21.二人の共同作業と恋の告白
デイジーはレイリーとぎこちなくだが平和に共同生活を送り出した。
さて、結婚生活四日目、デイジーは最後の鶏肉でホワイトシチューを作った。
結果、焦がした。
味はやはり微妙になった。
レイリーはやはり文句を言わずにたべてくれた。
結婚生活五日目の朝、デイジーがキッチンで朝食を作ろうとしているとキッチンにレイリーがやって来て何かを差し出す。
「?」
「使いなさい」
受け取るとゼンマイ式のキッチンタイマーだった。
「君は何かに集中するともう一方が疎かになるようだ。火を使う時はそれをセットしなさい」
デイジーは手の中のキッチンタイマーをまじまじと見つめた。赤いブリキのそれは背面のネジを巻いてから前面のタイマーを合わせるもので、時間がくるとベルが鳴る仕組みになっている。
そういえば昨日レイリーは珍しく出かけていたと思い出す。これを買いに行ってくれていたようだ。
何だか嬉しい。
「ありがとうございます!」
デイジーはほくほくで早速タイマーを使った。
パンも玉子も焦げずに焼けた。
朝食時、焦げなかったパンと玉子に昨日の微妙シチューを食べているとレイリーがこう聞いてきた。
「今日もこのシチューを作れるか?」
「へっ?」
びっくりするデイジー。
「き、気に入ったんですか?」
まさかこの微妙な味のシチューを?
ちょっと特殊な味覚を持っているのだろうか、と考えていると「違う」ときっぱり否定されてしまった。
「えーと、ではなぜ?」
「君の作っているところが見たい」
「っ……」
いきなり言われた甘い言葉に息を呑むデイジー。
まさかまさか、とドキッとしていると、そんなデイジーにレイリーは少し慌てた。瞳の暗さが和らぐ。
「すまない、間違えた。作っている過程を確認したい」
「……あ、ああー、なるほど」
デイジーは納得した。
どうやらいよいよデイジーの料理のクオリティが気になってきたようだ。
実家の父はここで「ご飯は私が作るよ」だったのだが、レイリーは見守ってくれるらしい。
「分かりました。でも、鶏肉がもうなくて、同じものは無理かなと」
「それは何とかしよう」
そうして午後にはレイリーは鶏を手に入れて帰ってきた。
キッチンの隅でそれを手早く捌くレイリー。
料理は出来るようだ。
「お父さんみたい……」
デイジーの実家では料理は父がしていたので、デイジーは思わずそうぽつりと呟いてしまった。
レイリーが、がばっと顔をあげて変な表情をする。
「ご、ごごごめんなさい」
これでも妻なのである。
“お父さんみたい”は最悪のチョイスだった。
デイジーは青くなって謝罪したのだがレイリーは「いや……大丈夫だ」と言うと鶏を捌くのに戻った。
よく見るとその耳が赤い。恥ずかしかっただけのようだ。
(もしかして子供が好きなのかな……いや、子供というか、本来は年下の面倒見が良い人なのかな)
そんな風に思う。
その後、華麗な包丁さばきにより鶏肉が用意されてデイジーはさっそくクリームシチューに取り掛かる。
レイリーは居間から椅子を取ってきて、その作成過程を観察しだした。
そうしてすぐに、小言というか指摘がばんばん飛んできだした。
「ちょっと待て、塩を入れるのが少しずつ過ぎないか?」
「待て、なぜそこで火を止める?」
「塩もそうだったが、胡椒もどうしてそんなに少しずつなんだ?」
「味見が多すぎないか? 混ぜるたびに味をみるんじゃない」
「だからなぜ、そこで火を止める」
「灰汁取りは大切だが、やり過ぎでは?」
「なぜ今、水を足す?」
「だから、味見が多い。訳が分からなくならないのか?」
「そんなに混ぜてどうする、具材が粉々になるだろう」
矢継ぎ早に繰り出される小言。
デイジーだって頑張って主張はした。
「塩は、もし入れすぎたら戻せないでしょう、少しずつが安全です」
「一旦火を止めないと落ち着かないんです」
「味が大丈夫か気になるんですよ」
「胡椒だって、入れすぎたら戻せません」
「どんなに小さな灰汁でも気になるんです」
「灰汁をとると分量が減りますよね? その分です」
「そんなこと言われても、味は気になります…………確かに最後の方はいつも訳が分からなくなってますが」
「混ぜないと焦げ付くじゃないですか」
だが主張はしながらもデイジーは所々、レイリーの小言を素直に聞いた。塩や胡椒、バターをいつもよりたくさん入れて、味見の回数もぐっと減らす。
灰汁取りは譲れなかったが、後半に水を足すのを諦めてかき混ぜるのも我慢した。
結果、いつもよりはマシな味のクリームシチューが出来上がる。
「! ちょっと美味しい」
あくまでもちょっとだが、未だかつて自分のシチューがこんなに美味しかったことがあっただろうか。
いや、ない。
デイジーは感動した。
「レイリーさん、ありがとうございます」
「礼はいい。君は料理に手を出し過ぎていると思う。もう少し力を抜いた方がいい」
「力を抜く」
「変な材料を使ってないなら、味なんて大体よくなるんだ。味見の回数はもっと減らしなさい」
「は、はい」
「塩や胡椒、調味料はあんなに何回にも分けて入れなくていい。不安なら最初に量って小皿に入れておいて一気に入れろ」
「おう、分かりました」
「煮込み料理なんて材料を入れて沸騰したら、灰汁だけとって火を消してもいいくらいだ」
「わお、上級者……お料理得意なんですか?」
「軍人なんてこんなものだろう。自分達で煮炊きもするから……」
ここで“軍人”と口にしたレイリーの顔が一気に暗くなり、口をつぐんだ。
デイジーは慌てて「ちょっと早いけど夕飯にしますか? せっかくいつもより美味しく出来ましたし」と言って食事の準備をした。
カチャリ、カチャリとデイジーとレイリーがシチューをすくう音が居間に響く。
互いに無言だが、漂う雰囲気は少しだけ親密になっている気もする。
料理に対する小言と主張の応酬とはいえ、今日は本当によく会話をしたからそのせいだろうか。
加えて、二人でいつもよりはマシな味のシチューを作ったという達成感のせいでもあると思う。
デイジーが満足感に包まれていると、食事時は無言のレイリーが珍しく話しかけてきた。
「聞いておきたいことがあるんだが」
「はい、何なりとどうぞ」
話しかけられたことに驚きつつも嬉しくて、デイジーは明るい笑顔をレイリーに向ける。
「君は恋人はいなかったのか?」
「…………」
絶句するデイジー。
まさかそんなことを聞かれるなんて思ってもみなかったのだ。
「こ、恋人ですか? えーと、いや、うーん、その」
王都を発って以来、意識的に思い出さないようにしていたリオネルの影がチラつく。
金髪の髪の毛が揺れ、翡翠色の瞳がデイジーを見つめた。
「えーと、い、いなかっ……た、と、思います」
非常に歯切れ悪くデイジーは答えた。
嘘告の恋人は、恋人にカウントしないと思う。何よりデイジーの恋人だったことにしてはリオネルに失礼だ。
「……いたんだな」
レイリーがため息と共に言う。これだけ歯切れ悪く否定してはそうなるだろう。レイリーの声はひどく低くて暗かった。
「いえ! いません!」
「いいんだ。責めている訳じゃない」
慌てて否定し直すデイジーにレイリーは首を横に振った。
「君のお父上はそんな話は聞いたことがない、と言っていたが17才の女の子は男親に恋の話をしない場合もあるから気になっていた。一緒に暮らしてみると君はいい子だし、他人と関係が築ける子だ。恋人がいたとしても不思議ではないと感じた。その人と将来を考えていたりしたんじゃないのか? それなら俺は取り返しのつかないことをしてしまった。君、本当に今のこの状況を納得しているのか? 君が嫌なら今ならまだ」
レイリーの様子に焦りが混じり、表情がどんどん硬くなっていく。
「本当にいなかったんです!」
デイジーはレイリーの言葉を遮って強く否定した。
何度も否定するのが辛くて目が潤む。だってデイジーはリオネルに恋をしていたのだ。その恋まで無かったことにするようで胸がきしんだ。これでも失恋したてなのだから。
デイジーは俯きながら続けた。
「恋人は、いませんでした。ただ、恋はしてました。でも、一方的な想いというか馬鹿な片思いだったんです」
デイジーはそこで一度深呼吸をした。
「レイリーさんは嘘告って知ってますか? 好きでもないのに揶揄かいで告白して面白がる遊びなんですけど……それをね、されたんですよ。あ、でも嘘告ってことはたまたま知ってて酷い目にあったとかじゃないんです。ないんですけど、相手の方が本当に素敵な方で……そのう、嘘だと知っていたのにコロッと恋してしまいまして、そういう免疫がなかったせいもあると思うんですけど……馬鹿ですよね、阿呆ですよね。えへへ、だから恋人はいなかったんです」
説明を終えたデイジーは頑張って笑みを浮かべてから顔を上げた。
「……………………」
レイリーは物凄く気まずい顔になっていた。
図らずも、娘のイタい恋の話を聞いてしまったお父さん、という所だろうか。
ここは慰める所だと分かっているが、どうやって慰めたらいいのか分からない、という様子だ。
「だ、大丈夫ですよ。ちゃんとこっちに帰ってくる時にお別れの手紙も書いたんです。吹っ切れてます! 今は元気もりもりなんですよ!」
居た堪れない空気に無理に明るく振る舞ったのは逆効果だったようで、レイリーの目が痛ましいものを見る目になる。
「恋なんて初めてで、良い思い出をもらったなあ、って思ってます。嘘告なんて最低だと思うでしょ? でも意外に優しい人だったんですよ、本当です」
尚も言い募るデイジーをレイリーは片手をあげて制した。
「もういい、もういいから。余計な詮索をしてしまった。その…………そうか、大変だったな」
その後、レイリーは何度か何か言おうとしては口をつぐみ、最終的に「温かくして寝なさい」と言って自室に引き揚げていった。