第三話 謎の美少女
お待たせしました! ヒロインの登場であります!
……ただし、セリフは今回ほとんどないですが。
深い静寂のうちにある森の広場。夕陽に紅く染まるその中央で俺はまっすぐに立っていた。目を閉じて耳を澄まし、周囲の些細な変化をも感じるべく感覚を極限まで研ぎ澄ましている。さわさわと木々の葉がそよぐ音や、遠くを走る動物たちのかすかな足音でさえも、今の俺にははっきりと聞き取ることができた。
俺の耳にバサッ、バサッと思い羽でも落ちるような音が届いた。刹那、俺は一瞬で振りかえると手に持つ木剣を閃かせる。ガラスを割るような小気味良い音が響き、遅れてカンと鉄板でも落ちたような音がした。直後に俺の後ろに控えていたアリアナさんが、ちょっとびっくりしたような顔をして落ちたものを拾い上げる。
「十三回目で成功か……。だいぶ上達したわね」
「毎日修行してるからな。上達しないと困る」
「そりゃそうだけどね……」
アリアナさんはふうと息をつくと、真っ二つにされて綺麗な切断面をさらしている黒い鱗を見つめた。この黒い鱗はブラックドラゴンと呼ばれるドラゴンの鱗で、羽のように軽いのに鉄の数十倍も硬くて丈夫なものである。ここ最近の俺に課せられていた修行は、剣術家が舞い落ちる木の葉を斬るように、空に放り投げられたこの鱗を斬ることだった。
木の葉のように鱗を斬るといっても、ドラゴンの鱗の強度は木の葉なんぞ比べ物にならない。しかも、それを斬るためにリアナさんが与えてくれたのは真剣ではなく木剣だ。はっきりいって無茶苦茶な課題だと最初は思い、さすがの俺もアリアナさんに文句を言ったものである。
しかし「この課題はある種の卒業課題みたいなもんよ。これを確実に成功させられるようになったら一人前として認めてあげてもいいわ」という言葉で俺は燃えた。今回の人生で一番燃えたといってもいいかもしれない。
俺にとってアリアナさんは師匠であり母親代わりの人物だ。俺の年齢がちょうど反抗期にさしかかりつつあるせいかもしれないが、一人前になったことを絶対に認めてほしい相手である。ようは、中高生の男子が一人前の大人として父親に認められたいような気持ち。そういったものを俺はアリアナさんに少なからず抱いていたのだ。
それから数ヶ月間の間、俺は鱗を斬るために修練を重ねた。さすがにアリアナさんが「ある種の卒業課題」というだけあってその難易度は半端ではない。当初俺は、不規則に落ちてくる鱗に木剣を当てることさえまともにできなかった。しかも真剣で木の葉を斬るのであれば剣を当てれば十分なのだが、木剣で鋼よりなお硬いドラゴンの鱗を斬るためには当てるだけでは到底無理である。普通に何かの台に置いた状態でも、木でドラゴンの鱗を斬るのは不可能に思えるほど難しい業なのだ。まして空中でそれを為すなど、その難易度は推して知るべし。
しかし、毎日数え切れないほど剣を振り続けて一か月が経過した頃。不意に俺は不思議な感覚にとらわれた。時間がゆっくりになったというか、停止するというか。落ちていく鱗がゆっくりに見えて、その中心に淡く光る一筋の罅のようなものが見えたのだ。俺がおっかなびっくり木剣でそのポイントを斬ると、自然と壊れるかのように鱗が割れた。だがそのあとで、もう一度鱗を斬ろうとしても時間はゆっくりにはならなかった……。
この時俺はこれを疲れのせいで感じた幻覚に近いものだと思った。だが今考えてみると感覚はたぶん、「人間の壁を超えた感覚」なのだと思う。こうしてその感覚を初めて味わって以来さらに俺は過密な修練を続けて、今では数十回に一回はこの感覚を感じるようになっていた。コツはおよそつかんできたし、今のままでいけばきっと百発百中でこの感覚を感じられるようになる日もだろう。その日が来るということは、俺が百発百中で鱗を斬れるようになる日が来るということでもある。
鱗を百発百中で斬れる日が来たら俺はこの森を出るだろう。年齢ももう十五歳を過ぎたし、そろそろ世界を見てもいい年頃だ。さびしくはあるが、アリアナさんともそろそろ別れなければならない--
俺は少ししんみりとした気分で、アリアナさんの姿を見た。この人は年をとらないのだろうか、と疑わしくなるほど変化のない彼女の体は昔と全く変わっていない。しかしそれが小さく見えるようになったのは、俺がその分成長したということだろう。俺はすっかり大きくなった自身のがっしりとしているが引き締まった細い体と昔から変化していないアリアナさんとを見比べて、少しばかり感慨深い思いに駆られる。
そうして俺が想い出に浸ったりしていると、アリアナさんが広場の中央付近から家の方に歩いて行った。彼女は広場の入口あたりにつくと、クイッと指を曲げて俺を呼ぶ。空を見上げてみれば、いつになく綺麗な茜雲。もう修行の時間はおしまいのようだった。
「おお……綺麗ねえ……」
「燃えてるみたいだ……」
家の隣にある白亜の塔。それが紅く燃えていた。地上からはるか天に向かって一筋の炎が上がっているようで、その光景は見る者を虜にする幻想性と神秘性を秘めている。帰り道からそれを目撃した俺とアリアナさんは思わず息をのみ、しばしの間それに目を奪われた。俺たちはそのあともぼんやりと塔の方を見つめたまま森の小道を歩き、塔の前に立つ。鮮やかに赤へと染め上げられた塔は、黄金色の粒子をあたりにふりまきながら圧倒的な存在感を持って俺たちに迫ってくる。
俺は吸い込まれるような心地がした。同時にぐらりと視界が揺れて身体が脱力する。すると俺の身体からぼんやりと光る何かがわきあがり、塔の上層と勢いよく駆け上がった。光が弾けて、空から地上へと純白の閃光の嵐が訪れる。あたりは白く染め上げられて、俺とアリアナさんはたまらず顔を腕で覆い隠し、固く目を閉じた。瞼の向こうからでもわかる激しい光が、あたりを激流のごとく薙いでいく。しばらくの間、それは続いた。
「ふう……。今のは一体なんだったのかしらね。……うぬ?」
「あれ、こんなところに……」
光が収まったところで目を開けてみると、俺の前に一本の剣が落ちていた。宇宙戦争にでも使われていたかのようなやたら未来的なフォルムをした剣で、鍔に当たる部分に歯車のような細工が覗いている。俺はそんな銀色に輝くあやしげな剣を、アリアナさんが恐ろしく鋭い目をして見つめてくる中で拾った。すると--
「うわっ!」
「……あなたが今代のマスターなの?」
銀色の剣が消えて、なぜか蒼いふんわりとした髪と物憂げな紅い瞳が特長的な少女が俺の前に現れたのだった--