25.騙せてなかったし、本当だった
デイジーの暮らす村は小さな村だ。
外部からの訪問者はそれだけでかなり目立つ。加えてその訪問者が明らかに良い身なりの見目麗しい若い男で、立派な馬に乗ってやって来たとなれば、村に足を踏み入れた時点で村中がその存在を知ったと言っても過言ではなかった。
男は思い詰めた様子で村人にデイジーの家を聞いた。
聞かれた村人は家の場所を教えてから、直ぐ様先回りをしてデイジーの隣のヒルダの家に駆け込んだ。
村人は村を訪れたの男の風体と思い詰めた様子を話し、こう結論づけた。
「あれは、デイジーちゃんの昔の恋人かなんかじゃないのか?」
娯楽の少ない村では何かと劇的に解釈しがちだ。
「ええっ、そうなのかい!?」
驚くヒルダ。
「分かんねえけど、そうだと言われてもおかしくないぜ」
したり顔で頷く村人。
「でも昔とはいえ恋人って、そんなのレイリーさんが黙ってないだろう。あれだけ可愛がってるんだよ!?」
「だよなあ、もはやあれは娘扱いだもんなあ」
ヒルダを含め村人達の間で、レイリーはすっかりデイジーの保護者だ。
二人は夫婦だが寝室も分けているし、レイリーがごく稀にデイジーについて話す時に“あの子”と柔らかく呼ぶ様には父性が溢れている。
あんまり大きな声では言えなかったが、デイジーの実の父シュミットはいい人だけど頼りないと、父親としては低評価だった。
「シュミットさんは頑張ってはいるんだけどねえ」というのが村人達がよく言うセリフで、家の借金を背負って働くというデイジーを皆で不憫に思っていたのだ。
そこに現れた無口で暗いが、頼れる雰囲気のあるレイリー。
夫婦とは違うが仲良くなっていく二人を村人達は微笑ましく見守っていた。
ヒルダは、ひょっとするとレイリーが男を殴ったりするのではと心配して夫のビルと息子のジョンを呼び、自宅の生垣の隙間から隣のデイジーの家を窺った。
ほどなくして、馬に乗った若い男がやって来る。
金髪の若い男は否が応でも目立っていたので、その後ろには遠巻きに何人かの村人が興味津々で付いてきていた。
彼らもヒルダ達に加わって生垣の陰にしゃがむ。
玄関の様子は斜めで見えにくかったのだが、男が中に入ったのは分かったのでそこから家に近づいて聞き耳をたてた。
そうすると口論のような声が聞こえた後にやけに静かになったので、これはマズいのでは、と中に入ったのだ。
「そしたらただならぬ雰囲気だし、デイジーちゃんは顔に怪我してるしでびっくりしたよ」
デイジーの隣を歩きながらヒルダが言う。
今は皆でデイジーの実家に向かっている最中だ。
ヒルダ達に踏み込まれた後、デイジーとレイリーとリオネルは彼らに囲われて互いに距離を取らされた。
そしてとにかく落ち着こうとなり、誰かが「こういう時こそシュミットさんだろう」と言い出し「それがいい。デイジーちゃんの実家だし、あの人、とにかく害はないからな」となって、デイジー達はデイジーの実家へと連れて行かれる最中だ。
デイジーはヒルダにリオネルは王立学園の友人であり、たまたま近くに来る用事があったから寄ってくれただけだと説明した。
そしていろいろ誤解があってレイリーと少しだけ揉めたのだと伝える。
ここは無難に言うのが一番だと思ったし、レイリーが自殺未遂のようなことをしたのは伏せておきたかった。
「まあ誤解があったにしろ、シュミットさんとこでちゃんと話し合いなよ」
ヒルダはレイリーとリオネルを交互に見てからそう言った。
デイジーもつられて二人を見る。
レイリーはいつもの無表情だ。そしてリオネルは蒼白な顔で目には生気がない。足取りもどこかふわふわしている。
「あのお兄さんは大丈夫かい?」
ヒルダが気遣わしげだ。
「卒業して働きだしたばかりだから、いろいろあるのかもしれないです」
「なるほどねえ、きっと疲れて田舎に来たくなったんだね」
「そうかも」
そしてついでに卒業パーティーをすっぽかしたデイジーに文句の一つでも言いたくなったのかも。
痩せたのも、生気がないのも慣れない薬師塔での仕事に疲れたせいなのかな、とデイジーは思う。
(仕事、しんどいのかな)
むくむくと心配の気持ちが湧き上がる。
(ちゃんと食べているのかな?)
(眠れているのかな?)
(先輩に意地悪されたりしてないかな?)
(さっきから様子が変だけど、レイリーさんが怖かったのかな?)
すっぱり終わらせたはずなのに、昔の恋心というのは厄介だ。
デイジーはぶんぶんと頭を振って心配を追いやった。
もう一度、リオネルを見る。
デイジーからは後ろ姿しか見えないけれどよく知ってる背中だ。さらさらと少し伸びた金髪が揺れる。
胸がきゅうとなり、デイジーは慌ててきゅうとなった胸にも蓋をした。
デイジーの実家に着くと、父のシュミットは驚きながらも快く迎えてくれた。
「君はまず顔の傷の手当てをしなさい。こうなったのは俺のせいだし、お父上には俺から事情を話す」
ヒルダ達が帰るとレイリーが言う。
「私も一緒の方が……」
デイジーはそろりとレイリーを見上げた。
この人はついさっき小刀を自分へ向けようとしていたのだ。また何かあるかもと思うと不安になる。
「もうあんなことはしない。君の顔を傷付けてしまって肝が冷えた。二度としないと誓う。顔の傷は浅い切り傷のようだが痕が残っては大変だからすぐに手当してきなさい」
「分かりました」
その顔に暗さはない。デイジーはほっとしてから部屋の隅に佇むリオネルを見た。
「……彼、グランツさんというんですが、グランツさんはどうしましょう? 何か温かい飲み物を用意してあげた方がいいのかな」
リオネルは抜け殻のようになってただ立っていた。父と弟のカルネが心配そうに声をかけているが、ほとんど反応していない。
「君は彼のことは心配しなくていい。この村には宿もない。後で隣町まで送って行く」
隣町は領主の屋敷もあり、この辺りでは一番大きな町だ。宿も数軒ある。
「すみません」
「構わない。道中で我が家への用件も聞いておこう」
レイリーの声には怒気が混じっていた。そこには“よくもうちの娘を弄んでくれたな、このやろう”的な雰囲気がある。
デイジーはちょっと不安になった。
「あの、レイリーさん。グランツさんは嘘告してきた方ではありますが、終始優しくてですね。本当に良い思い出をもらったんです。今日も、ひょっとしたら本当にちょっと寄っただけかも」
「大丈夫だ。殴ったりはしないよ」
「…………」
その割には声がまだしっかりと怒っている。
デイジーはどうかリオネルが空気を察して、文句なんか言いませんようにと思いながら二階に上がって、カルネに眉の上の傷の手当てをしてもらった。
傷の手当てが終わって下へと降りてくると、レイリーと父は居間の隣の部屋で話し込んでいる。
居間には誰もいなかった。
リオネルはどうしたんだろう、庭だろうか、とデイジーは玄関から外へ出てみた。
虚脱状態がなくなってデイジーと話をしてくれるなら近況くらいは聞きたい。あと、レイリーを怒らせない方がいいことも伝えておきたい。
だが庭には誰もおらず、中に戻ろうとした時だった。
「デイジー」
仄暗い声で名前を呼ばれた。
びくっとして振り向くと玄関の壁際にリオネルが立っていた。
「お、お久しぶりです。グランツさん」
何が正解なのか分からなくて、簡単に挨拶をする。
改めてリオネルと向き合うと簡単にそわそわしてしまい、情けないなと思う。
そしてリオネルの翡翠色の瞳は暗いのに変に熱が籠もっていて少し怖いとも感じた。
「嘘告っていつから知ってたの?」
デイジーの挨拶は無視されて、いきなり質問が飛んでくる。デイジーの知っている優しいリオネルではない。
(なんだろう、少し怖い)
デイジーは半歩後ろに下がった。
「えーと、中庭での会話と腐黒石のやり取りを見ていたんです。グランツさんとサーマンさんの」
デイジーの答えにリオネルは「最初から……」と呟く。
「じゃあなんで、告白を受けたんだよ? なんで俺と付き合ったの?」
リオネルは必死な様子でデイジーの空けた半歩の距離を詰めてきて、デイジーはリオネルが怒っているのだと思った。
きっと騙していたはずなのに騙されていたから怒っているのだ。
「ごめんなさい。ちょっとヤケになってて楽しんでみようかな、なんて思ったんです。ごめんなさい!」
「は? なんでデイジーが謝るの? 謝るの俺だよね?」
「いやいや、結果的になんか騙したのは私かも、って」
そこでポロリとデイジーの目からは涙がこぼれた。
リオネルが怖くてびっくりしたのと、自分の恋を“騙した”なんて否定したせいだ。
「あれ? ごめんなさい。泣くなんて卑怯ですよね。違うんです。結局私は騙せてないんです。あの、軽く楽しむつもりが最初からもう本気でドキドキしててですね、わりとすぐ恋なんてしてしまって……えへへ、釣り合う訳ないのにね、嘘なのに、知ってたのに。グランツさんからしたらこんなの気持ち悪いですね」
ポロポロと涙は止まらない。
デイジーは泣きながら笑ってみた。
リオネルが絶望したような顔になる。
「あのっ、き、気にしないでくださいね。ちゃんとあれは嘘だったって分かってますから」
そう続けるとリオネルも泣きそうになって、がっと両肩を掴まれた。
「違うっ」
「えっ」
「違うんだ、デイジー。違う! 告白は確かに嘘だった。でも石は途中でヘンドリックに返した!」
「え?」
デイジーは混乱する。
石を返した?
じゃあ、途中からは嘘じゃなかった?
「君に惹かれて、どんどん惹かれて、自分でも信じられないくらい好きになって、だからそれからは嘘告じゃないんだよ、全部本当だったんだ」
「…………うそ」
「本当だよ」
デイジーの頭がぐるぐる回る。
嘘告じゃなかった?
全部本当?
「今さら本当……?」
そう、今さらだ。
デイジーはもう結婚している。
そもそも、本気だったのなら付き合っていないはずだ。いわく付きとはいえ結婚が決まっていたのだから。
そんなの不毛で辛いだけじゃないか。
「デイジーにとっては今さらなのか?」
肩を掴むリオネルの手に力が入る。
「だって……結婚しました。婚姻証明書にサインもしてます」
デイジーは恋を終わらせて、覚悟を決めてサインしたのだ。
まっすぐに事実を伝えるとリオネルの顔が歪んだ。
「そんなの取り消せよ! だって借金の形にあてがわれただけだろ? バルトークから聞いたんだ、家に借金があったって。結婚相手は領主の弟らしいって。無理やりなんだろ? だってあれ、足が不自由な廃人のおじさんだろ? こんなの」
「止めてください! レイリーさんを悪く言わないで」
デイジーはきつい声でリオネルを遮った。
何も知らないのにレイリーが悪く言われるのは嫌だった。
デイジーは身をよじってリオネルの手から逃れる。
リオネルに怒りと焦燥が広がった。
「なあ、まさかあんなおじさんを好きになったの? さっきだって襲われてただろ?」
声が低くて怖い。びくりとしながらもデイジーはレイリーを擁護した。
「さっきのは事情があるんです。レイリーさんはいい人です」
「何だよそれ。俺といい、あのおじさんといい、簡単に男を好きになるんだな。あのおじさんとキスしたのかよ、その体を触らせたのかよ!?」
デイジーの顔にかっと熱が集まった。
パンッと乾いた音が響く。
リオネルが呆然として頬を押さえた。
デイジーのリオネルの頬を打った右手がひりひりする。
「信じられない! 最っ低!」
デイジーはそれだけ言うと、荒々しく扉を開けて家の中へと駆け込んだ。
レイリーと父がこちらを見ていたが無視して階段を上がる。階段にはびっくりした様子のカルネがいたが「どいて」と言って元の自分の部屋へと駆け込んだ。
扉に鍵をかけてベッドに突っ伏す。
「っ………………」
デイジーは枕に顔を押し付けて泣き声を押し殺した。
右手と同じように心もひりひりしていた。
ひりひりの原因は、リオネルが怖かったことなのか、嘘告が嘘じゃなかったことなのか、レイリーを悪く言われたことなのか、恋をしていたリオネルにひどいことを言われたからなのか、その全部なのか。
それはもう分からなかった。




