつ見ても、吐き気さえする印象の男だと、サクラは不快感を隠す事無く顔に出す。男はその様子にすらも愉悦を感じているのだろうが。

「・・・『蟹座キャンサー』、ルデス・カーソン」

 黄道十二星座の1つ、『蟹座』の術式を操る傭兵ルデス・カーソン。人種は悪魔。

「おまえのことが気に入らなかった。いやある意味では気に入っている、ずっとずっと、殺してやりたいほどにな!」

 それはサクラにとってもそう変わらない。味方を平気で犠牲にする戦法、場合によっては気に入らないというだけで命を奪い、民間人さえも快楽のために殺す、何の意味も無い死を戦場に撒き散らすその男を幾度も殺そうとして来た。味方のときも、後ろから刺し殺してやろうかと考えたほどに気に入らない相手だ。

 ここはトーキョーのどのあたりに位置するのだろうか。放棄された自動車工場跡のようでそれなりに広く、天井は剥がれ落ちて星空を覗かせている。中心市街からそれなりに離れているから見える空だ。

 サクラの感知能力が無くともこの星明りの下ならば、工場内に残された機材・廃材の影に潜む敵を察するのは当然だ。

(この街にも、こんな場所はあるんですね・・・)

 放棄されてそれなりに経つようで、フリーランダー達もさすがにこの街の何もかもを管理できているわけではないらしいことがわかる。

 それなりに広い放棄された敷地の中心に近いこの建物なら、戦場にしてしまっても周囲に被害も無く済むだろう、とはサクラの感想だが、おそらくルデスの思惑は「フリーランダーに邪魔されたくない」といったところだろう。

 だからルデスのような男にこうして使われることになったのだろう。

「人質はどこですか、ルデス・カーソン」

「さぁ、どこだろうな?」

 2人は同時にPHから武器を展開する。ルデスは巨大な鋏のような剣、サクラは刃まで漆黒の十字槍を。

「あなたを殺したら、答えてくれますか」

「おまえがオレに殺されたら、答えてやるよ」

 互いの殺意が建物内に充満していく中、サクラは不思議と安心のようなものさえ感じていた。

 この男は、“あの目”をしない。過酷な運命を呪ったことも無く、何の覚悟も持たない、ただの快楽殺人者だ。何の躊躇いも無い、こんな男を殺すことに。




 桜華に到着したヴァイスと雪斗、ヴァーゼだったが、そこにサクラの姿は無く、目撃証言も得られなかった。どこか途中で行き先を変更したのだろう。

「ヴァイス、この周辺に集団で隠れられそうな場所は!?」

 地道に聞き込みをしている時間は無い。人質を連れて潜伏できる場所の候補を挙げて、そこに直接向かった方が早い。

「いくつかある。手分けして行こう」

 調査に来ていた別グループのフリーランダーにも声をかけ、いくつかの建物にマーカーをつけた地図データをそれぞれのPHに送信する。

「発見次第連絡。1人で突っ走るなよ」

 当然のことだが、雪斗があえて言ったのは躊躇いも無く1人で無茶をする男がいることと、普段交流の少ない別のグループがいるからだ。忠告された側も、それが自分達に対してだと理解したようだ。本当に忠告を守るかはともかくとして。




 すでに、物陰に潜んでいた者達は物言わぬ肉塊に成り果て、黒で統一していた服も、漆黒だった槍も赤黒い飛沫を受けている。それはルデスも同じで、転がっている肉塊の中には彼が引き裂いた者もあった。

「相変わらずお堅い女だなぁ、おまえは。もっとすっぱり斬られてくれよ」

「あなたこそ、不愉快なので素直に黙ってくれますか、周囲の空気ごと」

 空間硬化。サクラは大気を固める魔術を放ち続けるが、ルデスはそれを鋏で裁つ。

 裁ち切り。ルデスは発動前の魔術を鋏で裁ち続けるが、サクラに直接届かせるほど距離を詰められずにいる。

「羨ましいなぁ、才能ってヤツがよ!」

 ルデスは『蟹座』の術式を使う適性はあったが、しかし魔術の才能には恵まれておらず、その力のすべてを使いこなせてはいなかった。それは本人も自覚していることであり、使いこなそうと努力もしているようだが、高い魔術適性を持つサクラの才能に嫉妬以上の感じるのも無理はないというものだ。

「それが、私を殺したい理由ですか」

「そうよ! だからブッ殺されろ!」

 弱者の命を奪い、殺人の快楽を貪る男の、それまでと違う意味を持つ殺意。それは“あの目”をする者達とはまた別の、哀しみともとれる意思から来るものだった。

 快楽殺人者の笑顔の下を見たサクラは―――、それでもこの男の命を奪うことに躊躇いを覚えたりはしない。

「何かと不快ですね、あなたは。殺されてください!」

 サクラはPHを起動させて新たに10丁の銃を展開し、空間硬化の魔術の応用で操り乱射する。魔力の消費は早くなるが、これ以上の長期戦にする気は無く、どのみちお互いもう残り少ない魔力だ。出し惜しみせず、これで一気に決着させたい。

 それに対してルデスもPHを起動。大量の固まりかけのコンクリートを放出し、弾丸もろともその先のサクラを飲み込もうとする。

 空間硬化でコンクリートの津波を止めると、その一瞬を突いて振るわれた鋏が銃を裁つ。本当はサクラを直接狙ったのだが、サクラが銃を盾にするほうが僅かに早かった。しかし蟹座の術式を受けきるために10丁すべてを盾に使ってしまい、展開したばかりの銃があっという間にガラクタに成り果ててしまった。

 こう着状態を打破し、勝利にもっていこうとした一手だったが、結果的にルデスの攻撃範囲内に捕らえられてしまうことになった。

「死ねェェェッ!!」

 この距離ではルデスを固めるよりも断ち切りのほうが早い。魔術を放とうとしている鋏を砕こうと、槍を振り上げる。槍が鋏を砕くか、鋏がサクラの命を裁つか、この一瞬で勝負は決まる。


 ―――決着。




 マーカーで記された建物に着こうという時、雪斗のPHが着信音を発した。ヴァイスからだ。ちゃんと言うことを聞いてくれたことにまず安堵し、しかしすぐに着信音が止まったことで、ヴァイスがどういう行動をとったかを悟った。

(・・・『連絡はした』ってか)

 結局1人で無茶をしに行ったということだ。雪斗は溜息をつき、月乃に連絡しつつ走り出した。

 間に合え、と思いながら、すでに何にも間に合わないような予感がしていた。



 ―――鋏は砕かれ、サクラの命が裁たれることはなかった。

「あなたは・・・!」

 鋏を破壊したのはサクラの槍ではない。槍は間に合わなかった。

 鋏が砕かれる瞬間、死を思わせるほどの酷い寒気を感じた。その元は紅い燐光を漏らす、鎌の要素を持つ複合剣。人間である雪斗が不気味に感じるそれを、サクラは“死の具現”のように感じ取った。

 戦いに集中するあまり、2人はヴァイスの接近に気づかず、その結果として敗北していたはずのサクラの命が失われることは回避され、勝利したはずだったルデスの鋏は砕かれた。

「なんとか間に合ったな」

 振り下ろされた剣を肩に担ぎ直すと、ヴァイスは心底嬉しそうに、まるで子供のような笑顔で言う。




「・・・なんだ、おまえは」

 鋏を砕かれ武器を失ったルデスはすぐに状況を判断し2人から距離を取る。

 ルデスは鋏の中心部のカバーを捨て、中からボールのような、大きな宝石にも見えるものを取り出す。

「それが“蟹座の霊装”ですか」

「・・・そうだ」

 星座の術式の核は、『霊装』と呼ばれる術式武装のカテゴリーに属し、適性のある者がそれを行使しやすいように、または術式の特性を活かしやすいように各々の武器に内臓して使用される。それ単独でも術式を使用できるが、そのままでは特性を発揮させるための“形”を作るために、さらに魔力を消費してしまうことになるからだ。

「オレはヴァイス・クローディア。この街のフリーランダーだ」

 ルデスは露骨に舌打ちをして、「もう嗅ぎつけてきやがったか」と毒づく。PHから新たに鋏を展開し、1本目の鋏と同じ場所に霊装を取り付ける。

 しかしルデスの魔力はもう残り少ない。2人も相手にこれ以上の戦闘を続けるのは難しいだろう。

「まだやるっていうなら、オレが相手になるが?」

 しかし星座の術式を使うというのは未だ侮れる相手ではない。複合剣から漏れ出す燐光が輝きを増し、その内に秘められたいくつかの術式を読み込んでいく。

「そうかよ。なら相手をしてもらおうじゃねぇか、―――鉄骨とガレキのな」

 鋏が裁ったのは“この敷地内の建物の強度”だ。

 『概念干渉』。

 ルデスは自身の魔力の限界を超えた術式を使い、建物を破壊することで勝利しようとしている。しかし限界を超え、命を削っても、効果範囲は“この工場跡の敷地内”、そして別の魔力に抵抗されてしまうサクラ達他人の身体に直接干渉することはできなかったらしい。

 そこがルデスの“限界を超えた先の到達点”、そのさきの“限界”だったのだろう。

 見てとれる衰弱が、直にルデスの命が尽きることを知らせている。

「こんなことで、私を殺せると思っているんですか」

 天井が剥がれて空が見えるような場所だ。それが崩れたところで残りの魔力なら余裕を見て助かる。

「思わないね。だが、人質はどうだろうな?」

「・・・!」

 息が詰まった。思い出もほとんど無い、しかしサクラにとって最後の家族の命が、この敷地のどこかで失われようとしている。まだ再会もしていないというのに。

「この中にはオレ達の放出した魔力、外に出てもいまの魔術の魔力。さぁ、おまえの感知能力で探してみろ」

 たしかに、こうなってはサクラの感知能力でも集中しなければ難しそうだ。

 ルデスは鋏を構え、勝利のための最後の足止めをするつもりだ。

 それは本来望んだ勝利ではなかったはずだ。サクラをその手で殺す、それが望みだったはずだ。しかしそれはもう叶わない。ならば。

「・・・ルデス・カーソン、あなたまで“その目”をする。この街は本当に、怖いところですね、私にとって」

 鋏を構えたままルデスはもう動かない。最期の最後、せめてと望んだ足止めすらも叶わず、彼は“限界”に没す。

 降り注ぐガレキがルデスの身体を非情に引き裂き、その手にあった鋏を鉄骨が吹き飛ばす。人の死を愛した快楽殺人者は、誰にも、何にも愛されることなく残酷な運命に散った。

 ヴァイスは鋏を拾い上げ、短い黙祷の後にそれを自分のPHに格納。WALSを立ち上げ周囲をスキャンする。

「少しノイズ入ってるけど、見つけた」

 サクラが見つけるより早く、ヴァイスがPHのアプリケーションで発見したらしい。「この街にはそんなものが出回っているんですか」と感心する時間も惜しい。崩壊していく建物の中を突っ切り、反応のあった場所へ急ぐ。

 これもサクラにとっては1つの分岐点だったのかもしれない。

 ヴァイスを信用して一緒に走るか、信用せずに自分で探すか、または諦めえるか。この瞬間、サクラは無意識にヴァイスを信用し共に走った。時間が無かったから、と言うのは言い訳で、残り少ないとはいえ魔力で身体能力を強化すれば、ヴァイスについて行くより早く走れたはずだったから。




 人質は全員無事に救出され、工場跡の敷地内は事後処理のために集まってきたフリーランダーだらけになった。

 サクラは伯父夫婦とは結局まともに会話できなかった。救出後すぐに搬送されてしまったというのもあるが、それ以前に何を話せばいいのか、サクラには何もわからなかったから。

 それだけじゃない。ルデスの最後に見せた“あの目”、この街のフリーランダー達の“あの目”、自分のいままでやってきたこと。色々なことが渦巻いて、何一つ答えが出せない。

「私には・・・、なにもわかりません」

「いいえ、それはあなたにしかわからないことよ。でも、そのあなたがわからないと言うなら、いっそ“いまのあなた”を殺してもらいなさい」

 月乃の言っていることもさっぱりわからない。しかし、それで自分のことがわかると言うのなら。

 刃まで黒い十字槍と、紅い燐光を放つ剣。現場検証をしているフリーランダー達の灯りと、星空に照らされ、深夜の光のなか、この夜最後の戦いが始まった。



 火花散り、高い金属音が響く。

 多くのフリーランダーの見守る中で、少女は答えを欲して刃を振るい、少年は答えを見せる。

 交わす言葉は無く、迷える少女の想いの乗った刃を、少年はただ一度も避ける事無く受け続ける。

 やがて少女の黒い槍は2本に増え、少年はそれに対し鋏を抜く。

 槍と鋏が衝撃に砕け、もう1本の槍が複合剣を弾き飛ばす。

 少年はそれを取りには行かず、見守る仲間達に向かって手を伸ばし、その手に放り込まれたのは月乃の刀。

 この街にやってきて最初に見たトラウマと、最初に向けられた敵意。しかし少年がいま見せたのは、そんなものではない。

 少年の後ろにいる、多くの仲間達の姿だ。そのなかにはあのとき“あの目”を見せた者達もいた。

 きっと、それが答え。

 過去に呪った運命と、背負った覚悟と、その先にいる今の自分。すべてを抱えたままに、誰かと一緒にいまこの瞬間を自由に生きて、いつか過去を超える。

 過去という名の大地に繋がれたまま、自由である。


 それが―――『フリーランダー』。


 これは1つのけじめだ。自由であることを始めるための。

 黒い槍はここに砕かれた。



 背負ったままの過去があるから、過去という名の黒い槍の破片は未だにサクラの胸に刺さっている。それは誰もが同じことで、きっと本心では忘れたい、無かったことにしたいだろう。

 しかしそれは逃避で、きっと自由を失うことになる。

 辛い過去があって、他人のそれを知ってしまったら人はそれに気を遣うだろうが、それも1つの、過去からは逃れられないという証明だ。そんな中でも、自分のため、誰かのために彼らは自由であることを選んで生きている。

 翌日、フリーランダー『サクラ・カイカ』は誕生した。




 A.D.3266/6/20 《アメリカ北部:トーキョー》 PM15:30

「捕まえたわ! 観念しなさい!」

 よほど暇だったのか、いつの間にかいつものグループ総出で猫探し。最後には待ち伏せしていたアリッサが捕獲して、状況は終了した。

 サクラとしてはちょっとだけ残念だったのだが、しかしたった1匹の猫を探すために、こんな人数で騒がしく楽しく奔走した今日を幸せに思えた。




 A.D.3266/6/20 PM16:00

 ロンドは退屈を持て余していた。というのも、午前中に入店したこの喫茶店で、たまに何か食べる程度であとはひたすら座っているだけなのだ。しかも相席している女性はときどき時計を気にしている程度で、必要最低限しか口を開かないときた。

(待つのは飽き飽きだ・・・。もう待っていられないし、動いちゃおうかな)

「どうしたのです? まだ待機は解除してませんよ」

 何も言わず席を立ったので、女性が注意を呼びかけてきたが、もうロンドは聞く耳を持つ気は無い。

「あぁ、“そっち”の準備待つのもいい加減退屈だからさ」

 身を乗り出し女性の耳元に顔を近づけ、彼女にだけ聞こえるように囁く。

「“ご苦労様。FBIの捜査官さん”」

「!?」

 無表情で通してきた女性の表情が驚愕に染まり、席を立って後ずさる。周囲の客や店員が何事かと注目する中、驚愕と緊張に身を凍らせた女性に、退屈から一転、楽しそうに笑う男が迫っていく。

「ここまで頑張って頑張って頑張って準備してきたんだろうケドさ、本番になってこんなに手間取るようじゃ、君たち死んでもエンターテイナーにはなれないだろうねぇ」

 後ずさりながら女性はスーツの内ポケットに手を伸ばす。そこにPHが入っているのだろう。

「やめておきなよ。僕もなにもしないからさ。・・・こんなところで目立ったら『彼』に怒られちゃうからね」

 女性よりも素早くそのポケットからPHを抜き出し、女性の目の前で揺らしてみせる。「これでおまえは無力だ」と。しかしそれを女性の手に握らせ、ロンドは喫茶店の出口に向かって歩き出した。

 床にへたり込んでしまった女性に振り向き、今度は周囲にも聞こえるように言う。

「連絡先は変えないでおくから。・・・今度はもっといい表情を見せてよ、ベッドの上とかで」

 お金を無造作にカウンターに置いて、ロンドは気分良さそうに喫茶店を後にした。

 客たちの注目を浴びながら、女性は肩を震わせ、ただロンドの消えた出口を見つめていた。



 A.D.3266/6/20 PM20:00

 ギルドのビルのはるか高み、幹部にあてがわれた部屋の一室。

 高級そうな机の先でさまざまな書類に目を通していくのは、サンタクロースを目指す中年・三太九郎。対して扉の前には、白とも銀ともつかない髪の細身の男・ロンド。

「・・・FBIと揉めてくれやがったな、おまえ。今度は何の用だ」

「悪いね、隠蔽処理してもらっちゃって。そのついでにちょっとお願いがあるんだ」

 喫茶店で捜査官の女性と別れたあと、作戦のために待機していた他の捜査官たちと戦ったのだ。結果はここにいるロンド本人が証明するとおり、ロンドが捕らえられることは無く捜査官のほとんどが重軽傷を負った。死者を出さなかったのは隠蔽が面倒だったというだけなのだが、三太九郎がアメリカ政府にかけあって作戦そのものを無かったことにしたらしい。

 部屋は静かなものだった。三太九郎がチェックしていく書類の、紙の擦れる音が響いているように感じられるほどに。

「・・・聞くだけ聞いてやる、言ってみろ。『ルーグヴェント』か、『アリッサ・アルクロス』か? それとも、『ヴァイス・クローディア』か?」

 まるで父と子の会話のようだが、二人の関係はそんなものではない。ロンドが戦ったことを隠蔽したのも彼を助けたわけではなく、他の理由があってのことだと、ロンドも理解している。

「『シュバルツ・ロア』で」

「断る」

 即答され、ロンドはわかっていたと言いたげに肩を落として息をついた。

「・・・そう言うと思った。じゃあ、しかたない。・・・また近々来るよ、別件でね」

 「また来る」それぐらい三太九郎も承知している。幹部会まででその話は止めているが、独自にそこへ到ろうとしているグループもいるようだ。

 書類整理が一段落して顔を上げると、そこにはもうロンドの姿は無かった。だが三太九郎には見える。ロンドと、彼らの“かつての姿”が。

「おまえらになにも、くれてやる気はないぞ、『流会るえ』」

 言いながら、三太九郎は面白いものを見つけた子供のような笑顔だった。

 それが、この街を守りきれると言う自信から来ているものなのか、ただ戦いを楽しむ野獣の本能なのか、三太九郎自身にもそれはわからない。




「さぁ、いままで準備に準備を重ねた準備祭を開催しよう。本番を最高のものにするためにね」



あとで本編でもちょこっと言及する予定ですが、前回から今回にかけてのロンドは途中まで本当に騙されていましたw 「何かあってもその後どうにかすればいいや」という性格のせいか、ときどきそういう抜けたところがあるキャラクターなんです、実は。

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