episode1 雨 7
ひじょ~にお待たせしました、第7話です。 本当に、申し訳ない…。
Episode.1 雨7
A.D.3266/6/20
6月も半ばを過ぎたが、トーキョーの朝は肌寒い。
とはいっても長く住んでいるヴァイスは気にしていない様子で、近い気候で生まれたアリッサもどうとも思わない程度だ。
しかし、慣れた気温のはずでも“肌寒い”と感じるようになることもある。
例えば天気。
先1週間の予報が降水率80%となると、不思議と寒い気がする。
空も曇っていて日が射さず、洗濯物も部屋干しになって部屋が暗くなり、「雨だから外に出たくない」という気分で雰囲気はさらに暗くなる。
暗くなると灯りを点けるだろう。
すると、夜でもないのに電灯を点けることによって暗さを意識してしまい、さらに「今日は天気が悪い」という意識から肌寒さを感じてしまう。
雨が降ると判っていて出かけたがる者はそういないだろうが、しかし家に篭っていてもこんな気分になって仕方ない。
アリッサが退屈そうにバラエティ番組の再放送を観ていると、ヴァイスがいつもの仕事着でリビングにやってくる。
「仕事受けに行ってくる。何かあったら連絡くれ」
何故かヴァイスはアリッサの頭を撫でたがる。
いや、アリッサに限ったことではないのだが、ヴァイスはどこか・・・そこにいる者の存在を確かめるように撫でる癖がある。
アリッサはそれが子供扱いされているようで嫌がるのだが、アリッサと暮らすようになってから、出かける際には必ず撫でていく。
「あるわけないわ。さっさと行きなさいよ」
手を振り払われてもヴァイスが嫌そうな顔をすることはなく、やはり子供を相手にしているような様子だ。
ヴァイスが出かけていくと、撫でられた髪に触れる。
「やっぱり」
髪に乱れは無い。
撫でていた手を乱暴に振り払ったのに、それでも髪が乱れないように気を遣われていた。
最初の頃は気づかなかったが、1週間になるころだったか、ふとそのことに気づいて以来、それが偶然だったのか意図してやっていることなのかを確かめている。
しかしそれも、もう終わりにしよう。
「アイツ、近いうちに絶対殴る」
アリッサがあまり他人に気を遣われるのを好まない、というのもあるが、ヴァイスの気遣いは度が過ぎている。
おせっかいと言ってもいい。
何も言わなくとも毎日の食事で好みを把握し、栄養バランスに気を遣いながらも嫌いなものはほとんど出してこない。
一緒に出かければ必ず車道側を歩き、アリッサの脚に負担をかけないように段差のある道を極力避けるなど、必ずアリッサを守れるように立ち回る。
さすがに手を引こうとするなどは断っているが、意識していなければ判らないような気遣いは相当受けているだろう。
それに気づき始めた当初は、歩行補助ユニットに慣れていないことを気遣っているのかと考えた。
実際、いまでも歩行にぎこちなさが残っているのは確かで、それも間違ってはいないのだろう。
しかしヴァイスの気を遣い過ぎな行動は、誰と接していても大きくは変わらなかった。
それはあからさまなことからさりげない気遣いまで、ときには自分のことなど二の次三の次といったぐあいだ。
リィラやサクラはそういった行動を高く評価しているのだが、アリッサにはそれが気に入らなかった。
世話好きなんてものじゃないほどにおせっかいが過ぎるからか、アリッサが無意識に人間や悪魔を見下しているからか、それともヴァイスが心配なのか。
アリッサ自身、なにがそんなにヴァイスことが気に入らないのか、考えても考えても答えは出ない。
(心配だなんて、一番ありえない・・・)
なんとなく、溜息が出た。
気を取り直して、とにかく、気を遣いすぎる自己犠牲男を殴っておきたい。そう思いながら退屈なバラエティ番組からチャンネルを変えた。
リィラが騒がしく家に上がってきたのは昼前、そろそろ昼食を考えようというころだった。
「お昼食べに行こーッ!」
買い置きのパンに何を塗ろうか、そんなことを考えていると呆れるほどのテンションで上がりこみ、ドアを破壊しかねない勢いで開いて、アリッサの前に何枚かのチケットらしきものを突きつけるように見せる。
チケットよりさきにドアを確認する。・・・どうやら壊れてはいないようだ。
「ドア、壊さないでよね」
この短い間に家にすっかり馴染んだのか、自分の暮らすところの心配ぐらいはするらしい。
言うと突き出されたチケットを興味ありげに見つめる。
「・・・ごめん、今度から気をつける」
アリッサにもう少し冷たい印象を持っていたリィラは、この反応に多少驚いたものの、打ち解けられないこともないらしいことにちょっとだけ嬉しくなった。
チケットは食事の割引券らしい。
この家とトーキョーの中間ほどに位置する、隠れた名店とも呼ばれる軽食屋のものだ。
メニューが豊富で、なかでもサラダやデザートの充実ぶりに女性客からの人気が高い。
「あのお店、こんなの配ってたの?」
アリッサもヴァイスやリィラたちと何度か行っているが、それらしいものを配っているところなど見たことが無い。
それはたまたまだったのかもしれないが、限られた人しか知らない、というような雰囲気のあの店がチケットを配るようなイメージが無かった。
「あそこの店長さんの友達がやってる超高級レストランで、あそこのレシート見せるとこれくれるらしいよ」
「らしい?」
どうやらリィラは誰かからチケットを譲り受けたということらしい。
他人から聞いたという口ぶりだし、なにより“超高級レストラン”などにリィラが行けるはずがない。
「うん。今朝ギルドで、昔の知り合いのお姉さんと会ってさ、これくれたんさ」
そんなことだろうと思った。
「せっかくだし行こうよ」
手を引かれて立たされる。
これぐらいのことならもう怪我に響くこともない、というか、すでにアリッサは脚に負担の少ないように体を動かすことを覚えていた。
流石に激しい運動や左足に重心が大きくかかる体勢は痛むが、日常生活を送ることに問題は無い。
当初1階のリビングに寝るか、ヴァイスに背負ってもらって2階の空いている部屋に寝るか、だったのだが、現在では―――少しかかる痛みに耐えながらではあるが―――自力で2階へ行き来するぐらいは大丈夫だ。・・・ヴァイスは心配そうだが。
「アンジェリカを誘えばいいじゃない」
「誘ったよ。先に行ってる」と言いながら引く手に、アリッサも抵抗するでもなく引かれていく。
面倒くさそうな態度ではあるが、断ることは無さそうだ。
他人との間に壁を作っている奴などいくらでもいるが、アリッサはそうでない。周りとの距離の取り方がわからないだけなのだろうと、リィラはアリッサのことがわかってきた気がした。
トーキョー南部の住宅街には多種多様な建築物がある。
それはレンガ壁の家だったり、ヴァイスの家のようなニッポンの一般住宅のようなものだったり、国や文化がメチャクチャで、路地を入ればまったく別の街に変貌するような場所すらある。
水路にかかる街並みでも、橋から数十メートル離れたところを見ると別世界のような光景が見える。
道路や水路、リニアレールなどは基本的にギルドや地方自治体で管理しているが、ここはフリーランダーの街だ。
趣味の合う仲間たちは近くに住んでいることも多いし、そうしたグループは申請して住処の周辺を自分好みに改装していたりする。
その結果がこの統一感の無さなのだが、大きなグループがヴァイスの家の近くから都心部方面に向かって大規模に改装したエリアがあり、アリッサはその比較的大きな統一感が気に入っていた。
他のエリアとつながる交差点以外では、自動車は通れないことになっているエリアで、石畳の道や橋、高すぎない建物や程よい木陰をもたらしてくれる街路樹など、穏やかな雰囲気に包まれている。
道沿いには住宅のほか、さまざまな商店もあり、あいにくの天気だが買い物客もちらほら見かけることができる。
晴れていればよりよかったのだが、天気に文句など言っても仕方ない。
途中の商店で小物を物色していたアンジェリカと合流し、目的地に向かう。
目的の軽食屋もこのエリアにあり、路地に入ったところにひっそりと建っている。
店長が言うには隠れているつもりはないらしいのだが、入り口が木や蔓に覆われた柵などで隠されていて、知っている誰かと一緒に来ないと見つけるのは難しい。
植物に覆われている―――店長曰く包まれている―――のは店長の園芸趣味のせいなのだが、ほとんど固定客しか来ない原因がそれだとは断固として認めていない。
店の名前は『桜華』。
サクラの伯父夫婦が経営している。
子供に恵まれなかった2人は姪が可愛くてしかたなかったらしく、店の名前にサクラの名が入っているのはそういうことだ。
サクラがトーキョーにやってくるかなり以前からここで店をやっていて、最近サクラが一緒に住むことを了承してくれたことで浮かれている。
気持ちが浮かれていても流石プロ、出される料理にはまったく影響が無いようだ。
「そういえば、サクラの引越しっていつでしたっけ?」
店内は軽食屋というには広めで、吹き抜けのある2階建て構造になっており、カウンター席の横の階段から2階に上がれるようになっている。
また、1階と2階両方にバルコニーがあり、屋外で食事をすることもできるようになっている。
しかし全席を使うどころか、半分も埋まったところをリィラたちは見たことが無い。それも当然、実際埋まったことなど無いのだから。
いつものカウンター席に座ると、アリッサもぎこちなく席についた。
ヴァイスならアリッサと来る時はカウンター席には座らないのだろうが、最近アリッサはそれが気に入らないらしいので、これでいいのだろうとリィラは自分で納得することにした。
「今週末だ。ヴァイスが運送屋に話しをつけてくれてな、思っていたより安く済みそうだ」
容量の大きなコンテナを使えばPHで多くの物を簡単に運べるが、一部の電化製品などにはPHを使うと電子部品やソフトが破損する可能性のある物もあるため、そういったものは業者に運んでもらう必要がある。
ヴァイスは特に値切ってきたわけではない。
よく仕事の依頼を受けていたために知り合いのようになった事業所へ、引越しの見積もりを見に行ったところ、気前のいいことに安くしてくれたというだけだ。
ヴァイスはサクラに引越しの手伝いを断られてしまったため、せめてもの、という行動だろう。
(なにかヴァイスに見られたくない物でもあるのかな、サクラ)
棚などの大きなものがあればヴァイスがとても役立つのに、という話は先日もしているのだが、そのときサクラは顔を真っ赤にして拒絶していた。
その反応に対してリィラは焦りを感じ、アンジェリカは「面白くなってきた」と悪戯っぽく笑い、アリッサは特に何の反応も示さなかった。
(アリッサは2人のライバルになるつもりはないのかなぁ・・・)
静かにサラダを食べているアリッサに先日となにか変わったような様子は無い。
(・・・さすが、上品に食べるねぇ)
アリッサのフルネームは『アリッサ・アルクロス』、ヘヴンズの旧英国領のほとんどを統括する大貴族のお嬢様だ。
それが何故軍人になって、それも『クラス・ミカエル』の称号を持つほどになったのかはわからないが、マナーや歩き方など確かに上品さがあるように思う。
本人曰く、何年も戦場を駆け回って忙しかったせいでかなり粗雑になってしまったらしいが、まず上品さなどと縁が無いアンジェリカ達からすれば、それでも気品があるように見える。
だが同時に、アリッサだけが浮いているというか、独りのように見えた。
店長と何気ない会話をしているリィラと、独り上品に食事を摂るアリッサは、アンジェリカを挟んでまったく別の場所にいるようだった。
A.D.3257/7/01
その日はリィラの8歳の誕生日で、リィラの家でパーティをしていた。
そのころのリィラは現在以上に酷い猪突猛進で、なによりアタマが弱かった。それはもうアンジェリカ以上に。
アタマが弱く―――10歳にもなっていない子供なのだから仕方ないとはいえ―――空気も読めないリィラは、なんでも力押しで解決しようとする女の子らしくない姿勢が目立った。
それなのにとにかくおせっかいを焼きたがるあたり、ヴァイスの真似をしたかったのだろう。
ヴァイスはすでにフリーランダーになることを志していて、健在だった養母の指導のもと、姉のように慕う2人の少女とともに訓練に励んでいた。
リィラはヴァイスにくっついて回りたいだけで、まだ恋というほどの感情は無かったと思われる。
「あたしもふりぃらんだぁになるっ!」
その日の夜、ヴァイスは誕生日プレゼントにリボンを贈った。
リィラは長い髪をおろしていたので、フリーランダーになるなら髪を束ねておいた方がいい、と言って。
「邪魔になるから切った方がいい」とは言わず、誕生日プレゼント用に貰ったお金で汚れが目立ち難い黒いリボンを買った。当時から既に、ヴァイスは真面目にも程があった。
2度目になるが、当時のリィラはアタマが弱かった。
プレゼントされたリボンで早速髪を束ねると、助けを求める声を探すと言って飛び出していってしまったのだ。
日中の激しい訓練によって森には魔力が残留しており、電波を妨害する鉱石がそこらじゅうに転がっていることもあって、PHを当てにできない捜索の末、ヴァイスに発見されてリィラが無事帰宅したのは時間的には翌日になったころだった。
途中アンジェリカが捜索対象に追加されたり、独断で突っ走ったヴァイスも捜索対象になりかけたり、面倒になったヴァイスの養母が森を更地に変えればいいなどと言い出したりと酷い混乱ぶりだったが、行方不明事件そのものは発生から数時間で解決となったわけだ。
それを境にリィラは変わった、などということは全くと言っていいほど無かった。
暗闇に一人ぼっちというのは流石に怖かったらしく、夜中に森に突撃することは無くなったが、他に変わったことといえばリボンによって髪型が変わったぐらい。
結局のところ、この頃のリィラはアタマが弱かった。
しかしコレも経験。
歳を経て多少の落ち着きを得ている、はずだ。
A.D.3259/5/06 《旧英国領・ロンドン某所》
この日15歳の誕生日を迎えたアリッサが立つのは、1本の剣の前。
台座に収められたその剣はシンプルな形ものではあったが、すべて銀色で統一された、さまざまな模様が彫られた儀礼剣のようだ。
まるで神殿のような建物の中にあって、あまり広いとはいえない中庭の中心には太い樹が植えられ、中庭は木陰によって少し暗い。
剣は樹の根元の台座に突き立てられるようにして収められていた。
建物の中に入ればそうでもないのだが、この中庭だけはタイムスリップでもしたような感覚になるほどに、緑に溢れ、―――おそらくは意図して置いたと思われる―――あちこち削られらた骨董品か廃材のような石材が放置されていて、何年も手付かずのように見える。
実際は手付かずというわけではなく、この中庭は剣の術式に合わせた“環境”を作り出すためのものであり、こまめに整備されてこの空間を維持している。
銀色に統一された剣の柄を握り、アリッサはそれを引き抜いた。
アリッサに特異な才能があるのは生まれてすぐにわかった。
何十年もクラス・ミカエルを輩出できずにいたアルクロス家にとって、それは待っていた時が来たようなものだった。
25世紀半ばにヘヴンズに併合されて以来、幾多の屈辱的な扱いを受けてきたイギリスの、誇りを取り戻す戦いを導く存在、それがアリッサだ。
幼い頃から英才教育を受けたアリッサは、15歳の誕生日に引き抜いた剣を核とした大剣『ルーグヴェント』を持って、士官学校に入学することも無く、アークエンゼルス入隊と同時にクラス・ミカエルの称号を得た。
やがてはクラス・ルシフェルとなったアリッサがアークエンゼルスを従え、戦闘力を失ったヘヴンズのすべてを英国のものとする。その後人間と悪魔を殲滅して世界をも、などと言い出せばまるで世界征服を目指す妄想だが、アルクロス家当主は本気らしく、支持者も多いというのだから性質が悪い。
しかし当主の目論見通りには行かず、アリッサは単騎戦力として世界に放り出されてしまう。
自分の部隊を持たない単騎戦力では指揮官能力を認められる機会など皆無と言えるうえ、作戦行動にも限度があるため功績を挙げづらい。
世界に放り出されたアリッサは当初、単騎としては凄まじい戦果をいくつも挙げたが、世界情勢を覆すにはまるで届かず、最近ではそれも少なくなってきていた。
アリッサは迷い始めていた。
世界に一人で放り出されて、当然だがその日々はすべてが戦いというわけではなかった。
誰かと関わるうちに、そこにある人の温かさに気づき始めていたアリッサは徐々に、最初は当然のことと割り切れていたのに、人を斬るのが嫌になっていった。
デ・ラッグで子供を斬れなかったのも、その子達が天使だったからではない。
そしてトーキョーに来て、ヴァイスと暮らして、アリッサのなかの何かが確かに変わってきていた。
人は誰でも変わっていく。
変わらないようでも、日常のなかのちょっとしたことでも、人は蓄積して自分を変えていく。
それなら、大きなきっかけがあったら人はどれほど変わるのだろう。
変わっていないように思える人も、変わってきていることを自覚している人も、自分の居場所が変わってしまうような、それほどのきっかけが与えられたら。
いまはまるで違う場所にいるようなアリッサとリィラ。
二人の場所いつか、近づくときがくるのだろうか。
鮮やかな夕日が見えるトーキョーの上層。
昼の厚い雲や天気予報が嘘のように空は綺麗だった。
咲月は今朝のリィラとの再会のように、もっと懐かしい顔ぶれをたくさん見たいと思っていても、なかなか出来ない日々が続いていた。
しかしギルドに依頼していたものが届けばそれももうじき終わり、ヴァイスのいる懐かしいあの家に寝床を移せる。
「ったく、こんなまぶしい場所で待つとか、嫌がらせか?」
ギルド本部上層のカフェスペースは夕日に染められて、それはなかなか雰囲気のある空間になっているのだが、咲月の待つものを届けに来た女性はそれが嫌いらしい。
ケイト・ガウェイン。
人種は悪魔。30代半ばにさしかかったわりには比較的若く見える印象で、フリーランダーとしてはベテラン、ギルドに入ったヴァイスやリィラを鍛え上げた人物だ。
煙草と惰眠をこよなく愛し、日の光と面倒を嫌悪する一見ダメ大人のような女性だが、ギルドの訓練カリキュラムの鬼教官としてちゃんと働いている。サボることはあまりない。
「だってなかなか届かないんですもん。2週間も閉じ込められてたらいじわるだってしたくなります」
咲月は不機嫌を隠す様子も無い。
「・・・オマエ、6年も経ってるってのに中身はガキのままかよ?」
咲月が受け取ったのはある種の隠蔽術式が組まれたペンダントと、特定の条件を満たすことで武器化する術式が組まれた十字架のような―――どちらかというと×の形の―――術式武装だ。
それぞれ少し多めに注文していたので、咲月の目的に余裕を持った数が手に入っただろう。
「ありがとう、ケイトさん。これで有香さんのお墓参りに行ける」
どちらも本来ならば封印指定レベルの代物で、たった2週間で借り受け申請が通ったというのは異例だ。
しかも実質的には譲渡と言える、無期限の貸し出しとなれば誰がどう見てもおかしい。
さらに、封印指定レベルであった2種類の品はもともとこの都市には無いことになっているので、今回の件は記録に残らない。
咲月がそれらを悪用するとはケイトも思ってはいないが、やはり気にはなる。
「それはいいんだが、オマエそっちの術式武装、起動出来んのか? 出来たとして何に使う?」
咲月は少し困ったように何かを考えて、「ないしょ」と笑って流した。
これとよく似た笑顔をケイトは知っていた。
(ヴァイスの性格は、やっぱりコイツのせいか)
一つあれば十分なはずのものを複数注文するあたりから予想はしていたが、誰かを巻き込まないように、自分だけで何かを解決しようとしているのだろう。
ケイトは溜息を吐くと、何も追求せずにカフェスペースをあとにした。
その背中を申し訳なさそうに見つめ、ひとこと「ごめんなさい」と言うと、入れ替わりに入ってきたショートカットの少女に声をかける。
顔見知りですらない他人に声をかけられた少女は少し躊躇いがちに近づき、咲月は少女に一つのコンテナを手渡した。
混乱した様子の少女の横を抜け、「がんばってね」と手を振って咲月もまたカフェスペースをあとにした。
「さて、と。もう暗くなるし、帰ろうっと」
6年ぶりの自分の部屋がどうなっているか気になるところだったが、たぶん何とかなるだろうと思う。
中層まで降りてまた夕日が見たくなったが、そこからはもう空など見えなかった。
都市部から離れれば空も見えるようになるが、見えるところまで離れる頃にはもう夜の闇に包まれているだろうな、と諦めることにした。
「夕日ぐらい、また明日だって見れるか」
「・・・誰?」
突然声をかけられて、コンテナだけ渡して去っていった女性の姿はもうそこに無いのだが、サクラは呆然とした様子で出入り口を見ていた。
日はだいぶ傾いて、夕方と夜の中間、綺麗な空だったのにまた雲がかかり始めていた。
再び肌寒さを感じる空になるだろう。
コンテナの中身はここ最近起きているテロリストによる殺戮事件の分布図と、事件に関する資料だった。
資料は月乃に渡され、さらなる調査が行われた。
「だいたい判ってきたわね、テロリストの目的が」
おそらくは近くまた事件が起きる。
次は、トーキョーだ。