31.だいたい二年後
「こんにちは、ソニアさん、ラファエルさん」
「ごきげんよう、パットン先生」
「こんにちはー、パットン先生」
デイジーの挨拶にほぼ立派な淑女とまだ小さな紳士が元気よく答える。
ここは王都のとある子爵家の屋敷。
大きな窓のある日当たりのよいこの部屋は、本日の生徒の一人である小さな紳士、子爵家長男で六才のラファエルの部屋だ。
ラファエルの隣に机を並べているのは子爵家長女で八才のソニア。
二人ともデイジーの生徒である。初顔合わせからは一年が経ち、週に一回の授業にもすっかり馴染んでいる。
デイジーは家庭教師の派遣会社より支給されている濃紺色のジャケットの裾をぴんと引っ張り、眼鏡をかちゃりとかけ直した。
「では、授業を始めましょう。今日はこの国の歴史ですね」
「「はい、よろしくお願いします」」
やる気に溢れる二人の声が揃う。
デイジーも張り切って授業を始めた。
❋❋❋
「先生、お茶をご一緒しましょう?」
ソニアとラファエルの授業が終わり、デイジーが片付けをしていると華やかな雰囲気の女性が入って来てお茶に誘ってきた。
彼女はソニアとラファエルの母親でこの家の子爵夫人である。
「遠慮することになっているのですが……」
派遣会社のルールでは生徒の家からの接待は断ることになっている。だがほとんどの生徒は貴族の子供達であるので、断ることが失礼にあたる場合はこの限りではない。また、断って印象が悪くなるくらいなら受けろ、という緩いルールでもある。
「うふふ、今日も、もう淹れてしまっているの」
これはこの夫人のいつものやり口だ。
子爵夫人は金髪の可愛らしい女性でお喋り好きなのである。そして最近はもう一つの目論見まで加わっているので彼女は毎週お茶する気満々だ。
「そういうことなら、ありがたくいただきます」
デイジーは困った笑顔で申し出を受けた。
「先生はそろそろ20才になられるのよね?」
サロンにて花の香りのする紅茶を味わいながら子爵夫人が聞いてくる。
「つい最近、なったところです」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「えーと、ということはこのお仕事に就かれてからは……」
「二年と少しになりましたね」
「まあまだ二年。たった二年で指名の取り合いになっているなんてすごいわ。うちは甥の口添えがなかったら先生に担当してもらうのをもっと待ったと思うわ」
甥を強調してにっこりする夫人。
デイジーもにっこりしておいた。
にっこりを返しながら、デイジーはぴしりと濃紺のジャケットを伸ばす。
ジャケットの胸ポケットには派遣会社の事業主である侯爵家の家紋をもじったマークが刺繍されている。
歴史と権力と財力のある侯爵家が認め、自信を持って派遣する優秀な家庭教師、それがデイジーである。
胸の刺繍にちらりと目を落としたデイジーは、この仕事に就いてもう二年になるんだなあ、としみじみした。そして二年前、教師の仕事を探し始めた自分の元を訪れたご令嬢を思い出す。
「あなた、人に教える仕事がしたいのですって?」
突然現れてそう聞いてきたご令嬢は田舎に不似合いなドレスをまとっていた。彼女は王立学園でデイジーに意地悪をしたことのあるあの侯爵令嬢だった。
「お久しぶりです。よくご存じですね。クリケットクラブのサロンでのテスト勉強が楽しかったので、もしかしたら向いてるかも、と」
こんな田舎まで何をしに来たんだろうと怪訝に思いながらも返事をすると、ご令嬢は「分かったわ」と頷く。
「では、うちが手がけている家庭教師の派遣会社で働きなさい」
「家庭教師? いや、あの」
「田舎の学校よりはお給料も出すし、借り上げのアパートもあります。自己研鑽の機会も作ります」
「そんな……ありがたいですが、ご迷惑をかけますし」
ほとんど交流のなかった同級生に世話をしてもらうわけにはいかないと遠慮すると、ご令嬢の眉がぴくりと動く。
「だからお馬鹿さんなの? これは施しではなく、優秀な人材をうちで囲おうっていう話なのよ。ありがたく受けなさい」
「へっ?」
「さっそく契約しましょう。セバスチャン、書類をここへ」
「はっ」
ご令嬢により明らかに執事なんだろうなという名前が呼ばれ、いかにも執事っぽい人がデイジーの前に書類を並べだす。
「悪いようにはしないわ」
侯爵令嬢はそう言って、あれよあれよという間にデイジーは家庭教師派遣会社が自信を持ってお勧めする凄腕家庭教師の予備軍の一人となった。
デイジーが王都の会社借り上げのアパートに一人で越してきたのはその一週間後で、二ヶ月の研修を受けた後には家庭教師として働きだした。
会社が雇用する家庭教師の派遣先は貴族か裕福な商人の家だ。まだ幼い子供のいる家庭の目的はほとんどがステータスとなる王立学園への入学で、13才以上の子供のいる家庭の目的は学園での優秀な成績だった。
王立学園の元特待生で、在学中は最終テスト以外の成績は上位三位内であったデイジーはすぐに注目された。
また、クリケットクラブでデイジーに教わった下級生達が、家族や親戚に勧めたこともあってあっという間に指名が入るようになる。
因みに指名第一号はセイラとその妹だった。
最初はそれなりに失敗やピンチもあったが、それでも担当した生徒からは「分かりやすい」「やる気が出る」と評判は上々で一年も経つとデイジーは人気の家庭教師となった。
二年が経った今は新規の指名は取りにくくなっている。
最近はクリケットクラブより、試験前に特別授業をしてくれという依頼まで入り、デイジーは城の文官に引けを取らない高給取りだ。
会社は優秀な人材を逃さないために働く時間や環境にはしっかり配慮してくれており、最新の知識を得るための機会も与えてくれる。なかなか素晴らしい職場である。
現在、デイジーは満足して誇りを持って家庭教師として働いている。
「最近は特にソニアがやる気を出しているのよ。先生のようになりたいのですって」
「あんなに可愛らしく賢いソニアさんにそんな風に言ってもらえて、光栄の極みです」
「まあ、ふふふ。その言葉はソニアが喜ぶわ。あら、来たわね」
夫人が嬉しそうに頬をほころばせた所で、最近の夫人のお茶の最大の目的が到着した。
「叔母上、遅くなってすみません」
サロンに現れた金髪の美青年が詫びる。
「大丈夫よ、リオネル。まだお代わりもしていないわ」
「そうでしたか。あ、ラファエルが叔母上を探していましたよ」
「あらあら、いつまでたっても甘えたなのよね。じゃあリオネル、先生のお相手をお願いね」
夫人はにっこにこの満面の笑みで席をたつ。
「ええ、お任せください」
男の翡翠色の瞳が柔らかく細められる。
「では先生、私に構わずゆっくりお過ごしくださいね」
夫人はパタパタとサロンを去り、翡翠色の瞳が甘くデイジーを見ながらその向かいに腰を下ろした。
「…………」
これはここ二ヶ月の定番パターンである。
「久しぶりだね、デイジー」
「先週もお会いしましたよ。グランツ侯爵令息」
今のデイジーとリオネルの関係は、派遣の家庭教師とその派遣先の女主人の甥なのだ。
呼び方は“グランツ侯爵令息”一択である。
「つれないな」
そう言いながらもリオネルが嬉しそうに微笑むので、ちょっときゅんとしてしまうデイジー。
相変わらずのチョロい自分が恨めしい。
デイジーがリオネルとこのサロンで二年ぶりに再会したのは、つい二ヶ月前のことだ。
再会は今思えば絶対に計画的だったと思うが、二ヶ月前にリオネルと会ったデイジーはそれはもう簡単にときめいた。
二年経って再会したリオネルは学生っぽさがすっかり消えて大人の男性になっていた。体つきも少ししっかりして雰囲気も落ち着いているのに、二年前と変わらない優しい翡翠色の瞳がデイジーを見つめていた。
デイジーはときめき過ぎて胸が痛いくらいになったのだ。
(あれは、女子なら誰でもときめくやつだもん。初恋の男と二年ぶりの再会。おまけになんか立派になってたんだぞ)
だからときめいたのは仕方ない。
この再会の後は、子爵家での授業の後は夫人とリオネルとお茶する流れが出来上がっている。そして高確率で夫人は席を外す。
デイジーは一度、そもそも自分がこの仕事に就いたのはリオネルが関わっていたのかとも疑ったのだがこれは怖い笑顔で否定された。
『何言ってるの? そんな訳ないよね? なにこの未婚の貴族令息と出会い放題の職場、あの女がデイジーを引っ張り込んだ時は殺意を覚えたよ。君がすごく生き生きしてるから転職も勧められないし、軽く絶望した』
とのことである。デイジーは深く納得した。
そして納得すると共に、これが、いわゆる嫉妬……? とまた少しときめいたりもした。
本当にちょろい自分が恨めしい。
(でも、嫉妬されるなんて女子は萌えるしかないよ。仕方ない)
うん、これも仕方ない。
今日のきゅんも仕方ない、とデイジーは平静を装って紅茶をすする。
「もうお互い学生ではないですし、名前を呼ぶのは止めてもらえませんか」
本日、デイジーは頑張って距離を置こうとしてみた。
「なぜ?」
「いろいろ誤解されては、グランツ侯爵令息が困るでしょう」
「俺は全く困らない。誤解ではないし」
「ぐうっ」
返り討ちに遭うデイジー。簡単に人を連続できゅんきゅんさせないで欲しい。
「もうすぐ借金も無くなるんだろう?」
「な、なぜそれを」
「ジェット伯爵から聞いたんだ。あいつが慰労金のほとんどを使って早々に半額返したんだってね」
リオネルは凄く嫌そうにそう言った。
あいつ、とはレイリーのことである。
リオネルの言う通り、デイジーがリオネルとしっかりとお別れをした後、レイリーは自分の慰労金を使って早々に残っていた借金の半分を返してしまった。
一緒に返そうって言ってたのに詐欺だ、とデイジーは詰め寄ったのだが「働いて返すとは言っていない」としれっと返された。
「何かあったらどうするんですか、慰労金はそういう時のための蓄えでしょう」
「ちゃんと少し残してあるし、俺もこれからは働くから何とかなる」
さらに詰め寄ったデイジーにレイリーはそう答えて、議論は打ち切られた。
その後も結局、レイリーの意思を覆すことは出来ずデイジーは渋々と減額された上に半分になった借金を返すこととなったのだ。
そこそこの高給取りであるデイジーは、ぐっと少なくなった借金を無理なく返し、それももうすぐ終わる。デイジーはこれが終わればこっそりレイリー名義で貯金してやるつもりだ。
「俺は借金がなくなったデイジーに恋人として選んでもらいたいんだよ」
とろりと甘く微笑むリオネル。
「いや待って、借金なくなったら恋人を作るとかいう決まりはないですよ」
「じゃあそういう決まりにしようよ」
「しませんよ!」
「ええー」
「ええー、じゃないです」
そこでリオネルは身をかがめると、上目遣いで聞いてきた。
「ねえ、俺が嫌い?」
「っ……」
顔がいい。おそらく狙ってやっているリオネル。
「嫌いではないです」
心臓をバクバクさせながらデイジーは答えた。
「じゃあ好き?」
「ぐっ……なんかその流れは卑怯です」
「ふふ、ごめん」
「ところで、最近の毎週のこの時間はなんなんですか? 薬師塔の仕事は大丈夫なんですか?」
「デイジーのここの予定に合わせて休みを調整しているから大丈夫。俺は、デイジーが恋をしようかなと思った時に選んでもらえるように一番近くに居たい。だからこうして毎週会いに来てる。まだ好きなんだ、諦められない」
「…………」
これに何をどう返すのが正解なのか分からなくてデイジーは口をパクパクさせた。
この二ヶ月はこういうことばかりである。リオネルはお茶の度に一回はデイジーを好きだと告げてくる。ただ告げるだけだ。デートに誘われたり、将来を約束するようなことは言われない。
きっとデイジーの宙ぶらりんな状態に気を遣ってくれているのだということは分かる。
分かるけど、じゃあ何と返せばよいのかは分からない。
そもそも自分はまたリオネルに恋をしているのだろうか。このきゅんやときめきは恋なのだろうか。
いやいや、でも恋をしている場合ではないのだ。今はとにかくせっかく掴んだやりがいのある仕事を精一杯頑張る時だ。借金も返してしまわなくてはならない。だからリオネルの“好き”には応えようがない。
デイジーが赤くなって困っていると今日は天の助けが入った。
「おーい、もう入っていいか?」
サロンに新しい声が響き、返答は待たずに赤毛の大きな男が入ってくる。
「バルトーク!」
入ってきた旧友にデイジーはぱあっと顔を輝かせた。
「よっ、デイジー。ちょい久しぶりだな」
学生時代とほとんど変わっていないバルトークがにっと笑う。
因みにバルトークはフリージアと絶賛婚約中で、結婚式の日取りも決まっている。
「バルトーク、最初はデイジーと二人きりにしてくれって言ってたじゃないか」
不満そうなリオネル。
「もう十分だろ。そっちは一週間ぶりでもこっちは数ヶ月ぶりなんだよ。積もる話もあるんだ」
「俺はその前に二年間、会うのを我慢してるんだ」
「それはそっちの都合だろう。相応しい男になるとかなれないとか悩んでただけじゃん、なりながら口説けよ」
バルトークはそう言いながら、デイジーの隣に腰を下ろした。
「そういうの、デイジーの前で言うなよ」
「お前はもう少し可愛げを出した方がいいぞ。女の子はギャップに萌えるって母ちゃんが言ってた。なあデイジー、そうだよな」
「……えーと、どうだろうね。ギャップ……悪くないとは思うよ」
いきなり振られて、おまけに答えにくい。リオネルからギャップで攻められるのも勘弁して欲しい。きゅん死してしまいそうだ。
デイジーはごにょごにょと濁した。
ここは話題を変えようとデイジーは思う。
「それよりバルトーク、結婚が決まったって聞いたよ。本当におめでとう」
デイジーがお祝いを言うと、フリージアとの結婚を想像したらしいバルトークはでれっと相好を崩した。
「おう、式には招待するから来いよ」
「伯爵家への婿入りなんだよね? 招待客って貴族ばっかりでしょう。私、平民なんだけど行ってもいいの?」
「俺も平民だもん。何なら俺の母ちゃんに父ちゃんに村の幼なじみも来るぜ。あ、ユーリも呼んどいた。てかあいつリアたんの衣装担当者なんだ」
「おおー、すごい。ばりばり働いてるねえ」
「最近はすっげー忙しそうだ。なんか狙ってる男もいるんだろ? しかもデイジーの知り合いで。どんなやつ?」
「あー……うん」
バルトークに聞かれてデイジーは曖昧な笑みを浮かべる。
「年上で、あんまり笑わないけど、面倒見がいい人だよ」
「へー、なんか難攻不落らしいから既成事実作るとかって言ってたぞ」
「おう」
(大丈夫かな、レイリーさん)
デイジーは故郷の村のレイリーを思う。
ユーリの狙っている男、何を隠そうそれはレイリーである。
現在、ユーリはレイリーに猛アタック中だ。
二年と少し前のあの夜。
ユーリと明け方まで喋り明かした時に、いやにレイリーについて聞いてくるなあ、とは思ったのだ。
「デイジーはほんまにレイリーさんのことは、男として好きとかじゃないんよな?」
これも十回くらい確認された。
どうやらあの時から黒髪美少女な友人はレイリーにぴんときていたらしい。
それからは何かとデイジーの村の周辺で用事を作っては、デイジーの実家にデイジーより頻繁に顔を出している。
カルネにこっそり様子を聞くと最近のユーリは気持ちを隠していないので、レイリーはたじたじのようだ。
因みにレイリーは今、隣町の警ら隊の事務職員として立派に働いている。
「頑張れ、レイリーさん」
何に頑張るのか釈然としないが、デイジーは師匠を応援しておいた。
「デイジー? その名前を呟くのはやめて欲しいな」
口の中で小さく呟いただけの応援が、なぜかリオネルに聞こえている。
ひんやりとしたものを感じてデイジーはびくっと肩をすくめた。
「おっ、そういえば薬師塔の先輩が俺にも友達のよしみでデイジーの指名取れないかって聞いてきたぜ」
ひんやり冷気をものともしないバルトーク。
「売れっ子だよなあ」
自分のことのように嬉しそうに言ってくれるバルトークに頰がゆるむ。
「えへへ、ありがとう」
デイジーは笑顔で礼を言い、花の香りの紅茶をすする。
その後は三人で、バルトークの結婚式について楽しく会話した。
fin
お読みいただきありがとうございました!
こちらで完結となります。
連載中よりたくさんのブクマや評価、いいね、感想をいただき本当にありがとうございました。
そして毎回誤字報告をくださる方々、本当にいつもすみません。とてもありがたいです。
最終話でちょこっと触れたユーリの片思いは、実は書くつもりのなかった設定でした。
作者が一人で空想して楽しんでいたんですが(たじろぐレイリーとか、追い詰められてほんの少しだけエロく反撃するレイリーとか……滾りますね。気分的には二次創作です)、感想でばっちり当ててる方がいらっしゃって「バレてる……それなら書かねば」となってちらっと書きました。他にも当ててた方いるんだろうな。皆さん、当たりましたよ笑
そんな感想欄ですが、途中で閉じてしまってごめんなさい。完結に伴い開けていますので、滾る思いやモヤモヤがあれば是非どうぞ。
何度もになりますが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
※6/1追記
感想でちょこちょことヘンドリックへのざまあ欲しかったなあ、という意見がありまして、こちらも設定だけしてたのでご紹介だけ。
学園卒業後にヘンドリックはユーリとお見合いして、ちょっといいなーなんて思いますが(ユーリの見た目は黒髪美少女)ユーリに振られます。
「伯爵家の次男だぞ!? 学年末テストも三位だったんだぞ!? 断るってどういうことだよ、後悔するぞ」
「爵位で金は稼がれへんやろ。おまけに次男て、爵位をかさにきるならそこは嫡男やろ! 頭よくても偉そうな男は虫唾が走るねん。あたし友達に頭いいのたっくさんおるしなあ! 頭は足りてんねん!」
みたいにね。
当初はユーリとヘンドリックでカップルにならないかな、ユーリがヘンドリック叩き直さないかな、なんて考えたのですがユーリが全然動いてくれなかったので振ることにしました。
振られた後はヘンドリックも少しは大人になるんじゃないかな、と思います。
これを本編に入れるとごちゃごちゃするので諦めました。
という訳でちっちゃいですが、ざまあでした。




