episode1 雨 8
この8話からヴァイスの周囲の各キャラクターについて掘り下げていきます。 今回はサクラのエピソードの前編です。
Episode.1 雨8
A.D.3263/12/25 《ニッポン:新東京》
「・・・お父さん? お母さん? どこ?―――」
少女の眼に映る世界はひたすらに紅い。
燃え上がる建物が空まで照らし、降る雪に反射して、20時をまわった頃だということを忘れそうになる。
雪のほとんどが空中で蒸発してしまうが、広い交差点の中心あたりならばなんとか地上まで降りてこれるようだ。―――すぐに融けてしまうが。
少女が立っているのはアスファルトの地面ではなく、不安定で真っ赤なやわらかい“なにか”で、雪はそれに触れるとあっという間に融けてしまう。“まだあたたかい”からだ。
少女は“それ”で埋め尽くされた交差点を歩き、―――見つけた。
「―――“あった”」
両手で拾い上げた“それら”から微かに、しかし確かに感じる両親のあたたかさ。
今日はクリスマスで、でも来年は受験生で、夢もあって、早くからその準備をしていて、クリスマスプレゼントに本を買ってもらって、また勉強するつもりで、でもちょっとファッションにも興味があって、お父さんにはそれは言えてなくて、お母さんとはちょっと話すケド―――、アレ? お父さんとお母さん、こんな顔だったっけ・・・?
そもそも“コレ”は顔じゃないかもしれない。
まだあたたかい“コレ”は・・・、
―――お父さんとお母さんの、どの部分だったのだろう。
A.D.3266/6/20 《アメリカ北部:トーキョー》 AM6:30
早朝だというのに、ギルドのエントランスは日中とそう変わらないほどの人が歩き回っていた。
働く時間も依頼の受注も、フリーランダーはとにかく人それぞれに勝手なため、深夜だろうが早朝だろうがギルドから明かりが消えることは無い。
今日も天気は良くないらしいが、外を見ても元々日の光など届かない中層エントランスからの、屋外とは言えない様子ではピンと来ない。
「・・・月乃さん、大丈夫ですか?」
普段は昼頃から入るというのにこの日、月乃は深夜のうちからギルドに来ていた。
依頼完了の手続きにやってきたサクラは来て最初に、珍しいというように驚いた様子だったが、いまはどこか心配そうな様子だ。
月乃が深夜からギルドに来ていたのは調べ物のためで、そこからの考えに行き詰ったため、違うことでもして思考を切り替えようとしたのだが・・・。
「大丈夫って、どうして?」
月乃は特に疲れたような表情をしていたわけでもなく、背筋が立っているのもいつも通りで、カウンターに置いておいた手鏡を見ても顔色が悪いというわけでもない。
仕事に入って、サクラにそうと言われるまで誰も月乃に違和感を感じているふうは無かった。
「疲れているように見えますけど」
サクラはおそらく、月乃の魔力を感じ取っているのだろう。
天使と悪魔は魔力を感知することが出来るが、それは足音を聞き分けるのとそう変わらない感覚のものらしく、例えば静かなホールに一人いるだけなら当然気づくが、雑踏の中で魔力だけを頼りに特定の一人を探すのはほぼ不可能、という具合だ。
足音という例えは距離についても言われており、個人差はあるが、感知できる範囲はそれほど広くは無く、例え近くにいても人の歩く波などを隔てると感じ難くなる。
ただ、種族の違いに関してはかなり感覚的なもので、確信を持てる勘、のようなものらしい。
時折その感知能力がずば抜けて高い者が生まれることがあり、サクラのそれは近くにいれば体調や感情すらも、なんとなくだが察することが出来るほどに強い。
「・・・あまり寝てなくてね。もう少し、7時になったら休むわ」
今日はこのまま出勤してしまおうかと考えていたのだが、仲間が心配してくれるのなら休んでおこうと、月乃は予定を変更することにした。
「はい。何をしているのかは知りませんけど、無理しないでくださいね」
手続きを完了して、サクラは帰っていった。
別の仕事を受けていかなかったので、今日は予定でもあるのか、休養をとるのか、なんにしてもサクラの後姿に1年前、トーキョーにやってきたころのような殺伐とした印象はもう無い。
心配をかけてしまった立場だというのに、安心感のようなものを感じて、抑え込んでいた疲れが出てきたような気がする。
もうじき7時になる。
「さて、そろそろ休みましょう。・・・中層エントランス、受付交替お願いします」
内線でスタッフを呼んだので、すぐにでも交替が来るはずだ。
仮眠を取る前に朝食を何にするか考えながら交替が来るのを待った。
実は交替直後にリィラがやって来て、月乃が調べているこのところの事件、それもヴァイス達が巻き込まれた事件に関わった女性と会うことになる。
月乃は同時にその女性のことも調べていたので、知らぬとはいえ惜しくも本人と入れ違いになってしまったわけだ。
・・・そもそも月乃はその女性このギルドにいるとは知らず、彼女もまだギルド内で行動を制限されていて、本来エントランスに来るはずなどなかったので、これは仕方のないことだったのだが。
引越しの準備は一人でもそれなりに進めていた。
頼ることに慣れていないので、サクラはそれをまったく苦に思っていないし手伝いを遠慮しているつもりもないのだが、後々リィラに「遠慮しすぎ」と言われることになるのだろう。
そのぐらいのことは想像できるほど今の生活に慣れたことを、サクラは心の中で多くの人に感謝する。
1年前、傭兵業をしていたサクラの元に伯父夫婦から手紙が届いた。
両親を戦争で失ったサクラにとって最後に残された血縁者、当時はその程度の認識だった。
子供の頃に遊んでもらったことなどもう記憶には無く、顔すら思い出せなかったが、両親が手紙のやり取りをしていたので住所が本物であることはわかっていた。
戦う力を身につけて1年程度であったにもかかわらず、傭兵としてサクラの挙げた戦果は相当なもので、アークエンゼルスに入隊していれば間違いなくクラス・ウリエルの称号を与えられていただろう。ゆくゆくはクラス・ミカエルになっていても何の不思議もないほどの力だ。
どれ程の命を奪ったかなど、とうに数えるのをやめていた。
それだけにかなりの恨みを買っていることも理解していたので、手紙が罠である可能性も疑っていた。
万全の準備をしてトーキョーに足を踏み入れ、そして事件は起きた。
A.D.3265/2/14 PM19:00
ニッポンにはこの日、バレンタインデーに女の子が意中の相手にチョコレートを贈る習慣があるらしい。
ここはアメリカだが、ニッポン人が作った都市だからか、トーキョーにもそういった習慣が持ち込まれていた。
ニッポンで暮らしていたサクラはその習慣を知っていたし、近所に住んでいたお兄さんに贈ったこともあったぐらいだったのだが、外国にそういった習慣は無いと聞いていたので、当たり前にニッポンのバレンタインデーの光景があるトーキョーで、自分がどこにいるのか混乱しそうな気持ちになっていた。
平静を保てたのは自分と同じような、戦いの中に生きる者達が当たり前に歩き回っていたから、かもしれない。
服装が変に目立たないという意味でも、フリーランダーの街というのは都合がいい。
なるべく顔を晒さないように襟の高いコートを着て帽子も深くかぶり、術式を施したプロテクターが気づかれないよう厚手の服で露出も極力無いようにした。
色のついた防塵ゴーグルも用意していたのだが、流石に人の往来の中でそこまで徹底するとかえって怪しまれてしまうので、それは胸のポケットにしまってある。
住所の場所へは待ち伏せを考慮して遠回りして行くことにしたのだが、都市の中央部は予想以上の人ごみで、これではむしろ敵が潜んでいてもわからない。
表情に出ないよう心の中で舌打ちすると、早足に、しかしぶつからないように人ごみの中をするすると進んでいく。
すると後方から、声を上げながらまっすぐこちらに突き進んでくる男がいた。
「すみません! 通してください!」
早速敵か、と一瞬思ったが、人に断りを入れるたびにその人の顔を見ていて、サクラを常に補足しているわけではないようだ。
寝癖なのかセットしているのかわからないハネた黒髪で、作業着風の服装から、きっとこの街のフリーランダーだろう。
時折下を見ていて、その様子は何かを追いかけているようではあった。
明らかに目立っているのでその進行ルートから外れようとしたそのとき、足元に何かがまとわりついて体制を崩してしまう。人の動きに無いはずの何かに足をとられた。
極小さな魔力が足元にあるのを感じる。
(すでに攻撃されていた!? まずい!)
人ごみの中、歩く人の足元を縫ってくるような“なにか”を敵が持っていた。そう考えてその“なにか”の正体を見極めるために手をかざし、魔術を発動する。
物体移動の応用、超難度の『空気硬化』。
空中に足場を作るほか、動くものを拘束することが可能な、不可視の魔術。
さすがに魔力の通った生物の体内に干渉するほどではないが、その拘束力は並大抵の方法では解除できない。
「・・・ハァ、ハァ、やっと・・・、追いついた・・・」
気づくとさきほどの急いでいた様子の男がすぐ横に立っていて、しゃがみこむと空気ごと硬化させた“それ”に手を伸ばした。
「・・・あれ? なんだ、これ」
当然、触れることは出来ない。
思惑通りに行かず、結局目立ってしまったとミスを悔やみながら、空気ごと硬化させて拘束したものを確かめる。
それが兵器ならば相手がどういった装備を用意しているのか推測する手がかりになり、そこに何も無ければ魔術の可能性が高くなる。
「・・・猫?」
ただの猫だ。兵器でもなければ魔術でもない、特殊な装備もついていない、ただの茶トラの猫。
またしてもニッポンでよく見た容姿の猫と来ると、混乱を誘うための工作ではないかと疑ってしまいそうになるが、いくらなんでもそれは疑い過ぎというものだ。
呆然としている間に、猫が微妙に震えているように見える。
「・・・あっ」
慌てて魔術を解除すると、猫は男の腕のなかに収まり、苦しそうに息をしていた。
「ありがとう」
男は振り返り、曇り無い笑顔で何故か礼を言ってきた。その猫を苦しめていた相手だというのに。
久々に見る人の笑顔が、胸に痛い。
家族を失ってからというもの、ひたすら命を奪う戦いを繰り返していたサクラは、その笑顔を“怖い”と感じた。両親の思い出と、その最期の姿を思い出してしまったからだ。
嘔吐感に襲われ、アスファルトに胃液をぶちまけながら意識が遠のいていく。
どこに敵がいるかもわからないのに、と思いながらも意識を保てずそのまま視界が閉じていくのを待つだけだった。
男の腕の中の猫が、驚いたような丸い瞳でこちらを見ている。きっと嘔吐物がアスファルトにぶちまけられるびちゃびちゃという音に反応しているのだろう。
(もっと、恨めしそうにしてくれればいいのに―――)
A.D.3263/12/25 《ニッポン:新東京》
戦争が起きた。
大晦日から始まるはずだったニッポン再建セレモニーに出席するために、多くの著名人や各国要人が集まり始まっていて、国連、ヘヴンズ、魔徒連合からも要人警護のために各軍の部隊が現地入りしていた。
パフォーマンスと称して模擬戦も行われており、たまたまその様子をテレビで観ていたサクラは、アークエンゼルスのクラス・ミカエルの女性が特に印象的に思えた。
紅い髪のポニーテールで、身長以上の太刀を片手で操り、左手に持った銃で遠距離戦もこなす、舞うように戦う姿には心震えるものがあった。
銃撃と魔術の豪雨の中を単独で、何の障害物も無い正面から突き進み一人、また一人と叩きのめしていく。
“紅”のクラス・ミカエル。クラス・ウリエルからの昇格者が戦闘に長けているらしいことぐらいは知っていたが、彼女の敗北する姿など想像も出来ない。
しかし女性、と言っていいのかどこか幼さを残しており、一緒に観ていた母は「20歳、行っているか行かないかぐらいの娘じゃないかしら」と言っていた。
5歳ぐらいしか差が無いのに、自分にはこんな綺麗な舞いはできないな、とサクラは見惚れた。
アークエンゼルスに入隊した兄もその中継に少し、要人警護部隊の一人としてちらりとだけ出ていたのだが、サクラは兄のことなどまるで見ていなかったという。
長い間自治権を持てず、国連を中心に各国共同で管理されてきたニッポンが、ようやくそれを得て、来年の始まりと同時にふたたびいち国家となろうとしていた。
今後も各国の影響は強いだろうが、各軍の駐留基地は半数近くに減る予定で、それだけでも安心を得られる国民は多いだろう。
しかし不安もある。
自治権を得たことで多種族国家となるニッポンは、単一種族主義をかかげる諸国やテロの標的にされる可能性が高まったのだ。
冷戦状態だったとはいえ、巨大な三勢力から多くの部隊が駐留していたころと違い、彼らは自分達に影響の無い限りはニッポンを守ることは無い。
かつての東京都心にある“アレ”に手を出せば話は別だが・・・。
サクラは政治はわからないが、テレビで放送している模擬戦は、各国が自国の戦力を誇示したいがためだけにやっていることではないということぐらいはわかる。
政治は子供にはわからないことが多いけれど、それでも大変なほどに複雑なのだろう。
A.D.3265/2/14 PM21:30
(何故わたしはこんなところにいるんだろう・・・)
サクラが目覚めたのはビルのエントランスのソファのようだ。
そこはギルドの中層エントランス。後にサクラも頻繁に出入りする場所だが、このときのサクラはそんな未来を想像もしていなかっただろう。
しかしサクラが「どうして自分がここにいるのか」と思ったのはきっと、ギルドのエントランスという場所を指しているのではなく、「どうしてトーキョーに来たのだろう」ということだろう。
自分に恨みを持った誰かの罠だと思ったのに、何故わざわざそれに乗るような行動をとったのだろう。
顔も覚えていない、思い出もとうに忘れてしまった親戚を心配に思ったのだろうか。
サクラは自分にまだそんな“もの”が残っているのか、それもよくわからなかった。
「あら、おはよう」
声の方を見ると、長い黒髪と警戒心を隠した笑顔が印象の女性が見下ろしていた。
しかし明確な敵意は感じない。おそらくは先ほどの男の仲間だろう。つまりここはフリーランダーに由来する建物の中というわけだ。
一応、まだ身の危険はなさそうだ。
「・・・おはようございます」
「いい子ね。挨拶はとても大切なことだもの」
警戒が少し緩んだことを魔力から感じとれた。
「私は詩村月乃。このギルドの事務を主にやっているわ」
差し伸べられた手を戸惑いがちに取り、立ち上がって正面に月乃と向き合う。
ちょうどこのころからギルドの制服作り運動が始まっていたが、月乃はまだ乗り気ではなかったため私服だった。・・・それが何故かスーツだったことから、当時から運動参加者と周囲から思われていたが。
「・・・サクラ、です」
人間の魔力、しかし魔力を使い慣れているように感じる。おそらく事務だけでなく、戦闘もそれなりの実力を持っているだろう。
「悪いとは思ったのだけど、念のために荷物は確認させてもらったわ。不備が無いか確認してもらえる?」
どうやらPHを確認されたらしいが、おそらく細工などはされていないだろう。
月乃の魔力には乱れが無く、細工がバレないかなどの緊張を感じないからだ。
「そんなに武装を持ち込んで何をするつもりかは知らないけれど、ひとつだけ言わせてもらうわよ」
月乃がコンテナから一振りの刀を取り出し、何らかのギミックを搭載しているらしい、厚みのある鞘に取り付けられたグリップを強く握った。
『火断・閃境』の柄に手をかけ、その場がすぐにでもサクラを斬れる間合いだと伝える。
「私の守るべきものを傷つけようとすれば、斬るわ」
この場ではただの警告としての行動だろうが、月乃の言葉は脅しではない。そういう事態になれば、月乃はサクラを躊躇わずに斬るだろう。
素性を隠そうという格好で、大量の武装を持ち込んでいれば警戒されても仕方が無い。
月乃自身の警戒は薄まっても周囲はそうともいえない、そういう意味もあるだろう。
だが覚悟は本物だ。人を斬る、殺す覚悟は。
(・・・わたしと、同じ目・・・)
しばらく、とてもとても長く感じるたった数秒を過ごし、サクラはこの女性が自分ととても近いのかもしれないと思った。
しかし、
「そのようなつもりはありません。ですが、確約も出来ません」
武装を出すまでもない。魔術を使い、月乃の両腕の周囲を硬化させる。
腕をまったく動かせなくなり、月乃は驚愕した表情を見せる。
「わたしは降りかかる火の粉を払うだけです。あなたや、あなたの言う守るべき人が火の粉になれば、それを払います、この槍で」
これはただの脅しだ。動けない相手を斬るつもりなど無い。
黒い十文字槍を月乃の首に突きつけ、見守っていた周囲のフリーランダーに対しても牽制する。
(また、同じ目)
まるで自分の味わった不幸が、ありふれたものの一つに過ぎないと言われているようで、苛立ちを隠せそうに無かった。奥歯を噛み締め、両手を強く握り締める。
誰も彼も、ここにいる全員が人を斬ることを覚悟している。月乃を斬れば、次はこのエントランスにいる全員を相手にしなくてはならなくなるだろう。
それでも殺されるつもりは無いが、ここで事を大きくしてもデメリットしかない。
槍を戻し、魔術も解除した。
開放された月乃の表情は鋭いままだったが、動揺は急速に落ち着いていき、警戒心もそれほど強くなっていないように感じた。サクラに対する明確な敵対心は無い。
同じかもしれないと思ったが、あれだけのことをしてもほとんど変わりなく、むしろどこか、心配そうな様子すら感じる。
(どうして・・・)
トーキョーに来て、サクラは心を乱されるようなことばかり起きて、もう冷静を保てなかった。
堪えられなくなって、無言で振り返り出口へ向かおうとする。
するとそのさきに見覚えのある男が、仲間と思われる数人を連れてギルドに向かって歩いてくるのが確認できた。
「よぅ、起きたのか。随分腹減ってきたし、飯でも食いに行こうぜ」
ほぼ初対面で食事に誘われたのは始めてだ、と思いながら、断られるとは思っていないだろうこの男の誘いをどう断ろうか考える。
さきほど嘔吐し気を失うことになった彼の笑顔を見ても、なんともないということにサクラ自身気づいていなかった。
A.D.3266/6/20 《アメリカ北部:トーキョー》 PM13:30
「随分腹減ってきたし、飯でも食いに行こうぜ」
引越しの荷造りを少しした後、昼食の買出しのつもりで外に出ると、“例の猫”を探す依頼で駆け回るヴァイスと遭遇し、手伝っているうちにもういい時間になってしまっていた。
まさか初めて会ったあの日も、こんな時間から夜までひたすら探していたのではないかと不安になる。
あの日と違い、今回はスーパーの弁当で昼食を済ませ、再び猫の捜索を始める。
あの日、結局断りきれずに連れて行かれた牛丼屋の前を通り過ぎ、出会った通りも過ぎて、あの日の猫を探す。
今回は前回よりも猫の行く場所を絞れているので、特定のポイントをまわっていれば、前回よりずっと簡単に捕まえられるはずだとヴァイスは言う。
でも、あの日出会ったあの時間まで、見つからなくてもいいと、サクラは心のどこかで思っていた。
あの日、刃を向け合った二人がいま、一緒にあの日の猫を探す。
この日をサクラは想像もしていなかったが、ヴァイスはどうだっただろう。
ヴァイスはあの時から、サクラを救おうと、この日常を創造しようと走ったのだろうか。
あの日砕け散った黒い槍の破片は、いまだサクラの心に突き刺さっている。
一見穏やかに見える日常。
しかし大なり小なり事件は起こり、かの少年はいま猫を追う。
喫茶店からその様子を見ていた白とも銀ともつかない髪の男は、いつものバイザーの代わりに色の濃いサングラスをかけ、やはりあらゆる表情が胡散臭い。
「なにか探し物かな?」
「さぁ? どうでしょうね」
向かいに座るのはいつも姿を見せない“彼”ではなく、スーツを着崩した女性だ。
「いつもの彼は?」
「別件の仕事です。すでにこのアメリカにはいません」
女性は視線を男に向ける事は無く、視線は新聞におとしたままで答える。
姿すら見せない口うるさい男がいなくなったと思えば、今度はクールビューティーというか無愛想な女か、と溜息をつきたくもなる。
「今日は何をしろって?」
接触禁止を言い渡されている人物も多いこの街に入るというのだから、よほどのことを起こすのだろう。
「時間が来れば伝えます。それまでは待機を」
女性はどこまでも無愛想だった。熱いコーヒーを飲んで、実は猫舌でアチチと舌を出すような可愛げも無い。むしろ息を吹いて冷まそうという素振りも無く、無表情のままで熱々のコーヒーを口にしている。
今日の仕事を伝えるというその時間すらも教えてもらえないのだが、まさかその時間までずっとこの喫茶店で監視されるように待たされるのだろうか、と男はうんざりする。
(なんでこんなのばっかりなの、ウチの組織は・・・)