3 黒い服の女
コトノハは再び困惑することとなった。暴漢に襲われていた黒い女を助けたら、その女に怒鳴られたのである。意味不明だった。
「なんてことしてくれたんだ!」
「いや、それはさっきも聞いた……」
黒い女は文字通り頭を抱え、身を捻りながら「せっかく捕まえたのにー!」とか「また振り出しだよー!」などと喚いている。
ちょっと状況が理解できないので、流石にコトノハは説明を求めた。
「ねえ、どういうこと? 襲われてたんだよね? さっきの連中に」
「襲わせてたんだよ! わ、ざ、と! こっちから因縁つけて絡まれて、人気のないところまでおびき出してたんだよ!」
「でも、押し倒されてたのは──」
「油断させてたの! もうー!」
黒い女の話を聞いても、コトノハは何を言っているのかさっぱり理解できなかった。こんな薄汚い路地裏で、わざと襲われていただって? なんで? そういうのがお好き? 確か……プレイ、とかいうやつか? 大人の世界? 怖……。
やばいやつに声をかけてしまったと後悔しつつあるコトノハの気も知らず、黒い女はがっくりとうなだれて、文句をたれ続けている。
「ここで〈バッツ〉の下っ端をボコってアジトを聞き出そうとしてたんだよー……。あー、やっと見つけれたのに……」
「〈蝙蝠〉?」
「そういう名前の、近頃幅を利かせてるギャングがいるんだよ……。そいつらのアジトに用があったんだ……。ハア……」
逃げていった男どもの手の甲に、蝙蝠のタトゥーが入っていたのをコトノハは思い出した。名前が先か組織のシンボルが先かはわからないが、なんというか、安直なネーミングだ。まあ、ギャングなんて、そんなものなのかもしれないが。
それにしても、男三人相手に『ボコってアジトを聞き出そうとしてた』ときたか。強がって言っているのだろうか。それとも、実際に腕っぷしには自信があるのか。
黒い女はブツブツ言っている内に気を取り直したようで、背筋を伸ばして真っすぐ立ち、再びコトノハを見下ろした。そして指を立てて口を開いた。
「まあ、なんだ、ともかくだ。そもそも子供が、こんな薄汚くて危なくてクソみたいなところにいちゃダメだぞ。年は? 家どこだ? 親は──あ……」
話の途中で黒い女は言葉を詰まらせ、なんだか気まずそうな表情をし始めた。
一瞬、何が起きたかとコトノハは不思議がったが、すぐに女の反応を理解した。きっと、自分の風体を見て、浮浪児だと察したのだろう。
親なんてもうこの世にはいなくて、ひとりぼっちで、こんな薄汚くて危なくてクソみたいな路地裏にしか居場所がない。そんな子供だと。
「十三歳」
「そ、そうか……」
別に、哀れだと思われたところで、反感を抱くようなことはない。この街に来るもっと前から、独りぼっちで生きてきたし、もうとっくに慣れている。
だが、だからといって、何もできない子供だと思われるのも癪だった。
「知ってるよ」
「ん?」
最初こそ怒鳴りつけてきた黒い女も、今はこちらに気を使ってくれたし、悪い人間ではなさそうだ。
であれば、ちょっとくらい手伝ってやろう。
「〈バッツ〉のアジト、わたし知ってる。蝙蝠のタトゥーを入れてるやつらでしょ。港の方だよ。案内してあげる」
黒い女は緑の目を真ん丸にして静かに驚いた後、そうきましたかと言わんばかりに、目を鋭く尖らせ、ニヤリを微笑んだ。
「マジ?」
◆
「アタシはメインだ。メイン・クローム。さっきは怒鳴って悪かったな」
黒い女──メインと並んで、コトノハは煉瓦や石造りの建物が並ぶ街道を、港の方へ向かって歩いていた。
「コトノハ。まあ、ビックリはしたけど、いいよ」
とは言え、助けたお礼は欲しいかなとも思っている。
「コトノハ……変わった名前だな。雰囲気からして、移民か? この大陸の人間じゃないよな? こっち来てからいろいろあったクチか? あ、聞きすぎだな。スマン、今のは忘れてくれ」
メインの横顔に視線を移すと、黒髪の隙間から覗く耳に輪っかみたいなピアスが何個もついていて、日の光をキラキラ反射しているのが見えた。
顔つきや立ち振る舞いこそ擦れているように見えるが、男に媚びる身なりをしているわけでもない。街の商売女ではないように思える。
「で、メインは何やってる人なの? なんでギャングのアジトに用事が?」
「仕事は、報酬を貰ってイロイロやってる。悪いことはしないぞ。なんて言えばいいんだろうな? 探偵? なんでも屋? 便利屋? 事件屋?」
「万屋?」
「ヨロズ……? まあ、そんな感じだな、多分。で、アタシが〈バッツ〉のアジトに何の用があるかと言うと──」
そこまで言ってメインはコトノハの方を見下ろし、さあいったいなぜでしょう? と問いかけるような表情をしてみせた。
それに対しコトノハは、いやそれを聞いているんですが、と答えを促す視線で返す。
「大人の仕事だから秘密だ!」
そう言ってメインは、白い歯を見せながらいたずらっぽくニカッと笑って、両手を肩まで上げた。あまり興味はないのでスルーする。
その後も世間話をしながら歩き続け、港付近にある倉庫街までたどり着いた。
コトノハは、視線の先にある、ひときわ大きい倉庫を指差して言った。
「あそこ。他の倉庫より屋根が高くなってるやつ。〈バッツ〉の連中が荷物の出し入れをしてたのを見たことあるよ」
この街に住み始めた頃、倉庫街を寝床にしていた頃があった。雨風も凌げるし、食料にもありつけるのではないかと考えたのだ。たが、海の近くは暖かい時期でも夜冷えるし、ガラの悪そうな連中がたむろしていて危なそうだったので、すぐに引っ越した。蝙蝠タトゥーのギャングを見かけたのはその頃だ。
「あれか。フェンスで囲まれてる建物だな。ここまででいいよ」
そう言ってメインは、アジトの様子を眺めながら、なにやら懐を探り始めた。
コトノハは案内が済んだので、もうやることはない。「じゃあ帰るね」とだけ言って、きびすを返した。変な女だったな、と思いつつ、また新しい寝床を探しに向かうのだ。
すると、背後から「おいおい、待て待て」と声をかけられた。振り返ると、メインがこちらに向かって小走りでやってきた。
「ほら、礼だ。道案内の分と、路地裏で助けてくれた分。ありがとうな」
紙幣を差し出しながら言った。コトノハがそれを受け取るのを見ると、メインはまたニカッと笑い、片手をひらひらしながら「気をつけて帰れよ」と言って、アジトの方へ向かっていった。
やったね。報酬ゲット。なんだかんだでいいやつだったな、あの女。これで何買えるかな。そんなことを考えながら、コトノハは元来た道を引き返した。
そしてふと、この街で人と会話らしい会話をしたのはこれが初めてだったのではないかと思い返す。
普段でも、他の浮浪者と話をすることはあるにはある。だがそれは、一言二言だけ街の情報交換をする程度のものでしかなく、メインとしたような、相手と知り合うための会話ではない。
なぜか、頭の中でメインとの会話を反芻してしまう。そして、彼女がいたずらっぽく笑っている顔を想像した。
振り返って、メインが向かっていったアジトの方を見る。
結局、メインは〈バッツ〉に何の用事があるのだろうか。
そのとき、港からの海風がコトノハに吹きつけ、髪と外套がふわりと揺れた。
ひんやりしていて、湿り気を帯び、少し重い感触。潮の香りに、鉄と錆がまじったような、どこか硬質な匂い。
そして、五感で感じられる情報以外にも、何かをはらんでいる、そんな気がした。
メインの言葉を思い出す。
──大人の仕事。
コトノハは、風上へ向かって歩を進めた。
もうちょっとだけ、付き合ってみるとしよう。




