3話:赤竜の少女
『天空城艦』の研究棟には朝焼けの光が差し込み、部屋一面を埋め尽くすような、巨大な毛布の包みが動く。中に納まっていた巨体をゆっくりと起こしながら、赤竜は目を覚ました。
『ここは、どこ…なのでしょうか…。あ……』
赤竜は掛けられていた毛布の山から抜けると、心地よい気だるさを感じながら、辺りを見渡した。
直方体に囲まれた鈍い金属色の壁には直線的な刻印が刻まれており、刻印の中でゆっくりと黄色や赤色などの複数の魔素が巡っている。天蓋は全体が淡く光っており、部屋の隅には、折れた剣や槍、二つに引き裂かれた鎧、岩と金属を組み合わせたような、大小人型の部品が打ち捨てられたようにいくつも転がっていた。
「目が覚めたか。」
後ろから声がする。振り向くと、重たそうな袋を横に浮かせた、背の低い少年がいた。目に隈があり、あくびをしていかにも眠そうだ。
『…』
「ドラゴンよ、朝の調子はどうだ?お前の翼を伸ばせそうな場所はここしかないんだ。済まない」
『…やはり、私を捕らえたのは、貴方の何か邪悪な実験の手伝いをするためですか?』
赤竜は瞳を見開き、翼を開き、口に炎の息を溜め始める。
「………ん?実験?」
シリアスな問答を遮るように突然、ガラクタの中からクルックー、クルックーと間抜けな鳩時計の音がした。
少年は目を丸めて、竜の仮説を否定する。
「いやいや、違う。お前は大切な客人だ。後ろのそれらは僕の趣味で作っている」
『…ではその血にまみれた袋は何ですか?魔術師の企みという以外にどう言い逃れをするつもりですか?』
「落ち着け、これは朝食だ。今朝に市場に飛んで買ってきた。」
少年は手を触れずに袋を広げると、中には肉の山がずらりと布の上に並んだ。牛、豚、鹿の足、兔や鶏肉などがあり、どれも筋肉と脂のつきがよく、ツヤとハリがあって新鮮なことがわかる。
「足りるかどうかは分からないが…」
『…はあ…そう、でしたか…』
赤竜は肩を撫でおろすと、沈黙したまま、しばし考えこんだ。
「どうした?やはり昨日のケガが治癒していなかったか?」
『あの…私は生肉は食べないんですが…』
「…?そうなのか、いや、先入観で早合点してしまいすまない。俺が出会ったドラゴンは人間の子供の肉が好きだと言っていたから、肉自体を好むと思い込んでいた。」
『…』
「水晶庭で何か果物でも見繕ってこよう……やはり風竜種とは違うのか、それとも個体の個性なのか……」
少年がブツブツと独りでつぶやくよそで、赤竜はやや決意を固めたように牙を開く。
『あの、待ってください!!…私、本当のドラゴンではありません…』
「…何?ドラゴンではない?どういうことだ?」
疑問に首を捻る少年を前に、赤竜はもじもじと爪や鱗をゆすった後、その巨体を再び毛布の下にもぐらせる。すると、毛布の山がもぞもぞと蠢く。翼や尻尾であろう凹凸がだんだんと小さくなっていく。
すると、中からひょっこりと人の顔が飛び出した。
それは、一見すると毛布に裸体をくるんだ、いたいけな少女のようであった。しかし数多くの例外を挙げるならば、その女性の背丈が少年の背よりも、いや闘技場の戦士のような大男よりももっと、巨大であること、赤くとがった耳と大小四本の角を持ち、毛布から赤い装甲に覆われた尻尾をのぞかせていたこと、などであった。
「……………っっっ!!!」
驚愕する少年をよそに、竜の少女は顔を赤らめ、申し訳なさそうに言った。
「…………………こういうことです。はい……………」
『天空城艦』は魔導機関室、実験塔、第一図書館、第二図書館、岩弾砲塔、補給用の魔石倉庫、ゴーレム格納庫、宝物庫、食糧庫、その他の倉庫など様々な施設があるが、この少年が実際に生活している棟は、『水晶庭』と居住スペース位であった。
突如目の前に現れた『見上げるような』美少女に、男は咄嗟に自分のローブを提供した。そうしたは良いものの、彼女の体は薄目にもわかるほど豊満であり、長めに造ったはずのローブさえ股下にかろうじて届くほどの身長で、下の腿から足先は丸見えとなってしまっている。彼女が足を隠そうとローブを下げると、逆に胸から乳房がこぼれんばかりになってしまう。
「あの…あまり見られてしまうと…その…」
巨体を有した竜の少女が顔を赤らめていると、ついつい彼女の腿の足部の鱗に目が言ってしまったことを男は自覚した。
「…何も見ていない。こっちだ」
男は実験塔の隔壁に手を当てる。すると、壁が機械的な重低音を発しながら、ゆっくりと上に開かれた。
「すごい…」
彼女の目前には、見たことがない水晶の空が広がっていた。実験塔と同じく何らかの詩篇が刻まれているらしく、緩やかに感じる風も、時折聞こえる小鳥の声も、この淡い空色の壁から発しているのだと理解した。ドームの真ん中には一本のリンゴの木が生えており、その下にこじんまりとした庭の真ん中に小さな木のテーブルが一つとイス二つがあった。男は片方の椅子に触り、詩篇を唱えた。
「《地属、巨大化》」
椅子の木材の繊維がゆっくりとほぐれた後、まるで一本一本が成長するようにめきめきと太くなり、デザインの違う新しい椅子になった。
「座るといい」
「あ、ありがとうございます…」
少女が恐る恐る座ると、少年は無表情のまま、少女のやや困惑した、身長からして見下ろすような顔から眼をそらして、続けて唱えた。
「起動、『紳士淑女の茶会』」
盆に乗ったティーポットとカップのセットをどこからともなく引き寄せられ、テーブルに配置される。突然、ポットとカップがクルクルと回り出す。そして円形のテーブル上を右回転、左回転と切り返したり、様々な図形にひとしきり舞踏した後、ゆっくりとポットが傾き、紅茶が注がれる。香り立つ蒸気がふんわりと鼻をくすぐった。
「わぁ…」
元々どこかの貴族が楽しみながら紅茶を入れるために作らせた魔道具らしかったが、竜の少女は仕掛けの凝った魔道具を初めて見たのか、感嘆の声を洩らしていた。
男は魔道具が紅茶の用意をしている間に、上の樹の林檎を三つか四つを、何か詩篇を使っているのか、一切手を触れずにもぎ取っては、柵状に切断して皿に山盛りにしていた。先ほどの荒く呼びかけるような態度はなりを潜め、隣の少女を見ることが照れくさいようにただただ無表情を貫いているようだった。
「ティータイムだ」
「お、お招きいただき…ありがとうございます…」
男と巨体の少女は林檎を食み、茶を啜る。
「このお茶、とても美味しいです…それに林檎も」
「それは良かった」
しばらくの間、二人の茶を飲む音と、林檎を咀嚼する音だけが響いた。
いたたまれなくなった彼女が口を開いた。
「そ、そういえば、私、名乗っていませんでしたね。私の名前はジークリンデ=リデュアと言います。よろしくお願いします。」
ジークリンデと名乗った少女が会釈をすると、羽織ったローブの隙間から白い乳房が揺れて布からこぼれそうになる。男は慌てて声を出した。
「ま、待て!それ以上は…」
「えっ何か…すみません。私、何かやってはいけないことを…」
「いや大丈夫だ。えー、んん。俺はユーマ。ユーマ=サトウという。」
「ユーマ…?ユーマ、サトウさんですね。変わった名前ですね。あ!いえ決して変というわけじゃないくて…」
「よく言われる。ところでリデュア嬢について気になることが…」
「あの…リンデ、で大丈夫です。」
「分かった。リンデ君について気になることがあるんだが」
「あの時、『昏き森』で何をしていた?君は一体何者なんだ?」
リンデは口ごもる。こちらの目を見ながら、話すか話すまいか迷っているようだったが、意を決して告白するような声で話し始めた。
「…ひどい動悸がして目が覚めました。私は知らない場所で赤い竜の姿になっていました。私は何かの詩篇で拘束されていて、周りには…黒い目のような服を着た人たちが私を取り囲んでいました。周りはしきりに『赤き竜が、ついに降臨した』と…」
「それからは、怖くて訳も分からないまま、無我夢中で逃げ出しました。なぜか教会の聖騎士さんたちや、魔法使いも、私を追ってきて…三日三晩飛んで逃げ続けて…」
「それで『昏き森』にたまたま迷い込んだと」
「はい」
恐らくその黒ずくめの連中は、竜を崇拝する集団だろう。ここ数年で、公国と自由都市内で急激に活発化しているカルト組織。「黒竜の再臨によって人間は真に救済される」という文句を掲げているらしい。
「して、赤い竜の姿になる前、君は元々何処に住んでいたんだ?風の大樹脈の近くか?」
「私は…ダウルという街に住んでいました。」
ダウルの街、聞いたことがない。街というからにはそこそこ大きな場所だろう。
「分かった。とにかく、君をダウルの街まで送ろう。怖い目にあったな。」
当然のことだと思って、彼女の背中に手を置く。しかしその大きな背中は少し震えていた。
「それは出来ません、もう、多分ずっとずっと昔のことでしたから。…あったとしても、街には戻れない…」
「どうしてそう思うんだ?」
「それは…」
リンデの顔を見た。表情は崩さないが、動揺を隠せないのか、紅色の瞳が揺れ動いている。まずいことを聞いてしまったかもしれない。
「いや、言いたくないことは言わなくていい。済まなかった。」
「…すみません。」
「して、これからどうするつもりだ?」
リンデは右手の甲を見せた。それは金色の指環であった。
「私を育ててくれた母が、『本当の両親のことを知りたいのなら、これを持って聖教会のメルキオール司祭に会いに行きなさい』と言って、託してくれたものです。―――でも、教会は取り合うどころか、私の姿を見るなり攻撃してきました。」
「ほう…外して、手にとってもいいか?よく見てみたい」
「…すみません。大切なものなので」
「いや、聞いてみただけだ。問題ない。」
魔法詩篇の刻まれていない、ただの指環のように見える。しかしその彫刻は古く、聖王国の最初期に作られたものだとわかる。
「私は、できれば私の本当の両親のことを知りたい。そのためには聖王国に行って、誰かに真実を話して貰いたいんです」
「私を助けてくれた時、確か、傷を治す詩篇を使っていましたよね?もしかして、ユーマさんは教会の治癒師…ですか?」
婉曲な表現をするリンデに、ユーマはじれったそうに答えた。
「残念だけど、僕は教会の人間ではない。」
「…そうですか、」
「むしろ教会に追われている。だがその頼み、手伝おう。」
「えっあっ!ありがとう、ございます…!?」
「僕もメルキオールに用があるんだ。」
「メルキオールさんって、生きていたんですか!?」
「奴はエルフだ。そして今の奴は…『大司教』だ」
清らかな朝、聖王国の中央に位置するクラーバ大聖堂は王国最大の大きさとその荘厳さを誇る。四方の尖塔に囲まれ、ステンドグラスから通る色とりどりの光が、聖堂の中の三者を照らした。
一方は白い高帽子と外套を身にまとい、細身ながらその背筋は老年を思わせぬほどしゃんとしており、尖った耳と気迫に溢れた目つきを合わせて威圧感を醸し出すエルフの老人。
もう一方は、白銀の鎧を着ており、淡い金髪を編み込んだ可愛らしい人間の少女と、堂々たる白き羽と鉤爪、ものを射抜くような眼光を放つ鷲獅子。
粛々と跪く少女と魔獣に対して、老人は口を開いた。
「よく来てくれました。『勇者』シャルロットと、『神獣』アルベルト。活躍は聞いております。竜に与する異端の魔術師どもを次々と討伐してくれているようで。」
『勇者』と呼ばれた少女は、目を見開き…そして耳を裂くような高い声でそれに答えた。
「お褒めのお言葉!ありがたく存じます!!メルキオール大司教!!」
『神獣』と呼ばれたグリフォンは、低い声で少女を窘めた。
「お褒めのお言葉、ありがたく存じます…お嬢、もっと声をおさえて…」
気にも留めずに老人は続ける。
「結構。今起きている未曾有の事態について話そう」
「『昏き森』は知っているか?その近辺で…赤い鱗を持つドラゴンが確認された。」
赤竜。500年もの間姿を現さなかった存在に少女と魔獣は息を呑んだ。
「…それは本当ですか!?」
「君たちに討伐を命じる。」
「分かりました!やって見せます!この『聖剣』にかけて!!!!」
少女の宣言を隣のグリフォンは慣れているのか、無関心を装っている。
「急いては事を仕損じるぞ、シャルロット殿。近くには『金沙宝杖』のフィガレオの焼死体が確認されたが、交戦した形跡と、複数の魔素の残留から、『宵闇』の仕業だと推測する。」
「もし両者が手を組んでいたならば厄介極まりない。十分に警戒してことに当たってほしい。以上だ。女神ディアリマの加護あらんことを」
「女神ディアリマの加護あらんことを」
外に出ると、朝に少女の黄色い声が響いた。
「ねえねえ!アルベルト聞いた!?『赤い鱗を持つドラゴン』だって!すごいよね!御伽噺みたい!」
グリフォンは呆れかえるように返す。
「お嬢、まさか、そのドラゴンにも、この前みたいに『貴方はまだ許されます!女神に帰依しなさい!』って言うんじゃないでしょうね。」
少女はただ無邪気に言い放つ。
「それは駄目よ!赤いドラゴンは『女神の裏切者』だもの!」




