27.腑に落ちる訳がない
いろいろあったあの日から二日経った。
この二日間、デイジーは静かに淡々と過ごした。
一人分の食事を作り、王立学園で使っていた教科書やノートを引っ張り出してきて久しぶりに眺めたりして過ごす。
リオネルによってガタついていた玄関の扉もビルに直してもらった。
扉には元々小さな鍵が付いていたのだが、鍵というよりは扉が風で開いたりしないための小さなかんぬきの様なものだったので、この機会にもう少ししっかりしたものに交換した。
そうやってのんびりレイリーの帰りを待っていたのだが、二日後の昼過ぎに帰ってきたレイリーは一人ではなかった。
「お帰りな……さ、ぃ」
扉を開けたデイジーはそこに居た三人を見て語尾が尻すぼみになる。
玄関ポーチにはレイリーとリオネル、領主のミシェルが居た。全員神妙な顔をしている。
嫌な予感だ。
嫌な予感しかしない。
デイジーは思わず縋るような顔でレイリーを見ると、困った顔をされた。
ますます嫌な予感である。
「こんにちは領主様、グランツさん……えーと、何もありませんが、良ければ中に入りますか?」
本当は入ってほしくないがミシェルとリオネルに尋ねてみると「すまないね」とミシェルが言い、三人は居間へと入ってきた。
お茶を淹れてテーブルへと出す。
そのまま退散しようとしたのだがレイリーに「座りなさい」と椅子を引かれてしまった。
デイジーは渋々三人に対峙するように座った。
三人を見回すとレイリーは困った顔で、リオネルは神妙な顔のまま。ミシェルは薄い笑顔だ。
口火を切ったのはミシェルだった。
「単刀直入に言うと、こちらのグランツくんがデイジーに援助したいと申し出てきてね。私が支払った君の家の借金を支払うから君と弟の婚姻を解消して君を自由にしてあげたいと言うんだよ。いい話だと思うんだが、どうだろう」
ミシェルがにっこりする。
「…………」
あまりのことにデイジーは絶句した。
(……自由?)
自由という言葉がぐるぐると回る。
(私はすでに自由なのに?)
「兄さん……」
レイリーがミシェルを責めるように呼ぶと、デイジーに向き合う。
「グランツ侯爵令息は過去に君にしたことと、今の君の境遇に胸を痛めている。そして俺も君が俺に縛られているのは辛い。だからジェット家と君の家のしがらみをなくせないかと話し合った」
「いや……でも、婚姻証明書も提出していますし、そんな簡単に」
呆然としながらも何とかそう言うと、レイリーはますます困った顔になってから「それなんだが」とテーブルの上に一組の書類を出した。
それはこの家に来た初日にデイジーがサインした婚姻証明書だった。
「…………」
デイジーの目が点になる。
「神殿には提出していない。だから君と俺との結婚はまだ成立していない」
デイジーは頭が真っ白になった。
「いろいろ腑に落ちないだろうが、援助を受けてこの書類を破棄すればいい。君にとってそれが一番いいと思う」
レイリーの声がとても遠く聞こえる。
(“腑に落ちないだろうが”?)
耳がキーンとなって全ての気配が遠い。
自分の心臓の拍動を強く感じた。
真っ白だったデイジーに、ふつふつと無力感や屈辱感、やるせなさや歯がゆさ、怒りと悲しみが湧いてくる。
(“腑に落ちないだろうが”?)
湧いてきた感情の中で一番大きなものは怒りだった。
(腑に落ちる訳があるかあ!!!!)
デイジーは怒った。
こんなに怒ったのは人生で初めてかもしれない。
デイジーは初めての大きな怒りに戸惑いながら拳を握りしめて深呼吸をした。
声が震えないように、感情的にならないようにと注意して口を開いたのだが、出た声は震えていた。
「な、なんて言うか、ば、馬鹿にしてますか?」
そうして口にしてしまうと、感情的にならないのも無理だった。
デイジーの体から怒りが溢れる。
「なんなんですか? 本当になんなんですか!? 人が十年働いて必死に返そうと思ってた金額をそんな風にポイポイ払わないでくださいよ! 馬鹿にしてんですか!?」
相手は現伯爵にその弟、侯爵家三男だがもう知ったこっちゃなかった。
「私、頑張ったんですよ。だって借金返さないわけにはいかないから。すごい頑張って勉強して王立学園の特待生になったんです。入ってからも特待生から外されないように、就職に有利なようにってずっと頑張ったんです! 城の文官だって、平民でなるのはなかなか大変ですごいことなんですよ? 常に上位だったテストの成績と、たくさんの教授の推薦文があってやっと勝ち取ったんです。それが結婚だけで解決するって言われた時の気持ちが分かりますか? ショックでしたよ、私の頑張りが全部否定された気持ちでしたよ!」
だんっとデイジーは拳でテーブルを叩いた。
さっきデイジーが淹れたお茶が溢れるが、それだってもう知ったこっちゃない。
「でも私の信念を通すのは違うと思いました。そもそも信念っていうほどのものでもなかったですし、我を通すよりもこの話を受けようって。初対面のレイリーさんは得体の知れないおじさんで怖かったですよ、何で家の借金のためにこんな怖そうなおじさんと結婚しなくちゃいけないんだ、って思いましたよ! それでも頑張っていいとこ見つけて無理矢理納得したんです。その後、学園でうっかり恋はしちゃったけど、それも終わらせました。ちゃんと覚悟を決めて結婚したんです。そしたらレイリーさんはいい人で、人として近づきたいと思ったし、私なりに夫婦とは違っても関係を築きたいって真剣に向き合ったんですよ…………それを、まだ成立してなかったってなんですか! 嫌です! 今からでも成立させてください!」
デイジーは婚姻証明書とレイリーを睨みつけた。
レイリーがたじろぐが無視だ。
それからデイジーはリオネルを睨んだ。
リオネルには怒りよりも悲しみが湧き起こる。
「それにわたしっ、グランツさんにお金で買われるのだけは絶対に嫌です」
涙が滲みそうになったが必死で堪えた。デイジーは怒っているのだ、ここで泣きたくない。
「デイジー、違うっ、君を買うつもりなんか」
リオネルがうろたえるがこちらも無視だ。
「違わないです! 買うことになるんです。私は一生あなたにお金の負い目を持つんですよ!」
だんっと再び机を叩く。
涙は今にも溢れそうだ。
畜生、まだ泣いてたまるかと思う。
「援助はお断りします! 婚姻証明書は出しておいてください! お見苦しいので私はこれで失礼します!」
デイジーはそう言い捨てると、二階の自室へ駆け上がった。
これと同じような事を二日前にしたなと思いながらベッドに突っ伏す。
今日は泣き声は押し殺さずに思いっきり聞こえるように泣いてやった。
❋❋❋
泣きつかれてぼんやりしていると、部屋が控えめにノックされる。
もちろん無視していると小さな声が名乗った。
「姉さん、僕だよ。カルネ」
外から聞こえたのは十才の弟の声だった。
(あいつら)
デイジーは思わず舌打ちしそうになる。
誰が来ようと無視するつもりだったが、カルネ相手となるとそうはいかない。
計画的人選である。
でもまあ、怒鳴り散らしたデイジーにびっくりしたあの三人が誰を送り込むかをごそごそと相談したのかと思うとちょっと胸がすっとした。
カルネを選んだのは何となくレイリーな気もする。
「なに?」
デイジーはつっけんどんに返事をした。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「…………」
「ごめん、なに?」
弟に対して大人気なかったと後悔して声を和らげる。
「…………僕がお兄ちゃんだったらよかったね」
「違うよ。カルネがちっちゃいから私も父さんも頑張れたんだよ」
「うん……姉さん、父さんのこと好き?」
「好きだよ。カルネは」
「まあまあかな」
十才の弟が父に厳しい。
「カルネ、父さんのご飯は美味しいよ」
フォローしてしまうデイジー。
「ふふ、知ってるよ。父さんもこっちに来てるんだ。今からご飯作るんだよ。食べられそうならここに持ってくるけど」
「……たぶん、食べられる」
「じゃあ持ってくるね。今日は僕と父さんも下に泊まるよ、安心してね。あと三人のおじさん達は反省して心配しているみたいだよ」
カルネはそう言うとまた下へと降りていった。
しばらくすると階下からいい匂いがしてきて、カルネが盆に載せた食事をデイジーの部屋の外に置いてくれた。




