28.師弟関係的な家族
デイジーは怒って怒鳴り散らしたその日、父の作る美味しい晩ご飯を食べ、倒れるように眠った。
翌朝、カルネにより運ばれてきた朝食はフレンチトーストにたっぷりの蜂蜜がかかったものだった。
明らかにデイジーの機嫌を取りにきている。
(くっ……なんて卑怯な)
デイジーはフレンチトーストを睨みながらぷるぷると震えた。しかし、目の前のフレンチトーストに罪はない。
(とりあえず、食べるしかないな)
デイジーはぺろりとそれを平らげた。
大変美味しかった。
元々、くよくよ悩んだり、ねちねち怒るのは苦手である。フレンチトーストを食べ終わる頃にはデイジーの怒りは完全に収まっていた。
そうしてすっかり落ち着いたデイジーの部屋をレイリーが訪れる。
(もはや完全犯罪じゃないか)
デイジーは仕方なく部屋の扉を開けて迎え入れた。
「昨日はすまなかった」
部屋の入り口でまず頭を下げるレイリー。
師匠として慕うレイリーにいきなり頭を下げられてデイジーは慌てた。
「いえっ、私こそ騒いでしまいすみません」
「いや、あれは当然の反応だ。君の幸福を考えるあまり、肝心の君の気持ちを蔑ろにした。最低だった」
レイリーは頭下げたままだ。
「もう怒ってませんし、頭は上げてください」
「…………君はもっと我を通すべきだと思う。勝手に人生を切り売りされたんだぞ、怒るべきだ」
頭を上げて納得がいかないという顔でレイリーが言う。
「人生を切り売りされたは言い過ぎですよ」
デイジーがそう言っても、レイリーは渋い顔だ。
「それよりも、婚姻証明書ですが」
「ああ、そのことについても話したいんだ。入ってもいいだろうか」
レイリーが真剣な眼差しになる。
デイジーは「どうぞ」とレイリーに部屋に一つだけある椅子を勧めて、自分はベッドに腰掛けた。
レイリーはまず、二人のサインの入った婚姻証明書をベッドに置いた。
「改めてすまない。これを提出できなかったのは、俺の方の覚悟が足りなかったからだ。いきなり娘でもいいくらいの歳の少女との結婚が舞い込んで、その子を背負う覚悟もないままに君が来た。情けないがこれは自分の気持ちの整理がついてから出すつもりだったんだ。でも、君と暮らす内に君に娘や妹のような情が移った。そうなるともうこれを出せなかった」
「…………」
確かに娘や妹と感じだした少女との婚姻証明書は出しにくいだろう。
「君の覚悟や気持ちを無下にして申し訳ないが、そういう理由でこれは提出できない」
「そうですか」
予想していたことなのでがっかりはしない。
昨日は激高して出してくれと言ってしまったが、デイジーだって何がなんでもレイリーと夫婦になりたい訳ではないのだ。
ただ少し寂しくは感じる。
レイリーとデイジーは夫婦ではなかった。これから先も婚姻証明書を出さないとなると完全に赤の他人となる。
すっぱりと別々の人生を生きるのだろうか。
(二度と会わないとかは嫌だな)
出来ればこれからも友人や知人として関わっていきたいな、と思う。
(友人はちょっと違うか……親戚の小娘枠とかダメかな)
ちらりとレイリーを窺うと、デイジーの寂しさを見透かしたように優しく目を細められた。
「昨日、君がやけくそでも俺と共にあろうとしてくれたことは正直嬉しかった」
「……確かに昨日はやけくそでしたけど、一緒に生きていけると思っています」
「そうだな。昨日、君に怒られてやっと、君に引け目を感じて遠慮していたんだと気付いた。“夫婦”ということにも俺だけが拘っていた。君はただまっすぐに向き合ってくれていたのに、自分が情けないよ…………それで、その、君さえよければなんだが、夫婦は難しいが家族にならないか?」
「家族?」
意外な申し出にデイジーの胸がとくんと鳴る。
「ああ、法的な結びつきや関係性の名前はないが、君と家族になれたらと思う」
「師弟関係的な?」
デイジーの問いかけにレイリーがふっと笑った。
(あ、笑った)
デイジーが初めて見るレイリーの笑顔だ。想像してた通りに目尻に皺がよってぐっと優しそうになる。
「それもいいな」
穏やかに言うレイリーにデイジーは自然と手を差し出した。
「なら、師弟関係的な家族になりましょう」
こちらもとても自然に気負わずに口から言葉が出た。
レイリーは差し出された手に目を見開いた後、再び笑った。
「ああ、よろしく頼む。デイジー」
初めて名前が呼ばれて握手が交わされる。
デイジーの胸にじんわりと温かなものが広がった。なんだか嬉しい。
夫婦とは違うけれど家族、なかなか良いではないか。
デイジーがほっこりしているとレイリーは言いにくそうに続けた。
「その……借金だが」
「また抱えることになりますね。婚姻が成立しませんもんね」
淡々と付け足したデイジーは、でもそうなると父の了解を得なくてはいけないなと思い、だがきっと父は了解したのだろうなと思い直す。
「婚姻を成立させないのは君のお父上も納得済みだ」
デイジーの心を読んだかのようにレイリーは言った。
「今回のこれは俺の勝手だ。それは兄にも話した。兄は借金の利子は取らないし、減額もすると約束してくれた」
「ええっ、それはありがたいです」
思わぬ展開にデイジーの頰が緩む。利子なしで更に減額なんて嬉し過ぎる。
「当然の措置だ。免除にできればよかったんだが」
レイリーは申し訳なさそうだが、十分に嬉しい。
「いいんです。免除されたらかえって気に病みますよ。領主様はそういうのも考えられたと思います。利子なしで減額なんてすごくラッキーじゃないですか」
利子がないなら父の稼ぎからでも元本を細々と返せる。それにそういうことなら、デイジーだって働けばいいのだ。
やってみたいと思った学校の臨時講師も臨時ではなく、本採用の教師で目指してみてもいいかもしれない。範囲を隣町まで広げたら何とか探せるんじゃないだろうか。
ちょっとワクワクしてくるデイジー。
教師の未来に胸を躍らせていたデイジーにレイリーはこう告げる。
「もちろん俺も家族として、一緒に君の家の借金を返そうと思っている、いいだろうか?」
「ん?」
小首を傾げるデイジー。
今、何か、絶対に変な申し出を受けたと思う。
「俺も家族として一緒に借金を返そうと思っている」
「それはちゃんと聞き取ってます。え、なんでですか?」
「君のお父上も共に頑張ろうと言ってくれた」
「いや、聞きたいのはそこじゃないです」
父よ、何を言っているのだ。
「兄は働き口を探してくれると請け合ってくれた。力になれると思う」
「ありがたいな。いやいや、だから聞きたいのはそこではなく」
「君のお父上と話し合い、夫婦でもない君と俺が二人で暮らすのは世間体がよくないから、君の実家に世話になることも決まっている。生活費も抑えられるし、一石二鳥だ」
「えっ、実家に? まあ部屋数的にはいけますが……」
デイジーは実家の間取りを思い浮かべる。
一階には居間とキッチンに加えて部屋が一つあり、二階にも小さいが三つ部屋がある。
父とカルネとデイジーとレイリーの四人でも何とかはなる。
「これからは居候として世話になる。よろしく頼む」
「いえ、こちらこそ……」
軽く頭を下げあってから、デイジーはこれはおかしいと気を取り直した。
「ちょっと待ってください。スタートがおかしいんですよ。どうして我が家の領主様への借金をレイリーさんが一緒に返すんですか? 変です」
「家族であれば助け合うのは当たり前だ」
「そうですけど、変ですよ。だいたい領主様が納得しないでしょう」
ミシェルからしたら何の関係もない一家の借金を弟が自分に返してくることになるのだ。絶対に変だ。
「兄は承知しているんだ」
「承知するのおかしくないですか? 減額のみならず、その返済をレイリーさんが手伝わされるなんて」
「兄の目的は俺の回復と安定した暮らしだったのだから問題はない」
「問題はあるかと……」
「あの人にとっては、今回のことでグランツ侯爵家とのパイプが得られるのでは、ということの方が重要なんだ。あんな人のことは気にしなくていい」
「だから、お兄さんのことをそんな風に言うのは止めましょう。昨日、領主様が最初に嫌な感じだったのだって、あれ、わざとですよね? 飴と鞭の鞭役をあえてやってましたよね。私がレイリーさんを嫌いにならないように」
冷静な今ならそれが分かる。
昨日、ミシェルであればもっとデイジーを丸め込めるように言えたはずなのだ。
「……」
「分かってるんじゃないですか」
「……とにかく兄のことは気にしなくていい。師弟関係的な家族の俺が借金を共に返すと言っているんだ、断る理由はないと思うが」
「……」
断る理由はない。詐欺みたいないい話だ。
「でも、いいんですか? なんか私ばかりが得してませんか」
「君もたまには得をするべきだろう」
「いや、けっこう得はしてますよ」
最近ではつい先ほど話に出てきたグランツ侯爵家の三男の嘘告の相手に選ばれて、愛を囁かれデート漬けにされるという役得を味わったばかりだ。
(…………あ、途中から嘘じゃなかったんだった)
思い出して、一人で気まずくなるデイジー。
「俺としても借金返済という目的があった方がいい。だから本当に気にしないでほしい」
気まずそうになったデイジーをレイリーが覗き込む。
「借金返済を生きる目的みたいにするのはどうかと思いますよ」
「返している内に他の目的も見つかるだろう」
「!」
レイリーの前向きな言葉にデイジーは驚く。この人が未来の希望のようなものを言うのを初めて聞いた。
そういうことなら一緒に頑張るのも悪くない。
「…………分かりました」
「よかった。そして最後にもう一つあるんだ。最短で五日後には彼が君を訪ねてくる。君の気持ち次第では俺と家族になることや、共に借金を返すことは反故にしてもらって構わない」
「彼?」
「彼だ」
それだけ答えると、レイリーは「一階にはもう俺と君のお父上とカルネくんだけだ、昼食は降りてきなさい」と言って部屋を出ていった。
残されたデイジーは“彼”と彼が訪ねて来る理由について考えてみる。
「………………」
すぐに答えは出そうにない。五日かけてじっくり考えよう。
デイジーは階下へ降りて、レイリーと父とカルネの四人で昼食を食べ、次の日にはレイリーと共に実家へと引っ越した。
そして、引っ越した翌日にはミシェルがデイジーに謝りに来た。
自身の住まう地域の領主に頭を下げられて、デイジーは大慌てだ。
そもそも既に怒っていない上に、レイリーを借金返済に巻き込んでしまった申し訳ない気持ちの方が大きい。デイジーはミシェルを秒で許した。
ミシェルの訪問や引っ越しの後片付けでバタバタしながらも、デイジーは“彼”についてもしっかりと考えた。
“彼”への結論も出た五日後、デイジーを訪ねてきたのは“彼”ではなく“彼女”だった。




