24.鉢合わせ
翌朝、デイジーは少々もやっとしながら目を覚ました。
こうして一晩たってから考えると、昨日のレイリーは一方的だったのではないだろうか。
初対面でレイリーに怯えたのは確かだが、結果的にデイジーの読みは正しかったのだ。レイリーは優しい世話好きな人で、年長者としてデイジーを導いてもくれる。
デイジーは今の生活に満足しているのだ。
レイリーはまるでデイジーが不幸であるかのように言っていたが、そんなことはない。勝手に不幸にしないでほしい。
(それに私の可能性とか……買い被りすぎだよ)
あれは親の欲目ならぬ師匠の欲目だろう。
デイジーは自分には華やかな活躍など似合わないと思う。
レイリーに言われて、勉強が好きなのかもとは思ったがそれならばここでも出来る。
やる気になればどこでも出来るのだ。王立学園ほどの質や量は望めないが、趣味の勉強ならそこまで求めなくてもいい。
(もしかしたら村の学校で、臨時の講師とかできるかな?)
ふと、そんな考えが浮かんだ。
村には教会併設の小さな学校がある。デイジーもそこで10才から13才まで学んでいる。
王立学園最後の半年間で、デイジーは誰かと一緒に勉強する楽しさや教える楽しさを知った。
せっかく勉強するなら誰かと共有したい。
(おっ、これはやりたいことかも)
久しぶりに胸が高鳴る。こんな風になるのはリオネルに恋をしていた時以来だ。
臨時の講師について相談してみるのはかなりいい案な気がしてきた。しかもこの相談はレイリーも喜びそうだ。
デイジーはレイリーがいつもの状態に戻っていることを願いながら下へと降りた。
デイジーがキッチンでごそごそしていると、レイリーが部屋から出てきて、キッチンの見える椅子に腰を下ろす。
(うーん、まだちょっと暗いな)
まだ昨晩の暗さを引きずっているのが分かる。
落ち込んだ翌日は立直っていることが多いのだが、今回は落ち込んだ理由が過去ではなく、目の前のデイジーに関することだからなのか立ち直れていない。
臨時の講師の件はまた今度にしよう。
「おはようございます」
「……おはよう」
挨拶を交わし、もそもそと朝食を食べる。
デイジーは後片付けの後、庭で洗濯を始めた。
洗濯が終わり、リネン類を干し終わったデイジーはキッチンの奥の裏口からそっと家へと入る。
レイリーを観察するつもりで出来るだけ静かに足を進めると、レイリーは居間のテーブルで小刀を片手に木のコップを作っていた。
木材を削って作るコップは隣町の土産物屋に持っていくと、買い取ってくれる村の工芸品の一つだ。
レイリーは最近このコップ作りを練習中である。
(よかった、持ち直しつつあるみたい)
作業をするつもりになったのはいいことだ。デイジーがほっとしながら見守っているとレイリーがふと手を止めた。
「?」
削るところを間違えたのかな、と思っているとレイリーはじっと小刀を見つめた。
「…………」
デイジーは背中がざわざわした。
小刀の切っ先を見るレイリーの目は何も映していない。
その時、門の方で馬のいななきがしたのだがデイジーの耳には入っていなかった。
レイリーはどんよりと曇った目のまま、小刀を両手に持ち替える。
すごく嫌な予感がした。居間の空気がぴんと張り詰めている。
気配に鋭いはずのレイリーはデイジーが居ることに気付いていないようだ。
明らかにおかしい。
レイリーが小刀の切っ先を己に向けて、その手に力を込める。
デイジーは迷わずに走ってレイリーが小刀を握る手を押さえた。
「っ! 君っ」
「何してるんですかっ!?」
デイジーの手ではレイリーの手を覆い尽くせないし、力は断然レイリーの方が上だ。
デイジーはがたがたと震えた。
小刀の主導権はレイリーにあるのだ。
「離しなさいっ、俺が死ねば、君は自由だっ」
「何言ってるんですか!」
小刀が左右に振られるがデイジーは喰らいつく。
「君を愛するのは難しいんだ! 君はその重大さを分かっていない!」
「気にしないと言いましたっ、そういうのも夫婦の一つの形でしょうっ?」
「俺はいいが、君はいいわけないだろう? 17才だぞ? 今から一番いい時だ、そんな時間を俺の世話に捧げるのを納得するんじゃない!」
ぐぐっとレイリーの腕に力が入りレイリーが立ち上がる。
デイジーはぶら下がるような態勢になり、手が外れそうだ。
この時、家の扉が大きく叩かれて外からは男の声がしていたのだが、デイジーにもレイリーにもそれは聞こえていなかった。
「君を縛りつけたくないんだっ」
「だからって、だからってっ!」
(死んだらあかんやろ!!)
デイジーは憤怒の形相になるとレイリーの不自由な右足を蹴った。
思いっきり膝と足の付け根を狙って蹴りつける。
「ぐっ」
レイリーの顔が歪んでバランスが崩れた。
「きゃあっ」
椅子をなぎ倒す大きな音をたてて、二人はもつれて床へと倒れ込んだ。
扉を叩く音が大きくなる。
デイジーの背中と腰、足や肩に強い衝撃が走る。だが痛みは感じなかった。
それどころではなかったからだ。デイジーは死んでも小刀を握るレイリーの手を離すつもりはなかった。
デイジーは自分に覆いかぶさるようにして倒れているレイリーを強い眼差しで見上げた。
レイリーはというとデイジーを押しつぶすように倒れてしまったことに動揺していた。
「きっ、君っ、離しなさいっ」
慌てるレイリーの下で、つうとデイジーの眉の上から血が滲み出す。倒れた時に切ったようだ。
レイリーは真っ青になった。
「離しなさいっ」
「嫌ですっ、レイリーさんがまず離してください!」
デイジーは自分の怪我には気付いていなかった。血が滲んで流れている感覚もない。
「この体勢で離せる訳ないだろうっ、君がまず離しなさい」
レイリーが小刀を離せば刀はデイジーの顔に落ちるのだ。
だからレイリーが手を離せる訳がないのだが、動転しているデイジーはそれが分からない。
「嫌ですっ」
デイジーの大声と共にバキッと何かが割れる音がした。
「デイジー!」
自分の名前を叫んだのはよく知っている声だったのだが、もちろんデイジーはそれどころではない。
とにかくレイリーに小刀を離させることしか考えていなかった。
だがここで一気にレイリーの体が浮くと、デイジーの目の前でその体が後方へと投げられた。
重さがなくなってびっくりしたことで、デイジーの手が離れる。
だあんと大きな音が響き、何かが割れる音もした。
辺りを見回すとレイリーが居間の壁際で倒れていた。小刀が床に転がりテーブルにあった皿が割れている。
そしてデイジーとレイリーの間には旅装の男が立っていた。デイジーからはその背中しか見えない。
訳が分からないが、誰かが侵入してレイリーを投げ飛ばしたようだ。
(なに!? 強盗? だれ?)
驚きなからもデイジーは素早く侵入者の脇をすり抜けると小刀を拾い、レイリーを守るようにその前に屈んだ。
小刀を侵入者の男へと構える。
「だっ、誰ですかっ、何するんでっ………………」
デイジーは目をまん丸に見開いた。
侵入者は見知った男だったからだ。
さらりと金髪が流れて、翡翠色の瞳と目が合う。
「えっ、は? ……ええっ」
侵入者はリオネルだった。
「えええっ?」
混乱しながらも小刀は構えたまま、デイジーはリオネルを観察した。
髪が少し伸びている。頰はこけたようにも見えた。
目元は疲れた様子で全体的に生気がない。
デイジーを見る目は変に熱があって暗い。
「デイジー、なんでそいつを庇うんだ!?」
懐かしいが切羽詰まった声でリオネルが聞いてきた。
「な、なんでって、レイリーさんは、お、夫です!」
デイジーは端的に的確に答えた。
リオネルの顔が歪み、そこでデイジーはぐいっと後ろのレイリーに肩を掴まれる。
あっという間にデイジーはレイリーによって体を入れ替えられると、その背中に隠された。レイリーの片手がデイジーを守るように巻き付く。
「俺を庇ってる場合か!」
隠されると同時に本気の怒号が飛んだ。レイリーからは完全に殺気が立ち上っていてかなり怖い。
レイリーはそのままリオネルを下から睨んだ。
「服装からするとならず者の類ではないようだが、貴殿は誰だ? 我が家に何の用だ?」
びりびりとした低く迫力のある声だ。元軍人なだけあって威圧感がすごい。
レイリーの気迫にリオネルはたじろぎ、そして今の一連のやり取りにひどくショックを受けているようだった。
「誰って……デイジー、夫なんて嘘だろ? 本当にこんなおじさんと結婚したのか? なんで? 俺達、恋人だったよな!? 付き合ってたよな!?」
悲愴感漂うリオネルにデイジーは息を呑む。
そしてそんなリオネルにレイリーは愕然となった。
「君、恋人はいないと言っていただろう?」
デイジーを振り返ったレイリーの目は真っ暗だった。
デイジーはなぜか物凄くショックを受けているリオネルも気にはなったが、今優先すべきはレイリーだった。
きっと突発的だったに違いないが、レイリーは先ほど確かに自死しようとしていたのだ。
果たして小刀で自死出来たかは分からないが、それでも決意は本物だった。
そしてリオネルから飛び出した“恋人”宣言に打ちのめされている。
ただでさえ、デイジーのためにこの結婚を悔やんでいたのに、そこにとどめの恋人の存在である。
デイジーは必死に説明した。
「違います! 恋人じゃありません、前に話した嘘告の人です!」
「…………え? 彼が?」
レイリーの目の色が正気に戻る。
デイジーはここでリオネルに顔を向けた。
「グランツさん、どうしたんですか? 嘘告だったんですよね? テストの順位も八位でした。目的は達成されたと思うんですが、卒業パーティーに出られなくて腐黒石を返すことになりましたか? もしそうなら事情を一筆したためましょうか?」
自分のせいでリオネルが不利益を被ったのならそれは悪い気がした。
それなら、失恋が怖くてパーティーを逃げ出したのだと書いてあげれば石は返ってくるかもしれない。
「…………」
デイジーの問いかけに今度はリオネルが愕然としていた。
顔は真っ青になって表情が抜け落ちる。翡翠色の瞳からは急速に光がなくなった。
「グランツさん……?」
尋常ではないその様子にデイジーは心配になってきた。
リオネルは何だか痩せてしまった気もする。
「…………あの、一筆書きますよ?」
「…………」
繰り返してみたが、リオネルは微動だにしない。
凍りつく部屋の中、最初に動いたのはレイリーだった。
「とりあえず小刀を渡しなさい。大丈夫だ、もうあんなことはしない」
レイリーが困惑するデイジーの手から小刀を抜き取る。
そのタイミングでデイジー達の家に隣家のビルとヒルダ、息子のジョンに加えて近隣の村人達がドタドタと入ってきた。
「デイジーちゃんっ、レイリーさんっ、騒がしかったけど大丈夫かい!?」
「うわあっ、デイジーちゃん、顔っ、顔が切れてる!」
「ひいっ、レイリーさん、なんで刃物持ってるんだ!? お兄さんは無事か?」
「とにかくお兄さんとレイリーさんを引き離せ!」
入ってきた村人達によって、三人は即座に引き離された。




