14.恋とは
五日間に渡る学年末テストが全て終了したその日の晩、デイジーはユーリとデイジーの部屋で過ごしていた。
お互い寝巻きを着てベッドに腰掛け、ベッドの前に移動させた書き物机の上にはお菓子とジュースが並んでいる。
テスト終了を祝うパジャマパーティーが始まったところである。
「テストお疲れー、あたしは今回はほぼ名前書いただけやけどな」
猫耳付きパーカーというやたら可愛い寝巻きを着たユーリが乾杯のグラスを掲げたので、デイジーも「お疲れ」と言ってカチンと合わせた。
このグラスの中身もジュースだ。
因みにデイジーはもっさりしたワンピース型の寝巻きにカーディガンを羽織るスタイルである。ダサ眼鏡に猫耳付きは似合わない。
「今回の手応えはどんな感じやったん? なんか毎日クリケットクラブのサロンに拉致られてたんやろ? ちゃんと勉強出来てたん?」
「んー、正直、自分の勉強っていうより皆の勉強見るって感じだったけど、こっちの理解も深まって面白かったんだ。新鮮だった。まあその分、今回は順位は期待出来ないけど」
「へえー、理解が深まる……頭いい子は言う事がちゃうなあ」
くいっとジュースを酒のように飲むユーリ。
「今回は順位はそんなに気にしてないしね」
「田舎に帰るんやもんなあ、迷ってるって言ってたけど決めたん?」
デイジーはユーリには卒業後は田舎に帰るかもしれない、と伝えてある。
そしてレイリーとの結婚については言えていない。
36才の領主の弟と17才の平民のデイジー、この組み合わせをユーリが聞いたらもちろん何か感づくだろうし、友人の性格からしてどんどん悪い方へと取るだろう。
デイジーがどんなに説明しても物凄く心配されそうだ。
だからデイジーは田舎での生活が落ち着いたら手紙に書くか、遊びに来てもらって納得してもらおうと考えている。
「うん、帰るつもり」
「ふーん…………あたしが口出すことかは分からへんけど、リオネル・グランツとはどうするん?」
「えっ」
「えっ、やないよ。リオネル・グランツは王都やろ? デイジーの田舎って馬車で三日はかかるんよな? 遠距離恋愛ってしんどいで」
「あー、なるほど、遠距離……」
付き合った当初から振られる気満々だったデイジーは、卒業後のリオネルとの事なんて考えもしていなかったのでリアクションに困ってしまう。
「遠距離かあ……遠距離ねえ……そうだね」
「他人事やなあ、あ、もしかして別れるつもりやったん?」
「別れるっていうか」
振られるのだ。
二週間後の卒業パーティーで。ダンスの後に。
たぶん優しく。
振られる。
「…………」
分かっていたこととはいえ、想像すると胸がすーすーした。
「……ごめん、余計なことやったな。あっちは三男とはいえ侯爵家やもんなあ。平民はいろいろ考えるよな。どういうつもりなんかな、とか、将来まで考えてるんか、とか」
「えーと……うん。そだね」
「でもデイジーといる時のリオネル・グランツ見てると本気っぽいで。たまにバルトークに妬いてるやろ? 知ってた?」
「へっ、バルトークに?」
「あんた、バルトークは名前で呼ぶやん。そのたんびにあの人ちょっとイラッとしてはんで」
「うそだあ」
そんな事、あるわけないとデイジーは思う。
ユーリは少々、思い込みが激しい。
「イラッとしてるけどなあ。どっちにしろ、卒業後どうするんかはちゃんと話し合っときや。あたし前はリオネル・グランツはあんまり好きじゃなかってん。なんか平民の子を見下してる空気うっすらあったからさ。でもデイジーと付き合うようになってからはそういうのなくなって、ちょっと見直してんねん。たぶんきちんと向き合ってくれると思うで」
「…………うん」
話し合えば、優しく諭されて振られるんだろうなあ、とは思う。
貴族と平民の結婚は不可能ではない。実際にデイジーは領主である伯爵の弟と結婚する予定なのだ。いろいろと提出する書類はあるが、手続きさえすれば出来ないことはない。
しかし田舎貴族と、王都にタウンハウスまである有力貴族とでは話は違うだろう。おまけに侯爵家、何かと煩い縁戚はいっぱいいそうだ。
そもそも家族の了承が取れないと思う。
そういった事情をこんこんと説明されて「残念だけど、別れよう」と振られるんじゃないかな、とデイジーは考えている。
「残念だけど、別れよう」をリオネルの声で再現してしまい、デイジーの胸はずきんと痛んだ。
「…………」
おかしい、振られるのは想定通りだ。
傷つくつもりはなかったのにこれは一体何だろうか、心臓がどくどく脈打って手が冷たい。
「デイジー?」
「ねえユーリ、恋するって、どんな感じだろう?」
「うん?」
「私、考えてみれば恋ってした事なくてさ。だからこれが恋なのかは分かんないよ」
そう言った自分の声はひどく小さくて頼りなかった。
「うわ、どうしたん? ごめん、あたしがなんか深刻っぽく話し合えとか言うたからやな。お互いまだ若いんやし、ずるずる行くんもありやと思うで」
「ずるずる……」
この嘘告にそんな未来はない。
リオネルはそんな事はしないだろう。
そしてデイジーも、もちろんそんな事はしない。
最初からこの嘘告のお楽しみは期間限定なのだと知っているのだ。
想像していたよりもずっと、リオネルが細やかで優しいので、予想外にドキドキしてしまっているけれど、卒業と同時に終わるものだ。
(泣いて縋ってたとしても振られるんだろうしな)
そもそも自分には泣いて縋る権利すらない。
(あ……)
ここでデイジーは愕然とした。
(私……今、なんてことを)
泣いて縋るなんて、何を考えているんだろう。
結婚相手が決まっているのに、他の人にそんな気持ちを抱くなんてダメだと思う。
(うそぉ)
こうなる予定ではなかった。
もっと軽く、なんちゃってな恋人やデートを楽しむはずだったのに、泣いて縋るまでになってしまっている。
(どうしよう、最低だ)
ガリ勉ダサ眼鏡だったデイジーは、こんな風になることを想像もしていなかった。
割り切ってちょっと楽しむだけのつもりだったのに、完全に泥沼ではないか。
最低で救いようのない馬鹿だ。
デイジーは初めて嘘告を楽しむことにしたのを後悔した。
こんなガリ勉ダサ眼鏡がそんなことをするべきじゃなかったのだ。
ガリ勉はガリ勉らしく、青春なんて諦めて粛々と勉強だけして、田舎に帰ればよかった。
「…………」
「もー、泣かんといてよ」
「泣いてないよ」
デイジーは泣いて縋る自分を封印した。
すーすーしてずきんと痛んだ胸もなかったことにする。
リオネルへのまだ認めてすらいない気持ちをぐるぐる巻きにして深い深い心の海の底へと沈めた。
「でも泣きそうやったもん。なんかこっちが泣いてまうわ」
美少女な友人の瞳が潤みだしたのを見て、デイジーは笑顔を作る。
「泣いてないってば」
「ほんまに?」
「ほんまに」
「よかった、マジで今の話し合えは忘れてな」
「うん。それよりさ、ユーリは恋した事あるの?」
ユーリの眉がへにょりと下がったままなのでデイジーは話題を変えた。
「えっ、あたし?」
「もしあるなら聞きたいな」
「えー? 実家におる時に好きやった人はいたけど年上で結婚してたし、完全に片思いやったんよなあ」
「へえー、どんな人?」
「えっ、どんなって、がたいよくて、からっとしてて、笑うとくしゃってなんねん」
ユーリが頬を染めて語りだす。
そこからはひとしきり、ユーリの過去の片思いについて盛り上がった。
「ーーそんなんやから、恋に恋してた感じやな。あたしも恋を知らんのかも」
「一緒だね」
「かもなあ。そういう経験の豊富な従姉妹の姉さんは、恋なんて簡単に分かる言うてたけどな」
「簡単に? どうやって?」
デイジーが聞くと、ユーリはニヤリとした。
「目がおうて、話がおうて、肌がおうたら恋やって」
「めがおう?」
「目が合って、話が合って、肌が合ったらや」
ふむふむとユーリの言葉を頭の中で繰り返すデイジー。
「? 肌が合うって?」
「同衾やな」
「どうきん」
「ベッドインやなあ」
ユーリの瞳がいたずらっぽくキランと光る。
真っ赤になるデイジー。
「ベッ……」
「お子様やな、デイジー」
「なっ、ユ、ユーリもじゃん」
「そうやでー、お子様やでー。だからまだまだ深刻に考えんでもいいと思うねん。昔は卒業後すぐ結婚する子もおったけど、最近はそういうのも少ないらしいしな。女も世間に出てから結婚する時代やで」
そう言ってユーリはからからと笑う。
「…………」
田舎に帰って結婚するデイジーとしては、ぎこちなく笑うしかない。
果たして自分はレイリーとベッドインなんて出来るのだろうか。
(べ、ベベベベッドイン)
言葉だけであわあわしてしまうデイジー。
でも、結婚するってそういう事だ、とデイジーは思い直す。
全然実感は湧かないが、そういうことだ。
暗い瞳のレイリーを思い出してみる。正直、何の経験もない自分にはキスすら想像出来ない。
(だ、大丈夫……きっと、何とか、なる)
何だか途方もない心細さがこみ上げてきそうになって、デイジーは無理にそう思った。
(大丈夫、大丈夫、大丈夫)
デイジーはぎゅっと拳を握ると、心細い自分も深い深い海へと沈めた。
「ところで、それが明日の王立劇場に着ていくドレスやんな?」
拳を握りしめるデイジーには気づかずに、ユーリが壁に吊ってある落ち着いた水色のデイドレスを指差す。
それは明日のためにと、宣言通りにセイラが貸してくれたドレスだ。
セイラよりデイジーの方が少し背が高いのだが、デイジーはヒールは履けないのでちょうど良い丈になりそうだった。
「うん。綺麗だよね」
「ほんまやな、よかったな」
「えへへ、うん」
何もかもを海へと沈めたデイジーは嬉しそうに頷く。
どれも決まっていることで、今悩んでもしょうがないことだ。せめて明日の歌劇はちゃんと楽しもうと思う。
実は歌劇は一度観てみたかったのだ。田舎には劇場なんてないから、これが最初で最後の歌劇鑑賞にもなる。
しかも王立劇場。演目は流行りの悲恋ものらしい。
今日、リオネルもテスト終わりにデイジーの教室までやって来て「明日の王立劇場、デイジーも行くって聞いたんだ。嬉しい、楽しみだよ」と微笑んでくれた。
リオネルはデイジーのドレスについて気遣い、迎えの馬車まで準備しようとしてくれたので、デイジーはドレスはセイラに借りたことを話し、迎えの馬車は定期の馬車があるからと断っている。
「明日はドレスかあ。ばっちり可愛くしたるからな」
準備を手伝ってくれる気満々のユーリが、力強くそう言った。




